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2019/12/13

小泉八雲 お春 (石川林四郎訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“HARU”で、美称の接頭語の「お」はなく、原文では本文内も総て「お」はない)は来日後の第三作品集「心」(原題“KOKORO; HINTS AND ECHOES OF JAPANESE INNER LIFE ”(心――日本の内的生活の暗示群と共鳴群)。一八九六(明治二九)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社」(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版)の第七話である。なお、小泉八雲の帰化手続きが終わって「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であるので、この刊行時は既に「Lafcadio Hearn」ではなく、小泉八雲である(但し、出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)。 本作品集は“Internet Archive”のこちら(出版社及び少年の絵の入った扉表紙(赤インク印刷で「心」が浮かぶ)で示した。出版社のクレジット(左ページ)及び以下に電子化した序(右ページ。標題が英語でなく黒インク印刷で大きく「心」とある)はこちら)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 訳者石川林四郎については、『小泉八雲 日本文化の神髄 (石川林四郎訳) / その「一」』の私の冒頭注を参照されたい。]

 

      第七章  お  春

 

 お春は大方は家庭で人となつた、世にも稀な優しい型の婦人を作り上げる舊式の敎育によつて。この家庭の敎育は、日本でなくては養はれない樣な、素直な心と自然に優美な擧止と從順と忠實な性質とを養つた。斯うして作り上げられた德性は、餘りに優しく美はしくて、昔の日本の社會以外には向かない。新しい社會のずつと激しい生活には(今尙ほその中に殘存しては居るが)最も賢明な準備ではなかつた。溫良な娘といふ者は全然良人の意の儘になるといふ條件に副ふ樣に躾けられたものである。嫉妬や悲哀や憤怒は、よしこの三つを皆共に禁じ得ない樣にする事情の下にあつても、決して表はさぬ樣に敎へられた。唯々優しさ一つを以て良人の不行跡を改めさせる樣にすることを期待せられた。一言で云へば、殆ど人間以上であることを、少くも外觀上完全なる無我の理想を實現することを要望せられてゐた。これを温良な娘は、同じ身分で、心遣ひも細やかに、女の心持ちを察して、傷めることをしない夫に對しては完全に仕果たしたのである。

[やぶちゃん注:「溫」と「温」の混用はママ。]

 お春は夫よりもずつと良い家柄に生まれた。夫には彼女の心根が本當には分からなかつた位で、少し過ぎてゐたのであつた、若い時に夫婦になつて、初めは貧しかつだのが、夫が商賣の才があつたので、追々と裕福になつた。が、お春は暮らしの困つてゐた時の方が、夫が自分を深く愛してくれた樣に思つた。そして女の考は斯ういふ事について滅多に違はないものである。

 お春は今も夫の着物を縫ひ、夫はその手際を賞めてゐた。何くれとなく傅づいて[やぶちゃん注:「かしづいて」。]、着物を着るにも脫ぐにも世話をし、綺麗な家の中の何から何まで氣持ちよい樣にした。朝用向きで出掛ける時には愛想よく見送りをし、歸つた時には喜んで迎へた。友人が來れば落ちなくもてなし、家事をよくもと思ふほど經濟に切りまはした。而して金のかかる事など何一つ求めない。又實際言ひ出すことは入らなかつた。夫はいつも物惜しみせず、實に派手な衣服を着せ、己が翅に身を飾る美しい銀色の蛾か何ぞの樣にして、芝居やその他の遊山に連れて往くのが好きであつた。春には櫻の花で名高い、夏の夜は螢火の飛び交ふので、秋はまた楓の紅葉で名高い、それぞれの行樂の場所へと、お春は夫に連れられて往つた。或る時は松の木立が舞妓の樣に搖らぐと見える舞子の濱に打連れて一日を暮らし、或る時は淸水の古い古い亭に半日を過ごした。そこでは何もかも五百年前の夢と見える、そこには高い鬱蒼たる樹木の陰があり、洞窟から迸る淸冽な水の歌があり、古風に靜かに吹き鳴らされる見えざる笛の訴ふるが如き音色がいつも聞こえる。恰も落日の上で金色の光が藍色に交じる樣に、平和と悲哀とを交じへた楚々として人に迫る音色である。

[やぶちゃん注:「舞子の濱」神戸市西部の垂水区の南西部、明石市に接する明石海峡に臨む海岸で、東に須磨の浦、西に明石海岸がある。明石海峡大橋の袂。現在は東西約二キロメートル、南北四百メートルの地が県立舞子公園となっている。嘗ては松の名所であったが、自動車の排気ガス等によって枯死してしまい、旧時の面影はない。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 斯うした物見遊山の外には、お春は滅多に出ることはなかつた。彼女の親兄弟も夫の身内も、他國に遠く離れて居たので、別に往く所とてもなかつた。彼女は家に居るのが好きであつた、床の間や佛壇などに供へる花を生けたり、座敷を飾つたり、泉水の馴れた錦魚に餌を遣つたりして。錦魚はお春が來るのを見ると頭を上げてやつて來る。

 まだ子供がなくて今まで知らなかつた喜ひや悲みを味はふ事もなかつた。それで彼女は丸髷に結つてゐでも極若い娘の樣であつた。して又子供の樣に單純であつたが、細かしい事をしてのける手並には夫も常々感服して、大きな仕事に就いても度々彼女の智慧を藉りる位であつた。さういふ時には大方女の心の方がその美しい頭よりは彼の爲めに良い判斷をしたのであらう。五年の間は彼女は十分樂しく暮らした。その間夫は日本の若い商人として、自分より天性の勝れた妻に對して、これ以上にとは望めぬ程に、思ひ遣りのある盡くし方をした。

 その時彼の態度が急に變つた。それが餘りに急激なので、その理由は子の無い妻が氣遣はなければならぬ樣なものではないと慥に感じた。實際の原因を悟ることが出來なかつたので、何か自分の盡くし方が足りなかつたためであると思はうとして、良心に問うて見たが効がなかつた。それでどうかして夫の氣に入らうと力の及ぶ限り努めた。然し夫は少しも感じなかつた。別に荒い言葉などは使はないが、默つてゐる陰には言ひたいのを抑へてゐるらしく思はれた。身分のよい日本人は妻に向つて口で荒い事をいふことは滅多にない。それは野鄙な粗暴な事と考へられてゐる。氣の荒くない敎育のある夫は妻の小言にすらも優しい言葉で答へる。日本の作法によれば、一遍の禮儀からでも、男らしい男はさういふ態度を取らなければならぬ。又これが唯一の安全な態度である。嗜みのある敏感な婦人はおめおめと粗暴な扱ひに服してはゐない。氣丈な女は、夫が何か腹立ちまぎれに言つな事のために自害もし兼ねない。そんな自殺をされると夫に取つでは一生の名折れである。所が口で言ふよりもつと遠まはしな、もつと安全な虐(いぢ)め方がある。例へば嫉妬を起こさせる樣な餘所々々しさや無頓着である。日本の妻はどんな事があつても嫉妬を表はさぬ樣に躾けられて來た。が、この感情は如何なる訓練よりも古い。愛と共に生じ、愛の存する限り存するであらう。何の咸じもない樣な顏をしてゐても、日本の妻女は西洋の妻女と同じ感情を有つてゐる。恰も華美を盡くした夜會の客をもてなす間にも、役目が濟んで獨り苦衷をやる時の來るのを心に祈り求むる、さうした西洋の妻女をその儘の感情を持つてゐる。

 お春には嫉妬すべき原因があつたが、餘りに子供の樣な心持ちで直ぐには其原因を推察しなかつた。召使たちもそれを覺らせる[やぶちゃん注:「さとらせる」。]のを餘りに氣の毒に思つた。夫は以前、家に居ても外へ出ても、晚にはいつも彼女と一緖に過ごすのが例であつた。が、今は每晚一人で出て往つた。初めての時は彼女に何か商用上の口實を言ひ置いたが、後には何の斷わりもせず、いつ歸る積りだとも言はなくなつた。此頃は無言の裏に彼女を虐待した。夫は今までとは變つて來た。『魔がさした樣に』と召使共は言つてゐた。事實彼は巧みにわなにかけられたのである。或る藝者のかけた一言が彼の意志を鈍らせ、一度の笑顏が彼の眼を眩ましたのであつた。其藝者といふのは彼の妻よりは遙かに不器量な女であつたが、やくざ男を綾なして破滅をさせては振り棄てる最後の際まで、いや引き締まる手管の網を張る事には至極老練な者であつた。お春 はさうと知る由もない。夫の解せぬ振る舞ひが度重なつて來るまでは、徒事(ただごと)でないとすらも思はなかつた。其時とても夫の金の行衞が分からぬのに氣づいただけであつた。每晚何處に往つて居るか夫は一度も知らせた事がなかつた。併し彼女は嫉妬がましく思はれはせぬかと、それを聞かうとはしなかつた。自分の心持ちを口に出して言ふ代りに、お春は夫に對して殊更優しく、もつと分かつた夫なら何もかも察する樣に遇らつた[やぶちゃん注:「あしらつた」。]。併し彼は商賣の事以外には頭の鈍い男であつた。彼は相變はらず晚に家を空け、良心が鈍るにつれて歸りが段々と遲くなつた。お春は妻たる者は夜いつも起きてゐて主人の歸りを待つべき事を敎へられてゐた。それが爲めに彼女は神經過敏になり、睡眠不足に伴なふ發熱の氣味やら、召使たちを定刻に臥せらせて後思ひに沈みながら獨り待つ間の淋しさに惱んだ。唯だ一度夫が大變遲く歸つた時、『こんなに遲くまで起きて居らせて濟まなかつた。これからこんなに待たないでくれ』と言つた。すると彼女は夫が自分のために本當に心を痛めたかと氣遣つて、氣持ちよく笑つて『い〻え、ねむくはありません。疲れはしませんよ。どうぞお氣に懸けないで』と言つた。そこで彼はその上氣にかけなかつた、――妻がさう言つたのを良い事にして。間もなく彼は夜通し家を空けた。其つぎの晚もさうした。又其つぎの晚も。三晚目に家を空けてからは、彼は朝飯に歸る事すらしなかつた。玆[やぶちゃん注:「ここ」。]に至つてお春は妻として何とか言はなければならぬ時が來た事を知つた。

 お春は夫の上を案じ我が身の上を案じながら朝の間を過ごした、女の心に此上ない深手を負はせる不行跡を初めて覺つて。忠實な召使共が彼女に何か話したので、後は察することが出來た。彼女は大分體[やぶちゃん注:「からだ」。]がわるかつたが、自分では氣づいて居なかつた。彼女は自分が受けたこの傷ましい、刺す樣な、胸わるき苦痛の爲めに腹立たしく――それも我儘ゆゑに腹立たしく――感じてゐるのだとばかり思つてゐた。今は言はずには居られぬ事を――自分の口から洩れる初めての非難の言葉を、どうしたら一番身勝手からでない樣に言へるかと考へこんでゐる時に正午となつた。その時車輪[やぶちゃん注:人力車のそれ。]の音が聞こえて、召使が『お歸りです』と呼ぶ聲に、彼女の心臟は一つの激動を以て躍つた。何もかも眩暈[やぶちゃん注:「めまひ」と訓じておく。]の渦をなして眼の前に朦朧と游動した。

 彼女は夫を出迎へに上がり口まで漸く步いて來カた、纎弱い[やぶちゃん注:「かよはい」。]全身は熱と苦しさと、更にその苦しさを見られはせぬかとの恐怖とに慄きながら。夫は驚いた。常の通りの笑顏を以て迎へることをせず、打震ふ片手で夫の絹の着物の胸元に取り縋つて、夫の胸の中に唯だ一片の性根があるかを見極めようとする樣な眼つきで、ぢつと見入つた。そして物を言はうとしたがそれは『あなた』と唯だ一言だけであつた。殆ど同時に力の無い手は緩み、眼は異樣な笑みを見せて閉ぢ、夫が手を出して支へる間もなく彼女は倒れた。夫は彼女を起こさうとした。が、彼女の一縷の命脈は絕えたのであつた。お春は死んで了つた。

 一同が驚愕し、泣き悲み、かへらぬ名を呼び立て、醫者を迎へたことは言ふまでもない。が、彼女は色白く靜かに美しく臥してゐた。苦痛も怒りも顏から去つて、嫁入つた日の笑顏を見せながら。

 公立病院から醫師が二人まで見えた。日本の軍醫たちである。彼等は直截な露骨な質問をした。夫の本性を眞髓まで截ち割る樣な質問をした。而して燒刄[やぶちゃん注:「やきば」。刃(やいば)に同じい。]の樣な冷たく鋭い事實を告げて、縡ぎれた[やぶちゃん注:「ことぎれた」。]人と共に彼を殘して去つた。

 

 彼の良心が目醒めたのは確で、彼が出家せぬのが不思議くらゐに思はれた。晝は京の絹織物や大阪の形染物の反物を積んだ店に、熱心に而かも無言に坐つてゐる。店員等は優しい主人と思つて居る。決して荒い小言など言はぬ。夜更けるまで働いてゐる事も度々である。彼は住居を變へた。お春の住んでゐたあの綺麗な家には餘所の人が居て、持主はつひぞ其處へは來ることが無い。今も猶ほ花を生けたり、池の錦魚を花あやめの風情でさしのぞくなよやかな影をそこに見はせぬかと思ふからであらう。併し何處に息はうとも、人々の寢鎭まつた折ふし、彼は同じ物言はぬ人の姿を己が枕邊に見ない譯には往かぬ。彼が着飾つて妻を裏切つたその晴着を、縫つたり火熨斗[やぶちゃん注:「ひのし」。布地の皺を伸ばすための道具。底の平らな金属製の器に木の柄を附けたもの。中に炭火を入れて熱し、布地に当てる。アイロンと同じ日本古来(平安時代に既にあった)のもの。]したり、心を盡くして仕上げようとしてゐるその姿を。又或る時は商賣の忙しい中に、大きな店の喧噪は絕え、帳簿の文字は薄らいで消え去り、訴ふるが如きささやかな聲が――神明に祈つても消すことの出來ぬ聲が――彼の淋しき心の底へと、問ふが如くに唯だ一言『あなた』と囁く。

 

[やぶちゃん注:本篇は軍医が来訪するところから見て、熊本時代の取材によるものかと思われる。]

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