三州奇談 電子化注始動 / 卷之一 白山の靈妙
[やぶちゃん注:「三州奇談」は加賀・能登・越中、即ち、北陸の民俗・伝承・地誌・宗教等の奇談を集成したもので、金沢片町の蔵宿(くらやど:藩の年貢米の売却のために置かれた御用商人)の次男で、金沢の伊勢派の俳諧師で随筆家(歴史実録本が多い)の堀麦水(享保(一七一八)年~天明三(一七八三)年:金沢生まれ。通称は池田屋平三郎、後に長左衛門。初号は可遊・葭由。号は四楽庵・樗庵など。俳諧は中川麦浪・和田希因らに師事し、伊勢・京都などへ引杖しつつ、俳諧師としての実力を養成した。貞享期(一六八四年~一六八八年)の蕉風俳諧を顕彰し、「貞享正風句解伝書」などを著した。中興期復古運動の中でも異彩を放った俳人である。実録物としては「慶安太平記」など多数の作がある)が、先行する同派の俳諧師麦雀(生没年未詳。俗称住吉屋右次郎衛門)が蒐集した奇談集を散逸を憂えて再筆録したものとされる(後の坂井一調の「根無草」の記事に拠る)。「三州奇談」完成は宝暦・明和(一七五一年~一七七二年)頃と推定される。正編五巻九十九話、続編四巻五十話で全百四十九話からなる。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの日置謙校訂「三州奇談」(昭和八(一九三三)年石川県図書館協会刊)とする。但し、疑問箇所等は、正編は同じ国立国会図書館デジタルコレクションの中島亀太郎著「加越能三州奇談」(個人出版・明二八(一八九五)年刊。異題であるが、同書の正編の活字化である)を、続編は同じく国立国会図書館デジタルコレクションの田山花袋・柳田国男編校訂「近世奇談全集」(明治三六(一九〇三)年博文館刊)を参考にする予定である。また、正編では、所持する堤邦彦・杉本好伸編「近世民間異聞怪談集成」(「江戸怪異綺想文芸大系」高田衛監修・第五巻。同書の底本は国立国会図書館蔵本とあるが、こちらは写本である。但し、正編のみで漢字は新字である)も参考にした。前記の書誌も同書の堤氏の解題に拠った。なお、何故、最初のものを底本としたかというと、本文が整序され過ぎている傾向がかなりあるものの、その結果、写本底本のものに比べて躓く部分が有意に少ないこと、ひらがな変換や送り仮名が概ね頷ける形で行われていること、他の筆写本に数多ある歴史的仮名遣の誤りが有意に補正されてあることに拠る。但し、恨むらくはルビが一切ない点ではある。これについてはこの後で述べる。
底本では冒頭に全巻の目録が載るが、これは公開の性質上、あまり意味を持たないと私は判断するので省略することとした。
底本にはルビがなく、読み難い箇所も多々見られるので、上記の複数の書籍と校合し、丸括弧で歴史的仮名遣で推定の読みを禁欲的に附した(一部は先に挙げた「近世奇談全集」のルビ(パラルビ)等も一部で参考にはしたが、従えないものもあった)。一部で鍵括弧や「・」(これは底本でも使っている)等も追加して添えて読み易くした。踊り字「〱」は正字化した。二行割注は【 】で挟んで同ポイントで示した。]
三州奇談 卷一
白山の靈妙
越の鍾靈(しやうれい)なるものを「白山(しらのやま)」といふ。雪華天に聳え、峰四方に標(へう)す。崚嶒(りやうさう)百里ばかり、其最も神秀ものは「大女(おほなんぢ)」是也。其峯山の半腹に在り。又「隱女(をんなんぢ)」といふ。遙望すれば、壁立萬仭、嵯峨嶙峋(りんじゆん)として雲車象輿(うんしやざうよ)の常に歸往する所、秀氣天に薄(せま)り、人間の能く躋攀(せいはん)する所に非ざる也。山僧善心曰く、「貧道(ひんだう)山中に住すること凡そ十稔(ねん)、頗る山の窈窕(えうてう)を諳(そら)んず。かの『大女』に陟(のぼ)ること既に幾回なるに、前に人間(じんくわん)に在りて瞻望(せんばう)する所のものと形勢都(すべ)て異なり。こゝに指點するに、諸峯を𤲿(ゑが)くに似たるもの有るなし。杳然(えうぜん)終に其地を得ず。故に余曾て臆斷せり。大女・隱女蓋し別に二峰也。大女は皆登るべし。其(それ)隱女なるものは唯之を望むべく、求むるときは則ち隱匿して臻(いた)るべからず。古名も空しからず」と。他の登る者も云ふこと亦復(また[やぶちゃん注:二字でかく訓じておく。])此(かく)の如し。何(いかん)ぞ其の神なるや。或は曰く、「蓋し有ㇾ之(これあらん)。曾て古記を讀むに、それ蓬壺(はうこ)を求むる者、遠く之を望めば雲の如く、巍然(ぎぜん)として海上に標す。乃ち近づけば所在を沒失(もつしつ)す。其人に非ざれば、則ち日夜粉碎すとも、敢へて臻ること能はず」。我日本亦此くの如きもの有り。怪ならざれば則ち神、神ならざれば卽ち怪。これ此書卷第一を作れるゆゑならし。
[やぶちゃん注:以下、底本では最後まで全体が一字下げ。]
山僧善心は滑稽名「梅石」、加州大聖寺人、食家吉崎屋の族(うから)。破產して佛門に歸し、越前平泉寺に入り。兼て白山山上の室堂(むろだう)に住す。因(ちなみ)に善心曰く、「別山の社中積雪の門常に山風有り。且一日赤蛇を見る。長さ二尺餘り、色火の如し。又鵜鳥(うのとり)有り。人の聲を聞けば羽毛を脫す。道者(だうじや)拾ひ得て守と爲すと。
[やぶちゃん注:まず、中島亀太郎著「加越能三州奇談」の当該序章及び堤邦彦・杉本好伸編「近世民間異聞怪談集成」(写本底本)を見るに、本来、この序章(本文自体にこれを神霊にことよせて本書巻頭の靈妙な序章として祝祭していることが確信犯で窺える)ののみは漢文訓点附きで書かれてあったものと推察される。以下に正字である前者のそれを白文で示す(既に上記の訓読文(但し、表記・表現に有意な異同がある)があるから訓点は排除した。但し、句読点がないと比較しづらいことから、後者の句読点と鍵括弧を参考に附した。因みに、この二者にも異同があり、親本は同じ写本ではないと思われる)。
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白山靈妙
越之鐘靈[やぶちゃん注:ママ。]者曰白之山。雪華聳天、雲峰四標。崚嶒百里所、其尤神秀者大女是也。其峯在山之半腹、又曰隱女。遙望之、壁立萬仭、嵯峨嶙峋雲車象輿常所歸往、秀氣薄天。非人間能所躋攀也。山僧善心曰「貧道住山中凡十稔焉、頗諳山之窈窕。陟彼大女既已幾囘、非從人間所瞻望者。形勢都異、於是指點盡諸峰而罔有所似者。杳然終不得其地。故余曾臆斷大女隱女蓋別二峰。大女皆可登。其隱女者可惟望之。求則隱匿不可臻焉。古名不空。」他登者、言復亦如此。奈其神。或人曰、「盖有之矣。曾讀古紀、夫求蓬壺者、遠望之如雲、巍然標海上。乃近之則沒失所在。非其人則雖日夜粉碎之、不能敢臻。」我 日本、亦有如斯者。不怪則神、不神卽怪。是所爲此書開卷第一者邪。
[やぶちゃん注:「日本」の前の字空けはママ。改行が正式と思うが、尊敬表記として腑には落ちる。以下、底本では最後まで全体が一字下げ。]
山僧善心滑稽名梅石、加州大聖寺人、良家吉崎屋之族。破產肆佛門、入於越前平泉寺。兼住之白之山上室堂。因善心曰、別山之社中積雪之門、常有嵐。且一日見赤蛇。長二尺强也、如火。亦有鵜鳥。聞人聲脫羽毛。道者、得拾爲守。
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中島亀太郎著「加越能三州奇談」の当該序章の基本、訓点に従って訓読したものを示すが、恣意的により読み易くして、底本本文と比較しやすくするために、句読点を適宜変更し、読点を増やし、段落形成を行った。訓読法は私のポリシーに従い、助詞・助動詞はひらがな、出すべきと判断する送り仮名を概ね出してあるので注意されたい。一部の送りがない箇所は推定で施し、一部で濁点がないと絶対におかしい部分にのみ濁点を打った。
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白山靈妙
越の鐘靈なる者を「白の山」と曰ふ。雪華、天に聳へ、雲峰、四も[やぶちゃん注:「よも」(四方)にの謂いか。]標す。崚嶒、百里所(ばか)り、其の尤も神秀なる者は「大女(をゝなんち)」[やぶちゃん注:左ルビで表記は「ヲヽナンチ」でママ。後もそうだが「なんぢ」と濁ってよいと思う。]、是れなり。其の峯、山の半腹在り、又、「隱女(をんなんち)」と曰ふ。之れを遙望すれば、壁立萬仭、嵯峨嶙峋として、雲車象輿、常に歸往する所、秀氣、天に薄(せま)る[やぶちゃん注:「セマシ」のようにも見えるが、国書刊行会本の訓点に従った。]。人間の能く躋攀する所に非ざるなり。
山僧善心、曰く、
「貧道、山中に住すること、凡そ十稔、頗る、山の窈窕を諳ず。彼の『大女』に陟る既已(すで)に[やぶちゃん注:「ニ」は「既」にしか送られていないが、二字で読んだ。国書刊行会本には「已」はない。]幾囘なるに、人間より瞻望する所の者に非ず。形勢、都て異なり、是に於いて、指點、諸峰を盡すに、似る所の者、有ること罔(な)し。杳然、終に其の地を得ず。故に、余、曾て臆斷して、『「大女」・「隱女」、蓋し、別に二峰[やぶちゃん注:「二峰とし、」がよいか。]。「大女」は、皆、登るべし。其の「隱女」なる者、惟だ之れを望むべし。求むるときは、則ち、隱匿して臻るべからず。古名、空しからず。』」。[やぶちゃん注:最後は「と」が内外に欲しい。]
他して[やぶちゃん注:ママ。]登る者も、言ふこと、復亦、此くのごとし。奈(いか)んぞ、其れ、神なりや。
或る人、曰く、
「盖し、之れ、有らん。曾て古紀を讀むに、夫(か)の蓬壺を求むる者、之れを遠望すれば、雲のごとく、巍然として海上に標す。乃ち、之れ近ければ、則ち、沒して所在を失す。其れ、人に非ざるなば[やぶちゃん注:国書刊行会本は『非れば』。]則ち、日夜、之れを粉碎すと雖も、敢へて臻ぶ[やぶちゃん注:送り仮名は「フ」。「およぶ」と訓じてかく振った。]能はず。我が
日本、亦、斯くのごとき者の有り。怪ならずんば[やぶちゃん注:送り仮名なし。後の対句の送り仮名に合わせた。]、則ち、神、神ならずんば、卽ち、怪。是れ、此の書の開卷第一。と爲しせしむ者か。
[やぶちゃん注:最後は「所」に送りがないので、使役でとった。以下、底本では最後まで全体が一字下げ。]
山僧善心は滑稽の名「梅石」、加州大聖寺の人、良家吉崎屋の族。破產佛門に肆す[やぶちゃん注:「しす」で「連なった」の意で採るが、写本筆者の「歸」の誤判読の可能性が高い。]。越前、平泉寺に入る。兼ねて之[やぶちゃん注:「この」と訓じておく。「ス」と送り仮名するが、それでは読めない。]白の山上、室(むろ)堂に住す。因みに、善心、曰く、「別山の社中、積雪の門、常に嵐有り。且つ一日、赤蛇を見る。長さ二尺强(あま)りなり。火の如し[やぶちゃん注:国書刊行会本では『色如ㇾ火』。]。亦、鵜鳥、有り。人聲を聞きて、羽毛を脫す。道者、拾ひ得て、守と爲す。
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以下、底本本文に即して語注する。
「白山」石川県と岐阜県の県境(石川県白山市及び岐阜県大野郡白川村)に聳える活火山(グーグル・マップ・データ)。両白(りょうはく)山地の中心を成す。最高峰の御前峰(ごぜんがみね:標高二千七百二メートル)・大汝峰(おおなんじがみね:二千六百八十四メートル)・剣ヶ峰(二千六百七十七メートル)を中心とし、「白山」はその総称である。南方の別山と三ノ峰を加え、白山五峰と称されることもある。山頂部に千蛇ヶ池、翠ヶ池などの火口湖があり、南には溶岩流が形成した弥陀ヶ原がある。周囲には石川県・福井県・岐阜県の 三県に亙って大日ヶ岳・経ヶ岳などの古い火山群と、同時代に噴出した大日山・戸室山などがあり、実はこれら白山火山帯と呼ばれる火山形成の最後に白山が誕生したとされている。奈良時代の僧泰澄がここを宗教道場として開山したと伝えられ、富士山・立山とともに山岳霊場として古くから知られ。加賀・越前・美濃からの参詣道が開かれ、参拝者を集めてきた。「越の白山(しらやま)」として詩歌にも登場する。但し、本篇の表題のみに関しては、本書の各章全部が漢字四字で示されていることから、「はくさんれいみやう」と音読みしておくべきである。
「鍾靈」(しょうれい)「鍾」は「集める」の意があり、越の国のあらゆる神霊の集まる霊山の意であろう。私は当初「鎭」の誤記か誤読ではないかと思ったが、「鎭靈」とするテクストはなかった。しかし、漢文体の二種の「鐘」では意味が通じない。
「雪華天に聳え」雪を被った複数の峰が花弁のような形を成して聳えという謂いであろう。
「標」(ひょう)「す」は、複数の峰がそれぞれ目印となって仰がれることを謂うのであろう。
「大女(おほなんぢ)」(おおなんじ)及びその異名「隱女(をんなんぢ)」(おんなんじ)という山名の読み方は、本篇を取り上げて解説されてある千葉徳爾氏の論文『越の白山――「三州奇談」にみる白山関係の伝承―1』(PDF)での読みに従って、それを歴史的仮名遣に直したものである。同論文では、その中で、一部を除いて、本篇の主要な箇所を現代語でしかもわかりやすく訳してある。必見。
「崚嶒」(りょうそう)山が高くしかも重なること。
「百里」誇張表現。両白山地は長く見積もっても百キロメートルほどしかない。
「嶙峋」(りんじゅん)山が嶮しく聳え立つさま。
「雲車象輿」(うんしゃぞうよ)これは山稜に発生する大きな雲を神霊が載る車に譬え、また、山の「象車」(しょうしゃ)と謂って、中国で王者の徳沢に応じて出現するという山の精の載る車(輿)を、やはり雲に擬えたもの。
「薄(せま)り」諸本の訓読に従った。「肉薄」のそれである。
「躋攀(せいはん)」攀(よ)じ登ること。登攀。
「善心」僧の法名であるが、詳細事蹟不詳。資料なし。
「貧道(ひんだう)」貧弱にして愚昧な道者(修行者)である拙僧。僧善心の自己卑称。
「稔(ねん)」「年」に同じい。
「窈窕」(ようちょう)山水自然の持つ奥深いさまを指す。
「瞻望」(せんぼう)遠く見渡すこと。
「指點」指し示すこと。
「諸峯を𤲿(ゑが)くに似たるもの有るなし」「盡」と「畫」の異体字「𤲿」は崩れていると判読は困難だ。漢文原体の「盡」では「指點、諸峰を盡すに、似る所の者、有ること罔(な)し」で、寧ろその訓読の方が腑に落ちる気がする。即ち、「一つ一つの峰を全て指さして確認してみるのだが、一つとしてそれ以前に見たのと似たような峰がないのである」の謂いである。これはメタモルフォーゼする神霊の峰のシンボライズであろう。但し、「𤲿(ゑが)く」を心内に「思い描く」(そして記憶する)の意で採れば、同じ意味で理解は出来る。
なお、千葉氏の『越の白山――「三州奇談」にみる白山関係の伝承―1』では、この辺りを(失礼乍ら、原文に必ずしも忠実な訳ではない)『山麓で望んだ光景と大汝頂上から眺めるのとは、山のようすがまったく異なってしまう』とある。当初、私もそうとったのだが、山麓と頂上近くでは様子が全く違うというのは当然のことであって、しかもそれでは、後の「終に其地を得ず」が今一つ明確に理解できないのである。
「杳然」(ようぜん)遙かに遠いさま。また、深く幽かなさま。
「終に其地を得ず」ついさっき見た眼前に峰でさえ、自分は動いていないのに違った峰と認識されるのであるから、遂にそれぞれの一峰の物理的存在を、自身、捉えることが出来ないと言っているのであろう。そう解釈して初めて以下の善心の言う「大女」峰とその異名と思っていた「隱女」峰は「蓋し別に二峰」なのであると臆断したという述懐の意味が腑に落ちてくるのである。以下から、「大汝が峰」はその場所が判る、しかし、同じはずの「隠女(おんなんじ)ヶ峰」の峰のある地は遂に判らないという意味でもよい。よいが、ここまでの文脈中では、そのように「隱女」が峰限定的に述懐していないのも事実である。千葉氏の『越の白山――「三州奇談」にみる白山関係の伝承―1』では、実はこの難解な部分を初めから解消するために、実は『最高峯は大汝と呼ばれます。また、その半腹を隠汝(おなんじ)とい』うとされているのである。私の初回、「大女」のピークがあり、そこに至る中腹に「隱女」のピークがあると読もうとした。しかし、それではそこでのその書き方が微妙に変だし、後の「別に二峰也」と、これまた微妙に齟齬するように感じて最初から読解をやり直した経緯があるので、やはり千葉氏の解釈には従えないのである。
「大女は皆登るべし」大汝が峰は、皆、誰もが登ることが出来る。
「臻(いた)る」「臻」は「至る。届く。及ぶ。来たる」などの意がある。
「古名も空しからず」この場合、空しくないのは「隱」の字を含む「隱女」の方であろう。しかし、それが古名である確証はない。また、「をんなんぢ」(隠女)が元でそれから「おほなんぢ」(大汝)へ転訛する可能性はこれ、否定も出来ない。寧ろ、あり得そうでさえある。
「或は曰く」ある人がこの不思議な現象について次のようなことを言っている、という挿入である。
「蓋し有ㇾ之(これあらん)」思うに、そのような不思議なことはあってもおかしくはないであろう。
「古記」古いある記録。
「蓬壺」(ほうこ)は古代中国で東方海上に浮遊しているとされた仙境蓬莱山の異名。
「巍然(ぎぜん)」山などが高く聳え立っているさま。また、ぬきん出て偉大なさま。
「沒失」(もっしつ)」見失うこと。
「其人に非ざれば」この「其(そ)の、人(ひと)に非(あら)ざれば」と読んで、ここは『「其の」は特定の資格、仙界に入ることが出来る超能力を持った「人」でなければ』の謂いで採る。
「粉碎」「粉骨碎身」の略。敢へて臻ること能はず」。
「ならし」連語で断定の助動詞「なり」に推量の助動詞「らし」の付いた「なるらし」の転じたものであるが、近世以後、推量の意味が減じて、単に断定を避けた婉曲的表現として用いられたものである。
「滑稽名」ここは俳号か狂名であろう。筆者は俳諧師であるから、その縁がこの僧とはあった可能性が高い確率で想起出来る。
「梅石」法名と同じく不詳。資料なし。
「大聖寺」石川県江沼郡にあった大聖寺町(だいしょうじまち)。錦城山に白山寺(廃仏毀釈により廃寺)末寺である白山五院の一つ大聖寺(本来の寺は現存しない)があったことに由来する。この付近(グーグル・マップ・データ。白山を含めて示した)。
「食家」原漢文の「富家」の誤判読であろう。
「平泉寺」福井県勝山市平泉寺町平泉寺にある現在の平泉寺白山(へいせんじはくさん)神社(グーグル・マップ・データ)。廃仏毀釈までは霊応山平泉寺という天台宗の有力な寺院であった。ここに記された中で、唯一私が行ったことがある場所である。ウィキの「平泉寺白山神社」によれば、『江戸時代には福井藩・越前勝山藩から寄進を受けたが、規模は』六坊に二ヶ寺で寺領は三百三十石であった。但し、寛保三(一七四三)年、紛争が『絶えなかった越前馬場』の平泉寺と加賀馬場の白山比咩(しらやまひめ)神社との『利権争いが』、漸く『江戸幕府寺社奉行によって、御前峰・大汝峰の山頂は平泉寺、別山山頂は長瀧寺(長滝白山神社)が管理すると決められ、白山頂上本社の祭祀権を獲得した』。『明治時代に入ると』、『神仏分離令により』、『寺号を捨て』、『神社として生きていくこととなり』、『寺院関係の建物は』総て廃棄された。明治五(一八七二)年十一月には『江戸時代の決定とは逆の裁定が行われ、白山各山頂と主要な禅定道』(ぜんじょうどう:山岳信仰に於いて、禅定(=山頂)に登ぼるまでの山道を指す。禅定道の起点は修行の起点でもあり、起点またはその場所を「馬場(ばんば)」と呼ぶ)は『白山比咩神社の所有となっ』てしまっている。原型の筆者麦雀の生没年が未詳であるが、諸条件から考えると、この幕府の禅定道裁定の寛保三年というのはちょっと微妙である。本書完成時はまず、その後であるから問題ないが、原著者のそれだとすると、この裁定以前であった可能性が高いように思われる。
「室堂」修験者や行脚僧が宿泊したり、祈禱を行ったりする堂。白山のそれは現在の白山室堂ビジター・センター(グーグル・マップ・データ)にあった。標高約二千四百五十メートル。
「別山の社」麓の本社ではなく、別に山上に設けた社。この場合、善心は平泉寺で修行しているから、平泉寺が設けた祠(やしろ:神仏習合期で、しかもここは修験道とも濃密に絡んでいるので何らおかしくない)のそれであろう。
「積雪の門」社殿の門の固有名詞か。白山は冬季はがっちり雪に埋もれるから、この名はしっくりとくるようには思う。
「山風」思うに、高高度で風が常時あるのは当たり前に過ぎるから、ここは原漢文の「嵐」(強風・烈風)の一字を分解してしまった誤判読であろう。
「鵜鳥(うのとり)」高高度の白山山頂にウ(まずは内陸にもいるカツオドリ目 ウ科ウ属カワウ Phalacrocorax carbo)がいるはずがない。千葉氏の『越の白山――「三州奇談」にみる白山関係の伝承―1』で、『鵜に似た鳥』の謂いで『雷鳥』(キジ目キジ科ライチョウ属ライチョウ Lagopus muta )『のこと』であることが判った。であれば、腑に落ちる。
「道者」道心者。]
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