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2020/01/27

三州奇談卷之一 傀儡有ㇾ氣


     傀儡有ㇾ氣

 寶曆十年[やぶちゃん注:一七六〇年。]より、加州山中(やまなか)醫王寺に諸堂修造の願ひにより、芝居・富突[やぶちゃん注:「とみつき」。富籤(とみくじ)。]など御免をこうむり、門前更に三都の如し。

[やぶちゃん注:標題は「傀儡(くぐつ)氣有り」。「傀儡」は人形芝居の人形のこと。

「醫王寺」加賀市山中温泉薬師町にある真言宗国分山(こくぶんざん)医王寺。山中温泉を開湯した行基の創建と伝えられる温泉の守護寺として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 其中(そのうち)人形芝居は、淡路の政右衞門と云ひける者、年々に是より來りて芝居を初め、ことなう[やぶちゃん注:ここは「殊の外」の意であろう。]近里遠村群集すること、今や三四年に及びぬらん。其砌(そのみぎり)山代といふ湯元へも又芝居あやつりなど初まりて、あちこちと狂言の雜具(ざふぐ)など持運びける。年も暮るゝに及びて、山代・山中等の百姓庄屋などの藏ヘ此雜具を預け、明る春は人の群集すべき頃を考へて、又あやつりを初(はじむ)ることにありける。

[やぶちゃん注:「淡路の政右衞門」不詳。但し、淡路には国生み神話所縁の「戎舞(えびすまい)」を起源とするされる淡路人形浄瑠璃があり、この人物が実在した可能性は高い。]

 其雜具を預りし百姓の家の奧藏に、人形の長持をつみ置けるに、其藏の邊り、兎角人音して、何とも分(わ)きたる事はなけれども、

[やぶちゃん注:「何とも分(わ)きたる事はなけれども」何という人語なのかは判然としないけれども。]

「ちやちや」[やぶちゃん注:国書刊行会本は『ぢやぢや』。]

と云ふ聲して、いかさま人の二三十人集りひそめく體(てい)にも聞えける儘、家内よりは折々人出(いで)て窺ひ、後ろ道を通る人は

「何某殿には今夜も誰人(たれひと)ぞ客來のありけるにや」

など思ひて通りしとは聞へたり。

 是より心付きて伺ひければ、何の動靜もなし。又打捨て置けば、折には人の寄りたる心地して、思ひ回らせば、藏の道具ばかりにして人はなし。

「人形を多く預かりける故にや」

など、はじめは笑ひごとにいひもてならしゝが、其頃あやつりの淨瑠璃方に竹本折太夫と云ふ者に此事を語りければ、折太夫云く、

「人形には必ず斯くの如きの事ある事にや、常につかふ樂屋にても、よき人形は人形懸と云ふ物に、人の裝束して役場[やぶちゃん注:出番。]を待つが如く懸置き、雜兵(ざふひやう)[やぶちゃん注:その他大勢の下っ端役。]の人形は、手足打散らして懸棹に打懸置くことなり。彼(かの)よき人形の、人形懸に威儀を繕ひ立つ所の前にては、人形遣ひ其外の役の者共も、皆腰敬(こしうやま)ひして過ぐる[やぶちゃん注:腰を曲げて挨拶をして通る。]。尤作(いうさく)[やぶちゃん注:非常に優れた作り。]の人形も又多き物なり。彼程(かほど)に人形を敬はざれば、人形舞臺へ出(いで)て天然の威は付(つか)ざる物なり。されば、おのづから人の氣(き)入滿(いりみ)つるものにや。遣ふうちにも甚だ奇特(きとく)のことはあるものなり。况や夜動き騷ぎするは常のことなり。其中、別(わけ)て怪しく聞へしは、此二十年以前にや、我師たる人に或人のかたりけるは、

『江戶山の手の明(あき)屋敷に、いつの頃にか人の請地(うけち)[やぶちゃん注:家賃を支払いながらも実際の支配権を所有することか。]にて住みけるが、臺所よりはしりもと[やぶちゃん注:台所の下水の流し元。]迄は、別(わけ)て草深き所を刈盡(かりつく)し、土を置(おき)て家を建てけるが、或夕暮に、人の影いくらともなく

「むらむら」

と見ゆる程に、初めは心も付かざりけるが、後には誰彼も見合せて、

「不思議不思議」

と云ひ立てける。其時刻、夜にあらず晝にあらず、朝の五つ[やぶちゃん注:午前八時前後。]頃か、或は夕暮少し前ならん。慥かに行列をなして、色々の人影二三十人も行通ひ、臺所よりはしりのもと迄行くとおもへば、皆消失ぬ。いか樣(さま)日の移り、入日の差返(さしか)して

『遠近(をちこと)を行(ゆく)人の影移るにこそ』

と思へば、雨の日の夕方は尚更にありありと人の行通ふ影あり。分けて夕暮方の人影慥に見ゆる程に、人も聞傳へて見る。夜陰にもあらざれば、『恐ろし』とは思はざれども、後には何となく心に懸り、祈禱加持なんど賴みけるにも猶かはらず。或人聞合せて云けるは、

「是は何ぞの精物(せいぶつ)なるべし。其始まる所其終る所をよく見屆け、土を掘(ほり)て見よ」

[やぶちゃん注:「精物」超自然の精気を得た何物かのこと。付喪神(つくもがみ)の類。]

とて、心を付けてためしけるに、はしりもとゝ慥に覺えければ、此所を大勢にて土を掘返しけるに、一丈[やぶちゃん注:約三メートル。]許(ばかり)掘りて一つの長持を掘出しける。

「是にてこそ」

とふたを明けて見けるに、あやつりの人形五六十許入れてありけるが、衣裳も木も朽果(くちは)て、形は頭(かしら)のみ少し殘りける。よく問合せけるに、此屋敷の先(さきの)主人は直參の武士なりしが、人形を廻し、かぶきをなすことを好まれしが、其頃儉約の仰渡さるゝ折にてありけん、奢者放埒(しやしやはうらつ)の沙汰に落ちて咎めにあはれし故、其雜具を掘埋(ほりうづ)め、久敷(ひさしく)遠慮して、知行三の一にぞ暮しけるが、其間に死者ありし程に、斷絕して今(いま)明屋敷と成りける。五六十年許先(さき)の事なるとにや。

[やぶちゃん注:「かぶき」尋常を逸脱し、勝手気儘な、飛び切り派手で異様な感じの趣味を指す語。

「知行三の一」俸禄を三分の一に減らされたのであろう。]

 然共、此人形は名作の物にてもありけるにや、如此(かくのごとき)の怪をなして、人影の日暮每に顯れしとなり。

 此長持を掘出(ほりいだ)し、隅田川へ流し捨てゝより、此家に怪事絕えてなかりけり』

と人のかたりし。

 是に思ひ合せ侍れば、必(かならず)あやつりの雜具動搖をなす。あやしむに足らず」

とは語りける。

[やぶちゃん注:国書刊行会本はこの末尾に『実(げ)に氣の集(あつま)る所、左も有社(あるこそ)。』という一文が付帯する。

「竹本折太夫」義太夫節、人形浄瑠璃文楽の語り手である太夫の名跡に今も竹本織太夫がある。]

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