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2020/01/24

三州奇談卷之一 中代の若狐

 

    中代の若狐

 大聖寺寶曆辰の大火[やぶちゃん注:宝暦十年庚辰(かのえたつ)の二月七日(グレゴリオ暦一七六〇年三月二十三日)。前の「蛙還呑ㇾ蛇」参照。]後、國君[やぶちゃん注:藩主。当時は加賀大聖寺藩第五代藩主前田利道(としみち)の治世。この大火を始めとして災害多く、藩の財政は逼迫した。]の惠み普く、町並もあらあら昔の形にも歸りぬ。所々の深山(みやま)の大木、家梁の用に當て、夫々役人立合拜領あり。町々も此木を伐(きる)事のみに懸りし。

 矢尾屋何某が家にも拜領の材木ありて、家僕三人差越(さしこし)ける中に、吉兵衞とて愚實至極の者ありし。

 所は山中の奧、桂谷[やぶちゃん注:現在の山中温泉の北東の後背の山地である石川県加賀市桂谷町(かつらたにまち)(グーグル・マップ・データ。以下同じ)であろう。]の木相當りけるにぞ、遙々中代畷手[やぶちゃん注:「なかだいなはて」。現在の加賀市中代町。]・黑瀨繩手[やぶちゃん注:「くろせなはて」。現在の加賀市黒瀬町。「なはて」は文字が異なるが、田圃の中の真っすぐな畦道を意味する。地名としてもよく用いられた。]を越えて過行くなれば、夜をこめて出るとて超過(おきすご)しけん[やぶちゃん注:夜半まで寝ずに起きていたのであろう、の意。]。丑の刻[やぶちゃん注:午前二時。]頃、彼(かの)道をたどりたどり行きしに、折節火繩[やぶちゃん注:檜の皮・竹の繊維・木綿糸などを縒 ()って縄を作り、これに硝石を吸収させたもので火持ちがよい。振り振りして持ち歩き、種々の点火に用いた。]の火さへ消え、はるけき野路のたばこさへなぐさまで、火打をさがし石をたゝきけれども、火出(いで)ざる事こそ、跡にて思ひ廻せば怪しけれ。

 かゝる所へ飛脚體(てい)の人と見えて二人連、飛脚提灯[やぶちゃん注:通常、長い竹竿の先に吊るしたかなり大型の小田原提灯。一般には「御用」と書かれてあった。]に火をともし、主人は黑羽織、下人は紺色なる單物(ひとへもの)を着て、先に行く程に、追付て』『先づたばこ火の渴(かつゑ)をやめばや』と、我知らず[やぶちゃん注:無意識に。]隨ひ行くに、皆々[やぶちゃん注:三人とも。]うかとするやうにぞ覺へたる[やぶちゃん注:その瞬間は、うっかりして特にその飛脚と主人らしき者を不審に思わなかった。]。

 吉兵衞は、日比靜かなる者なれば、心を付て窺ふに、灯も人もあやしく覺へける。實(げ)にも飛脚の此奧へ通ふべき理(ことわり)にもあらず。狐などの所爲にもやと能々みれば、主人はいかにも化(ばけ)おほせたりと覺へて、笠の着ぶり[やぶちゃん注:「かぶり」のと訓じておく]、羽織の體(てい)、人とも見へけるが、下人は曾て人とは見へず。時ありては大きなる尾の折々ひよろひよろと見えけるにぞ。

 連の者を[やぶちゃん注:「を」は格助詞。古くは格助詞「に」の代わりに用いた例が古代からある。]さゝやき、

「是ぞ日頃聞く中代畷手の狐成(なる)べし。よく見よ、下人に尾の見ゆるぞ」

といひけるに、二人の連も心を付て是を見るに、未だ化得ざる體(てい)の者にやありけん、頻に尾のひらひらと見ゆるほどに、三人思はず吹出し、聲をあげて、

「扨も淺ましき化け樣(やう)哉(かな)、下人は尾もみへ、足も人にあらず」

と笑ひしかば、主人驚きたる氣色にてふり歸りて、下人を叱る體に見えしが、忽ち二人ともに低くなりて、中代なは手を駈行(かけゆく)。

「あれあれ彼(か)の聞(きき)及びし中代狐ぞ、さてさて常に聞しにも似ず、下手なる化樣(ばけやう)ぞ、打殺せよや」

と三人共に追懸しが、いづくへか逃れけん、草隱れして見えず成けり。

 彼(かの)提燈と見へしものは打捨て走りしが、跡にても白く光り薄く、草むらに殘りけるよし咄しぬ。

「何にかありけん、取りて歸らばよき見物(みもの)にもあらん」

など云ひて興じけるが、此後(こののち)中代繩手狐の人をたぶらかす事はやみぬ。

「狐だも[やぶちゃん注:副助詞「だにも」の音変化。]化(ばけ)そんじたるを恥かしく思ふこ深きにや」

と沙汰せり。人として爰(ここ)にては方便の顯(あらは)れ、彼處にてもうその尾ははげても、猶厚顏に世を渡る。せめて此(この)野狐程にも耻を知れとぞ思ふ。

[やぶちゃん注:「方便」ある目的を達するための便宜上の手段。

 いやいや――酩酊してロシアと戦争しようと言いつつ「おっぱい」を連呼して金のために辞職しない変態変節極まりない丸山穂高、性的認識の異なる少数者を否定して国会で下劣な野次を飛ばしても一切釈明もしない下劣な優生学の亡霊杉田水脈、夫婦で「つるんで」公職選挙法違反を犯しておいて一切謝罪もない税金泥棒河井夫婦のような代議士連中よりも、この妖狐らは遙かにまっとうである――

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