三州奇談卷之一 圍爐裏の茸
圍爐裏の茸
寶曆十一年秋の事なり。是も山中湯元の泊屋糸屋四右衞門と云ふ人あり。性質莊勇、川狩を好みて夏秋は常に川にあり。
[やぶちゃん注:「寶曆十一年」一七六一年。
「糸屋四右衞門」新城景子氏と藤田勝也の共同論文「近世における温泉町の空間構造 ―加州江沼郡山中温泉を事例として―」(『日本建築学会計画系論文集』(第五百六十九号・二〇〇三年七月発行・PDF)の中に、歴代の山中温泉『湯本十二軒』の表の中に宝暦五(一七五五)年のそれに『糸屋四右衛門』という名を見出せる。彼(後継かも知れぬが)は享和三(一八〇三)年のそれでは「湯番頭」として筆頭に出る人物である。まず彼と考えてよい。]
此地の川は淵多く、水千仭の巖に碎けて、岩石多くは奇をなす。所謂「八岩四瀧」あり。其の八岩と云ふは、
女夫岩 猫岩 堂岩 獅子岩
烏帽子岩 牛岩 平岩 大岩
四瀧と云ふは、
鶴ケ瀧 女郞ケ瀧 千足ケ瀧 翠簾ケ瀧
他鄕の人は、水に臨むも身をちゞむ。
[やぶちゃん注:「女夫岩」不詳。
「猫岩」「菅谷の巨蟒」以下、複数回既出既注。
「堂岩」不詳。
「獅子岩」不詳。見つけるには見つけたが、あまりにも南方(福井県勝山市丸岡町上竹田浄法寺山近く)なので採用出来ないと判断した。
「烏帽子岩」鶴仙渓にあることがサイト「ZEKKEI Japan」の「鶴仙渓」で判る。
「牛岩」不詳。
「平岩」句空の「草庵集」の記載か見て、黒谷橋の近くである。
「大岩」既に述べたが、先の「猫岩」の別称である。しかし、命数として別個に数えるからには、別な岩をこう呼称して、別に加えられた可能性が高い。
「鶴ケ瀧」サイト「加賀市観光情報センター KAGA旅・まちネット」の「山中温泉 鶴ヶ滝」によれば(滝の地図と動画あり)、『大小』五『段の滝で、一番奥の最大のものは二筋に分けられており、高さ』は『五段』を『合わせて』三十メートルほどとされ』、『広場には鶴ケ滝不動王がまつられており、ここから眺める鶴ケ滝が最も美しく、しぶきをあげる二筋の滝の様は、鶴の足のようであると』いうこと『から』、『滝の名前の由来もここからきていると言われてい』るとある。
「女郞ケ瀧」温泉街からはずっと離れて溪谷を東に詰めたところ山中温泉九谷町にある女郎ヶ滝。
「千足ケ瀧」不詳。
「翠簾ケ瀧」温泉街から南下した山中温泉我谷町の我谷ダムから丸岡方面へ行った道路沿いに落差約十メートルの簾滝(みすだき)があるが、これか。候補情報を得たのは個人サイトのこちら。写真もある。]
此あるじなんどは、千尺の岸を飛び、百尋の淵をさがす。
[やぶちゃん注:「千尺」三百三メートル。「岸」を垂直に切り立った切岸=崖ととり、それが接近しているとすれば、あり得ない話ではない。
「百尋」「ひろ」。水深では一尋を六尺とするから、百十五メートル。これは川の実測の淵の深さとしては全くあり得ない。]
常に魚を得てはいろりに指しならべ、夜來の食客とともに俠氣を說(とき)て佛神も信ぜざりしに、或朝にやいろりに火をいけて灰をかきよせ置きし上に、あやしき茸(きのこ)三つまで生出(おひいで)たり。
大いさ、指渡(さしわた)し數寸も有るべし。雙莖の物も一つありき。甚だ異物なり。
家奴(いへのやつこ)怪(あやし)み驚き、主人を起して是を見せけるに、曾て怪まず、引ぬき捨けるに、三朝同じごとく茸生出けるに、主(あるじ)終にあやしまず引捨て々々して、晝は又忘れたるが如し。家内の婦女は、
「祈禱の加持の」
と云もてさわぎけれども、主只打笑ひて一つも心にさへざりしが、其精神濶達にして、色味の不動なる故にやよりけん、其後は、茸も生出ず、主人の心一つにて、家内の人も例のこととして怪まず、終にやみぬ。
鐵心又怪を消す。珍らしからずといへども、有がたかりし心性なり。
[やぶちゃん注:「色味の不動」顔色一つ変えないポーカー・フェイスを謂うか。]