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2020/01/09

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 石佛 (戸澤正保訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“BITS OF LIFE AND DEATH”)はラフカディオ・ハーン(彼が帰化手続きを終えて「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であり、未だこの時は「小泉八雲」ではない。但し、帰化後の出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)来日後の第二作品集「東の國から」(底本(後述)の訳題。原題は“OUT OF THE EAST REVERIES AND STUDIES IN NEW JAPAN ”。「東方から――新しき日本での夢想と研究」)の第六話である。本作品集は一八九五(明治二八)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版された全十一篇からなるものである。

 本作品集は“Internet Archive”のこちら(クレジット・出版社(左)及び献辞(右)ページで示した)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 なお、この前に配されている「生と死の断片」(原題“BITS OF LIFE AND DEATH田部隆次訳)は既に昨年の夏、個別に電子化注してある。但し、今回、確認したところ、リンク先の底本にはない田部氏の訳者注が複数見い出せたので、新たに追記して注も添えておいたので確認されたい。

 訳者戶澤正保は前の「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 博多にて (戸澤正保訳)」を参照されたい。

 引用や原注・訳者注(後者は全体が四字下げポイント落ち)は、上方或いは行頭まで引き上げて同ポイントで示し、注や引用の前後を一行空けた。傍点「ヽ」は太字に代えた。]

 

  石  佛

 

       

 官立學校の後ろの丘陵の巓(いただき)に――小さく仕切つた畠が段をなして斜面に重なつて居る其上に――村の古い墓地がある。が黑髮村の住民は今はもつと奥の方に死人を埋めるので、最早此處は用ゐられない。そして畠は既に此舊墓地の限界を侵蝕し初めつつある樣である。

 

譯者註 第五高等學校の事。

[やぶちゃん注:「黑髮」熊本県熊本市中央区(東北の一部は北区)黒髪(グーグル・マップ・データ)。御覧の通り、五高、現在の熊本大学がある。この「丘」とは現在の立田山(たつだやま:標高百五十一・七メートル)である(グーグル・マップ・データ航空写真)。麓の大学裏手には西南戦争以降の死者を埋葬した小峰墓地もあり、以下に語られる石仏はその墓地内に現存する(後注参照)。]

 

 授業時間の間に一時間の閑暇(ひま)があるので、自分は此小山の巓を訪うて見ようと決心する。登る途中は無害な小さい黑い蛇が道を切つてのたくり、朽葉色した無數の蝗蟲[やぶちゃん注:二字で「いなご」と読んでおく。]が自分の影にざわめき立つ。未だ墓地の入口の破れた石段に達せぬ中に、小さい畦路は野草に蔽はれて見えなくなる。墓地の中にも全く路はない――雜草と碑石があるばかり。併し此巓からの見晴らしはよい。廣く靑い肥後の平野が見え、其向うには群靑な山嶺が半圓形をなして地平線の光りに映えて見え、更に其向うには阿蘇の火口丘が永遠の烟を噴いて居る。

 自分の下には、近代都市の縮圖の樣な學校が鳥眼圖の如くに見えて居る、皆一八八七年[やぶちゃん注:明治二十年。]建造の、窓の澤山ある建物で、それが長く連らなつて居る。これは十九世紀の純實用的の建築を代表するもので、之をケントやアウクランドやさてはニユー・ハンプシヤアに移しても少しも時代の調子に合はぬやうに見ゆることはあるまい。併し其上に段階をなして連らなる畠と、働いて居る農夫の姿とは五世紀頃のものとも見れば見られる。自分が倚り懸かれる墓の上に刻してある文字は梵語の音譯である。そして自分の側(そば)には、石の連續の上に加藤淸正時代に坐せしままの態度で今も坐せる佛像がある。此佛の瞑想的の眼光(なまざし)は、半眼に開ける眼瞼の間から、學校と其騷がしい生活を見下ろし、そして怒るに怒られぬ傷害を受けた者が微笑する樣に微笑して居る。但しこれは彫刻師が刻み出した表情ではない。苔と垢とに歪められた結果である。自分は又兩手も缺けて居るのを認めた。氣の毒になつて自分は佛の額(ひたひ)の象徵的な小突起から苔を搔き退けようと努める――『法華經』の古い經文の一節を想起しながら。

[やぶちゃん注:「ケント」Kent。イングランドの地域で、ロンドンの南東、ドーバー海峡に面した州。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。「イングランドの庭園」(The Garden of England)の呼び名でも知られる。

「アウクランド」Auckland。綴りから考えると、ビショップ・オークランド(Bishop Auckland(イングランドの北東、ダーラム州内)だが、どうもピンと来ない。ここはオークランド(Oaklandのハーンの誤記で、アメリカ合衆国カリフォルニア州アラメダ郡にある、サンフランシスコ湾に面した港湾都市のことであろう。

「ニユー・ハンプシヤア」New Hampshire。ニューハンプシャー州はアメリカ合衆国北東部、ニュー・イングランド地方に位置する州。北はカナダのケベック州との国境。

「佛像」これは地蔵菩薩坐像である。熊本市観光政策課作成になる観光ガイド・サイトの「小峯墓地の石仏(八雲関連)」に現在の写真が載り、『熊本大学の裏、立田山(たつだやま)の上り口にある小峯墓地は、立田山の遊歩道への通り道としても、多くの市民に親しまれています。この墓地の中でひっそりと立っているのがこの「鼻かけ地蔵」。鼻がかけていることからそう呼ばれています。旧制第五高等学校』『の教師だった』『ラフカディオ・ハーン』『は、この「鼻かけ地蔵」をことのほか気に入り、時間があると小峯墓地に行っていたそうです』とある。ハーンの言う通り、正面下方で組んだ両手首部分が欠損している。台座高く、全体に相応な高さがあり、ハーンが「氣の毒になつて自分は佛の額(ひたひ)の象徵的な小突起から苔を搔き退けようと努める」というのが、西洋人であったが、当時としても西洋人の平均身長よりも低かっであろうハーン(信頼出来そうな複数のデータでは百六十から百六十五センチメートル。セツとの写真や記念集合写真等を見ても妥当な線である)にして、なかなか大変だったであろうことを伝えている。]

 

『世尊の眉間(みけん)の白毫(びやくがう)から一道の光明發出した。其及ぶ所一百八十萬の諸他世界に亙り、下は阿鼻地獄、上は娑婆世界のはてに至る迄、悉く光明に照らされた。娑婆六道の界に在る者一として照らされざるなく、佛土涅槃の境地にゐる諸佛亦悉く照らし出された』

[やぶちゃん注:これはしばしばハーンが引く「東方聖典叢書」(Sacred Books of the East:ドイツ生まれで、イギリスに帰化したインド学者(サンスクリット文献学者)・東洋学者・比較言語学者・比較宗教学者・仏教学者であったフリードリヒ・マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller 一八二三年~一九〇〇年)によって編集され、オックスフォード大学出版局によって一八七九年から一九一〇年にかけて刊行された、アジアの諸宗教の聖典の英語翻訳を集成した全五十巻からなる壮大な叢書。ヒンドゥー教・仏教・道教・儒教・ゾロアスター教・ジャイナ教・イスラム教の主要な聖典を収録)の、オランダの言語学者・東洋学者ヨハン・ヘンドリック・カスパー・カーン(Johan Hendrik Caspar Kern 一八三三年~一九一七年)の「妙法蓮華経」の英訳“SADDHARMA-PUNDARÎKA OR, THE LOTUS OF THE TRUE LAW.” (「サッダルマ・プンダリーカ」又は「真の教えである白い蓮の花の経典」。)の“CHAPTER I”から引っ張ってきたものである。鳩摩羅什訳の「妙法蓮華經」の「序品」で相当箇所を示し、訓読も添える。

   *

爾時佛放。第一眉間白毫相光。照東方。萬八千世界。靡不周遍。下至阿鼻地獄。上至阿迦尼吒天。於此世界。盡見彼土。六趣衆生。又見彼土。現在諸佛。

(爾(こ)時、佛、第一に、眉間白毫相(みけんびやくがうさう)の光を放ち、東方、萬八千の世界照らしたまふに。周遍[やぶちゃん注:隅々まで行き渡ること。]せざること靡(な)し。下(しも)は阿鼻地獄に至り、上(かみ)は阿迦尼吒天(あかにたてん)[やぶちゃん注:有頂天。無色界の下位に属する色界(欲望から離れて清らかな物質や肉体が存在する世界)の最上位にある天。]に至る。此の世界に於いて、盡(ことごと)く彼(か)土の六趣[やぶちゃん注:六道に同じ。]の衆生を見、又、彼の土の現在諸佛を見る。)

   *]

 

 

       

 太陽は自分の背後に高く、前方の風景は古い日本の繪本にある通りだ。古い日本の彩色販には原則として影がないが、肥後の平野には全く影がなく綠色に展開し、地平線上には靑い山嶺の幻(まぼろし)が熾烈な光の中に漂ふ樣に見ゆる。併し此廣濶な平面は一樣な綠色ではない。あらゆる調子の綠色が帶の樣に、縫ひ目の樣に交錯し、丁度筆で染め出したやうである。此點も亦日本の繪本の中の景色に似て居る。

 初めて日本の繪本を開いた者は、特に意想外な印象、驚愕の感を受ける。そして『日本人といふものは、珍妙不思議な風に自然を感じたり見たりするな』と考へさせらるる。此驚異の感は段々大きくなる。『抑も日本人の感覺は吾等のとは全然異るのであらうか』といふ疑が起こる。いかにもそんな事もあり得べきだ。併しも少し見て居ると第三の、そして最後の考が判然と浮かんで前の二つを確證する。日本の繪は同じ景色を描いた西洋の繪よりも一層自然に近いことを西洋畫にはない自然の感じを喚起することを感ずる。そして實に其處には樣々の新たに發見すべきことが含まれて居る。併しその前にも一つつぎの樣な疑問が起こるであらう。『これは不思議に判然(はつきり)して居る。云ふに云はれぬ此色は正しく自然の色である。併し何故こんなに不氣味に見えるだらう』

 それは主として影のない爲めである。直ぐ影のないのに氣附かせないのは、色彩の價値を識別し、之を驅使する驚くべき技能に依るのである。併し風景は光線が一方から來ないで、今囘が光線に涵されて[やぶちゃん注:「ひたされて」。]居るかのやうに描かるる。實際風景はこんな風に見ゆる瞬間があるのだが、西洋の畫家はそれを硏究して居ない。

 但し昔の日本人は月下の影を愛して、それを描いたことも忘れてはならぬ。それは月影は幽玄で、色彩に何の交涉もないからである。併し白日の下に萬象の姿を暗くし其美を傷ける影を好まぬ。若し晝景色(ひるげしき)に影の點景があつたら、それはほんの薄い影である――夏の雲の下に移動する薄暗がりのやうなもので、ただ色の調子をかへるだけである。又日本人に取つては外界のみならず、内的世界も同樣に明かるいものであつた。心理的に彼等は影のない人生を見て居た。

 其時西洋が彼等の佛敎的平和を破つて闖入した。そして彼等の繪を見て買收を始め、取り殘もれた繪の中で優れたるものを保存する爲めに、國法が布かれるまで止めなかつた。最早買收すべきものもなくなり、しかも新作品が出ては、既に買收したものの價値が下落することもあらうと思はれた時、西洋は云つた。『さう云ふ風に物を見たり描いたりすることはやめ給へ。それは藝術ではない。影の見方を學ばれよ。そして、敎授料を此方(こつち)へ遣はされよ』

 かくて日本は謝禮を拂うて自然の影、人生の影、思想の影の見方を習つた。西洋は神聖な太陽の唯一の業務は、安價な影の製造であることを敎へた。又高價な影は西洋文明のみが產出し得ることを敎へて、之を嘆美し採用することを勸めた。其處で日本は機械や烟突や電信柱の影に驚嘆した。鑛山、工場及び其處に働く人間の心の影に驚嘆した。二十階も高い家屋と其下に食を乞ふ飢餓の影、貧乏を增加するばかりの大きな慈善の影、惡弊を增加するばかりの亂費改革の影、虛譌[やぶちゃん注:「きよか(きょか)」。偽り。インチキ。]、僞善と燕尾服の影、さては火刑にする爲めに人間を作つたと云はる〻外國の神(ゴツド)の影に驚嘆した。此處迄來て日本は稍〻本氣に復つて、此上影繪を學ぶことを拒絕した。世界に取つては幸運にも、日本は最初の比類なき藝術に復歸した。日本に取つては幸運にも、本來の美しい信仰に立ち戾つた。併し影の良分かは尚ほ其生活にこびりついて居る。恐らくそれを全く脫却することは出來まい。最早再び萬有が前の樣に美しく日本の眼に映ずることはあるまい。

 

       

 墓地の直ぐ向うでは、生垣で圍(かこ)つた狹い畠の中に、一人の百姓が牛を使つて神代の鋤で黑い土を犁(す)いて居ると、女房が日本建國よりも古い耨(くさかき)[やぶちゃん注:「鍬」。]で跡をならして居る。人も牛も勞働は生活の代價であるといふ考に、容赦なくせき立てらる〻かの如く、妙に熱心に働いて居る。

 其百姓を自分は前世紀の錦繪の中で屢〻見た。もつと古い掛物の中でも見た。更にずつと古い屛風の繪でも見た。正しく同一物である。數へ切れぬ程の他の風習は消滅しても、百姓の編笠と簑と草鞋とは依然として殘つて居る。其扮裝より更に古いのは、比較にならぬ程古いのは彼自身である。彼が耕す土は、實に幾千萬囘か彼を吞み込んだが、其度每に彼を吐き出して新たな生命を賦與し、新たなたを與へた。そして彼は此反復更新に滿足し、それ以上を要求せぬ。山は其形を變へ、河は其流を改め、星も空に其位置を更へたが、彼は決して變はることがない。彼自身は變はる事なくとも彼は變化を作り出す本元である。彼の勞働の總額から軍艦が生まれる、鐡道が生まれる、石造の宮殿が生まれる。大學や新學問、電信、電燈、連發銃、さては科學の機關、商業の機關、戰爭の機關、皆彼の手から代價を拂はる〻のである。彼はあらゆる物の寄附者である。共りとして彼が與へらる〻物は永久に働く權利ばかり。さればこそ彼は人間の新しい生命を植ゑ附ける爲めに、幾千年の過去を犁くのである。かくて世界の仕事が終はるまで――人間の終末まで、働き續けるであらう。

 併し其終末とはどんなものだらう。惡るいものか善いものきあ。それとも我等人類には遂に解か難き祕密であるだらうか。

 西洋の智者は之に答へて云ふであらう。『人間の進化は完々と幸福とへの進展である。進化の目標は平衡である。惡は善なるもののみが殘る迄、一つ一つ消失するであらう。其時知識は極度に展開せらる〻であらう。心は尤も驚異すべき花を咲かすであらう。精神の一切の煩悶と苦惱は止むであらう。生活のあらゆる禍害と過誤は消失するであらう。人間は不死といふ事の外、凡てに於て神の如くなるであらう。各人の壽命は幾百年に延ぶるであらう。生のあらゆる喜びは、詩人の夢よりも美しい地上の樂苑に於て、萬人共通のものとなるであらう。又治者もなく被治者もなく、政府もなく法律もなくなるであらう。一切の秩序はただ愛に依つて決せられるであらう』

 併しそれから後はどうなる。

 『それから後はどうなる。お〻それから後は、勢力不滅の法、其他宇宙の理法に依つて壞崩の時が來る。一切の結合せるもの悉く解體するであらう。これは科學の證明する所である』

 然らば一切の得られた物は失はれ、一切の作られた物は破壞さる〻であらう。一切の打勝たれた物は打勝ち、一切の利福の爲めに甞めさせられた[やぶちゃん注:「なめさせられた」。]苦艱[やぶちゃん注:「くかん」。苦しみ悩まされること。]は再び無意味に甞めさせられるであらう。未知から過去の無限の苦痛が生まれた如く、未知へ將來の無限の苦痛は沒するであらう。然らば吾等の進化の價値は何處にある。生の――闇と闇との間の幻の樣な此の閃光の意味は何處にある。進化とは絕對神祕から寂滅への移行であるか。彼の編笠の農夫が、之を最後に己が耕す土中に永久に歸つて仕舞つたら、其時今迄幾百萬年の勞働は果たして何の役に立つであらう。

 西洋は云ふ、『否、さういふ意味の寂滅といふものはない。死はただ變化を意味す。其後には別の宇宙が現はる〻であらう。我等に壞崩を信ぜしむる所のものは、同樣に更生を信ぜしむる。溶けて星雲となつた宇宙は、再び凝つて[やぶちゃん注:「こごつて」。]別に無數の世界を形成する。其時彼の農夫は忍耐强き牛と共に再現し、紫色若しくは菫色の太陽の下で何處かの土地を耕すであらう』併し其復活の後はどうなる。『新たな進化が起こり、新たな平衡が現はれ、新たな壞崩が來る。これが科學の敎ふる所、これが恒久の法則である』

 併し其復活した生は果たして常に新しいであらうか。寧ろ無限に古いのではあるまいか。現在あるものは確に永久にあるに相違ないと同樣に、將來あらんとするものは永くあつたものに相違ない。終りなきが如く始めもなかつたに相違ない。さう考へると、時といふものも幻覺に過ぎない、そして替はり番に現はれる幾千億の太陽の下に新しいものは何もない。死も死でない、休息でない、苦の終はりでもない。かた恐ろしい虛僞である。しかも此永久の苦痛の渦卷からの逃げ路は誰れも知らぬ。然らば彼の編笠の農夫より我等は少しも優つては居らぬ。彼はそれを知つて居る。彼は子供の時寺小屋で手習を習つた僧侶から、彼自身には無數の前身があつた事や、宇宙が出現したり消滅したらする事や、さては生の統一などに就いて敎へられて居る。西洋人が數理的に發見した所のものは、東洋人には佛陀出現前から知られて居る。どうして知つたかと云へば、宇宙の度々の壞崩にも拘らず、生き殘つた記憶があつたのであらう。併しそれはどうであらうと、西洋人の所說は非常に舊い。ただ方式のみが新しく、東洋古來の宇宙說を肯定したに過ぎぬ。そして永久の謎のもつれを益〻もつらすばかりである。

 

 かう云ふと西洋は答へる、『さうでない。乃公(おれ)は世界が或は現はれ或は消ゆる永久作用の韻律(リズム)を發見した。乃公は凡ての有情生物を發展させる苦痛の法則、思想を發展させる苦痛の法則を推測した。乃公は悲みの減ぜられる方怯を發見し、發表した。乃公は努力の必要と、生の最高義務を敎へた。生の義務を知る事は、たしかに人間に尤も價値ある知識である』

 或はさうであらう。併し西洋人の發表した樣な必要の知識、義務の知識は、彼等が未生以前から存在する知識である。多分彼の農夫は此地球上で五萬年も前にそれを知つて居たらう。いや神々にさへ忘られた古い古い昔に、今は消え失せたもとの地球上にあつた時でも知つて居たらう。若しこれが西洋人の知識のどん底なら、彼の編笠の農夫は佛陀に依りて無知の者――『生き替はり死に替はり墓地を賑やかす』者の中に數へられては居るが、知識に於ては我等と同等である。

 科學は之に答へて云ふ、『農夫は知るとは云へぬ。精々ただ信ずるのみだ、或は信ずる積りで居るのだ。彼を敎へた最も賢明な僧侶でさへ證明する事は出來ぬのだ。乃公のみが證明した。乃公のみが絕對の證明を與へたのだ。乃公は破滅を證明したと非難されるが、倫理的革新を證明したのだ。乃公は人知の超ゆ可からざる最極限を定めた。併し又最高の疑問――此疑問は卽ち希望の實體であるが故に、至つて有益な疑問――動かす可からざる基礎を永久に定めた。乃公は人間の思考行爲はどんな小さいものでも、永遠の中へ沒入する目に見えぬ震動に依つて、自ら登錄しつつ永久に記錄を殘すことを示した。そして乃公は恒久の眞理の上に新道德の基礎を置いた。尤も之に依つて古來の信條を只だ殼(から)ばかりにはしたが』

 然り西洋の信條を殼ばかりにした。併し更に古い東洋の信條をではない。未だ西洋人はそれを度(はか)つても見ない。此農夫の信條の一部は西洋人が吾人の爲めに證明した以上、彼自らそれを證明し得ぬとて何でもない。彼は其上に西人を遙かに超越する他の信條を有する。げに彼も行爲と思想は人の死後迄殘ることを敎へられた。併し彼はそれ以上を敎へられた。彼は各人の思想行爲は、己れ一個人の存在の埒を越えて、未だ生まれざる他人の生に影響することを敎へられた。又彼は尤も祕密な願望を制御すべきことを敎へられた。それはそんな願望は、樣々な潜在せる能力を有するからである。そして彼は之を彼が着る簑の藁の樣に質素な言葉と筒單に織り成せる思想とで敎へられた。彼が自分の所說を證明し得ぬとてそれが何か、西洋人が彼の爲めに、又廣く世人の爲めに證明したではないか。いかにも彼はただただ未來に鬪する說を有したのみであるが、西洋人はそれが全く夢に基するもの[やぶちゃん注:「もとゐするもの」。]でないといふ、爭ふべからざる證據を提供した。又西洋人の從來の硏究は、ただ彼が單純な頭の中に蓄積した所信の一部を、確證するに過ぎなんだことを思ふと、將來の硏究も、亦西洋人が未だ調査の勞を取らぬ彼が所信の、他の一部の眞なることを、證するに過ぎまいと臆定しても全く愚ではあるまい。

 『例へば、地震は大きな鯰の所爲と云ふが如きことをか』

 嘲笑し給ふな。そんな事に就ては我等西人の思想も遂二三代前迄は丁度そんな馬鹿らしいものであつたのだ。否、自分の意味することは、行爲と思想は、只だ人間あつて而して後に起こる事件であるのみでない、人間を作る素因でもあるといふ、古い敎理の事である。それは經文にもかう書いである。『我々の現在は凡て考へた事の結果である。考へた事に基礎を有し、考へた事で作られたのである』

 

       

 此處で自分には妙な實話が想ひ出さるる。

 現世の不運は前世で犯した罪過の結果で、現世の過失は來世に祟(たた)るといふ一般民衆の所信は、多分佛敎よりも古く、しかも佛敎の立派な倫理觀と相牴觸[やぶちゃん注:「抵觸」に同じい。]せざる、樣々な迷信に依りて妙に助成せられる。其中で恐らく尤も著しいのは、心の極の奧底でも人を呪ふとmそれが他人に不祥な影響を及ぼすといふ事である。

 自分の友人の一人が今住んで居る家は憑物(つきもの)がして居たといふ。其家は並外づれて明かるく、非常に美しく、そして比較的新しいから、憑物がして居るとは想像し難い。隅々端々(すみずみはしばし)まで暗い處もなく、周圍は大きな明かるい庭になつて居る――九州風の風景庭園で、幽靈の隱れるやうな大木もない。けれども憑物がして居た、それも白晝に出た。

 讀者は先づ此極東には、二種類の憑靈があることを知らねばならぬ。死靈(しりやう)と生靈(いきりやう)とである。死靈は單に死人の靈で、此國でも他國に於けると同じく、夜間のみ現はれるといふ古來の習慣に從ふ。併し生靈は生ける人の靈で、これはいつ何時(なんどき)でも現はれる。そしてこれは人を殺す力があるので、死靈より遙かに恐ろしい。

 處が今云つた家には生靈が憑いて居るのである。

 其家を建てた人は金持ちで且つ尊敬された役人であつた。彼は老後を樂む爲めに其家を設計し、工竣はるや[やぶちゃん注:「をはるや」。]美しい品々を集め、軒には風鈴を下げなどした。白木の良材の羽目板には、秀でた畫工が、燦爛たる櫻と梅の枝、松の木の頂上に金色の眼したる鷹の棲れる姿、楓樹の陰に食む漁る華奢な鹿の子、雪中の鴨、俯ぶ白鷺、燕子花の花、水中の月を摑む手長猿、其外あらゆる四季の景物、幸運の象徵などを描いた。

[やぶちゃん注:「金色の眼したる鷹の棲れる」「とまれる」と訓じておく。「すめる」の誤植を考えたが、原文は“poised”で前者の方がしっくりくるからである。ただ、原文では“gold-eyed falcons” であり、これは「鷹」(タカ目 Accipitriformes)ではなく、ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ亜科ハヤブサ属ハヤブサ Falco peregrinus を指す語である。ヨーロッパでは古くからハヤブサはタカ類とは区別されていたから、「隼」の方がしっくりくるのである。

「燕子花」原文は“iris flowers”で、これだと、単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属アヤメ Iris sanguinea とするところであるが(漢字表記は「菖蒲・文目・綾目」など)、戸澤氏の訳語「燕子花」は同アヤメ属カキツバタ Iris laevigata に当てるのが一般的である。画題のそれであるから、特に云々する必要はなかろう。戸澤氏も「あやめ」と読ませるつもりであったとも考えられる。]

 家主は實に幸運な人であつた。けれども只だ一つの嘆きがあつた――彼には跡取りの子がなかつた。そこで妻の承諾を得、古來の習慣に從つて、子を生ませる爲めの女を家に入れた――田舍出の若い女で莫大な報酬の約束があつた。やがて男子が生まれて女は還された。そして其男子をして實母を知らしめぬ爲めに、乳母が雇ひ入れられた。これは凡て前以て契約されたので、古來の慣例の認むる所であつた。併し男子の母が還される時、前に與へた約束は履行されなかつた。

 程なく金持ちの主人は病みついて、日に日に重るのみであつた。家人は此家には生靈が憑いてる[やぶちゃん注:ママ。]と云ひ出した。數人の名醫が出來るだけの手當てをしても衰弱は加はるばかり、遂には彼等も最早絕望だと白狀した。妻は氏神に供物を供へて平癒を所つた。併し氏神はかういふ答へを與へた。『これは人に難儀をかけた報である。其人の宥恕を得、かけた難儀を償ひ、罪亡ぼしをせねば病人は助からぬ。其方の家には生靈の祟りがある』

 それを聞いて、病人は思ひ出した。そして良心に責められ、遂に家來を遣はして女を家に呼び戾さうとした。併し女は居なかつた――何處か四千萬同胞の中に行衞を失つて居た。そこで病氣は益〻重る[やぶちゃん注:「おもる」。]、搜索は無效に歸する、さうする中に數週間が過ぎた。すると門に一人の百姓が來て女の在家を知つてる、旅費さへ吳れるなら尋ねて見ようと告げた。併し病人は聞いて云つた、『いや。もう遲い。彼女が己(おれ)を宥さうと思つても宥すことは出來まい』そして死んだ。

 其後寡婦と一族と小兒とは此新宅を棄て、綠もゆかりない人が移り住んだ。

 奇妙な事には、世人は小兒の母を非難した――憑依の罪を責めるのであつた。

 自分は最初不思議に思つた。それは此事件の正邪曲直に關して何等自分に判然(はつきり)した意見があつた爲めではない。自分は精しい顚末を知る事が出來ぬのだから、そんな判斷を下すことは出來る筈がない。併し人々の批評を甚だ奇怪だと思つた。

 何故だらう。それは只だ生靈を出すのは、出す者が故意にする譯ではないからである。それは決して妖術ではないのである。生靈は當人が知らずに出て行くのである。(意識的に物を出すと信ぜられてる[やぶちゃん注:ママ。]妖術もあるが、生靈はさうでない)これで讀者は自分が若い女が受ける非難を甚だ不思議と思つた理由が分かつたであらう。

 併し此問題の解決は讀者には想像がつくまいと思ふ。それは全く西洋には知られてない觀念を含む宗敎的の問題なのである。生靈の出た女は決して妖女として非難はされぬ。人人は彼女が意識的に生靈を出したとは曖氣(おくび)にも出さぬのみか、彼女の不平を至當とし同情して居る。ただ彼女が甚だしく恨んで居る事を――腹の中の憤怨を十分に制御せぬ事を非難したのである。その故は、人知れず怨恨を抱いて之を抑制せぬと不詳な結果を他に及ぼすといふことは、彼女も心得て居べき筈だからである。

 自分は生靈などといふものが、良心の苛責としての外、存在し得べきであると、臆定して貰はうとは思はぬ。併し此思想も行爲(おこなひ)を愼ませる感化力としては價値がある。其上此思想は暗示的である。心の奧の呪、外へ漏らさぬ怨恨、包める憎惡などが、此等を懷抱せる意志の外に力を及ぼさぬとは、誰れが斷言し得よう。佛陀のつぎの詞には西洋の倫理が認め能はぬ深い意味がありはせぬか。『憎惡は如何なる時でも憎惡に依つて停止されぬ憎惡は愛に依つて停止せられる是れ古來の法則である』それは佛陀の時でな古法であつた。我等の時代にはかう云はれて居る。『人汝に害惡を爲す時、汝之を怒らざれば、其害惡は消滅す』併し果たして消滅するだらうか。之を怒らぬだけで果たして十分であらうか。害惡を爲されたと感じた時心に起こり動搖は單に被害者が何の行動もせねといふだけで消滅するだらうか。どんな力でも力は消滅せぬ。我等の知る力はただ形を變へ得るのみだ。此事は我等の知らぬ力に於ても然りであらう。而して生命感覺、意志――凡て『我』なる無窮の神祕を形成するものは皆我等の知らぬ力である。

 

       

 科學は答へる。『科學の職務は人間の經驗を組織立てるにある、幽靈に就て學說を立てるのではない。そして時代精神は、日本に於てさへ、科學が取る此態度を支持する。彼の下(した)では今何を敎へつつあるか――予の敎旨か、抑も草鞋(わらぢ)穿きの百姓の敎旨か』

 

註 五高の建物を指す。

 

 そこで石佛と自分とは共に學校を見下ろす。すると佛の微笑は――多分光線の變化の故に――表情を變へて嘲笑となつたやうに見ゆる。併し實は彼は非常な强敵の要塞を瞰下しつつあるのである。三十三人の敎師に依る四百の靑年の敎育には、信仰の敎授は少しもない。ただ事實の敎授のみ――人間の經驗を組織した明確な結果のみが敎授せらる〻のである。自分は絕對に信ずる、若し三十三人中の誰れにでも、佛敎の事に關して問うて見た所で(漢文の敎師である七十歲の一老人を除いては)答へ得る者は一人もあるまい。彼等は新時代の人間で、こんな問題は簑を着る百姓のみの考へる問題だ、明治二十六年の現代に於ては、學者は須らく人間經驗の組織の結果に沒頭すべきであると考へて居る。併し人間經驗の組織化は、決して何處から何處へ或は最大の難問たる何故に、に就て吾人を啓發する處がない。

[やぶちゃん注:「漢文の敎師である七十歲の一老人」「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) 九州学生 (田部隆次訳)」に登場したハーンが尊敬した「秋月胤永」秋月韋軒(あきづきいけん 文政七(一八二四)年~明治三三(一九〇〇)年)である。本作品集は明治二八(一八九五)年で年齢も完全に一致する。]

 『生の大法は一因より出發する――此大法を破壞するも亦此一因なろと佛陀は說いた。大釋迦牟尼は實にかかる眞理をさへ說き給ふ』

[やぶちゃん注:原文“The Laws of Existence which proceed from a cause,—the cause of these hath the Buddha explained, as also the destruction of the same. Even of such truths is the great Sramana the teacher.”引用元不詳。]

 自分は考へた。此國に於ける科學の敎授は遂に佛陀の敎へを忘れしむるであらうか。

 科學は又答へる。『一信仰の生存權の有無は、科學の啓示を受納し之を利用する力の有無に依る。科學は證明し得ぬものを肯定せぬと同樣に、合理的に反證し得ぬものを否認せぬ。超自然力(神佛)の論議は人間性の止むを得ざるものとして、科學は承認し且つ憐れむ。其論議が科學の事實と並行線に進む間だけは、汝も、簑着る百姓と共に論議を續けて差し支へない。併しそれから先きはいけない』

 それで自分は石佛の微笑の深い風刺から靈感を求めつつ並行線上の論議を試みる。

 

       

 近代學間の全傾向、科學敎育の全傾向は、古印度の婆羅門が考へた如く超自然力は人間の祈願を受け付けぬといふ終局的確信に向ひつつある。我等の中にも、西洋の信仰は結局永久に消滅し、我等の心的成年期に達すれば我等をして神に手緣(たよ)らず、自分のみに手緣らむこと、恰も愛情深き母も、遂には其子を手放すに至るが如きであると感知して居る者が少くない。其遠き將來に於ては、信仰は其役目を果たし終はり、我等をして十分に或る永久の精神的法則を承認せしめ、十分によ今深い人間同志の同情を成熟せしめ、又十分に寓話や童話や方便の虛僞に依つて、深刻な生の眞理を會得せしめた上で消滅するであらう。――人間同志の愛の外、神の愛などといふもののない事を、世には全能の神も救世主も守護神もないことを、我等には我等自身の外に逃げ場のないことを知らしめた上で。

 

 けれども其遠き將來の日に於てさへ、數千年前佛陀に依つて與へられた啓示には我等も辟易せざるを得ぬであらう。『己れ己れの燈火たれ己れ己れの逃げ場たれ他の逃げ場に赴くことなかれ佛はただ指導者に過ぎず眞理に縋ること燈火に手緣る如くなれ逃げ場として眞理に縋れ(おの)れ以外に逃げ場を求むることなかれ

[やぶちゃん注:底本では引用の内、「己れ」は「おの」とルビが振られた結果、ルビ「ヽ」が振られていないが、特異的に太字にした。引用原文は“Be ye lamps unto yourselves; be ye a refuge unto yourselves. Betake yourselves to no other refuge. The Buddhas are only teachers. Hold ye fast to the truth as to a lamp. Hold fast as a refuge to the truth. Look not for refuge to any beside yourselves.”。これは釈迦の阿難(アーナンダ)への最後の別れの言葉である。]

 此語驚くべきではないか。けれども天の助け、天の愛といふ美しい長夜の夢から。茫然と目覺めるといふ前途も、人間に取つて尤も淺ましい前途ではない。もつと淺ましい前途がある。それも東洋の思想に依つて暗示されて居る。科學はリヒテルの夢――死んだ子等が父ジエーサスを求むれども逢はぬといふ夢の實現よりも遙かに恐ろしい發見を、我等自ら爲すがままに委ねて置くかも知れぬ。唯物論者の信仰否定の中にさへ、或る慰藉の信仰があつた――自己斷絕の、永久忘却の自信があつた。併し現存の思索家にはそんな信仰もない。我等は多分將來此小世界の上で遭遇するあらゆる難問を征服した後、更に其先きに征服すべき障害が我等を待つて居る事を、自ら會得せねばなるまい――如何なる組織の世界よりも洪大な障害が――幾百千萬の組織を有する、想像をだも許さぬ全宇宙よりも洪大な障害が待つて居る事を、又我等の仕事は今始つた計りである事を、そして云ふを得ず考ふるを得ざる程の時劫の助力の外には、如何なる助力の影さへも與へられぬことを會得せねばなるまい。我等が逃る〻ことの出來ぬ生死の輪𢌞は、我等自ら作るもの、我等自ら求むるものなることをいつかは知るであらう――又三千世界を結び附ける力は過去の業障なること――永久の悲哀は飽くなき願望の永久の飢餓に過ぎざることを――そして又燃え盡くした日輪は死せる生命の不盡不滅の情炎に依つてのみ再び點火せられることを、いつかは知るであらう。

[やぶちゃん注:「リヒテルの夢――死んだ子等が父ジエーサスを求むれども逢はぬといふ夢」「ジエーサス」とは“Jesus”でイエス・キリスト。これはドイツの小説家ジャン・パウル(Jean Paul 一七六三年~一八二五年:本名:ヨハン・パウル・フリードリヒ・リヒター(Johann Paul Friedrich Richter))が一七九六年に刊行した長編「ジーベンケース」(Siebenkäs:主人公(Firmian Stanislaus Siebenkäs)の名前。私は全く未読)に組み込まれた異様な小話を指すものと思われる。岡田俊之輔氏の『月曜評論』(平成一五(二〇〇三)年月号所収)の「ジャン・パウル『ジーベンケース』」の解説が良い。それによれば、この掌篇的挿入部分は『クリスト教的世界觀崩壞の不氣味なヴィジョンである』とされる。]

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