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2020/01/20

三州奇談卷之一 菅谷の巨蟒

    菅谷の巨蟒

 寶曆三年[やぶちゃん注:一七五三年。]の五月何(いづれ)の日とやらん。江沼郡(えぬまごほり)荒谷(あらたに)といふ所に、六兵衞・長吉と云兄弟の獵人(かりうど)ありて、元より剛氣壯力(さうりよく)著しく、鐵砲に妙有。百步に猛獸を打つに一つもたがはず、音と共に倒る。故に日ごとに獸を得る事、袋を探つて物を出すがごとし。

 此日亦兄弟打連れて菅谷(すがたに)と云へる所の奧を探し盡すに、風に臭氣あり。草木凋(しぼ)むように覺え、何となく空恐しく、谷を出しが、

『いづれの谷へ入ても斯る事はなし。此菅谷は、はじめて分入るとはいへども、斯(かか)る事は去(さる)にても何のわざにか有けん』

と立戾りて、友の獵人に相話せば、

「しらずや此奧には年久敷(としひさしき)巨蟒(うはばみ)有て、人一度是に觸るゝ時は生(いき)て歸らずと聞く。必(なららず)此(この)わざならん、早く歸り去るべし」

と云捨てゝ過(よぎ)る。其詞の下より、長吉身拵(みごしらへ)して立向ふ躰(てい)なり。六兵衞は

「何れへ行くぞ」

と問へば、長吉曰く、

「其形の知れざらんにこそ詮方なし。既にうわばみ[やぶちゃん注:ママ。]と聞ては、何ぞ退(しりぞ)き歸る事有べき。我手の中(うち)は、猶蒼海の蛟龍(かうりやう)と云とも相敵すべき技あり。何ぞ一匹の小蛇の爲に、谷も盡さずして歸る理(ことわり)あらんや。」

六兵衞も點頭して、共に今來(きたり)し谷道を再び進むに、實(げに)も藤蘿(ふじかづら)生ひしげり、巨木ひとりと折れくちて、爰(ここ)なん菅谷に猫岩(ねこいは)とかや、人の耳に聞ても恐るゝ所なり。路は亂石毒瘴(どくしやう)[やぶちゃん注:山川に生ずる湿熱性の危険な毒気。]一步も進むべからず。玉の二つものに玉藥あく迄込みて、兄弟立ならびて聲をひそめて窺ふ。頃は五月雨の雲くらく、空晴の日あし深く胸にさし返し、露けき岩頭に白き茨の花のちりがてにみへたる中に、

「さてこそ見ゆれ」

と指覗(さしのぞ)き見れば、大(おほい)さ二抱(ふたかかへ)にもあまりつべき牛の頭の如き物あり。万物(ばんぶつ)我には敵せざる鼻息は、むべ山風とも云つらん。人身(じんしん)をつんざくばかり臭氣あたりを拂ひ、岩にまとふて長き事は計るべからず。六兵衞・長吉ちつとも恐れず、筒先を揃へ、彼巨蟒の鼻頭(はながしら)をねらい濟して、互に

「どつ」

と火ぶたを切て放しければ、何かは少しもはづすべき、思ふ坪ヘ二ツともに血煙り立て打込みたり。

 忽ち山鳴り、樹木めきめきと動き出で、臭氣黑烟見るうちに暗黑となれば、兄弟は鐡砲打かづき、逸足(いつそく)出して迯出(にげだ)しけるに、谷中(たにうち)暗々たる氣の内に、風吹き岩くだけ、大木ねぢ折るゝ音すさまじく震ひけるが、半時許りありて一聲に

「どう」

と倒(たふ)るゝ音有ける。其響くこと、只大地も裂け坤軸(こんぢく)[やぶちゃん注:古く大地の中心を貫き支えていると想像されていた軸のこと。]もくだけやすらんと夥(おびただ)し。さしも剛氣の獵人ながら、

「此時には足なへ、腰(こし)力(ちから)なくて、ぐさと路に座しける」

とは咄しぬ。

 其後(そののち)は此谷中にはうはばみ死し居(をり)ぬと、しばしば人もおそれしが、日數たつに隨ひ、大聖寺家中よりも一二人行(ゆく)ぞと見へしが、夥敷(おびただしく)見物人行集(ゆきつど)ひ、終(つい)に其姿を引おろして尺を計るに、まはり八尺計(ばかり)[やぶちゃん注:約二メートル四十二センチメートル。これから計算すると蟒の胴の直径は七十七センチメートルにもなる。]、長さ九間餘[やぶちゃん注:十六メートル三十六センチメートル超。]あり。

「おもひしよりは短かき物なり」

と、家中見來りし人の物語なり。

 此鱗とて今此邊(このあたり)所々に殘れり。

 實(げに)にも是より谷淺く樹(き)かれて、夜陰も人の通ひ自由を得たり。

 二子(にし)は今も熊を打ち、豬(ゐのしし)を追ふて恙(つつが)なし。

「常に深谷幽谿に行通(ゆきか)ふといへども、此蛇を打し時ほどのおそろしさはなし」

とかたりぬ。

[やぶちゃん注:「菅谷の巨蟒」「巨蟒」は「すがたにのうはばみ」と訓じておく(「菅谷」は以下に示す通り、固有地名。後者は音なら「きよまう(きょもう)」であるが、こうなっては音読みする意味がない気がする)。さてもここに非常な問題がある。写本版は孰れも標題を「荒谷巨蟒」とし、本文中の一部でも蟒蛇の出た谷を「荒谷」としているからである。しかし、一読、これはやはり底本通りで「菅谷」が正しく、「荒谷」は致命的に誤りと判るのだ。何故なら、頭の部分で「江沼郡(えぬまごほり)」の「荒谷(あらたに)といふ所に、六兵衞・長吉と云兄弟の獵人(かりうど)」住んでいたとあるからである。最初に蟒が出現するシークエンスで、二人(或いは兄六兵衛)が『此菅谷』(実に国書刊行会本はここも「荒谷」なのである)『は、はじめて分入るとはいへども、斯(かか)る事は去(さる)にても何のわざにか有けん』と激しい疑義を感じていることから、この蟒蛇の出現した谷の名は絶対に住んでいる「荒谷」ではなく、初めて分け入った「菅谷」でなくてはおかしいからである。疑義のある人に言っておくと、ど素人が考えても、山の狩人が、自分の住んでいる広域地名「荒谷」の中に、行ったことのない「荒谷」があるというのは、これ、ちゃんちゃらおかしいことになってしまうからである。その「荒谷」地区が異様に広域で人跡未踏の地を含むというなら、まだしもだが、調べてみると、この「江沼郡荒谷」とは、恐らく現在の石川県加賀市中温泉荒谷町付近であり(現在のここは決して広域でない。但し、山深い場所である)、その南の西方の、尾根を幾つか越えたニキロメートルほど行った山中に、現在の石川県加賀市山中温泉菅谷町があるのである(グーグル・マップ・データ航空写真こちらを参照されたい。二つの町を確認出来るようにした)。そうして、現在の後者菅谷は東で大聖寺川沿いに有意な集落群を持っていて(荒谷には見当たらない)、最後の「今此邊」はこの蟒退治以降、「谷淺く樹(き)」枯「れて」(蟒の死体の放つ毒気によって枯れたのである)、「夜陰も人の通ひ」、「自由を得」るまでに開けたというのと一致するからでもある。

『いづれの谷へ入ても斯る事はなし。此菅谷は、はじめて分入るとはいへども、斯(かか)る事は去(さる)にても何のわざにか有けん』この台詞を敢えて私は二重鍵括弧の心内語にした。何故なら、山の怪に遭遇した時は、決してこちらから半端な言挙(ことあ)げをしてはいけないからである。中途半端な認識や軽率な行動をすることが致命的に危険であることは、「古事記」の倭建命(やまとたけるのみこと)の伊吹山の神の化身であった大蛇を誤認したことを持ち出すまでもないことである(それは彼の悲劇の死の最初の契機となっているのである)。山でお喋りは禁物だ。山の神や怪物が攻撃をかけようとその相手の情報に聴き耳を立てていると考えられたからだ。いや、実際、登山でもお喋りな奴は最初にバテるし、怪我もし易い。

「蛟龍」中国古代の想像上のプレ段階の龍の一種。水中に潜んでおり、雲雨に逢えば、それに乗じて、天上に昇って龍になるとされる。「みずち」。

「點頭」うなずくこと。

「藤蘿」所謂、蔦(つた)類の総称。

「猫岩」と呼称するからには人跡未踏の禁断の地ではないことが判る。2020127日:削除・追記】T氏よりメールを戴いた。

   《引用開始》[やぶちゃん注:やや表現を変えさせて貰った。]

 「加越能三州奇談」では「我谷の猫岩」となっており、猫岩は加賀市山中温泉東町一丁目に現存します(「Mapion」のデータ)。国土地理院地図ではここです。感想ですが、西谷と東谷の間の山は南に行けば高くなりますが、このあたり(菅谷より下流)では二千三百メートル級で人跡未踏の感じはありません。山中温泉なら、「奥の細道」ゆかりで俳諧を嗜む麦雀・麦水が訪れたとして良いように思います。

   《引用終了》

とあった。サイト「山中温泉料理飲食大図鑑」の「猫岩」に写真と解説があり、『通称「大岩」あるいは「大巌」と呼ばれる安山岩質の火山岩で、さしずめ山中のエアーズロックといったところ。 ちょうど大聖寺川下流の対岸に位置するため、古来より湯治客が最初に目にする景色として強い印象を与えている。古い言い伝えによると、その昔、ある石大工がこの岩を削り取ろうとした』際、『ふと気がつくと、血だらけの猫がその男を凝視していたという』。『現在では健康(特に眼)の守護神として』八月二十八日に『大祭が行われている』とあった。二十五の頃に父母と行ったから見ているはずなのだが、全く記憶にない。

「玉の二つものに玉藥あく迄込みて」単式鉄砲に、異例に弾丸を二つ込めて、しかもそれを射出するに可能な多量の火薬を入れたことを意味しよう。但し、銃身自身がそれに耐えられなければ爆裂して射手自身の命が危険になる確率が頗る高くなる。

「さてこそ見ゆれ」ここは実声と判じた。既に対象が邪悪な蟒に過ぎないと認めたからである。ここは逆に言挙げによる勝利性を高めると言える。

「むべ山風とも云つらん」「古今和歌集」の「巻第五」の巻頭に配された「秋歌下」の知られた文屋康秀の一首(二十二番)、

 吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐(あらし)といふらむ

を掛けた洒落。「むべ」は「なるほど」の意。

「岩にまとふて長き事は計るべからず」毒気が岩、いや、谷を包んで、その致命的な窒息感は言うに及ばぬ、絶体絶命の事態であったことを謂う。

「黑烟」銃撃によって蟒の生命が瀕死になり、毒気を全身より発し、それが黒い煙のようになって谷全体を覆ったのである。

「逸足」「駿足」に同じい。

「半時」現在の一時間相当。

「大聖寺家」大聖寺藩。加賀国江沼郡及び能美郡の一部を領した加賀藩支藩。本時制の宝暦三(一七五三)年当時は第五代藩主前田利道(享保一八(一七三三)年~安永一〇(一七八一)年)の治世。彼の治世中は領内が多くの災害に見舞われたこともあり、藩の財政は逼迫していた。

「家中見來りし人の物語なり」この謂いから、原著者麦雀はその当時の藩士(或いは隠居した人物)から、直接、これを聴き書きしたことが判る。]

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