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« 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 博多にて (戸澤正保訳) | トップページ | 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 石佛 (戸澤正保訳) »

2020/01/08

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 永遠の女性に就て (戸澤正保訳)


[やぶちゃん注:本篇(原題“OF THE ETERNAL FEMININE”)はラフカディオ・ハーン(彼が帰化手続きを終えて「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であり、未だこの時は「小泉八雲」ではない。但し、帰化後の出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)来日後の第二作品集「東の國から」(底本(後述)の訳題。原題は“OUT OF THE EAST REVERIES AND STUDIES IN NEW JAPAN ”。「東方から――新しき日本での夢想と研究」)の第四話である。本作品集は一八九五(明治二八)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版された全十一篇からなるものである。なお、本篇は、この作品集以前に、『大西洋評論』(Atlantic Monthly)の一八九三年(月号不詳)に初出している。

 本作品集は“Internet Archive”のこちら(クレジット・出版社(左)及び献辞(右)ページで示した)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 訳者戶澤正保は前の「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 博多にて (戸澤正保訳)」を参照されたい。

 詩の引用や原注・訳者注(後者は全体が四字下げポイント落ち)は、上方或いは行頭まで引き上げて同ポイントで示し(詩の引用はポイントを落とした)、注の前後を一行空けた。

 なお、「永遠の女性」(The Eternal Feminine)とは、哲学的心理学的原型としての理想的女性像を指す。]

 

  永遠の女性に就て

 

   人間に譬ふべき者やあると天を探(さが)すに、

   空(そら)ぢゆうに我等の寓話あり――

   我等はナシツサスの眼もて自然を見る、

   到る處自分(おのれ)の影に見惚れつつ。

                ワ ト ソ ン

[やぶちゃん注:イギリスの詩人ウィリアム・ワトソン(William Watson 一八五八年~一九三五年)の詩篇。“Project Gutenberg”のこちらの“The Poems of William Watson”(一八九三年刊)の中に確認出来る。

「ナシツサスの眼」原文“Narcissus-eyes”。言わずもがな、ギリシア神話に登場する水鏡に写った自身を愛してしまった美少年ナルキッソスである。]

 

     

 日本に住む知慮ある外國人の凡てが、早晚悟らざるを得ぬ事は、日本人は吾人の美學や、吾人の情的性格の一般を學べば學ぶ程、之に依つて益〻不快の感を受くるが如く見ゆるといふ事である。西洋の美術或は文學或は哲學を彼等に告げんと試みる歐米人は、彼等の共鳴を得る事は出來ぬであらう。其說く處は謹聽せられるであらう。併し最大の雄辯も、期待とは全く異なる二三の意想外な評言を引き出すに過ぎぬであらう。此種の失望を重ねると、途には東洋の聽講者を判斷するに、西洋の聽講者が同樣に擧動(ふるま)へる時に於けると同じ筆法を以てする。卽ち我々が以て美術、哲學の最高表現となす所のものに對する冷淡さは、心的低能の證であると、西洋に於ける經驗から判斷するに至るのである。そこで日本人を小兒の國民なりと呼ぶ多數の外人觀察家が現はれたり、又中には、此國に永年暮らした外國人の多數と共に、日本の宗敎、文學、比類なき美術といふ證明あるにも拘らず、日本國民を以て本來物質的の國民なりと斷ずる者があつたりする。自分には、かういふ判斷は、何れもゴールドスミスが文學倶樂部に就て、ジヨンソンに告げた、つぎの詞にも劣らず愚劣なものと思はれる。『我々の中には珍らしいものは何もない。我々はお互の心の中蹈破した』之に對するジヨンソンの有名な揶揄は、卽ち敎養ある日本人の答ふる所であらう。『兄よ、予は斷言する、兄は未だ我輩の心を蹈破しない』。凡てこんな大雜把(おほざつぱ)な批評は、要するに日本人の思想感情は、或る場合には我々と正反對な、そして凡ての場合に妙に相違せる、祖先傳來の風俗、習慣、倫理、信仰から發展したものだといふ事實の認識が、甚だ不完全であるに因由すると自分には思はれる。こんな心理を有する人民を材料にしては、近代的科學敎育も只だ徒に人種的相違を益〻高調し展開せしむる計りである。全日本人を泰西[やぶちゃん注:「たいせい」。西洋。]の卑屈な模倣に誘ふのは敎育が生半可な場合に限るので、此人種の眞の識力最高の知能は、强く百洋の感化に抵抗する。こんな問題に就て、自分などよみよりも優れた判斷力を有(も)つた人々から聞く處に依ると、此事は特に歐洲を旅行し、若しくは歐洲で敎育を受けた優越の人士に於て認め得るといふ。實に新敎育の結果は、何物よりも、ライン氏に依つて淺薄にも小兒の國民といふ銘を打たれた日本人種の健全なる保守思想の偉力を示すに役立つたのである。西洋思想の或る者に對して日本人がこんな態度を取る原因は判然分からぬながらも、我々は日本人を低能呼ばはりするよりも、寧ろ其西洋思想に對する我々の觀念を再考すべく促さる〻を覺ゆるのである。さて其原因は種々雜多であらうが、中には漠然ながら推察するに難からざるものもある。少くとも我々が安全に硏究し得る尤も重要なるものがある。それは極東に數年を過ごした者には、否でも應でも認めざるを得ぬものであるからである。

[やぶちゃん注:「ゴールドスミス」イギリスの詩人・小説家・劇作家でアイルランド生まれのオリヴァー・ゴールドスミス(Oliver Goldsmith 一七三〇年?~一七七四年)。ウィキの「オリヴァー・ゴールドスミスによれば、父は牧師であった。『トリニティ・カレッジ・ダブリンに』、『なんとか入学し』、『無事卒業』するも、『聖職者の準備の一環である医学を学ぶためにヨーロッパ各地の大学に行くが』、『どこも修了できず』、一七五六年に『ロンドンに移住。生計をたてるため』、一七六〇年から『雑誌に随筆を寄稿したところ』、『人気が出て、それを』一七六二年に「世界の市民」(The Citizen of the World)『という題名で出版』して作家としてのスタートを切った。一七六四年には『ジョシュア・レノルズ』(Joshua Reynolds 一七二三年~一七九二年:ロココ期のイギリスの画家)『とサミュエル・ジョンソン』Samuel Johnson 一七〇九年~一七八四年:イングランドの文学者(詩人・批評家・文献学者。ここに出る「ジヨンソン」は彼。ウィキの「サミュエル・ジョンソン」によれば、『ジョンソンは Clubbable man (クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好んだ』とある)。「英語辞典」(A Dictionary of the English Language:一七五五年刊)の編集で知られる)『が結成した「ザ・クラブ」(のちの文学クラブThe Literary Club)』(ここに出る「文學倶樂部」はそれ。やはり、ウィキの「サミュエル・ジョンソン」によれば、『ジョンソンは』、『生涯にいくつかのクラブに加入しているが、特に有名なのは』この『ザ・クラブ(文学クラブ、The Club)で』、週一回、『夜、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義などを楽しむ集まりで、機知に富んだ話の得意なジョンソンが会話の中心だった』とある)『の創立会員となり、長詩や喜劇作品を発表したが』、『貧しい生活だけは変わらなかった。小説や詩のほかにも伝記も書いた』とある。

「ライン」不詳。一人、思い浮かぶのは、地理学者で、二年間、日本に滞在したヨハネス・ユストゥス・ライン(Johannes Justus Rein 一八五三年~一九一八年)であるが、彼がそう書いているものを見いだせないので、確かなことは言えない。ラインについては、『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (二)』の「レイン博士」の注を参照されたい。彼と思しい人物には、『小泉八雲 作品集「日本雑録」 / 民間伝説拾遺 / 「蜻蛉」(大谷正信訳)の「一」』でも言及されてある。【2020年1月9日追記】T氏より来信有り、『「ライン氏に依つて淺薄にも小兒の國民といふ銘を打たれた日本人種」は彼の著書“Japan nach reisen und studien im auftrage der königlich preussischen regierung dargestellt” (二巻本)の第一巻の英訳“Japan : travels and researches undertaken at the cost of the Prussian government”』(「日本:プロイセン政府の費用に拠りて行われた旅行と研究」)『の“THE JAPANESE PEOPLE II ETHNOGRAPHY”(「エスノグラフィー」は「民族誌」)の最初の節、“1. Ainos and Japanese; Origin; Physical Conformation and Mental Endowments” 』(「アイヌと日本人――原点――身体的形態と精神的素質」)『のp395の第二パラグラフ』(“Internet Archive ”のその英訳本の当該ページ)、

   The Japanese nation is, in my opinion, in many respects a race of children, harmless, confiding, gay and inclined at all ages to
childish games, easily interested in anything new even to the point of enthusiasm,

がそれです』とお教え下さった。私の貧弱な頭で引用して下さった箇所を訳してみると、

 私の意見では、日本人は多くの点で幼稚な種族であり、あどけなく、人を信用し易く、同性愛的で、あらゆる年齢に於いても子供染みたゲームを好む傾向を持ち、新しい物に対して如何にも安易に激しい興味を感ずる……

といった感じであろうか。確かに、今でも当たっているように思われることはあるものの、ちょっと日本人としては「腹ン立つ!」と叫びたくなりはする評言ではある。]

 

     

 『先生、英國の小說には、何故戀愛や結婚の事が澤山書いてあるのです――我々には實に甚だ不思議でなりませぬ』

 此間は自分が受持の文科の或る組――十九歲から二十三歲迄の靑年――で、彼等がジエボンの論理や、ジエームスの心理學を了解することが出來ながら、或る模範的小說の或る一章を了解し得なんだ理由を說明せんとして居る時に、自分に向つて發せられたのであつた。其場合これは容易に答へらる〻問ではなかつた。實際自分が既に數年日本に住んで居たのでなかつたら、之に答ふる事は出來なんだであらう。事實、自分は努めて簡潔と明瞭とを期したけれども、此說明に二時間以上を費やしたのである。

[やぶちゃん注:「ジエボン」イギリスの経済学者・論理学者ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ(William Stanley Jevons 一八三五年~一八八二年)。詳しくはウィキの「ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ」を参照されたい。

「ジエームス」「心理学の父」とされる、アメリカの哲学者・心理学者ウィリアム・ジェームズ(William James 一八四二年~一九一〇年)。「〈意識の流れ〉の理論」を提唱し、ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」など、英米のみでなく、世界文学に大きな影響を与えた。プラグマティストの代表として知られ、弟は心理小説の名作「ねじの回転」(The Turn of the Screw:一八九七年発表)で知られる作家ヘンリー・ジェームズ(Henry James 一八四三年~一九一六年)である。]

 英國の社會を描寫せる小說で、日本の學生が眞に了解し得るものは先づ無い。其理由は單に英國の社會に就て彼等が正確なる槪念を作ることが出來ぬといふにある。いや特に英國の社會ばかりでない、槪して泰西の生活は彼等に不可思議なのである。孝道が道義的羈絆でない社會組織、子が自分の家庭を營む爲めに、親の許(もと)を去る社會組織、自分の所生よりも妻子を愛することを自然にして且つ當然と考ふる社會組織、結婚が親の意志を省みず若い男女相互の意向に依つてのみ決せらる〻社會組織、さては姑(しうとめ)が嫁(よめ)の從順な奉仕を受くる權利なき社會組織は、空飛ぶ鳥、野を奔る獸に優さることなき生活狀態、或は精々一種の道義混沌の狀態としか、彼等には見えぬのである。我等の小說に反映して居る、こんな生活狀態は彼等を憤激させる謎なのである。我等が戀愛觀や結婚騷ぎは此謎を供給するのである。日本人の若者は結婚は簡單な當然な義務で、其義務の當然な遂行には兩親が適當な時機にあらゆる必要な準備をして吳れるものと心得て居る。外國人が結婚するのに大騷ぎをすることは、彼には既に不可解なのである。まして有名な作家がこんな事柄に就て小說や詩を書き、そして其小說や詩が大いに持て囃されるといふことは更に不可解で、『實に、甚だ不思議』なのである。

 若さ質問者は儀禮の爲めに『不思議』と云つた。彼の眞意は『猥(みだ)ら』といふ詞の方がもつと正確に表されたのであらう。併し日本人の心に我等の模範的小說は猥らに、甚だ猥らに見ゆると云ふと、英國の讀者は其意を恐らく誤解するであらう。日本人は莫迦に堅苦しくはない。我等の小說が彼等に猥らに見ゆるのは、題目が戀であるからではない。日本には戀に就ての文學が澤山ある。我等の小說が彼等に狙らに見ゆるのは聖經の『此故に人はその父母を離れ、その妻に合て』といふ句が彼等に、尤も不道德な文字と見ゆると同じ理由でである。別言すれば彼等の此評言は、社會學的說明を要するのである。我等の小說が何故に彼等の心には猥らであるかといふ事を十分に說明するには、泰西人の生活と全く異なれる日本人の家族の全構成、習慣及び倫理觀を述べねばならぬ。そしてこれには薄つぺらに述べるにしても尙ほ一卷の書を要する。自分は迚も完全な說明を企つるを得ぬ、ただ二三の暗示的な事實を述べ得るに過ぎぬ。

[やぶちゃん注:「聖經の『此故に人はその父母を離れ、その妻に合て』といふ句」「旧約聖書」の「創世記」第二章第二十四節。「文語譯舊約聖書」(昭和二八(一九五三)年版)で第二十二節から第二十三節までを引いておく。恣意的に句読点を配した。

   *

2:22 ヱホバ、神アダムより取とりたる肋骨(あばらぼね)を以(も)て、女を 成(つく)り、之れをアダムの所に携(つ)れきたりたまへり。

2:23 アダム、言いひけるは、「此れこそ、わが骨の骨、わが肉の肉なれ。此れは男より取りたる者なれば、之れを女と名づくべし。」と。

2:24 是の故に、人は其の父母(ちちはは)を離れて、其の妻に好-合(あ)ひ、二人、一體となるべし。

2:25 アダムと其の妻は、二人倶(とも)に裸體(はだか)にして愧(は)ぢざりき。

   *]

 先づ槪して云へば、我等の文學は小說以外にも日本人の道德觀に背反せるもの多々あるが、それは戀情そのものを取扱ふが爲めではなく、淑女に聯關し從つて家族に聯關して戀情を取扱ふが故である。槪則として高級な日本文學に於て熱烈な戀愛を題目とする場合は、それは家族關係の發生(卽ち結婚)に終はる種類の戀愛ではない。それは全く別種の戀愛――東洋人が餘りやかましかぬ種類の戀愛――單に肉體の魅力に依つて鼓吹せらる〻惑溺卽ち『まよひ』で、その女主人公は良家の處女ではない。大抵遊女若しくは藝妓である。さればとて此種の文學に於けるその題目の取扱方は西洋の官能的文學――例せば佛國(フランス)文學の樣でもない。全く異なれる文藝上の立場から考察し、異なれる種類の情緖を描寫するのである。

 凡そ國民文學なるものは必然的に反映的なものである。國民文學が描かぬ所のものは其國民の生活には陽(あらは)に現はれて居らぬのである。されば日本文學が、我等の大小說家、大詩人の好題目である種類の戀愛に就でて、沈默すると同樣に、日本の社會は、かかる戀愛に就て沈默を守るのである。日本の小說にも、女主人公として、代表的の婦人が往々描かれてあるが全それは完全なる母として、或は親の爲めに、喜んで凡てを犧牲にする孝行な子として、或は良人と共に出陣し共に戰爭し、身を以て良人を救ふ貞節な妻としてである。決して戀愛の爲めに死し、或は相手を死せしむる感傷的婦人としてではない。又日本婦人が男子の魅惑を事とする、危險な美人として文藝上の作品に現はる〻事もない。日本の實際生活に於ても、家族の婦人は決してそんな役割を演ぜぬのである。男女兩性の混合體としての社會、婦人美を以て洗練せられた最高の美となす存在としての社會、そんなものは東洋には甞て存在した事がない。日本に於ても、特殊な意味に於ての社會は常に男性である。首都の或る限られた方面に於ける歐洲風の流行習慣の輸入も、遂に國民生活を泰西流の社會に改造し得る樣な寫社會的變化の第一步を示すものとは容易に信じ得ぬ。其樣な改造は家族の瓦解、全社會組織の崩潰、全倫理系統の破壞――簡言すれば國民生活の破滅を招來するものであるから。

 『婦人』といふ語を尤も純化せられた意味に取り、そして婦人が滅多に現はれぬ社會、婦人が決して見せびらかされぬ社會、戀が全然不可能な社會、そして、一家の妻又は娘を面(ま)のあたり讃美するなどは、許し難き無禮と考へられる社會を想像して見れば、讀者は直に我等の評判な小說が、其社會の人々に與ふる印象は。どんなものであるかといふ慄然たる結論に達し得るであらう。併し其結論は略〻當を得て居ても、其社會の自制心と其背後の倫理觀を幾分知悉するのでないと、未だ正鵠を得るとは云へぬ。例せば上品な日本人は人に向つて決して其妻の事を云はぬ(槪則として)、如何に内心自慢であつても、子供の事さへ滅多に口にせぬ。其外家族の何人に就てでも、又家庭生活や私用私事に就て語るのを聞く事は殆どない。併し若し家族の事に就て語る事ありとすれば、それが殆ど親の事に極つて居る。親の事に就て語る時は宗敎心に近い尊崇の語調で語る、が西洋人に普通な語調とは全く違ふ。そして決して自分の親の長所を他んの親のと内心比較する樣な調子は用ゐぬ。併し妻に就ては其婚姻の席に招待した友人にさへ語らぬ。尤も貧乏で尤も無學な者で窮乏が如何に甚だしからうと、日本人は決して助力を受け、又は憐憫を買ふ爲めに、妻の事を云ひ立てようとは夢にも思はぬ、と云つて間違ひは無からう――多分妻のみならず、子供の事迄云はうとはせぬであらう。それにも拘らず、父母若しくは祖父母の爲めならば、助力を乞ふに必らずしも躊躇せぬ。西洋人には尤も强い情緖である妻子の愛を、東洋人は利己的の情緖と斷じて居る。彼等はもつと高尙な情緖に支配せらる〻と稱して居る――卽ち義理、第一に皇帝に對する義理、つぎに父母に對する義理である。妻子に對する愛情は自己愛の感情に外ならぬが故に、如何に純化されやうとも、それを日本の識者が最高の動機と考ふることを拒むのは間違ひでない。

 日本の貧民の生活には祕密といふものがない。併し上流に在つては、家族生活は西洋の何の國――スペインをも入れて――に於けるよりも人目に曝(さら)されない。外人の殆ど見ることなき、又少しも知ることなき生活である。日本婦人に就て見知る所あるが如き記述が澤山ある事はあるが當てにはならぬ。日本人の友人の家庭に招かれると家族を見る事もあり

 

註 かうは云つても自分は日本の茶屋若しくはもつと惡るい種類の家に短時日滯在したのみで歸國の後日本歸人に就ての述作を發表す驚くべき人々を指すのではない。

 

見ぬ事もあるが、それに其時の模樣次第である。若し見る事が出來たら、それは多分ほんの寸時(ちよつと)の間であらう、そして其時には屹度細君を見るのであらう。先づ玄關で刺を通ずる[やぶちゃん注:「しをつうずる」。名刺を出して面会を求める。]と、下女が受け取つて退出する。間もなく又現はれて座敷、卽ち日本家屋に在つては大抵最大最美の客間に案内する。其處には座布團が用意されてあり、其前には烟草盆がある。下女が又茶と菓子を運ぶ。暫くして主人公自身が入つて來て、お定まりの挨拶の後會話が始まる。若し食事の饗應に引き留められ、それを受諾すると、良人の友人として客の給仕に細君が暫時出座するの榮を得るであらう。其時客は或は正式に紹介される事もあり、或はされぬ事もある。が彼女の服裝髮容(かみかたち)か一瞥すると。それで直にそれは何人であるかが判かるから、最も深厚な禮を以て彼女に挨拶せねばならぬ。彼女は大抵優雅な、嚴肅な人間といふ印象を與ふるであらう(特に、サムラヒの家庭を訪問した場合には)妄りに笑つたり低頭したりする種類の婦人とは、全く異なるのである。彼女は滅多に口はきかぬが、挨拶をして、それから暫くの間は見たばかりで驚異を値する樣な、繕はぬ品位を以て給仕する。それからするすると出て行つて、辭去の時迄は再び姿を現はさぬが、辭去の時には玄關に現はれ出で左樣ならを云ふであらう。それから度々訪問すると其度每に同樣な彼女の麗はしい瞥見を得るやうになる。又其上に偶(たま)には老いたる父母をも瞥見するであらう。運がよければ子供迄遂に出て來て、驚くべきしとやかさと優しさとを以て挨拶する。併しながら其家庭の最奥の内的生活は決して漏らされぬ。それを暗示すべく目に映る所のものは悉く上品で、禮儀正しく、しとやかではあるが、それ等家族の人々の相互間係は遂に知るを得ぬであらう。奥を仕切る美しい襖の背後は、凡てが沈默せる靜かな祕密である。日本人の心にはそれが當然と思はれる。こんな家族生活は神聖である。家庭は神殿で、其垂帷(たれぎぬ)を引きめくるのは不敬であるといふのである。自分にも、此家庭及び家族關係は神聖だとの思想が、泰西に於ける家庭及び家族關係に對する、我等の最高の思想に何(ど)の道劣るものとは考へられぬ。

[やぶちゃん注:段落冒頭で「スペイン」を通常は「西洋」(欧米諸国)と区別しているような謂い回しが出るが、スペインは歴史的・宗教的・地理的に、ヨーロッパの国家の一つとは見做さない感覚が現在でも一般的なようである。]

 併し若し其家族に年頃の娘があるとすると、客は却つて大抵細君を見る機會が少い。同樣に沈默で遠慮深く、一層しとやかな若い娘が出て來て客を歡待するであらう。父の命ずるままに娘は或は何かの樂器を奏し、或は自分の刺繡や繪を取り擴げ、或は家什の貴重な若しくは珍らしい品物を見せて客をもてなすことさへある。併しながら國風の最高敎養に屬する上品な沈默と、從順な優しさとしとやかさとは何時も相伴なうて居る。かかる場合客も無遠慮に擧動(ふるま)うてはならぬのである。勝手に喋(しやべ)り得る老年の特權を有たぬ限り、客は容貌を讃めたり、輕々しい諂諛[やぶちゃん注:「てんゆ」。へつらうこと。「阿諛」に同じい。]に似た事を述べたりなどするは禁物である。西洋に於て女人尊崇(ガラントリー)[やぶちゃん注:“gallantry”。「ギャラントリィ」は「女性に対する騎士道的な気遣いや礼儀正しさ」を指す語。]と考へらる〻事は、東洋に於ては大きな無禮となり得るのである。何んな事があつても、客は若い娘の姿色や、品位や、身ごしらへなどを讃めてはならぬ、況して[やぶちゃん注:「まして」。]細君に向つてそんな事をしてはならぬ。かう云ふと讀者は、或る種類の讃辭は避けられぬ場合もあるではないかと云ふであらう。それは其通りである。其樣な折には豫め恭しい詞で讃辭を云ふ事の辯解を述べて置くのが禮儀の要求する所で、それは我等の『何う致しまして(プレイズ・ドント・メンシヨン・イツト)』[やぶちゃん注:“Pray do not mention it;”。「それは言うべき必要のない過褒である」と言った常套句。]以上の優しい辭で受け納れられる――要するに、苟くも讃辭を述ぶることの無禮を詫びるのである。

 併し、ここで我等は日本人の作法といふ大問題に觸れるのであるが、自分は之に就ては未だ全く無知である事を白狀せねばならぬ。自分がここ迄述べ來たつたのは、ただ西洋の社會小說の多くが、東方人の心に、如何に、品位に缺けて見ゆるかを暗示する爲めに外ならない。

 妻子に對する愛情を語り、其外何でも家庭生活に密接の關係ある事を話題に上すのは良き敎養といふ日本人の考とは全く相容れぬ。從つて我々が家庭の關係を公然話題に上せ、若しくは寧ろ見せびらかすのは、敎養ある日本人には、全然野蠻とも見えぬが、少くとも妻惚(サイノロ)[やぶちゃん注:「さいのろ」は。隠語で「妻君に甘い亭主」を指す語。原文は“uxorious”。「アクソーリァス」は「女房に甘過ぎる」という形容詞。]と見えるであらう。そして此考こそは日本婦人の地位に關して全く間違つた槪念を外國人に抱かしめた、日本人の生活を少からず說明するものである。日本では夫が妻と相並んで街を步くことさへない。まして妻に腕を貸したり、階段の上り下りに扶けてやる事などをやである。併しこれは夫に愛情のない證據にはならぬ。これは我等のと全く違ふ社會的感情の結果に外ならぬ。夫婦關係を公然見せびらかすのは、宜しきを得たるものでないといふ考慮に基づける禮法に從ふまでである。何故宜しくないか。それは東洋人の心には、個人的な、從つて自己本位の愛情の自白を示すが如く思はる〻からである。東洋人には生活の法則は義務である。愛情は如何なる時如何なる場所でも、義務に從屬せねばならぬのである。或る種の個人的愛情の公開は、道義心の薄弱を告白するに等しいと考へられる。そんなら妻を愛するのは、道義心の薄弱といふ事になるかといふに、否、妻を愛するのは男の義務である、只だ兩親より妻を餘計愛し、若しくは公衆の前で、父母に對するよりも餘計妻に對して慇懃を盡くすのが道義心の薄弱なのである。のみならず同じ程度の慇懃を示すのさへ道義薄弱の證となるのである。父母の生存する間は、妻の家庭に於ける地位は常に養女の地位で、そして尤も愛情深き夫と雖も、寸時たりとも家族の禮法を忘れる事は許されぬのである。

 ここで自分は日本人の思想習慣と相容る〻ことの出來ぬ西洋文學の一形相に觸れざるを得ぬ。讀者よ、接吻、愛撫、及び抱擁が我等の詩歌、我等の小說に在つて、如何に重要な役目を演ずるかを反省せよ。而して日本文學には此等のものが少しも存在せぬ事實を考慮せよ。愛情の表號として、接吻や抱擁やは日本には全く知られて居ぬ。ただ日本の母も世界中の母と同じく其孩兒を時に嘗めたり抱きしめたりするといふ事實だけはある。幼少の時期を過ぐるとそんな事も爲(し)なくなる。幼兒に對する外、そんな行爲ははしたなきものと考へられる。娘達が互に接吻する事もない。父母も決して步行し得るやうになつた子供を接吻したり抱きしめたりする事はない。此法則は最高の貴族より最低の農民に至る迄で當はまる。又此國民の歷史中如何なる時代の書物にも、愛情の表示が今日よみてももつと熱烈であつた形蹟は少しもない。恐らく西洋の讀者には接吻、抱擁は勿論愛人の手を握りしめる事さへ、徹頭微尾書かれてない文學といふものは、想像する事も困難であらう――握手も接吻と同樣日本人の心には全く知られてない行爲なのである。然るに日本文學では、田舍者の天眞爛漫の歌にも、不幸な戀人を歌つた民謠にも、宮廷詩人の上品な詩歌同樣、此等の題目に就ては全く沈默である。一例として俊德丸の古民謠を學げて見よう。此民謠は西部日本を通じて知られて居る格言や俗諺の基となつたものであるが、話の筋は結髮(いひなづけ)の男女が苛酷な運命に依つて永らく引き離され、互の行衞を尋ねて國中を漂浪し、最後に神々の惠に依り突然淸水の舞臺の前で遭遇するといふのである。アリアン系の詩人がこの邂逅を描くとしたなら。雙方走り寄つて抱き合ひ接吻し愛の詞を呼び繼げる[やぶちゃん注:「つげる」。交互に交わし合う。]と書くは請合である。併し日本の民謠はどう描いて居るか。手短に云ふが、二人は只だ一緖に坐し、一寸互に手を懸けたと書いて居る。然るに此控へ目な愛撫の形式さへ非常に稀な情緖の發露なのである。數年振りに相見る父と倅、夫と妻、母と娘などの場合に屢〻居合はすとしても彼等の間に愛の接觸の跡形[やぶちゃん注:「あとかた」。]をさへ見る事はあるまい。彼等は跪坐して、辭禮を交はし、微笑し、時に喜悅の聲を擧げよう。併し互に駈け寄つて抱きついたり、熱き愛の詞を交はしたりするやうの事はないであらう。實際『いとしき者よ(マイ・デイア)』、『愛する者よ(マイ・ダアリング)』、『懷かしき者よ(マイ・スヰート)』、『わが愛よ(マイ・ラブ)』、『我が生命よ(マイ・ライフ)』と云ふ樣な愛の詞は日本語に無い。其他我等の情的慣用語に相當するどんな詞も無い。日本人の愛情は言葉では表されない。聲の調子にさへ殆ど表されない。主として上品な儀禮と眞心(まごころ)の行爲に表はされる。自分は更に、愛と反對の情緖も同樣に完全に抑制されると附け加へる事が出來るが、此の著しき事實を說明するには別に一文を草する必要があるから略する。

[やぶちゃん注:「俊德丸」については、既に電子化注した『小泉八雲 俗唄三つ (稲垣巌訳) / (序)と「『俊德丸』の唄」』を参照されたい。]

 

     

 東洋の生活と思想とを公平に硏究しようとする者は、東洋人の見地に立つて、西洋のそれ等をも硏究せねばならぬ。かかる比較硏究の結果は、少からず彼を反省せしひるものがあるであらう。硏究者の人物と識量に應じて、多少彼が其中に沒頭する東洋感化の影響を受けるであらう。西洋生活の樣式が、彼には、徐々に新たな、今迄夢想もしなかつた意味を有(も)ち、從來の舊觀を少からず失ひ始めるであらう。往日正しくして眞なりと思ひし事の多くが、變態にして僞りなるを悟り始めるのであらう。泰西の道義上の理想は果たして最高のものなるかを疑ひは始めるであらう。西洋の習慣が西洋文明の上に置いた評價に遂に不信を感ずるに至るであらう。彼の疑惑が最終のものなるか否かは別問題であるが、其疑惑は少くとも彼が以前の或る確信を長へに[やぶちゃん注:「とこしへに」。]變更する程合理的で又有力であるであらう――中にも西洋に於ける、及び難き者、解し難き者、神聖な者としての婦人崇拜、又『會得を絕する婦人』(ボドレイルの一句)といふ理想――『永遠の女性』といふ理想の道義的價値の確信の如きはそれである。此の古き東洋には『永遠の女性』は全く存在せぬ。そんな者なしに生活する事に馴れては、自然これは健全な知的生活に絕對必要なものでないと云ふ結論に達する。そして地球の他の半面(歐羅巴)にも之が永久の存在は果たして必要ありやと疑ふにさへ至るのである。

[やぶちゃん注:シャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire 一八二一年~一八六七年)の詩句はフランス語で“la femme que tu ne connaîtras pas,”と記されてある。これは彼の死後二年後の一八六九年に公刊された散文詩集「パリの憂愁」(Le Spleen de Paris)の「月の賜物(たまもの)」(Les Bienfaits de la lune)の一節である。原詩全篇はフランス語サイトのこちらで読める。但し、原詩では“l’amant que tu ne connaîtras pas;”(amant は「恋人」)となっている。]

 

     

 『永遠の女性』が極東に存在せぬと云ふのは、眞理の一班を陳ぶるに過ぎぬ。遠い將來に於ても、これが極東に輸入されようとは想像することが出來ぬ。之に關する我等の思想を、其國語に飜譯することさへ大抵は不可能である。其國語には名詞に性なく、形容詞に比較級なく、動詞に人格がない。チヤンバレン敎授は云ふ、此同語に擬人法なきは根抵深く拔け難き特質で、中性の名詞に他動詞を使用することさへ許さぬと。敎授は更に云ふ、『實際、大部分の隱喩(メタフオア)、譬喩(アレゴリー)は極東人の心に說明丁解せしむることさへ不可能である』と。敎授は之が一例として、ワーズウァースより恰好の文句を引證して居る。併しワーズウァースよりもつと平明な詩人でさへ、日本人には同樣に難解である。自分は甞てテニズンの有名な小唄の中の、つぎに擧ぐる簡單な一行を上級生に說明するに困難した事がある――

[やぶちゃん注:「チヤンバレン」イギリスの日本研究家で、お雇い外国人教師であったバジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain 一八五〇年~一九三五年:ハーンとは同い年)については『小泉八雲 日本文化の神髄 (石川林四郎訳)/ その「四」・「五」』の私の中を参照されたい。

「ワーズウァースより恰好の文句を引證して居る」イギリスの代表的なロマン派詩人ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth 一七七〇年~一八五〇年)。湖水地方の光景をこよなく愛し、自然と人間との霊交を謳い、平易な表現で純朴且つ情熱を秘めた自然讃美の詩を書いた。以下、原注で示すその引用がある一九〇五年刊の“Things Japanese”の“Language”の章は、その全部が英文ウィキソースのこちらで読める。その詩はワーズワースの“Most Sweet it is”(「最も甘美なる」)の一節である。同詩篇全文は英文サイトのこちらで読める。

「テニズンの有名な小唄」ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの詩人アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson 一八〇九年~一八九二年)。美しい韻律と叙情性に富んだ作風により、日本でも愛唱されたが、小泉八雲も好きな詩人であったようで、『小泉八雲 涅槃――総合仏教の研究 (田部隆次訳) / その「四」』や、『小泉八雲 日本の女の名 (岡田哲蔵訳) その「一」』の冒頭等にも引いている。以下の引用されたものは詩篇“The Beggar Maid”(「乞食の少女」)の一節。原詩篇は英文サイトのこちらで全篇が読める。]

 

註 チヤンバレン氏「日本の事共」第二版二五五、二五六頁、『國語』の條を見よ。

 

『彼女は日よりも一層美しい(シー・イズ・モーア・ビユーチフル・ザン・デイ)』

[やぶちゃん注:以上は底本では、四字下げ本文同ポイントであるが、行頭へ引き上げた。原文は“"She is more beautiful than day."”で、原本では前本文に続いて本文中央位置に記されてあり、しかも以下は段落を形成せずに続いている。

 

 生徒は『日』を形容するに形容詞『美しい』の使用を了解する。又別に『乙女』といふ語を形容するに、同じ形容詞を用ふることを了解する。併し日の美と乙女の美との間に似寄りがあるといふ考が少しでも人間の心に存在し得るといふことは、彼等の了解を全く超絕する。テニズンの思想を彼等に傳ふるには、心理的に之を分析し、二の異なれる印象に依つて喚起された快感の二形式の間に、神經上の類似があることを證明する必要があつた。

 かく國語の性質から見ても分かる通り、日本人には人種的特性に深い根ざしを有する、古い特殊の傾向があるのである。此傾向に依つて、我等は此極東の地に、我等の理想に相當する優勢な或る理想の缺如せる所以を說明せねばならぬ――若し說明するの必要ありとせば。此傾向が凡ての源泉であるが、これは現在の社會構造よりも遙かに古く、家族觀念よりも古く、祖先崇拜よりも古く、儒敎よりもずつと古い。儒敎は東洋人の生活に於ける特殊の事實の說明であるよりも寧ろ反映である。尤も所信と習價とは性質に反應し、而して性質は又習慣と所信に反應するものなるが故に、儒敎の中に原因と說明とを求むる事も全く不合理ではない。それよりも不合理なのは、遽(あは)てた批評家が婦人の當然な權利を抑制した宗敎的勢力として、神道と佛敎とを攻擊する事である。古神道は婦人に對して、少くともヘブルー[やぶちゃん注:“Hebrews”。ヘブライ。]の古信仰位穩健であつた。神道の女神は數に於て男神と略〻等しく、其崇拜者の目には希臘神話の空想にも劣らぬ美しい形體で現はれたのである。衣通(そとほり)の娘女(いらつめ)の若き女神に就ては、美しき體軀[やぶちゃん注:「たいく」。「体格・体つき」の謂いであるが、ここは単に「からだ」「五体」の謂い。]の光が衣肌から透(すきとほ)つたと云はれて居る。凡ての生命と尤の源泉なる悠久の太陽は、美しき天照大神(あまてらすおほみかみ)と云ふ女神である。處女は古の神々に奉仕し、其祭禮などには重要な役目を演ずる。又國内幾百千の神社にては英雄とし父兄としての男性の靈と等しく、妻とし母としての女性の靈が祀られる。後の外敎たる佛道も、中古の基督敎が泰西の婦人に與へたよりも、より低き地位に日本婦人を追下した[やぶちゃん注:「おひくだした」と訓じておく。]と非難する事は出來ぬ。釋迦も基督の如く處女から生まれたので、愛すべき佛達(ほとけ)の多くは、地藏を除くの外女性であることは、日本人の藝術にも空想にも明らかである。又ローマン・カソリツクの高僧傳に於けると同じく、佛敎のに於ても婦人聖者(をんなひじり)の傳記は名譽ある位置を占めるのである。佛敎も初期基督敎の如く婦人美の誘惑を警むる[やぶちゃん注:「いましむる」。]爲めの說法に力を書くしたのは事實である。又其祖師の敎にては、パウルの敎に於けると同じく、男子に社會的又精神的の優越を與へたのも事實である。併し此題目に關する佛書を探るに當たり、我等は釋迦が各階級の婦人に好意を示した實例の無數を閑却してはならぬ。又は後期の佛典にある、婦人に成道の機緣を拒否する政義が嚴かに懲戒されたといふ目ざましき物語を忘れてはならぬのである。

[やぶちゃん注:「衣通(そとほり)の娘女(いらつめ)」は記紀に登場する伝説上の女性。その名は「容姿が美しくて、その艶色が衣を通して光り輝いた」ことに由来するとする。「古事記」の允恭天皇の皇女軽大郎女(かるのおおいらつめ)、「日本書紀」の允恭天皇の皇后衣通郎女(そとおりのいらつめ:弟姫(おとひめ))の別名とされ、後世には和歌三神の一人として、現在の和歌山市にある玉津島神社に祀られてある。

「愛すべき佛達(ほとけ)の多くは、地藏を除くの外女性であることは、日本人の藝術にも空想にも明らかである」このハーンの謂いは感情的には腑に落ちるが、やはりそれは恣意的である。「理想的女性(本篇で語る「永遠の女性」)的形状・様態・心性を印象させる」と言った程度に留めないと、仏教の語る全般的な教義や、ハーンが指摘する、特に根強い古くからある「変生男子説」が、実は永くその後に維持され続けたことの方が重要であって、逆にこの謂いは、以上のハーンの断定表現には不利な感じが私は強くするのである。但し、私のような反論をハーンはちゃんと予測して、本「四」章の最後に以下の仏典の引用をされておられるわけではある。

「パウル」イエス死後に彼の信仰の道に入ったパウロのこと(彼は元は熱心なユダヤ教徒で初めはキリスト教徒を迫害する側についていた)。ウィキの「パウロ」によれば、彼は『教会のリーダーは男性であるべきと主張し(当時各地の教会で婦人による問題が多発していたためといわれる。)』、『結婚は苦難を招くと説』き、『結婚は性的誤りを無くす』ため『に有ると説い』ている。

 『妙法蓮華經』の第十一品にかう云ふ事が書いてある。或る人釋迦佛の前に來たり、一瞬時にして最高の知識に到達し、一刹那にして千日瞑想の功德を得、萬法の精髓を證見し得たる若き女人の事を告げた。すると其女人は釋迦佛の前に來たつ立つた。

 併し智積菩薩は疑つて云つた。『自分は釋迦牟尼佛が成佛の爲めに苦鬪しつつありし時の樣を見た。そして彼は無限劫の間無限の善行を積みしことを知つて居る。世界中に芥子粒程の地といへども彼が衆生の爲めに身命を捨てざりし地は殘つて居ない。これ程迄にして初めて釋迦佛は大悟の域に達したのである。此乙女が一瞬時にして最高の知識に到達したとは誰れが信じよう』

 老僧舍利弗も同樣に疑つて云つた。『お〻乙女よ。女人にして完全なる六德を備ふることは或はあり得るやも知れぬ。去りながら女人にして佛德に達した例(ためし)はない。女人は菩薩の階級に達することは出來ぬから』

 併し乙女は釋迦牟尼を證人として呼ぴまゐらせた。すると忽ちにして大衆の前で、彼女の女人相は消え失せ、菩薩として現はれ出でた。三十二相の光明十方を遍照し、三千世界は六種に震勤した。そして舍利弗は沈默した。

 

註 『東方聖書』卷二十一、ケルンの英譯『法華經』第十一品の全文を見よ。

[やぶちゃん注:「東方聖書」は「東方聖典叢書」(Sacred Books of the East)で、ドイツ生まれで、イギリスに帰化したインド学者(サンスクリット文献学者)・東洋学者・比較言語学者・比較宗教学者・仏教学者であったフリードリヒ・マックス・ミュラー(Friedrich Max Müller 一八二三年~一九〇〇年)によって編集され、オックスフォード大学出版局によって一八七九年から一九一〇年にかけて刊行された、アジアの諸宗教の聖典の英語翻訳を集成した全五十巻からなる壮大な叢書。ヒンドゥー教・仏教・道教・儒教・ゾロアスター教・ジャイナ教・イスラム教の主要な聖典を収録している(ウィキの「東方聖典叢書」に拠る)。ハーンの指示するのは「妙法蓮華経」の英訳“SADDHARMA-PUNDARÎKA OR, THE LOTUS OF THE TRUE LAW.” (「サッダルマ・プンダリーカ」又は「真の教えである白い蓮の花の経典」。)のCHAPTER XI. APPARITION OF A STÛPA.(英語原文)。因みに、平井呈一氏は恒文社版「永遠の女性」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)で注されて、ハーンが本文で『「法華経」第十一品とあるのは、あきらかに著者の誤りであろう。「竜女釈疑」の説話は、「妙法蓮華経提婆達多品第十二」に載せてある』とされる。確かに、平井氏の言う通りなのであるが、調べてみたところ、「東方聖典叢書」の「ケルン」(オランダの言語学者・東洋学者ヨハン・ヘンドリック・カスパー・カーン(Johan Hendrik Caspar Kern 一八三三年~一九一七年))の英訳は、サンスクリット本「妙法蓮華経」が底本であるらしく、“SADDHARMA-PUNDARÎKA OR, THE LOTUS OF THE TRUE LAW.”は全二十七章で、「妙法蓮華経提婆達多品第十二」の内容が第十一章に書かれていることが判明した。但し、英訳は私にはかなり読み難いので、平井氏に倣って(但し、平井氏の引用は私のものとは異なる)、「妙法蓮華経提婆達多品第十二」の漢訳されたものを、石伏叡齋氏の制作になる尼崎市の広済寺のサイトの、こちらを参考にさせて戴き、正字・歴史的仮名遣で私の判断で読みの一部を変えて示すこととした。一番最後の「舍利弗疑難(舍利弗の疑難)」の部分に当たる。読み易さを考え、漢文をシークエンスごとに分け、その直後にそれぞれの訓読を挿入した。

   *

爾時舍利弗。語龍女言。汝謂不久。得無上道。是事難信。所以者何。女身垢穢。非是法器。云何能得。無上菩提。佛道懸曠。徑無量劫。勤苦積行。具修諸度。然後乃成。

(爾(こ)の時、舍利弗、龍女に語りて言はく、

「汝、『久しからずして無上道を得たり』と謂へる。是の事、信じ難し。所以は何(いか)ん、女身は垢穢(こうゑ)にして、是れ、法器に非ず、云-何(いかん)ぞ、能く無上菩提を得ん。佛道は懸曠なり。無量劫を經て勤苦(ごんく)して行を積み、具(つぶ)さに諸度を修し、然して後に、乃ち、成(じやう)ず。」

と。)

又女人身。猶有五障。一者不得。作梵天王。二者帝釋。三者魔王。四者轉輪聖王。五者佛身。云何女身。速得成佛。

(「又、女人の身には猶ほ五障あり。一(いつ)には梵天王となることを得ず、二には帝釋、三には魔王、四には轉輪聖王、五には佛身なり。云何ぞ、女身、速かに成佛することを得ん。」

と。)

爾時龍女。有一寶樹。價直三千大千世界。持以上佛。佛卽受之。龍女謂智積菩薩。尊者舍利弗言。我獻寶樹。世尊納受。是事疾不。答言甚疾。女言。以汝神力。觀我成佛。復速於此。

(爾の時、龍女、一の寶樹、あり。價直(かちよく)[やぶちゃん注:価値。]、三千大千世界なり。持つて、以つて佛に上る。佛、卽ち、之れを受けたまふ。

 龍女、智積菩薩・尊者舍利弗に謂ひて言はく、

「我、寶樹を獻(たてまつ)る。世尊の納受、是の事、疾(はや)しや不(いな)や。」

と。答へて言はく、

「甚だ疾し。」

と。女の言はく、

「汝が神力を以て我が成佛を觀よ。復た此れよりも速(すみや)かならん。」

と。)

當時衆會。皆見龍女。忽然之間。變成男子。具菩薩行。卽往南方。無垢世界。坐寶蓮華。成等正覺。三十二相。八十種好。普爲十方。一切衆生。演說妙法。

(當時の衆會、皆、龍女の、忽然の間に變じて男子(なんし)となりて、菩薩の行を具(ぐ)して、卽ち、南方無垢世界に往き、寶蓮華に坐し、等正覺を成じ、三十二相・八十種好ありて、普(あまね)く十方の一切衆生の爲に妙法を演說するを見る。)

爾時娑婆世界。菩薩聲聞。天龍八部。人與非人。皆遙見彼。龍女成佛。普爲時會。人天說法。心大歡喜。悉遙敬禮。無量衆生。聞法解悟。得不退轉。無量衆生。得受道記。無垢世界。六反震動。娑婆世界。三千衆生。住不退地。三千衆生。發菩提心。而得授記。

(爾の時、娑婆世界の菩薩・聲聞(しやうもん)[やぶちゃん注:釈尊の教えを忠実に実行はするものの自己の悟りのみを追求して他者の強化をしない出家修行者。]・天・龍・八部・人と非人と、皆、遙かに彼の龍女の成佛し、普く、時の會の人天の爲に法を說くを見て、心、大に歡喜し、悉く遙かに敬禮す。無量の衆生、法を聞きて解悟し、不退轉を得、無量の衆生、道の記(しるし)を受くることを得たり。無垢世界、六反に震動す。娑婆世界の三千の衆生、不退の地に住し、三千の衆生、菩提心を發し、授記を得たり。)

智積菩薩。及舍利弗。一切衆會。默然信受。

(智積菩薩及び舍利弗、一切の衆會、默然として信受す。)

   *

思うのだが、ここでもしかし、龍女は変生男子して菩薩行を修して正覚を得ていることに注意せねばなるまい。私の知る限りでは、仏教説話の中に見られる女人往生譚のヒロインは尋常な人間の比丘尼でないことが殆どではないか。ここでも「龍」女であるように、清姫のように龍蛇に化すような特別な出自や因縁を持った非一般人的「女」性である。そうした特別な運命にある存在が特に選んで設定されていることにも注意しなくてはならない。当たり前の女性が莫大な布施や難行苦行を積んで遂に往生するというような日本の仏教説話は、少なくとも私はあまり知らないし、それが話として比丘のそれに比して面白くないであろうというよりも、それこそハーンの謂うような、如何なる事態に対しても男に従であらねばならないという不合理な日本的通俗的女性像の――一般的にして絶対的な――かくあるべきそれから著しく外れることになるからである。とすれば、その対象が特殊な異様な設定の「女」らしき存在でなくてはならないという理由も逆に腑に落ちるように私には思われる。しかも、輪廻転生は正法の中では六道の世界の時空間概念には全く縛られていないから、変生男子のそれが瞬時にして行われるのである。早回しの映画のようでありながら、そのカットをやはり挿入しなくてはならなかったのだと私は思うのである。ここにあっても、その「變生男子」の過程を語らねばならなかった法(カルマ)が厳にあったことを描写していると私は逆に読むのである。

 

     

 併し泰西と極東との間の、知的共鳴に最大の障碍を形成する者の、其の性質を感知するには、極東に存在せぬ此理想(永遠の女性の)が、西洋人の生活に及ぼす偉大な結果を十分に翫味せねばならぬ。其理想が西洋の文明に――其遊興に、敎化に、悅樂に、其彫刻に、繪畫に、裝飾に、建築に、文學に、戲曲に、音樂に、將た[やぶちゃん注:「また」。]無數の工業の發展に如何なる影響を及ぼしたかを記憶せねばならぬ。又風俗習慣及び趣味の語(ことば)の上に、行爲と道德の上に、努力の上に、哲學宗敎の上に、其他公私生活の殆ど凡ての方面の上に――手短に云へば國民的特質の上に、之が及ぼせる結果を思はねばならぬ。同時に我等は、此理想の形成には諸〻の影響が交錯融合した事を忘れてはならぬ――チユートン人、ケルト人、スカンヂナビア人、上世、中世、希臘人の人間美尊崇、基督敎の聖母崇拜、武士道の渴仰、凡ての既成の理想を新しい官能主義に浸染したる文藝復興の精神等――而して此等は皆其種子は兎に角、其榮養分を、アリアン語と同樣に古く、而かも極東には全く知られざる、種族的感情より得來たつたに相違ない。

[やぶちゃん注:「チユートン人」“Teutonic”。青銅器時代後期にユトランド半島(ヨーロッパ大陸北部にある北海とバルト海を分かつ半島で、現在は北側がデンマーク領、根元のある南側がドイツ領)を中心に居住していた部族。紀元前一二〇年頃、キンブリ人とともに南下し、紀元前一〇五年にはローマ軍をローヌ河畔で破って恐れられたが、イタリアに進もうとしてエクス・アン・プロバンスで紀元前一〇二年、ローマの将軍マリウスに滅ぼされた。なお、一般にはゲルマン人の同義語とされているが、ケルト人を指すとする説もある。

「ケルト人」“Celtic”。インド―ヨーロッパ語系のヨーロッパ先住民族。紀元前五世紀頃からヨーロッパ中・西部で栄えたが、紀元前一世紀までにローマの支配下に入った。現在はフランスのブルターニュ地方・アイルランド・英国のウェールズやスコットランドなどに残る。

「スカンヂナビア人」“Scandinavian”。ゲルマン人の元。八世紀から十一世紀にかけてスカンジナビア半島やデンマークを根拠地として、海上からヨーロッパ各地を侵攻した北方ゲルマン族の通称バイキング(Viking)はその代表。

「上世」“classic”。古代。西洋史では、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指し、本来は教義に古代ギリシア・ローマを指した。

「中世」“mediæval”。西洋史では、五世紀から十五世紀までを指す。

「アリアン語」“Aryan speech” 「アーリア人の用いる多種の言語」の意。「アーリア」は「高貴」を意味する「ārya」に由来する。本来はインド―ヨーロッパ語族の諸言語を用いる人種の総称で、中でも特に紀元前二〇〇〇年紀に北インドに侵入して定着したインド―イラン語派に属する種族を指す場合もある。その後、この語は前記語族に属する諸言語を用いる諸人種の内のコーカサス人種(コーカソイド)を指す語として使用された。元来は人種名ではないが、ナチス・ドイツは、この人種は金髪・青い目・長身・痩せ型という身体特徴を持ち、ゲルマン民族こそがそれであるとしたことは周知のおぞましい事実である。]

 我等の理想を形成すべく結び附いた、此等諸種の影響の中では、古典的要素が明らかに優勢である。尤もかく殘存せる希臘の人間美或は古典期にも文藝復興期にも屬せざる精神美感(ヘブライ思想)に浸潤せられた事は事實である。又新しい進化哲學は、現代が過去に負ふ無限の恩義を認識せしめ、將來への義務に就き全く新しい考を起こさしめ、肉體よりも品性の價値を大いに重んぜしむるに至り、女性の理想を出來るだけ精神化せしむるに與つて[やぶちゃん注:「よつて」。]力ありしこと舊來のあらゆる思想を併せたるものよりも多いのは事實である。併し此理想は將來の知的發展に依り、更に一層精神化されようとも、其性質上根本に於ていつまでも藝術的官能的であるに相違ない。

 我等が自然を見るのは、東洋人が見るのとは、又それが東洋の美術に證明されてあるのとは大分違つて居る。我等はそれ程如實に自然を見ず、又それ程親密に自然を知らぬ。其故は專門家の眼(レンズ)を通(とほ)しての外は、我等はただ擬人法的にのみ自然を見るからである。實に我等の審美眼は、或る一方面に於ては、東洋人のそれより比較にならぬ程精緻な度合に發達して居るのは事實である。併しそれは情的の方面であつた。我等は古來の婦人美崇拜を透して自然美の幾分を學んだのである。多分最初から人體美の知覺が、我等のあらゆる美感の本源であつたらう。我等の釣合(プロポーシヨン)といふ槪念も、恐らく源を同じうするのであらう。我等が法外な齊整の嗜好、並行線、曲線、及び凡ての幾何學的均齊の愛惜の如き皆然りである。而して我等が美感發展の長き行程に於て、婦人美の理想は遂に我等が美學上の理想となつたのである。我等は其理想の幻影を透して世界の美を見ること、恰も熱帶の虹色の濕氣を含める空氣を透して物體を見るが如くに至つたのである。

 

註 左右均齊の槪念の起原に就ては、ハアバート・スペンサーの「建築の型式の源泉」を見よ。

[やぶちゃん注:「ハアバート・スペンサー」小泉八雲が心酔するイギリスの哲学者・倫理学者で社会学の創始者の一人としても知られるハーバート・スペンサー(Herbert Spencer 一八二〇年~一九〇三年)。

「建築の型式の源泉」原文“The Sources of Architectural Types”。一八五二年初出で、英文サイトの一八五四年刊の“Essays: Scientific, Political and Speculative, Vol. 2(「エッセイ――科学的・政治的・思索的な」第二巻)で原文が読める。]

 

 それ計りではない。一度美術若しくは空想に依つて婦人に比(たぐ)へられたる物は、一時比(たぐ)へられたが爲めに不思議にも新たな意義を與へられ或は變形せられた。かくて幾世紀を通じて西洋人の空想は自然を益〻女性化せしめたのであつた。我等を喜ばす物は、空想が直に捕へて女性化せしめた――靑空の限りなきやさしみ――河海の水の動き――曉天の薔薇色――晝の廣大な抱擁――夜と天の星――不變の山嶺の起伏までも。あらゆる花、あらゆる果物の赤らみ、其外凡て香ばしく美しく優しき物、爽かな季節と其折々の聲々、小流の笑ひ聲、木の葉のささやき、木陰の鳥の囀り――凡て見る物聞く物感ずる物にして、我等が愛らしい、ゆかしい、優雅だ、上品だと云ふ、憧憬の感を惹起するのは、我等をして朧氣に、婦人の俤(おもがげ)を偲ばしめる。我等の空想が自然を男性的と見倣すのは、凄(すご)さ强さの感の起こる時のみである――恰も荒々しい巖疊な對照物に依つて永遠の女性の魅力を增進せしむるが如くに。恐ろしい物でさへ非常に美しいものを加味すれば――破壞でさへ破壞者の美しさを以て爲されさへしたら――我等には女性的となるのである。啻に見る物聞く物の美しさのみならず、不思議であり、崇高であり、神聖である物の殆ど總ては、妙にこぐらがつた[やぶちゃん注:ママ。]情感の神經叢を透して我等に訴へるのである。宇宙の尤も機微な力さへ我等に對しては婦人を語るのである。新しい科學は彼女の出現が我等の血管の中に喚起す[やぶちゃん注:ママ。]旋律に、又初戀なる不思議な激動に、さては彼女の魅力の永遠の謎に新しい名を敎へた。かくて我等は簡單なりし情熱から無散の感化變形を經て遂に宇宙情緖、萬有女性觀を發展せしむるに至りた。

 

     

さて我が泰西の美感發展に於ける情的影響の結果は總じて有益であつたかどうか。我等が藝術の勝利として誇る、あらゆる顯著な結果の下に、目に見えぬ結果――それが將來暴露されたなら、我等の自尊心に少からぬ衝動を惹起すべきものが潜んで居らぬであらうか。我等の美的能力は、自然の多くの偉大なる方面に殆ど全く我等の目を閉ぢさせた唯一の情操の力に依つて、一方にのみ異常に發展せしめられたといふことはないであらうか。或は寧ろこれは審美感の發展に與つて、一特殊の情緖が極度に優勢を占めた避くべからざる結果ではあるまいか。そして最後に、此優勢を占めた情緖其者は果たして最高のものであつたらうか、東洋人には知られて居た、もつと高いものがなかつたであらうか。

 自分は此等の疑問を提供するもの〻、滿足な解答を爲し得られようとは思はなぬ。併し自分は東洋に長く住めば住む程、丁度人間の眼には見えぬが、分光器に依つて存在の證明される不思議な色と同樣、我等には知られぬ優れた藝術的才能と感知力が東洋には發達して居るといふ確信が益〻深まるのを覺える。そして、そんな事が有り得べきであることは、日本藝術の或る方面に依つて指示せらる〻やうに思ふ。

 餘り細密に說くことは困難でもあり危險でもある。自分は二三の大まかな觀察を述べで見るに過ぎぬ。自分には此驚くべき日本藝術は、自然の無限な種々相の中、我等泰西人に何等性的特徵を示さぬ所のもの、擬人法的に見るを得ざるもの、男性でも、女性でもなく、中性若しくは無名のものが、日本人に依つて尤も深く愛せられ會得せられるものである事を示す樣に思はれる。實に日本人は自然界に於て數千年間我等に見えずに居た多くのものを見て居る。そして我等は今彼から從來全く見るを得なんだ生物の諸相、形態の諸美を學びつつある。我等は遂に、日本人の藝術は――西洋人の偏見が獨斷的に、其反對の主張を爲せしにも係らず、又初めには妙不思議な非如實の感を與ふるにも拘らず――決してただ空想の產物ではなく、存在せしもの、現存するものの、眞實の反映、描寫であるといふ大發見を爲したのである。從つて我等は日本畫家の鳥類、昆蟲、草木、樹木の習作を眺めるのは、藝術の高等敎育に外ならぬことを認めるに至つた。例せば我等の最良の昆蟲の國を同じ題目の日本畫と比較せよ。ミシエレーの『昆蟲』に、ジアコメリが描いた挿畫と、日本の安烟草入の繪革、若しくは安烟管[やぶちゃん注:「きせる」。]の金屬の部を裝る[やぶちゃん注:「よそほへる」。]同じ昆蟲の圖柄とを比較して見よ。歐羅巴の版畫の細密精巧は、要するに無味乾燥な寫實に過ぎぬ。然るに日本畫家は毛筆を二三度揮るふのみで、動物のあらゆる形態上の特殊性と、之に加ふるに、其運動のあらゆる特徵を、理解し難き巧妙さを以て描出して居る。東洋畫家の毛筆から投げ出さる〻繪畫の一つ一つは、偏見に曇らされざる人の知覺には、敎訓であり啓示であり、苟くも見得る人の眼を開かしむるものである。それはたとひ風に揉まる〻蜘網[やぶちゃん注:「くものす」。]の上の蜘蛛、日向を飛ぶ蜻蛉、葦間へ這ひ込む蟹、透明な流れの中に震動する魚の鰭、唸りながら飛ぶ蜂、空を飛ぶ鴨、身柳へした蟷螂、さては杉の枝を這ひ上る蟬のやうなものでもである。此等の畫は凡て生きて居る、熱烈に生きて居る。我等の之に相當する畫は、それに比べると丸で死んで居る。

[やぶちゃん注:「ミシエレー」フランスの自由主義の歴史家ジュール・ミシュレ(Jules Michelet 一七九八年~一八七四年)。一八五二年にナポレオンⅢ世への宣誓を拒否してコレージュ・ド・フランスの教授職を追われた。晩年は隠棲して博物誌シリーズなどを著述した。彼の博物誌「昆蟲」(L'Insecte)は一八五七年の作品。

「ジアコメリ」フランスの画家エクトル・ジャコメリ(Hector Giacomelli 一八二二年~一九〇四年)。イタリア人の声楽教師を父としてパリに生まれる。版画家・イラストレーターとして企業で働いていたが、三十歳頃に体調を崩し、パリを離れる。この時、自然の美しさに目が開かれ、それ以来、動植物を得意の画題とした。取り分け、小鳥の絵に優れた。ジュール・ミシュレの「鳥」(L’Oiseau:一八五六年刊)「虫」を筆頭に、多くの書籍と雑誌を、その挿絵で飾った。グーグル画像検索「Jules Michelet L'Insecte Hector Giacomelliで幾つかの画像で挿絵が見られる。]

 又花の畫を取つて見よう。英國或は獨逸の花の畫は、名工の數箇月の努力の結果で、數百磅[やぶちゃん注:「ポンド」。本作品集刊行の前年の明治二八(一八九五)年の為替レートは一ポンド九・六円である。百ポンドでも九千六百円、一つの換算で明治三十年代の一円は現在の二万円相当であるから、これ、とんでもない値段になる。]を價するものでも、高尙な意味の自然の硏究としては、毛筆を二十度ばかりなすりつけて、價五錢ばかりする日本の花の畫と比(なら)ぶことは出來ぬ。前者は精々色の配合を模せんとして失敗した、しかも痛ましさ努力を現はすものに過ぎぬ。後者は何等粉本(モデル)の助けなしに、花の形狀の完全な記憶を、直に紙の上に投げ出したもので、個々の花の思ひ出ではなく、完全に手に入つたあらゆるてにをはの揃つた形態表現の通則を完全に實現したものである。泰西の美術批評家の中では、佛人のみが日本美術の此等の特質を十分に了解する樣に思はれる。泰西美術家の中では其手法に於て東洋人に接近するのは巴里人のみである。巴里の畫家は時に紙面より筆を離さずに、波狀にうねれる一條の線を以て、男女の生けるが如き特殊の形態を描出する。併し此の非凡な技能の發達は重に漫畫に限られ、そして男か女かの畫に限られる。自分が謂ふ日本畫家の技倆なるものを了解せんとならば、讀者は或る佛蘭西畫の特質なる此の卽時描出の技能を、個性を除く殆ど凡ての題目に適用したものと想像せらるればよい。卽ち殆ど凡ての認められた類型に、日本の自然物の凡ての形相に、日本風景の凡ての形式に、雲に流水に霞に、森や野の凡ての生物に、季節の凡ての樣式、空の調子、朝夕の色合などに適用したものと想像せらるればよい。但し此魔術の樣な技術の深い精神は、馴れない眼には一目瞭然と云ふ譯には行かぬ。それは西洋人の藝術的經驗に訴ふる所が至つて少いからである。併し偏見に捉はれない鑑識高き眼には、徐々に見えて來て、美に關する從前の見解を殆ど悉く更改せしむるに至るであらう。其のあらゆる意義を會得するは、長年の日子[やぶちゃん注:「につし(にっし)」日数。]を要するであらうが、其の描出力の幾分は短時日の間に感知する事が出來、さうなると、アメりカの繪入雜誌や歐羅巴の何の繪入刊行物でも殆ど見るに堪へられなくなるであらう。

 

 もつと意義深い心理的相違は他の事實に依つて暗示せらるる。此事實は言語で敍述する事は出來るが、西洋の美學的尺度で、若しくは何等かの西洋人的感情で解釋する事は出來ぬ。一例を擧ぐれば、自分は二人の老人が、近處の寺の庭に苗木を植ゑて居るのを見た。彼等は時に只だ一本の苗木を植ゑるのに約一時間を費やすのである。彼等は苗木を一先づ地上に据ゑ、其一線一畫の位置を硏究する爲めに少し離れた處に退いて合議する。其結果として苗木は取り去られ少し許り位置を換へて植ゑ直される。此苗木が庭の風致に完全に合致する迄には、己れが七八遍も繰り返される。此二人の老人は畢竟苗木を材料にし、それを植へたり移したり、引き拔いたり植ゑ直したりして不可思議な想ひを練りつつあるので、丁度詩人が尤も優雅な、最も力强き表現を其詩歌に與へる爲め、文字を替へたり移したりするのと同樣である。

 日本の大きい家には凡て若干の凹壁(アルコブ)[やぶちゃん注:“alcoves”。「アルコーブ」。部屋や壁の一部に設けられた小室。]、卽ち床の間が重なる[やぶちゃん注:「おもなる」。]室に一つ宛ある。此處には家の寳とする美術品が陳(なら)べられるのである。先づ必らず懸物が掛けられる。それから少し高く上げた床(普通磨ぎ板)には花甁と一二の美術品が置かれる。花はコンダー氏の美しい著書に精しく書いてある、彼の[やぶちゃん注:「かの」。華道を指す。]古法に從つて床の瓶に生けられ、又懸物と、陳(なら)べられてある美術品とは、場合と季節に依つて折々變へられる。自分は或る床の間で樣々の折に、樣樣の異なれる美術品を見た。支那製の象牙の彫像、靑銅の香爐――一對の雲龍を彫れる――路傍に踞して禿頭を拭いて居る行脚僧の木彫、漆器の傑作、京燒の美しい磁器、及びわざわざ合はせて作つた重い珍木の臺に載せた大きな石などであつた。西洋人には何等の美をも恐らく其石に見出せぬであらう。其石は切つてもなければ磨いてもなく、又少しの内在的價値をも有して居らぬ。單に川床から拾つて來た、水で摩(す)り粍(へ)らされた、灰色の石に過ぎぬ。然るに此石は折々之に代はる京燒の花甁で、それを手に入れる爲めには諸君が高價をも惜しまぬべき代物よりも更に一層高價なのである。

[やぶちゃん注:「コンダー」イギリスの建築家ジョサイア・コンダー(Josiah Conder 一八五二年~一九二〇年)。ウィキの「ジョサイア・コンドル(一般に「コンドル」と呼ばれたが、英語読みを採った)によれば、お雇い外国人として『工部大学校(現・東京大学工学部)の建築学教授として来日し、傍ら』、『明治政府関連の建物の設計を手がけた。辰野金吾ら、創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。のちに民間で建築設計事務所を開設し、財界関係者らの邸宅を数多く設計した。日本女性を妻とし、河鍋暁斎に師事して日本画を学び、日本舞踊、華道、落語といった日本文化の知識も深かった』という日本通である。ここでハーンが言っている著書は一八九一年刊のThe Flowers of Japan And The Art of Floral Arrangement”であろう(本作品集よりも後に別に一八九九年に“The Floral Art of Japan”もある)。“Internet archive”のこちらで全篇を画像で読めるが、最初に生け花の挿絵が出るページをリンクさせておく。

 

註 床の間若しくは床は今より約四百五十年前、支那へ留學せる佛僧榮西に依つて創められたとせられて居る。多分素と[やぶちゃん注:「もと」。]宗敎上の物品の陳列に目論まれ[やぶちゃん注:「もくろまれ」。]又用ゐられたのであらうが、今日では客間の床に、神佛、佛畫などを置くのを敎育ある人士は惡趣味と考へて居る。併し或る意味に於ては床は矢張り神聖で、其上に蹈み込んだり坐つたり不純なもの惡趣味の物を置く事は決してせぬ。又床に關してに複雜な禮儀がある。上客はいつも床の間の眞近に据ゑられ、それから後に客の身分に從つて或は近く或は遠く座に着く事になつて居る。

 

 自分が今住んで居る熊本の小さい家の庭には、樣々の形狀と大いさとを有する巖[やぶちゃん注:「いは」。]若しくは大きな石が十五ばかりある。此等も内在的の價値は更にない、建築用材としてさへない。それに庭の持主は之に七百五十圓餘を拂うて居る[やぶちゃん注:先の現在換算で一千五百万円相当。]。此愛すべき家自身の建築費でもさうはかからぬのである。但し白川譯者註の川床から運搬する費用の爲めに高くついたのであらうなどと想像したら間違つて居る。此等の石はただ或る度迄[やぶちゃん注:読み不詳。英語本文を見ると、“they are worth seven hundred and fifty dollars only because they are considered beautiful to a certain degree”とあって、これを読むに、和訳のそれは「あるどまで」で、「ある程度まで・異常ではないまでも相当な程度に於いて」或いは「とんでもなく」の意らしい。しかもここで分かるのだが、原文は「円」ではなく、「ドル」なのであり、実はこの明治三十年の為替レートだと、一ドル一・九八円でほぼ二円となり、先の値段は倍の千五百円で、三千万円相当となるのである。]美しいと考へられ、そして美しい石に對する大なる地方的需用がある爲めにのみ七百五十圓を價したのである。此等は最上級の石でもない、若しさうであつたら、もつと遙かに高價であつたらう。諸君は大きな粗末な自然石が高價な鋼鐡版の版畫よりも、もつと美術的意義を有するといふこと、又それは美しい物であり永久の歡喜であるといふことを會得する迄は、日本人の自然の見方を了解し初める譯に行かぬ。『併し普通の石の何處が美しい』諸君はかう問ふであらう。幾つも美しい處はあるが、自分は只だ一箇處だけ述べよう――曰く不齊整。

 

譯者註 熊本市に沿うて流るゝ川の名。

[やぶちゃん注:本文中の「譯者註」記号はただ「註」であるが、訂した。「白川」の流域図はウィキの「白川(熊本県)」を見られたい。小泉八雲の熊本での旧居付近からは東に三百メートルほどで、河川自体は近かった。]

 

 自分の小さい日本風の家には、襖(ふすま)卽ち室と室との間を滑走する不透明な厚紙の目隱(めかくし)があるが、それには自分が決して見倦かぬ圖案がある。此圖案は室に依つて異なるが、自分は自分の書齋とつぎの間とを仕切る襖に就てのみ話さう。地(ぢ)の色は軟らかい玉子色で、其上に置く金色の型(かた)は極簡單である――寶珠の玉が二つ宛(づつ)撒き散らされてあるに過ぎぬ。併し何の[やぶちゃん注:「どの」。]二組を取つて見ても各組から正確に同じ距離にあるものはない、そして各紙も妙に少しづつ變つて居て正確に同じ位置若しくは關係にあるものは二つとない。時には一方の寳珠が透明で他が不退明、時には二つ共透明若しくは二つ共不;透明であり、又時には二つの中で透明な方が大きく、時には不透明の方が大きく、時には二つ共正確に同大であり、時には二つが重なり合ひ、時には全く相觸れぬ。又時には透明の方が左にあつたり、時には右におりたり、時には透明の方が上にあつたり或は下にあつたりする。重複の箇處、若しくは配置、並置、取合せ、大いさ、對照等に於ける齊整らしいものを尋ねようとして全面に目を配つても無

益である。此外家中の請諸處にある裝飾模樣の中に齊整らしいものは何もない。それをわざわざ避けた巧妙さは驚くべきである――殆ど天才の域に達して居る。さてこれが日本裝飾術の普通な特質で、其感化の下に數年住んだ後には、壁なり、絨毯なり、帷帳なり、天井なり、其他凡ての裝飾せられた物の表面にある規則正しい模樣を見ると、甚だ野鄙に見えて心苦しい。これは確に我等が永らく自然を人體に擬(なぞ)らへてのみ見馴れたる結果、泰西の裝飾術に於ける機械的な醜惡に滿足し、母の背に負はれて靑綠な天地の奇觀に見惚れる日本の小兒の眼にさへ明らかに見ゆる自然の美に氣附かざりしに原因するに相違ない。

 佛典の一節に曰く『無は法なることを識る者は乃ち智者なり』と。

[やぶちゃん注:最後の原文は“who discerns that nothingness is law,—such a one hath wisdom.”。これ、ありそうでなさそうな、妙な謂いの句であるという気がする。ピンとくる経文も浮かばない。寧ろ、これは仏教というより、程度の低い(この場合は「智者」)のを示唆するだけで大事な核心(無為自然は人智を超えた不可知の絶対原理である)を指さない老荘的な物言いの印象さえ受ける。また、ハーンは「無」を認めない。死後の原子の単位にまで分解したその中にも自身の霊がいると考えた。少なくとも、キリスト教を嫌悪し、進化論を熱烈に支持し、しかも日本に来て亡くなった彼はそうであり続けた。だから、ハーン(後の小泉八雲)自身は「無は法なる」などという分かった風な野狐禪的世界とは全く無縁なのであるそうして「無は法なることを識る者は」結局、その程度の、ちっぽけな人間界での「智者」でしかない、とは考えていたであろうと私は確信する。]

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