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2020/01/23

三州奇談卷之一 小野の老翁

 

    小野の老翁

 享保の末年の事にや、大聖寺の家士坂井數右衞門と云人は、年四十餘、武藝にも委(くはし)く、心も落付きたる沈勇の士といふべし。此家中の風俗、武事の爲にやあらん、夜と共に鳥狩(とがり)に出ること家業の如く、我一(われいち)と得物をあらそふ程に、人を誘ふことはなく、只一人出ることにぞ侍る。

 頃は冬枯の蔦かづら、枯葉ほろほろと松を下り、哀猿聲かれて、月さへ殊に足はやく入て、道たどたどしき町はづれを、此坂井氏も只獨り、夜半過とおもふ頃、しかも木下闇のさすとも知れぬ小野坂といふ山道に步み懸りけるに、向うへ行く人有り。灯を燈したる體(てい)故、

『我より先に行く人こそあんなれ、追付て誰ならんと見るべきものを』

と、頻に步みを早め行けば、此灯も又早く步(あゆみ)去る。立どまれば、又立とまる體なり。爰(ここ)にて心を付(つけ)てよくみれば、提灯・小行燈(こあんどん)などの灯にはあらず。只かゞやくけしき、星などの下(くだ)りたる類ひにぞ思はれける。

 いかにもあやしく、

「是非追付て眞性(しんしやう)を見ばや」

と、刀をくつろげ力に任せて進み行き、山の廻れる所にて、近々と追付き、急に高邊(たかきあたり)より下りて指覗(さしのぞ)けば、いか樣(さま)年の程九十許にもやと思ふ老翁の、手に玉(たま)をすゑ行き、此玉よりかゞやく光にぞ侍りける。後ろにも又人影の樣に見えける儘、其顏も見屆たくて、急に走り寄り指覗けば、後ろにも同じ年頃の老婆と見えけるに、後(うしろ)よりのびあがり、先へ行(ゆく)翁の持(もち)たる玉を

「ふつ」

と吹消すと見えしが、忽ち眞の黑闇(くらやみ)と成りて、一步も見えわかず。又二人の老人ども寂として聲なく、又いづくに去ることを知らず。

 或人云ふ、

「火を消したるは老婆が深切なり。是は、妖は正にして人は邪なり。玉光の老翁歸らば、必ず此事をあの方(はう)の奇談に留(とどめ)て、『怪に逢し』とは記し置成(おくなる)べし」。

[やぶちゃん注:「享保の末年」享保は二十一年四月二十八日(グレゴリオ暦一七三六年六月七日)に元文に改元している。一般に改元した場合は前の年号部分も含めて新しい年号で呼ぶことが多いし、後で「冬」と言っているからには、享保二十年の末のことととるべきであろう。

「坂井數右衞門」不詳。

「沈勇」沈着冷静でしかも勇気があること。

「鳥狩(とがり)」通常は鷹を使って鳥を狩ることを指す。2020127日:削除・追記】T氏よりメールを戴いた。T氏はこの『「鳥狩」は、「鷹を使って鳥を狩る」ではなく、網(霞網)・谷切網・はり網・袋網等を使う猟ではないでしょうか?』とされ、『優雅』というか『まどろこしい』しょぼくさい小規模な『網ではなく、もう少し大量捕獲』を目的とした『野蛮な』、『夜中に鳥を驚かせて飛び立つと』、『網にかかるような網猟ではないでしょうか? 少し西に「坂網猟場」もあります』から、とのこと。実は私自身、『夜間の鳥猟で鷹はないかも』と内心思っていた。納得である。

「小野坂」現在の大聖寺市街の北の石川県加賀市内の小野坂隧道附近かと思われる。

「星などの下りたる類ひ」比喩。

「眞性(しんしやう)」正体。

「刀をくつろげ」いつでも刀を抜けるようにして。

「後ろにも又人影の樣に見えける儘」老人の背後にも別な人影のようなものが見えたによって。

『後ろにも同じ年頃の老婆と見えけるに、後(うしろ)よりのびあがり、先へ行(ゆく)翁の持(もち)たる玉を「ふつ」と吹消す』このシークエンスが本篇怪異の肝(キモ)である。

「火を消したるは老婆が深切なり。是は、妖は正にして人は邪なり。玉光の老翁歸らば、必ず此事をあの方(はう)の奇談に留(とどめ)て、『怪に逢し』とは記し置成(おくなる)べし」極めて変わったエンディングである。翁と老婆はやはり「妖怪」なのだが、この人物に言わせると、彼ら妖怪らの方が正しい異界の存在であり、彼らにとっては坂井を含めた人間が「邪」、よこしまな存在であると謂うのである。老婆が見越入道のように延び上がって翁の玉の光を吹き消したのは、恐らく坂井数右衛門に対する親切であって、そのままでは坂井が異界へと踏み込んで取り返しのつかぬ事態になることを謂っているように私は思う。それに添えて、異界へと帰った翁は異界世界での本書のような「奇談集」に「かくかくしかじかの怪異に逢った」と逆に坂井との遭遇を「奇談」として記したことであろう、というのである。若干、本奇談集を逆手にとった楽屋落ち的な話ではある。]

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