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2020/01/15

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 横浜にて (戸澤正保訳)

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“IN YOKOHAMA”)はラフカディオ・ハーン(彼が帰化手続きを終えて「Lafcadio Hearn」から「小泉八雲」に改名していたのは明治二九(一八九六)年二月十日であり、未だこの時は「小泉八雲」ではない。但し、帰化後の出版物(英文)は総て亡くなるまで「Lafcadio Hearn」名義ではある)来日後の第二作品集「東の國から」(底本(後述)の訳題。原題は“OUT OF THE EAST REVERIES AND STUDIES IN NEW JAPAN ”。「東方から――新しき日本での夢想と研究」)の第十話である。本作品集は一八九五(明治二八)年三月にボストンの「ホートン・ミフリン社」(HOUGHTON, MIFFLIN & CO.)及びロンドンの「オスグッド・マッキルベイン社(OSGOOD, MCILVAINE & CO.)から出版された全十一篇からなるものである。

 本作品集は“Internet Archive”のこちら(クレジット・出版社(左)及び献辞(右)ページで示した)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 本篇の「一」章目はその最後の方で語られるように、ハーンが来日した明治二三(一八九〇)年四月中の時制であり(来日は四月四日。ハーン満三十九歳(ハーンの誕生日は六月二十七日))、「二」の再訪は、その四年四ヶ月後の明治二七(一八九四)年の七月のこと(ハーン四十四歳)と思われる。銭本健二氏が担当された小泉八雲の年譜(一九八八年恒文社刊「ラフカディオ・ハーン著作集 第十五巻」所収)を見ると、この時、ハーンは五高に嫌気がさしてはいたが、この横浜・東京への旅自体は表立った新たな就職運動のためではなく(そうした相談などは行われた可能性はある)、基本、純粋に夏休みの旅行(長野にも行くつもりだったが、結局、旅券の範囲外であったために断念している。但し、単身の旅である)として企画したものであったと考えられる。七月十四日横浜着(船)で、概ね横浜のホテルを定宿として東京のチェンバレンや友人の家を行き来したり、友人らと鎌倉などで泳いだり、箱根の宮ノ下などに泊まりに行ったりもしている)。七月三十一日に船で帰路についた。横浜が拠点となっているから、この半月の閉区間内に、この「一」で訪ねた横浜の寺へ、「二」の再訪が行われたと考えてよい

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらにある、第一書房が昭和一二(一九三七)年二月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第五巻の画像データをPDFで落として視認した。

 訳者戶澤正保は前の「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 博多にて (戸澤正保訳)」を参照されたい。

 注(後者は全体が四字下げポイント落ち)は、上方或いは行頭まで引き上げて同ポイントで示し、注や引用の前後を一行空けた。最初の引用は、ややポイント落ちの六字下げで連続して二行で表示されてあるが、ブラウザの不具合を考え、三字下げで恣意的に改行し、同ポイント三行で示した。傍点「ヽ」は太字に代えた。]

 

  橫濱にて

 

   我等は今日美しい光景に接した――

   美しい夜明け――美しい日の出

   ――我等は大悟の士が流を橫斷したのを見た。

             ――「雪山經」

[やぶちゃん注:「雪山經」原文“Hemavatasutta”は佛教大学大学院文学研究科仏教学専攻の中西麻一子氏の論文「カナガナハッリ大塔仏伝図の研究」(PDF)に『初期経典の韻文資料 Suttanipāta の古層に位置する』経典とある。]

 

       

 地藏堂は、小店ばかり並んで居る町の、露地の奧に潜んで居るので、探すのが容易でなかつた。二軒の家の狹い庇間(ひあはひ)にある露地の入口は、風の吹く度にはためく古着屋の暖簾で掩はれた。

[やぶちゃん注:最後は「掩はれた。」は「掩はれていた。」或いは「掩はれていたのである。」「掩はれていたからである。」と訳すべきところである。]

 暑いので小さい堂の障子は取り外づされ、本尊は三方から拜まれた。自分は黃色い疊の上に、勤行の證、經机、朱塗りの木魚などの佛具が並んで居るのを見た。須彌壇[やぶちゃん注:「しゆみだん」。仏像を安置する台座。仏教宇宙観で世界の中心に聳えるとする須弥山(しゅみせん)を象ったものという。一般に四角形で、通常は重層式。]の上には子供の亡靈の爲めに涎懸けを着けた石の地藏があつた。更に其尊像の上には長い棚があつて、金箔を塗つた極彩色の二三の小像が載つて居た――頭から足まで背光のある地藏尊、燦爛たる阿彌陀佛、慈顏の觀音及び亡者の判官である閻魔大王の恐ろしい像などが。それより又上には奉納の繪がどつさり雜然と揭げられて居た。其中にはアメリカの繪入新聞から取つた版畫を額にしたのが二つあつた。一つはヒラデルヒア博覽會の光景、他の一つはジユリエツトに扮したアデレイド・ニイルソンの肖像であつた。本尊の前には普通の花瓶の代りにガラス製の壺があつて、それには『レイン、クロード(佛國產の李)[やぶちゃん注:丸括弧内は二行割注。戸澤氏のサーヴィス注である。]果汁、貯藏請合、ボルドウ市ツーサン、コーナー會社』と書いてある貼紙が張つてある。それから線香の入つて居る箱には『香味豐富――ピンヘツド紙卷』といふ文字が書いてある。之を寄附した善人は、此世でもつと高價な寄附をする見込みがなかつたのであらう。そしてこれでも外國品である故に美しいと思つたのであらう。又こんな不調和にも拘らず自分には此堂が實際綺麗に見えた。

[やぶちゃん注:「ヒラデルヒア博覽會」“Philadelphia Exhibition” 。フィラデルフィア万国博覧会。ここでの時制の十四年前の一八七六年(明治九年)五月十日から十一月十日までアメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアで開催された国際博覧会でアメリカ合衆国独立百周年を記念して催されたもの。三十五ヶ国が参加し、会期中一千万人が来場した。参照したウィキの「フィラデルフィア万国博覧会」によれば、『明治政府は輸出振興・外貨獲得を図るため、西郷従道を最高責任者として外国政府最大の予算で出展し、多数の大工を派遣し』、『日本家屋の専用パビリオンを建てた。日本茶、陶磁器の工芸品やその他伝統的産品に加えて』、『最優秀の生糸や絹織物等の展示を行った。特に絢爛豪華な有田焼(伊万里焼)の一対の大きな色絵雲龍文耳付三足花瓶(銘款「年木庵喜三」』(としきあんきぞう)『)は注目を集め、同博覧会の金牌賞を獲得した。日本の出展物は後進国と見なされていた日本への関心と評価を非常に高めた。『ニューヨーク・ヘラルド』紙の記者は、「ブロンズ製品や絹ではフランスに優り、木工、家具陶磁器で世界に冠たる日本をなぜ文明途上と呼べるだろうか」と記事に書いた』。なお、『グラハム・ベルが「電話」を出展している』とある。同花瓶は「鹿鳴館の器:活動状況報告ブログ」のこちらで復刻されたものが見られる。

「ジユリエツト」“Juliet”。シャークスピアの「ロミオとジュリエット」の彼女。

「アデレイド・ニイルソン」“Adelaide Neilson” リリアン・アデレード・ニールソン(Lilian Adelaide Neilson 一八四八年~一八八〇年)はイギリスの舞台女優。ここでの時制の十年前に三十二の若さで亡くなった。University of Washington Libraries」のサイト内のこちらに、ハーンが見た当該の写真かどうかは判らぬが、一八七二年に撮られたジュリエットに扮した彼女のポートレートがあった。あたかも観音菩薩像のようである。これが須弥壇に飾ってあっても私は違和感を持たないだろう。

「レイン、クロード(佛國產の李)果汁」“Reine Claude au jus” (これを含む引用部は書かれてあった通りのフランス語で書かれてある。ハーンはフランス語に堪能であった)。Reine-claude(レーヌ・クロード)は英語で「グリーンゲージ」(Greengage)と言い、プラム(スモモ)の一種であるバラ目バラ科サクラ属スモモ属セイヨウスモモ亜種グリーンゲージPrunus domestica ssp. italica のことである。酸味はなく、ジューシーで、特に芳醇な香りを持ち、最高級のデザート・プラムとして知られる。果実の写真と品種一覧の載るフランス語ウィキの「Reine-claude」をリンクさせておく。

「ボルドウ市ツーサン、コーナー會社」“Toussaint Cosnard: Bordeaux”。ボルドーのトゥサン・コスナール(社)。因みに「トゥサン」(フランス人の姓に多いから、これは合名会社名かもしれぬ)は「万聖節」(tous saints:「全ての聖人」が元。「諸聖人の日」。カトリック教会典礼暦では十一月一日)に由来したもの。

「ピンヘツド紙卷」“Pinhead Cigarettes”アメリカ製の紙巻き煙草の商品名。グーグル画像検索「Pinhead Cigarettes」をリンクさせておく。]

 龍を出してる[やぶちゃん注:ママ。]羅漢の不氣味な繪のある衝立が奧の室(ま)を仕切つて居た。そして姿は見えぬ鶯の聲が境内の靜けさに床しさを添へて居る。赤猫が衝立の陰から出て來て我等を眺めたが、又使命を傳へるかの如く退却した。間もなく一人の老尼が現はれて、歡迎の意を述べ、上がれと乞うた。彼女の滑々(すべすべ)と剃つた頭はお辭儀をする度に月の樣に輝いた。我等は靴を脫いで、彼女の後から衝立の後ろの、庭に百しり、小さい室へ姐つた。そして一人の老僧が布團[やぶちゃん注:座布団。]に坐つて、低い机で書き物をして居るのを見た。老僧は筆を差し措いて我等を迎へた。我等も彼の前の布團に席を占めた。彼の顏は見るも愉快げな顏で、取る年波の描いた皺は、悉く善なるものを語つて居た。

[やぶちゃん注:「我等」後で出るが、この時のハーンには奇特な案内を買って出た通訳の出来る青年学生(後の語りからも判るが、この学生はこの寺の住職とは懇意である)が同行していた。]

 尼が茶と法(のり)の車の印(しるし)してある菓子を運んで吳れた。赤猫は自分の側に丸くなつて寢た。そして老僧は語り出した。彼の聲は太くて優しい。寺の鐘の響に伴なふ、豐かな餘韻のやうに、靑銅(からかね)のやうな音色がある。我等は彼が身上話を聞く樣に談話を仕向けた。彼は八十八歲になつて。眼も耳もまだ若い者同然だが、慢性のルーマチスの爲めに、步行が叶はぬといふ。二十年間、三百册で完成するといふ日本の宗敎史を書いて居るが、既に二百三十册だけ稿了したさうである。そして殘部は來年中に書き上げたいと云つて居る。彼の背後の小さい本箱には、きちんと綴ぢた原稿が嚴(いか)めしげに詰まつて居た。

[やぶちゃん注:「法の車」とは釈迦が説いた仏法の真理である四諦(したい:苦諦(人生の現実は自己を含めて自己の思う通りにはならず、「苦」であるという真実)・集(じっ)諦(その「苦」は総て自己の煩悩や妄執などあらゆる欲望が聚って生ずるという真実)・滅諦(それらの欲望を断ち切って滅し、解脱して涅槃(ニルヴァーナ:ラテン文字転写:Nirvana)の安らぎに達して悟りが開かれるという真実)・道諦(その悟りに導く実践を示す真実)と、それを実践するに必要な八正道(はっしょうどう:正見(正しいものの見方)・正思惟(正しい思考)・正語(偽りのない言葉)・正業(せいごう:正しい行為)・正命(正しい職業)・正精進(正しい努力)・正念(正しい精神の集中)・正定(せいじょう:正しい精神統一))を象徴する輪形の仏具である法輪のこと。形象されるそれは古代インドの投擲武器であるチャクラムを転じたものである。

「ルーマチス」“rheumatism”。リューマチ。関節炎と同義に用いられることもあるが、実際には関節だけでなく結合組織にも発生する、激しい痛みを伴う炎症症状の総病態を指す。発生が体の一部であったり、全体であったりもする。「リューマチ」という語はギリシア語の「流れる」が語源で、痛みや腫れが体のあちこちを流れて動くように感じられることに由来する。より広範には「リウマチ性疾患」という表現がとられて、膠原病と呼ばれる結合組織の重い一連の難病をも含んでいる。具体的には「急性関節リウマチ」や「慢性関節リウマチ」が主なもので、さらに「筋肉リウマチ」・「強直性脊椎炎」・「痛風」なども含まれる。進行すると、関節の変形や強直をきたす。主原因は未確定なものの、アレルギー説が有力ではある。]

 『併し、此人のやつてる計畫が間違つて居ます』と自分の伴れて居る學生の通譯子が云つた。『其宗敎史が出版される事はありますまい。奇蹟談やお伽噺の樣な、有り得べからざる噺ばかり集めてるのです』

 (自分はどうぞ其噺を讀みたいものだと思つた)

 『そんなお年にしては、大層御丈夫に見えますね』と自分は云つた。

 『どうやら、あと數年生きられさうで御座います』老人は答へた。『が、此歷史を書き上げるだけしか生きて居ようとは願ひません。書き上げたら、私は動く事も出來ぬ、あはれなものであります故、早く死んで生まれ替はりたいと思ひます。こんなに片端になるといふは、何か前世で罪を犯したものと見えまする。併し、彼岸に段々近寄ると思ふと嬉しう御座います』

 『生死の海の向う岸といふ意味です』と通譯が云ふ。『御存じの通り、其海を渡る船が法(のり)の船で、一番遠い岸が涅槃です――ニルバナです』

 『我々の身體(からだ)の弱點とか、災厄とかは』自分が問うた。『みんな前生に犯した過失の結果でありませうか』

 『我々の現在は』老人が答へた。『我々の過去の結果であります。日本では萬劫(まんごう)、囚業』(いんごう)の結果だと申します――これは二種類の行爲であります』

[やぶちゃん注:「いんごう」のルビはママ。歴史的仮名遣は「いんごふ」。植字工が前に引かれて誤植したか。]

 『善と惡との』自分は問うた。

 『いや、大と小とであります。人間に完全な行爲と申すは御座いません。どんな行爲にも、善もあり惡もあり、丁度どんな名畫でも好い處もあり、惡るい處もあると同じで御座います。併し行爲の中の善の總額が惡の總額よりも多い時には、丁度名畫の長慮が短慮に優る時の樣に、結果は精進となります。此精進で惡が凡て徐々に除かれます』

 『併しどうして』自分が尋ねた。『行爲の結果が肉身に影響を及ぼします。子は父祖の道に從ひ、强い弱いも父親から承け繼ぎます。但し靈魂は父祖から受けるのでありませんが』

 『因果の鎖は手短に說明する事は容易でありません。それを悉く悟得するには、大乘を硏究せねばなりませぬ。又小乘をも硏究せねばなりませぬ。それを御硏究になると、世界といふものも、ただだ行爲故に存在するといふことをお悟りになりませう。丁度字を習ふのでも初めは大層むつかしいが、後には上達して何の苦もなく書く樣に、行爲を正しい方へ正しい方へと振り向ける努力も、絹えず繰り返せば習慣になります。そして其努力は彼世[やぶちゃん注:これで「あのよ」と読む。]までも繼續致します』

 『前世を記憶する力を得る人がありませうか』

 『それは滅多にありません』老人は首を振つて答へた。『その記憶力を得るには、先づ菩薩であらねばなりません』

 『菩薩になることは出來ませんか』

 『今の世では出來ません。今は汚濁の世で御座います。初めに正法の世が御座いました、其時は人の壽命も長う御座いました。つぎに色相の世になりまして、人間は其間に最高の眞理を離れました。そして今は世界が墮落致して居ります。今の世では善行を積んでも佛にはなれません。と申すは世間が腐敗して壽命が短いからで御座います。併し信心深い人は、德を積み常に念佛を唱へますれば、極樂には參れます。極樂では正法を行ふことも出來ます。日も長し壽命も長う御座いますから』

 『私は經文の英譯で』自分が云つた。『人は善行に依つて順々に前よりも優れた住生(しやう)へ生まれ替はり、其度每に、前よりも優れた能力を得、前よりも優れた悅びに包まる〻といふことを讀みました。富や力や美や、又美女や、何でも人が此世で欲するものが手に入る樣に云つてあります。すると精進の道は進めば進む程段々むつかしくなるに相違ないと思はぬ譯に參りません。といふのは、若し此經文が、眞なら、人は佛法の修業に依つて煩惱の對象から離れ得れば得られる程、又之に復歸させようとする誘惑が益〻强くなるからであります。さうすると德の酬いはそれが却つて妨げとなるやうに思はれますが』

 『そうでありません』老人が答へた。『持戒自制に依つてそんな此世の幸福を得るやうになつた者は、同時に靈力と眞知を得て居ます。一生を進める每に己れに打勝つ力も勝して往つて、遂に物質を離れた無色相の世界に生まれます。さうなると低級な誘惑は御座いません』

 赤猫は此時下駄の音で不安さうに身動きをした。が、尼に尾(つ)いて入口の方へ出て往つた。二三の來客が待つて居るのであつた。それで老僧は彼等の精神上の要望を聞かんが爲め、暫し容赦を乞ふ旨を告げた。我等は直に新參の客に席を讓つた。――彼等は何れも氣持ちのよい人間で、我等にも挨拶した。一人は子息を亡(な)くした母親で、其子の冥福を祈るやうに、讀經を請ふのであつた。今一人は病める夫の爲めに、佛の憐れみを得ようとする若い女房で、あとの二人は遠い處へ往つた誰れかの爲めに[やぶちゃん注:これは原文と並びから考えて物理的に遠いところであって、あの世ではない。]、佛の助けを乞はうとする父と娘であつた。老僧は一同に慈愛に滿ちた挨拶をした後、子を失つた母には地藏の版行繪を與へ、病める夫を持つ女房には、洗米の紙捻りを與へ、父と娘には何か尊い文言を書いて與へた。自分には、ふと全國の無數の寺で、每日無數の無邪氣な祈禱がかうして行はれて居るのであるといふ考が浮かんだ。又誠實な愛情から來る凡ての心配、希望、苦悶といふやうなもの、及び神佛にしか聽かれない、あらゆる謙遜な悲歎を思ひ浮かべた。通譯の學生は老人の書棚を漁り始めた。そして自分は考ふべからざるものを考へ始めた。

 生――創(つく)られたのでない、従つて始めなき、統一體としての生――我々は只だ其明かるい影のみを見る生――永久に死と戰ひつつ、常に征服せられ、しかも常に生存する生――それは一體何であらう――何故にそれは存在するのであらう。何百萬囘か字宙は消失した――何百萬囘か復活した。消失するごとに生も共に消失するが、つぎの週期には再現する。宇宙は星雲となり、星雲は宇宙となる。星や遊星の群は永久に生まれ、永久に死滅する。新たに大凝聚が行はれる毎に、燃える球體は冷却し、成熟して生となり、生は成熟して思想となる。我々各個の靈魂は幾百萬の太陽の熱を潜つたに相違ない――將來も更に幾百萬の宇宙の消滅に遇ひ、しかも生存するに相違ない。記憶も如何にかして、如何なる處にか生存し得ぬであらうか。或る知られざる方法と形式とにて、其記憶が生存せぬとは我々は斷言し得ぬ――過去に在つて將來を記記憶すとも云ふべき、無限の洞觀力の如くに。多分涅槃の深淵に於けるが如き無盡の夜の中に、過去詐將來の夢が永久に夢みられつつあるのであらう。

 

 檀家の者等は謝意を述べ、地藏に少し許りの供物を供へ、それから我等にも挨拶しで歸つて行つた。我等は小さい机の側の故(もと)の座に還つた時、老人は云つた。

 『世の中の悲歎を誰れよりもよく知るのは僧侶で御座いませう。西洋人は金はあるが、矢張り西洋にも苦惱は多いさうですね』

 『ハイ』自分は答へた。『西洋には日本によりも却つて苦痛が多いでせう。金持ちの快樂は日本よりも大きいが、貧民の苦痛も大きいでせう。我々西洋人の生活は日本よりも困難です。其理由ででせう。我々の思想は此世の不可解に惱さる〻事が多いのです』

 老僧は之に興味を持つらしかつたが、一言も云はなかつた。自分は通譯の助力で詞を續けた。――

 『西洋諸國の多くの人々が、常に心を惱ます三つの大きな疑問があります。(何處から)(何處へ)(何故)と云ふのであります。それは人生は何處から來たか、何處へ行くか、そして何故に存在し、何故に惱むかといふ意味であります。西洋の最高の哲學は、それを解き難き謎だと申します。けれども同時にそれが解けぬ限りは、人間の心に平和がないと白狀致して居ります。凡ての宗敎は其說明を試みましたが、何れも異說まちまちであります。私は此疑問の解決を得ようとして佛書を漁りました。そして何れよりも立ち優つた解答を見附けそした。それでもまだ不完全であるので、私を滿足させる事は出來ません。貴僧のお口から、少くとも第一と第三の疑問の解答を伺ひたいと存じます。私は證明や議論は一切伺はうとは致しません、ただ結論の御敎義を承りたいのであります。一切の物は始めは宇宙心靈にあるのでせうか』

 此質疑に對して自分は實は明快な答辯を豫期しなかつた。それは『一切漏經』といふ經の中で、『考ふべからざる物』とか、六愚說とか、『茲に物あり、此者何れより來り何れに行くか』などと論議する者を、非難する言を讀んだ事があるからである。然るに老僧の答は、歌の樣に訓子よく音樂的に聞こえだした。――

[やぶちゃん注:「一切漏經」(いつさろきやう(いっさいろきょう))。原文“Sabbâsava”。これはパーリ仏典経蔵中部に収録されている第二経の「Sabbāsava-sutta」(サッバーサヴァ・スッタ)で、「一切煩悩経」とも呼ばれる。「漏」(ろ)は「煩悩」の異名。個人サイトのこちらで日本語の現代語訳が読める。ただ、ハーンが言っているのがどこかは、この訳ではよく分からない。敢えて言えば、第一章の第二に、「有漏に関して、正しく観察する。我が存在するという、常恒の囚われを諦めて、我が存在しないという、断滅の捕われを諦める」というのがそれっぽい感じはする。香光書郷氏の「一切漏經注:巴漢校譯與導論」(繁体字・PDF)という中国語訳のそれがあるが、残念ながら私には読み下せない。悪しからず。

「六愚說」不詳。]

 『一個體として考へた萬物は、發展繁殖の無數の形式を經て、宇宙心靈から出現したのであります。萬物は其心靈の中に潜在的に久遠の昔から存在したのであります。併し我々が心と呼ぶものと、物と呼ぶものとの間には、本質の相違は御座いません。物と呼ぶものは我々の感覺、知覺の總計で、それは皆心の現象であります。物の本體に就ては、我々は何の知識も御座いません。我々は我が心の諸相以外の事は何も知りません。心の諸相は外部からの影響若しくは外力に依つて心の中に現はる〻もので、此影響外力を指して物と申します。併し物と心と申すも又無窮の實在の二つの相に過ぎません』

 『西洋にも』自分は云つた。『それに似た說を敎ふる學者があります。それから近代將科學の深淵な硏究も、我々が物質と呼ぶものは、絕對の存在を有しないと說くやうです。併し貴僧の仰しやる無窮の實在に席しまして、それが何時如何にして、我々が物と心と區別する二つの形式を初めて生み出したかといふ、佛の敎はないでせうか』

 『佛敎は』老人が答へた。『外の宗敎の樣に、萬物が天地開闢といふ事で創造(つく)られたとは敎へません。唯一無二の實在は宇宙心靈で、日本語で眞如と申します。――これが無窮久遠の實在其物で御座います。さて此無窮の心靈は自體の中に自體の幻影を見ました。丁度人が幻覺で眼に映つた物を實物と思ふ樣に、此宇宙實在も自體の内で見た物を外物と思ひ違へたのであります。此迷妄と我々は無明と申します。其意味は光を發しないとか、照明を缺くとか申すのであります』

 『其言葉を、西洋の或る學者は』自分が口を挿んだ。『「無知」と譯しました』

 『私もさう聞いて居ります。併し我々が用ふる言葉の意味は「無知」といふ言葉で現はす意味とは違ひます。寧ろ誤つた敎化とか、或は迷執の意味であります』

 『そして其迷執の起こつた時に關しては、何と敎へてありますか』

 『最初の迷執の起こつた時は、數へ切れぬ遠い過去で、無知(むし)卽ち始めを超越して居ると申します。先づ眞如から非我といふ第一の差別が出現して、それから精神上並びに物質上のあらゆる個體が起こり、又同樣にあらゆる情と慾とが出て、それが生死流轉の緣を作つたので御座います。だから全宇宙は無窮の實在からの出現であります。けれども我々は其無窮の實在に依つて創造(つく)られたとは申されません。我々の本元の我は宇宙心靈であります。我々の内には宇宙我が、最初の迷執の結果と共に存在して居るので御座います。此迷執の結果の裏に、本元の我が包まれて居る狀態を、我々は如來藏卽ち佛(ほとけ)の胎と申します。我々が何の爲めに努力するかと申すと、只だ此無窮の本元我に歸着する爲めで、其處が佛陀の根本で御座います』

 

注 如來藏は梵語で Tathâgata-gharba と云ふ。Tathâgata は日本語で如來で、佛の最高の稱號である。先人の來るが如く來る人といふを意味す。

[やぶちゃん注:平井呈一氏は恒文社版「横浜で」(一九七五年刊「東の国から・心」所収)で、この原注の後に訳注を附しておられ、そこには、

   《引用開始》

訳者注 金剛般若経に「無ㇾ所従来、亦無ㇾ所ㇾ去、故名如来。」とある。如は真如、つまり真如より来生せるもの、すなわち、真理より顕現したものという意味で、仏のことをいうのである。

   《引用終了》

とある。漢文部を正字に直して勝手流で訓読しておく。

 從(よ)つて來たる所、無く、亦、去れる所、無し。故に「如來」と名づく。

この経の意は腑に落ちる。――α以前から既にして在り、Ω以後にも在り続けるのだ。――]

 

 『も一つ疑義がありますが』自分は云つた。『それに就て佛敎の敎へを承りたい。我が西洋の科學は、我々の目に見ゆる此宇宙は、無限の過去に於て無敷囘、替り番に展開したり、崩壞したり致したので、無限の未來に於ても、又無數囘滅したり現はれたり致すに相違ないと申します。又印度古哲學や佛典の英譯にも同樣の事が述べてあつります。併し遂にはあらゆる物に最終の消滅、永遠の靜止の時が來たらうとは敎へてありますまいか』

 彼は答へた。『いかにも小乘には、宇宙は過去に於て無數囘現はれたり消えたりを反復した。將來の無限劫の間にも、又替り番に崩れたり立て直したりするであらうと說いであります。併し又一切の物は遂には永久に涅槃の狀態に入るであらうとも說いてあります』

 これとは筋違ひであるが、併し抑制し難い空想が突如として此時自分の胸に起こつた。科學は絕對靜止の狀態を攝氏の零下二百七十度卽ち華氏の零下四百六十一度、二といふ公式で表はすといふことを思ひ出したのであつた。併し自分はただ云つた。

[やぶちゃん注:理想気体の状態方程式から導き出された値ではケルビンやランキン度の絶対零度は、セルシウス(摂氏)度で マイナス273.15 ℃、ファーレンハイト(華氏)度でナイマス459.67 °Fである。]

 『西洋人の頭には絕對靜止を、幸福の狀態とは考へ難いのですが、佛敎の涅槃といふ思想は、無限の休止、普遍的の不動といふ思想を含むのでせうか』

 『否』と老僧は答へた。『涅槃は絕對自足、凡てを知た。凡てを見る狀態であります。我我はそれを全然不活動の狀態とは思ひません。却つて凡ての繋縛を脫した大自在の境地と想像致します。いかに名我々は肉體のない感覺若しくは知覺の境地を想像する事は出來ません。我々の五感も思想も肉體といふ條件に隷屬するのでありますから。併し我々は涅槃は無限の視力、無限の安心の境地であると信じます』

 

 赤猫は老僧の膝の上に躍り上がつて、氣樂さうに圓(まる)くなつた。老人はそれを撫でてやつて居る。自分の通譯子は小さく笑つて――

 『肥えて居ますね。前世に善行を積んだのでせう』

 『動物も』自分は問うた。『前世の功罪に依つて、境涯が定まるのでせうか』

 僧は嚴肅に自分に答へた。

 『凡て生物の境涯は前世の境涯に依るので、生は一であります。人間に生まれるのは幸運であります。人間であればこそ我々は幾何かの敎化を受け、功を積むの機會もあるのであるが、動物の狀態は心の闇の狀態で、誠に憐惘の至たりであうます。どの動物でも眞に幸福だとは考へられません。併し動物の生活にさへ、限りなき境涯の相違が御座います』

 後は暫く沈默が續いた――猫の咽喉を鳴らす音が折々聞こゆるばかりであつた。自分は丁度衝立の上に見える、アデレード・ニールソンの肖像を見た。そしてヂユリエツトを思ひ出し、又自分が若し立派に日本語で話し聞かせることが出來たら、沙翁の驚くべき情熱と悲哀の物語に就て、僧は何といふだらうと考へ𢌞らした。其時突然其疑惑に對する返答であるかの如く、『法句經』の第二百十五節の文句が胸に浮かんだ――『愛より悲は來り、悲より恐は來る、愛に繋(つな)がれぬ者は悲もなく恐もなし』

[やぶちゃん注:「法句經」(ほっくきょう)は「ダンマパダ」(パーリ語ラテン文字転写:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形で伝えた韻文のみからなる経典の一つ。語義は「真理(dhamma)の言葉(pada)」の意。かなり古いテクストであるが、釈迦の時代からは、かなり隔たった時代に編纂されたものと考えられている(ウィキの「法句経」に拠る)。同経の「愛樂品(あいげうほん)第十六」に、

   *

非處(ひしよ)に就きて是處に就かず、利を棄てて、愛樂を取るものは、是處に就きたる人を羨むに至る。

愛せるものと會ふこと勿かれ、惡(にく)めるものと會ふこと勿かれ、愛せるものを見ざるは苦(く)、惡めるものを見るも亦、苦なり。

されば何物をも好愛する勿かれ、愛者と別るるは禍(わざはひ)なり、人に愛憎なければ纏結(てんけつ)あることなし。

愛好(あいかう)より憂悲(うひ)生じ、愛好より怖畏(ふゐ)生ず、愛より脫(のが)れたるものには、憂悲なし、焉(いづく)んぞ怖畏あらん。

   *

とある。]

 『佛敎は』自分は尋ねた。『一切の性愛は禁止せらるべきものと敎へるでせうか。性愛は必然的に修業の障りとなうませうか。私は眞宗の僧侶の外、凡て僧侶は結婚を禁ぜられて居ることを承知致して居ります。併し俗人には獨身といふことに就て、何ういふ敎がありますか存じませぬ』

 『結婚は道の障りともなり、又助けともなります。それは場合によります。凡ては場合次第であります。若し妻子の愛の爲めに、憂世のはかない名利に餘り酷(ひど)く執着する樣ならば、そのやうな愛は障礙[やぶちゃん注:「しやうがい」。障害に同じい。]となりませう。併し之に反して、妻子の愛の爲めに獨身の狀態に於てよりも、純潔に非利己的に生活する事が出來るならば、結婚は修道の大なる助けとなりませう。大智の人には結婚の危險が多く、小智の人には獨身の危險が一層大であります。又時としては情熱の迷ひが性來利根の人を大智に導くことも御座います。これに就てお噺があります。大目連(だいもくれん)、これは普通目蓮で通る人ですが、此人は釋迦の弟子でありました。處が美男なので一人の娘に思ひつかれました。然るに目蓮は既に僧籍に入つて居るので、夫に持つことは出來ぬと、娘は失望して竊に嘆いて居りました。が遂に勇氣を奮ひ起こして釋迦の前に行き、心のたけを打明けました。其詞もまだ終はらぬ中、釋迦如來は彼女に深い眼りを投げかけると、彼女は目蓮の樂しい妻となつた夢を見ました。樂しい幾年月かが夢の裡に過ぎ去ると、此度は悅びと悲みの雜じつた幾年かが過ぎました。すると突然夫が死んで了ひました。それで彼女は生きて居られぬと云ふ程の悲歎に遇ひまして、其苦悶の中に目を覺ますと、如來は微笑して居られます。そして彼女に申さる〻やう「妹よ、御身は凡てを見た。御身の欲する通りに選ぶがよい――目迢の妻となるとも、或は目蓮が既に入つて居る高き道を求むるとも」そこで彼女は髮を切つて尼となりましたが、後には輪囘[やぶちゃん注:「輪𢌞」の誤植であろう。]の苦を脫れる境涯に達しました』

 

註 梵語にては Mahāmaudgalyāyana。

[やぶちゃん注:原文では“Mahâmaudgalyâyana”。目連(Maudgalyāyana:マウドガリヤーヤナ/パーリ語:Moggallāna:モッガラーナ/漢意訳:菜茯根・采叔氏・讃誦/音写:目犍連・目健(腱)連)は古代インドの修行僧で、釈迦の十大弟子の一人。本来、正しくは「目犍連(もくけんれん)」であるが、「目連」と呼ばれることが多い。優れた神通力の使い手として「神通第一」と称された。釈迦の直弟子中でも、舎利弗と並ぶ二大弟子として活躍したことから、「Mahā」(マハー:摩訶=「大」)を冠して「マハーモッガラーナ」=「摩訶目犍連」「大目犍連」などとも記される(ウィキの「目連に拠った)。]

 

 暫し自分はかう考へた。此噺は愛の迷妄が人を成道に導くといふ事を示しては居らぬ。又娘の入道は强ひて苦惱を知らしめられた直接の結果で、愛の結果ではないと。併し間もなく、彼女に見せつけられた夢も、利己的な下劣な人間には、立派な結果を生ぜしむることもなかつたらうと考へ直した。又自分は現今の世態では己が將來の運命を前以て知らされることは、云ふ可からざる弊害を伴なふであらうと考へ、我々の將來が目に見えぬ幕の後ろで作られる事は、我々の多くに取つては幸であると感じた。それから自分は又、其幕を揚げて覗く能力は、其能力が人間に眞に有益であるやうになれば、直に發展するか或は新たに得られるであらうが、それ迄は望はないなどと想像した。そして云つた。

 『未來を見る力は悟道に依つて得られませうか』

 僧は答へた――

 『得られます。六神通を得る所迄修業が進みますれば過去も未來も見ることが出來ます。此力はは前世を思ひ出る能力と同時に起こります。併し左樣な悟道の域に達することは、只だ今の世では甚だ困難で御座います』

 

 通譯子は此時自分にもう辭去すべき時だと密かに合圖をした。我々は少し長居を爲過ぎ――其點には寬大な日本の作法で測つても長過ぎた。自分の突飛な質問に答へて吳れた好意を謝した上で附け加へた。――

 『まだ承りたい事が澤山ありますが、今日は餘り長くお邪魔を致しをした。又別に出ましても宜しいでせうか』

 『喜んでお迎へ致します。何卒幾度でもお出で下さいませ。まだお分かりにならぬ所は何でも御遠慮なくお聞き下さい。悟を得、迷を霽らすのは熱心な探究に依るのみで御座います。いやどうぞ度々お出で下さい――小乘に就てお話しが致したう御座りますから。そしてこれを何卒お納め下さい』

と彼は自分に二個の小さい包を渡した。一つは白い砂――善人の靈が死後巡拜に出懸けるといふ善先寺の祠堂の砂で、も一つは極小さい白い石で、舍利卽ち佛陀の遺骨であつた。

 

 其後自分は幾度も此親切な老翁を尋ね度いと思つたが、學校と雇傭契約をしたので、橫濱を去り幾多の山を越えて赴任した。それで其後は彼に遇はなかつた。

[やぶちゃん注:これは実に明治二七(一八九四)年刊のハーンの来日後の記念すべき第一作品集のワン・シークエンス、『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第三章 お地藏さま (七)』の、マルチ・カメラによる別映像なのである。但し、僧との仏教の宇宙観の論議はやや創作されている感じが私にはかなりする。孰れにせよ、先行作の同ロケーションと比較あれかし。なお、ハーンが松江中学に赴任するために東京を立ったのは八月下旬で、ここに同伴者として登場している青年真鍋晃と一緒であった。

 

       

 自分が再び地藏堂を見る迄に、五年の歲月は徐に過ぎた。其五年は悉く此條約港から遙かに遠い處で過ごしたのであつた。其間に自分の内外に多くの變化が起こつた。日本の美しい幻(まぼろし)――初めて其魔力ある雰圍氣の中に入る者には、殆ど氣味惡るい程に感ぜられる妖美も、自分には實際長らく感ぜられたが、遂に全く消え失せた。自分は魅惑されずに有の儘に極東を見るやうになつた。しかも大いに過去の感動を思慕して止まなかつた。

 併し其感動は或る日復活した――ほんの一瞬の間だけ。自分は橫濱に來て、も一度山の手から、四月の朝に浮かべる神々しい富士の山靈を凝視した。其偉大なる春の光の靑く漲れる裡に、自分が初めて日本を見た日の感じが戾つて來た。美しい謎に充ちた世に知られぬ仙境――特殊の日輪と、獨得の色澤ある大氣とを有する妖精の國の光彩に、初めて驚喜せる感じが戾つて來た。自分は再びかがやかしい平和の夢に浸つた、眼に映る物悉く再び心地よき幻となつた。東洋の空は――極めて淡い白雲のあるかなきかに點々せるぱかり、涅槃に入らんとする靈魂の如くに曇りなき――再ぴ佛陀の空と化した。朝の色は次第に濃くなり行き、枯木も花咲き、風は薰り、生きとし生ける者愛憐の情を起こさざるはなかりしと云ひ傳へた、釋迦降誕の日の面影を現ずるに至つた。漠然たる香氣は四方(よも)に薰じて聖師再來を告ぐるが如く。通行人の顏さへ凡て聖誕の豫感で微笑する樣に見えた。

 間もなく靈氣は四散して、物は皆俗惡に見え出した。自分が經驗した凡ての幻、地上の一切の幻は實物の如く、宇宙の森羅萬象は却つて幻の如く思はれ出した。是に於て無明といふ詞が想ひ出された。そして自分は直に地藏堂の老いたる思索家を尋ねようといふ氣になつた。

 其界隈は大分變つて居た。古い家は消え失せて、新しい家が驚く程櫛比して建ち並んだ。併し自分は遂に彼の露地を發見した、そして彼の[やぶちゃん注:「かの」。]記憶して居た通りの小さい寺を見附けた。入口の前には女達が立つて居た。そしずて若い一人の僧が幼兒と遊んで居た。が、其幼兒の小さい鳶色の手は、僧の綺麗に剃つた顏を弄(なぶ)つて居た。其顏は切長(きれなが)の眼を有つた、利根[やぶちゃん注:「りこん」。「利発」に同じい。]さうな親切さうな顏であつた。

 『五年前に』自分は拙い日本語で彼に云つた。『私は此寺へ參りました。其時年老(とつ)た坊(ぼん)さんが居ましたね』

 若い坊さんは赤兒を其母らしい女の腕に渡して答へた――

 『ハイ、彼の老僧は亡くなりました。それで私が代りました。何卒お上がり下さいませ』

 自分は上がつた。小さい須彌檀は變はり果てて、あどけない美しさは無くなつて了つた。地藏は尙ほ涎掛の中から微笑して居るが、其外の佛達は消え失せた。同樣に繪馬類も――アデレード・ニイルソン孃の肖像も――見えなくなつた。若僧は自分を老僧が書き物をして居た室で寬(くつろ)がせようと試みて、烟草盆を自分の前に据ゑた。例の書物のあつた隅を見たがもう無かつた。凡てが變つたやうであつた。

 自分は尋ねた――

 『何時老僧はお亡くなりになりました』

 『遂去年の冬』と僧は答へた。『大寒[やぶちゃん注:「だいかん」。陽暦一月二十一日頃。旧暦では前年十二月中であるが、この場合は前者であろう。即ち、明治二六(一八九三)年一月である。]の節に亡くなりました。脚を動かせないので、大分寒さに惱まされました。これが位牌です』

 彼は床の間に行つて得體の知れね瓦落多[やぶちゃん注:「がらくた」。]――大方佛具の破片であらう――の亂雜に載つて居る棚の間から、左右に花の挿してあるガラス瓶を置いた小さい佛檀の扉を開いた。中には黑漆へ金字を書いた新しい位牌が見えた。彼は其前へ燈明を點し、線香を一本立てて云つた。

 『一寸失禮致します。檀家の者が待つて居りますから』

 自分はかうして獨り取り殘されたので、位牌を見、小さい燈明の動かぬ炎と、線香の炎(ほのほ)と、線香の靑くゆるやかに上る烟を凝視(みつ)めながら、老僧の靈は此中に居るだらうかと初めは怪しんだが、暫しの後には眞に居る樣な氣がして、口の中で彼に話し懸けた。つぎに自分は佛壇の兩側にある花瓶には、まだボルドーのツーサン、コーナア會社[やぶちゃん注:「一」と表記が異なるのはママ。]の名が附いて居、線香箱には、香味豐かな紙卷烟草の銘が入つて居るのに氣が附いた。室を見𢌞はすと、自分は又赤猫が日當りのよい隅の方に眠つて居るのを見附けた。側へ往つて撫でてやつたが、自分を覺えても居ず、眠さうな眼を開きもしない。が前よりも毛艷があつて幸福らしかつた。入口の方で此時悲しさうに呟く聲が聞こえたが、やがて僧の聲で相手の半解[やぶちゃん注:一部のみが聴こえ、全体は判然としなかったことを指す。]の答を氣の毒さうに繰り返すのが聞こえた。『十九歲の女、フム、それから二十一歲の男――さうですね』其時自分は歸らうとして起ち上がつた。

 『御免下さい、もう一寸お待ち下さい』僧は何か書いて居た顏を上げて云つた、女達は自分に禮をした。

 『いや』自分は答へた。『お邪魔致しますまい。私はただ老僧にお目に懸かりに來たのですが、む位牌にお目に懸かりました。これは少しばかりですが靈前へ、それからこれは貴僧(あなた)へ、何卒(どうぞ)』

[やぶちゃん注:「靈前」は厳密には「佛前」とすべきところ。仏教では一般に亡くなって四十九日までは「霊」の状態にあるとされるが、四十九日を過ぎると成仏して仏になるとされているからである。]

 『暫くお待ち下さい咄せ、お名前を承り度う御座いますから』

 『多分又伺ひませう』自分はごまかすやうに云つた。『老尼もお亡くなりになりましたか』

 『いやいや、達者で寺の世話を焼いて居ります。只だ今外出致しましたが、直ぐ戾りませう。お待ち下さい。何か御用でもお有りになりはしませんか』

 『ただ御祈禱を願ひませう』自分は答へた。『私の名はどうでも宜しいです。四十四歲の男、其男に尤もふさはしい物が得られるやうにお祈り下さい』

[やぶちゃん注:「四十四歲」底本は「四十二歲」であるが、原文は“forty-four”で正しいハーンのこの「二」の時制での年齢を言っているので、誤訳或いは誤植と断じ、特異的に訂した。。]

 僧は何か書き下した。自分が彼に祈つて吳れと依賴したことは、確に自分の心の眞底の願ではなかつた。併し佛陀は、失はれた幻の復歸を願ふやうな、愚かしい祈禱には耳を藉さぬであらう事を自分は承知して居た。

 

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