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2020/01/26

三州奇談卷之一 菅谷の鬼婦


    菅谷の鬼婦

 加州江沼郡(えぬまごほり)菅谷(すがたに)村平四郞妻は、橋立(はしたて)村傳右衞門と云ふ者の娘なり。夫婦睦まじく、子二人出生せり。平四郞親迄は、殺生を多くせし家なれども、今の平四郞は、大聖寺・森崎(もりさき)の邊(あたり)常に行通ふが故に、山家(やまが)の者ながら軍書の片端をも聞覺え、立振舞(たちふるまひ)も武骨にはあるざる者故、今程は大庄屋下役人となり、妻も山家にも似ず、かたの如く靜かなる者なりしが、或夜異行(いぎやう)の者さそへる樣に覺え、心忽ち替り、骨たくましくなり、氣猛く成けん、家夫平四郞が臥したる足の付根夜着より外に顯れてありしに、

「ほう」

と喰付(くひつき)たり。

[やぶちゃん注:「加州江沼郡菅谷村」「菅谷の巨蟒」で既出既注の石川県加賀市山中温泉菅谷町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)附近であろう。文字通りの深い谷の山家である。

「橋立村」石川県加賀市橋立町か。ここは御覧の通りの海浜地区で、菅谷は直線で十五キロメートル内陸となる。海辺の村からこの深山の村へ嫁入りしたとすれば、それだけでも環境の激変であり、実際にはそのカルチャー・ショックが積年していたとも考えられる。

「森崎(もりさき)」大聖寺や加賀市には森崎の地名は見当たらない。国書刊行会本と「加越能三州奇談」では『吉崎』とする。これなら、「吉崎の逃穴」に出た鹿島神社に繋がる吉加賀市崎町地区で腑に落ちる。

「武骨」はママ。無骨。

「かたの如く」一般の平均的主婦と同様に、の謂い。

「異行(いぎやう)」ママ。別本二本は『異形』とする。]

 此時口大きにさけ、齒は利(と)き劔の如く、股の間をしたゝかにかぶりおしける。

 平四郞、

「あつ」

と一聲さけび絕人(たえい)りける。

[やぶちゃん注:ここは失神したのである。]

 此音に驚き、家内灯を燈(とも)し來り是を見るに、平四郞が妻、只(ただ)鬼形(きぎやう)のごとし。

 其の肉を嚙む音、佳肴(かかう)をたしなむがごとく、長き舌を出(いだ)し、口のあたりの血をねぶり廻して居(ゐ)けるが、人々を見るも少しも驚かず、又二歲になる男子を引起し、裸になし逆樣(さかさま)に持ちて、足二本を一時に口へ押入(おしい)れける程に、寄れる人々飛付(とびつき)て

「是はいかゞ」

と多力の者ども二三人寄り、漸々(やうやう)と引放し、扨樣子を窺ふに、

「其二歲の子を喰(くは)せよ」

とはたりのゝしる。

 其中(そのうち)、近隣の醫(い)寄(より)つどひ、平四郞に氣付(きつけ)などののませけるに、息出で蘇りぬ。然れども、足つよく痛みて死生を知らず。

 妻女に

「いか成る故ぞ」

と云ふに、

「何も常に替りたる事はなし。只其夜子(ね)の刻[やぶちゃん注:午前零時前後。]頃に、人のさそう樣に覺えてより、頻りに人の肉を好む事渴(かつ)して水に向ふが如し。我今殺さるゝ事は、少しも恐るゝ所にあらず。二歲の子をあたへよ」

[やぶちゃん注:国書刊行会本は台詞の後半が『我今殺さるゝ事は、少しも恐るゝ所にあらず。只(たゞ)ねがわくば、あの小児をくらい尽して死につらん。はやく二歲の子をあたへよ』となっていて、こちらの方が凄惨なリアリズムが強い。]

と、やゝもすれば飛懸らんとするほどに、人々捨置き難く、大聖寺公場(こうぢやう)へ訴しに、卽刻足輕六人を指遣(さしつか)はされし。

 まのあたり今寶曆十三年の三月の事にて有し。

[やぶちゃん注:「公場」奉行所のことであろう。妻の謂いは乱心に加えて人肉食いの嗜好の表明と異常極まりないものであるが、しかしその自白によって殺意がはっきり示されており、自身の極刑も覚悟しているわけであるから、至極、尋常な対応である。

「寶曆十三年の三月」旧暦三月一日はグレゴリオ暦では一七六三年四月十三日で、すっかり春である。ここでこの謂いに、ちょっと気になることがある。本書の作者麦水は享保三(一七一八)年生まれで天明三(一七八三)年に没している。則ち、この宝暦十三年当時で、既に麦水は数えで四十六である。しかも「三州奇談」の完成はこの宝暦から明和(一七五一年~一七七二年)頃と推定されている。本書は先行する同じ伊勢派の俳諧師麦雀(生没年未詳。俗称住吉屋右次郎衛門)が蒐集した奇談集の散逸を憂えて再筆録したものとされているのであるが、そうすると、麦雀は麦水の年上の同時代に生きた人でなくてはならないのではないか? そうでなくては「まのあたり今寶曆十三年の三月の事にて有し」と麦雀は書かないだろう。しかしそうすると、麦水が奇談集の散逸を憂えて再筆録したというのがやや私には不審に思われるのである(散逸を憂えて、というのは相応の時間経過の後というニュアンスが付き纏うからである)。則ち、或いは再筆録だけではなく、麦水の体験談が既にここに挿入されている可能性をも考えねばならないということになろうかと考えるのである。但し、国書刊行会本の堤邦彦氏の解題を見ると、『当初は現行本の巻一・二とかさなる程度の小冊子であったものが、その後麦水没年に至るまでの間に書き足されて今日見るような正・続九巻の分量に増補されたものと』、研究者の日置謙『氏は推測している』とある。

 最後に。最後の一文から、この猟奇的な事件が実録であるということになる。強い他虐性から激しい妄想傾向を持った重い強迫神経症や統合失調症辺りが疑われるところではあろう。ただ、私はこの話柄、しょっぱなからどうも仏教説話的な臭いが纏わりついているように思われてならないのである。冒頭で、わざわざ「平四郞親迄は、殺生を多くせし家」がそれである。菅谷の立地とこの謂いから考えて、平四郎の親の代までは、代々が山家の猟師として獣類・鳥類の狩猟をずっと生業としてきたものと考えてよい。また、妻はその出身地から見て漁師或いは網元の娘であった可能性が高いのではないかとも思われるのである。則ち、この夫婦は孰れも仏教上から見れば、殺生を重ねてきた殺生の業(ごう)を重ねてきた存在であり、その間に生まれた子もまた、そのハイブリッドな業の中に組み込まれた宿命を担う存在だったのではなかろうか?

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