大和本草卷之十三 魚之下 鱮魚(ウミタナゴ/別種であるタナゴとの錯誤部分有り)
鱮魚 一名鰱魚 本草綱目曰好群行相與也又
曰狀如鱅而頭小形扁細鱗肥腹其色最白失水
易𣦸蓋弱魚也 今案本草所載其形狀悉タナゴ
ナリ今見之コノシロノ如ク頭小ニ形扁ク鱗細ク色
白シ漁人ニ問ニ好ンテ群行スト云味頗ヨク性亦輕ク
乄アシカラス病人食シテ無害タナゴノ子ハ胎生ス卵生
セス他魚ニ異レリ河魚ニモタナゴアリ與此不同
○やぶちゃんの書き下し文
鱮魚(たなご) 一名「鰱魚」。「本草綱目」に曰はく、『群行して相ひ與〔(ともな)〕ふを好むなり。又、曰はく、狀〔(かたち)〕、鱅(このしろ)のごとくして、頭、小さく、形、扁(ひら)く、細鱗、肥〔えし〕腹。其の色、最も白し。水を失へば、𣦸〔(し)〕に易し。蓋し弱〔き〕魚なり』〔と〕。今、案ずるに「本草」載する所の其の形狀、悉く「たなご」なり。今、之れを見るに、「このしろ」のごとく、頭、小に、形、扁く、鱗、細く、色、白し。漁人に問ふに、「好んで群行す」と云ふ。味、頗るよく、性も亦、輕くして、あしからず。病人、食して、害、無し。「たなご」の子は胎生す。卵(らん)生せず、他魚に異れり。河魚にも「たなご」あり。此れと同じからず。
[やぶちゃん注:これは同書の「海魚」のパートにあるのであるから、条鰭綱棘鰭上目スズキ目ウミタナゴ科ウミタナゴ属ウミタナゴ亜種ウミタナゴ Ditrema temmincki temmincki とすべきなのであるが、私は「本草綱目」の「鱮魚」を引いて、それをもとに記載の大半を記してしまっている以上、これは条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科タナゴ亜科タナゴ属タナゴ Acheilognathus melanogaster を別に比定しておかないといけないと思うのである。実は益軒は既に「大和本草卷之十三 魚之上 鯽 (フナ)」の中で、「䲙魚」を挙げ、『「タナゴ」と云ふ』と記載を終えてはいるのであるが、私が敢えてこうする理由は、以下に示す通り、「本草綱目」の「鱮魚」が淡水魚のタナゴ属或いはその近縁種か形状の似た別種の淡水魚の記載と考えられるからである。ウィキの「タナゴ」によれば、狭義の「タナゴ」は『日本固有種で、本州の関東地方以北の太平洋側だけに分布する。分布南限は神奈川県鶴見川水系、北限は青森県鷹架沼とされ、生息地はこの間に散在する。各地で個体数が激減しており、絶滅が危惧される状況となっている』。体長6-10cmと、『タナゴ類としては前後に細長く、日本産タナゴ類18種のうちで最も体高が低いとされる』(これらの種群全体も一般には「タナゴ」と呼ばれる)。『体色は銀色で、肩部には不鮮明な青緑色の斑紋、体側面に緑色の縦帯、背鰭に』二『対の白い斑紋が入る。口角に』一『対の口髭』を有する。『繁殖期になると、『オスは鰓ぶたから胸鰭にかけて薄いピンク色、腹面は黒くなり、尻鰭の縁に白い斑点が現れる。種小名 melanogaster は「黒い腹」の意で、オスの婚姻色に由来する。メスには明らかな婚姻色は発現せず、基部が褐色で先端は灰色の産卵管が現れる』。『湖、池沼、川の下流域などの、水流がないか』、『緩やかで、水草が繁茂する所に生息する。食性は雑食で、小型の水生昆虫や甲殻類、藻類等を食べる』。『繁殖形態は卵生で、繁殖期は』三~六月で、『産卵床となる二枚貝には大型の貝種を選択する傾向がみられ、カラスガイ』(斧足綱古異歯亜綱イシガイ目イシガイ超科イシガイ科イケチョウ亜科カラスガイ属カラスガイ Cristaria plicata)『やドブガイ』(イシガイ科ドブガイ属ドブガイ Sinanodonta woodiana)『に卵を産みつける。卵は水温15℃前後では50時間ほどで孵化し、仔魚は母貝内で卵黄を吸収して成長する。母貝から稚魚が浮出するまでには1ヶ月ほどかかる。しかし』、『そのような貝もまた』、『減少傾向にあることから』、『個体数の減少に拍車をかけている』とある。
『「本草綱目」に曰はく……』「巻四十四 鱗之三」に「鱮魚」として載る。「漢籍リポジトリ」のこちらで読めるが、その内容からは淡水魚の記載と考えてよいと思われ(後で示す次の「鱅魚」を除くと、前後はみな淡水魚ばかりである)、益軒は後に示すように、この「鱮魚」を淡水魚であるタナゴと形状の似ている海水魚のウミタナゴの記載と採る大錯誤をしていると私は考えている。彼が小野蘭山から激しい批判を受けるのも、中国の本草書とのそうした安易な思い付き的な同定比定を断定してしまっているところの大間違いが非常に多いからである。しかも本邦産種の殆んどは日本固有種であることも益軒の同定には不利である。因みに、現代中国語では日本固有種の本種には「黑腹鱊」と漢名を与えており、コノシロ属Acheilognathus(同属は東アジア一帯に棲息する)「橘屬」である。
「群行して相ひ與ふを好む」事実、タナゴは群泳する。一方、ウミタナゴもまた群泳する。
「鱅(このしろ)」海水魚である条鰭綱新鰭亜綱ニシン上目ニシン目ニシン亜目ニシン科ドロクイ亜科コノシロ属コノシロ Konosirus punctatus。因みに、「本草綱目」には、まさに「鱮魚」の次に「鱅魚」に出るが、前後が淡水魚であるにも関わらず、海水魚としており、人の死体の臭い(恐らくは焼いた場合)とあるので、確かにコノシロであり、コノシロとタナゴは実際、形状が似通っている。但し、この「鱅」(音「ヨウ」)は現代の中国や台湾にあっては、。中国原産で「中国四大家魚」(他に条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科 Oxygastrinae 亜科ソウギョ(草魚)属ソウギョ Ctenopharyngodon idellus・コイ科 Oxygastrinae 亜科アオウオ(青魚)属アオウオ Mylopharyngodon piceus・コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinaeハクレン(白鰱)属ハクレン Hypophthalmichthys molitrix)の一つであるハクレン属コクレン(黒鰱)Hypophthalmichthys nobilis を指す漢字であるので注意が必要である。
「𣦸」「死」の異体字。
「味、頗るよく、性も亦、輕くして、あしからず」ウィキの「タナゴ」によれば、『唐揚げや雀焼き、佃煮などで食用とされる。肝吸虫などの寄生虫を保持する可能性があり、生食には危険をともなう』とある。いつもお世話になる「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」のタナゴの項には、『霞ヶ浦では「真たなご」とされ、佃煮などに利用されていた』。『現在でも他のタナゴ類とともに佃煮となる。苦みがあるが』、『美味』とある。私も佃煮は食べたことがあるが、確かに苦みがあって私はあまり好きではない。されば、この味の記載はタナゴではなく、ウミタナゴであると言える。
『「たなご」の子は胎生す。卵(らん)生せず、他魚に異れり。河魚にも「たなご」あり。此れと同じからず』ここに至って、益軒の全体の大錯誤が明らかとなる。彼はタナゴとウミタナゴを別種として正しく認識していながら、「本草綱目」の「鱮魚」即ち淡水魚のタナゴをウミタナゴと誤認するという大失策をして本項を記載してしまっているのである。卵生するのは条鰭綱棘鰭上目スズキ目ウミタナゴ科ウミタナゴ属ウミタナゴ亜種ウミタナゴ Ditrema temmincki temmincki であって、タナゴは卵生である。ウィキの「ウミタナゴ」によれば、『名前は』、淡水産の『タナゴと体形が似ているため』に『名づけられた。2007年に、従来』は一『種とされていたウミタナゴから』、『青みがかっている型を亜種としてマタナゴ Ditrema temminkii pacificum に、赤みがかっている型を別種としてアカタナゴ Ditrema jordani に分けられた。種小名の「temmincki」は、日本産生物の学名を多く命名したコンラート・ヤコブ・テミンクへの献名である』。『体長25cm程度』で、『北海道中部以南の日本各地の沿岸に生息する。胎生で』、『春から初夏にかけて子供を産む。動物性の食性でゴカイ、甲殻類等を食べる』。『冬の防波堤での玉ウキ釣りの対象魚として親しまれている。漁港に係留してある漁船の下などに群れていることが多く、場所によっては魚影を見ることが出来る。アオイソメやオキアミ等を餌に使って釣る。特に難しい仕掛けはいらないが、餌を吸ったり吐いたりを繰り返すため、遅あわせでややコツがいるとされる』。『胎生で増えることから、安産の「おまじない」として食べる地方もある一方、島根地方ではウミタナゴが子供を生む様を逆子が生まれてくるのに重ねて縁起が悪いともされている。身は淡白な白身で小骨が多い。塩焼きにされることが多いが、素揚げや煮物、刺身やなめろうにされることもある』。塩焼きははなはだ美味い。さて、以上の錯誤から考えると、以上の益軒の記載の内、真に正しく「ウミタナゴ」の記載と言える部分は、厳密に言えば、『今、之れを見るに』で実際のウミタナゴを前にして、『「このしろ」のごとく、頭、小に、形、扁く、鱗、細く、色、白し』と現物を観察をしたところと、実際に海の『漁人に問ふに、「好んで群行す」と云ふ。味、頗るよく、性も亦、輕くして、あしからず。病人、食して、害、無し。「たなご」の子は胎生す。卵(らん)生せず、他魚に異れり。河魚にも「たなご」あり。此れと同じからず』の部分だけであると私は断ずるものである。]