梅崎春生 山伏兵長
[やぶちゃん注:昭和二九(一九五四)年十一月号『文芸』に初出され、後の単行本『侵入者』(昭和三二(一九五七)年四月角川書店刊)に所収された。
底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第一巻を用いた。
「佐鎮」は「さちん」で日本帝国海軍佐世保鎮守府のこと。]
山伏兵長
終戦八月十五日の翌々日あたりから、佐鎮や各部隊からくる暗号電報が、徐々に変調のおもむきを呈してきた。いっぺん打ち出した命令や通告を、あわてて次電で訂正取消してきたり、中には某部隊発の、詔勅にしたがわず断乎(だんこ)抗戦を続ける、というような勇ましいのもあったりして、壕内の暗号室にとじこもっていても、各処の混乱ぶりがまざまざと感じられた。それに暗号兵や電信兵の気分もいろいろ動揺していると見え、暗号作製や発信受信にあやまりが多く、翻訳に骨が折れる。電報量も八月十五日前よりは増加しているので、私たちはやけにいそがしかった。いそがしかったけれども、終戦以前のような気分の重苦しさがなく、電文のひとつひとつがこちらの生活や将来に密着していて、暗号室の当直に立つのがむしろたのしいようなものであった。そんなある日、暗号士が私たち暗号関係者をみんな集めて、晴号文の内容を他の科の兵隊に絶対に知らせてはいけないと、厳重な訓示をした。部隊の人心が動揺混乱するのをおそれたのだろう。私たちの部隊は桜島にあり、言わば世間から孤絶していたから、それまでは(それ以後も)ほとんど混乱することはなかった。他の部隊では、将校や下士官を兵隊がふくろ叩きにしたという例もあったらしいが、私たちのところではそんなことはなかったようだ。兵隊の大部分が三十以上から四十前後の老兵だったせいもある。不平不満は大いにあるが、どうせ帰れるのだから強いてことをおこすこともなかろう、というのが老兵一般に共通した気持のようであった。
とにかくそういう具合にして、八月十五日以後の各地の状況やニュースを知っているものは、私たち暗号員だけで、設営の一般老兵は言うに及ばず、電信の兵隊ですら何も知らされていないということになっている。電信兵がとりあつかうのは、晴号符字をつらねた電文だけで、それだけでは内容が判らない。だから電信の下士官たちも、何やかやと私たちにニュースを探ろうと近づいてくる。当然の人情だ。しかし私たちは一応はニュースの口外は禁止ということになっていた。
電信科に永井という名の、若い二等兵曹がいた。志願兵上りの二曹だから、歳も二十ぐらいだ。大体現役の下士官というのは、一生を海軍で過ごそうと志してきたのが大部分であるから、終戦によってもっともショックを受けた階層のひとつがこの連中だと言える。応召の連中は海軍がなくなっても元の職業に戻れるが、この連中はそういうわけには行かない。軍隊の解散によって生活の基盤がごっそりと奪われてしまうのだ。(兵学校出の職業軍人も勿論(もちろん)そうだが、これには私はほとんど接触がなかった)だから敗戦によって、彼等は内心大いに動揺し、いらだっていた。不安が彼等の言動を粗野にさせている傾向があった。私をつかまえて、お前なんか東京に戻れば会社の課長だろう、などと正面から厭味を言うやつもいて、もちろん私は戻っても会社の課長であるわけはなかったが、とにかくそんな具合で終戦のよろこびを表情に出すことを極度に押える必要があった。そういう連中のなかにあって、永井二曹はさほどいらだちもせず、言動もふだんと変化がないように見えた。ひとつには歳が若い故もあつたのだろう。二十という年齢は、人生の出発点みたいなもので、まだ何にでもツブシがきく。その永井二曹が、夜の当直から戻ってきた私を居住区の壕の入口でつかまえて、小声でそっと聞いた。
「村上二曹。アメリカ軍が上陸して来たら、日本の軍隊は一体どうなるんだね?」
「武装解除ということになっているよ」と私は割に気軽に答えた。口外禁止のことは知っているが実際にはほとんど守られてはいず、それに私の判断でも、そんなことをひたかくすことは無意味に思われたからだ。永井二曹はあまり動揺していないようだから、打明けても差支えなかろう。そう思ったせいでもある。すると永井はちょっと憂欝そうな顔をして言った。
「電報にそうあるのかね?」
「そうだよ」と私は言った。「いいじゃないか。永井兵曹なんかまだ若いんだし」
会話はそれだけで切れた。私は壕に入り寝台に横になってすぐ眠った。
そして翌日の夕方のことだ。私が居住区を出て何気なく暗号室に入って行くと、山伏兵長という日頃無口な暗号科の兵長が、顔をまっかにして当直の兵隊にがんがんと怒鳴りつけている。兵隊は皆ちぢみ上っていた。
「この中に軍機を外に洩らしたやつがいる!」山伏兵長は太い棍棒(こんぼう)で地面をたたきつけた。兵隊はシュンとしている。「日本軍が武装解除されると、しゃべった奴はどこにいる!」
そして入ってきた私の顔を見ると、更(さら)に力をこめて地面をたたき、一段と声をはり上げた。
「しゃべった奴はどこにいる!」
私はぎくりとした。まさしくそれは私に違いないと思ったからだ。しかしさり気ない顔をして、そこらに腰をおろし、聞き耳を立てていると、少しずつ事情が判ってきた。武装解除のことがもう壕掘り設営の老兵たちにも伝わっていて、その一人がさっきこの通信料の壕に、ほんとかどうかと訊(たず)ねにやってきたのだと言う。武装解除という言葉を、武器を捨てて解散という風に解釈せず、捕虜みたいに米軍の前に一列に並んで武器をもぎ取られる、という具合に解釈したらしいのだ。
「軍機を漏洩(ろうえい)した奴は、おれが今でもぶちのめしてやる。上官であろうと何であろうと、おれはそいつをぶちのめしてやるぞ!」そう怒鳴って山伏兵長は、気のせいか私の方をじろりとにらみつけたようであつた。私はぎくりとしたが、そのまま黙って腰をおろしていた。戦争が済んで間もなく復員出来るというのに、まずいことになったな。そんなことを思いながら身体を硬くして、暗号綴りをめくっていた。
二等兵曹が兵長ごときをおそれるなんて、おかしいと思うかも知れないが、これには多少の事情がある。私は下士官候補の速成教育を受けてなった二等兵曹だし、山伏兵長は現役徴集から一歩一歩上ってきた兵長だ。海軍のメシを食った数は、向うの方がはるかに多いのだ。軍隊では階級よりもむしろメシの数を重視する傾きがある。山伏は陰気な性格の男で、一応は私を下士官として立てているようだが、内心では何を考えているのか判らない。それに悪いことには、その七箇月ほど前、私は山伏と同じ部隊で五日間一緒にメシを食ったことがある。しかもその時私はまだ一等水兵で、山伏は上等水兵であつた。わずか五日間であるが、私ははっきりと彼より下級の兵隊として勤務し、そして一度彼から殴られたことさえあるのだ。
山伏は志願兵でなく、徴集兵で、満二十歳に召集されたわけだ。徴集兵というやつは一般的に、志願兵に対してある強いコンプレックスを持っているものだ。彼等が二等兵として入団してきた時、同年輩の志願兵はもうたいてい上水か兵長になっていて、同年兵の志願兵と言えば十五歳か十六歳の乳くさい少年たちである。その年齢関係が彼等のコンプレックスの原因の一つになつていて、そのために徴集兵たちは総体的に折れ曲った気分の者が多かった。その中でも山伏はもっとも無口で陰気な性格の男であつた。先天的に陰気な性根に、そういう後天的要素が加わって、こんな無口な蟹(かに)みたいな男が出来上ったものらしい。
その部隊で、壕掘りの設営力が足りないまま、暗号当直の暇をひっぱり出され、モッコかつぎをやったことがある。そして一水の私は山伏上水と組んで、せっせとモッコをかついだが、なんだかこの男と組むと棺桶でもかついでいるような気分になったものだ。泥を運んでいるような気が全然しない。だから力が入らないままだらだらやっていると、山伏上水がとたんに怒り出して、私を壕の一番奥に連れ込んだ。
「貴様、一体やる気があるのかないのか!」そしていきなり山伏は私の頰を、拳固(げんこ)でしたたかなぐりつけた。「貴様が力を入れないと、重味が全部俺の方にかかってくるじゃないか!」
山伏の言い分も当然だから、私も素直に頭を下げてあやまったが、それからもう彼と組むのは止めにした。私だけでなく、皆彼と組むのは何となく厭がつていたようだ。それから二三日して山伏上水は単身どこかに転勤して行ったのだが。
そして私が下士官候補の教育を終えて、この桜島の部隊にやってくると、山伏が兵長としてここの暗号科に勤務していたのだ。彼は一目見て私を思い出したらしい。しかし彼は黙っていた。黙って特別に表情を動かさなかった。だから私も黙っていた。モッコかつぎを一緒にやったことなど、一切話題に出さなかった。無用の刺戟をあたえては損だからだ。年齢はもちろん私の方が山伏よりはるか上だが、かつて私は彼の下級者だったし、そいつが今は飛び越して上級者になっている。愉快であるわけがない。そして山伏は勤務以外のことに関しては、私と何も話したがらない風であつた。だから私は居住区でほとんど彼と口をきいたことがない。その山伏兵長が今、憤怒を顔いっぱいにみなぎらせ、棍棒で地面をたたきながら怒鳴っている。
「え? 何とか言わんか。一体誰が軍の機密を漏洩した!」
向うの方の電信室はカチャカチャと電鍵の音がひびいているが、暗号室の方は山伏兵長の怒声だけで、皆はシュンと首をすくめて沈黙している。私も具合が悪いまま、暗号綴りを無意味にめくりながら、時に横目で山伏兵長の様子をそっとうかがっていた。あの永井兵曹というやつは何とおしゃべりな男だろう。それにしても、山伏兵長よ、そんなに気ちがいみたいに激怒することはないではないか。お前だって軍隊は好きじゃなかったんだろう。蟹(かに)みたいな性格になるまで辛抱せねばならなかったんじゃないか。敗けたら武装解除はあたりまえの話だ。それにあらゆるニュースは、もう敗けたからには暗号科の独占ではなく、すべての兵隊はそれを知る権利があるのだ。武装解除を洩らしたこの俺をぶちのめして、一体お前に何のトクがあるのか。
「しゃべった奴は、とっとと出て来い。逃げかくれすると、承知せんぞっ!」
「もういいじゃないか。山伏兵長」電信の下士官が向うの方から大声でたしなめた。「あんまりガミガミ怒鳴るのはよせ」
私は山伏の顔を見た。山伏は私の顔を見て、にらむような眼付になった。そして何か言い出そうとしたらしいが、突然顔をくしゃくしゃに歪め、梶棒を地面にごろりと放り投げ、急ぎ足でとっとっと壕を出て行った。くしゃくしゃになった瞬間、涙が山伏の眼にきらりと光ったのを私は見た。こういう爆発的な激怒や涙が、彼のどんな気持の折れ曲りから出てきたのか、それがまた更にどんなに折れ曲って行ったのか、あるいは治癒したのか、私は判らなかつた。今でもよく判らないし、またうまく想像も出来ない。私は地面にころがった梶棒を拾い上げ、壕の外に出て、力まかせにそれを谷底に投げ込んでやった。棍棒は急斜面をごろんごろんところがつて直ぐに谷底に見えなくなった。機密漏洩の件はそのままでうやむやになってしまったのだ。
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