甲子夜話卷之六 6 いちめ笠の說
6-6 いちめ笠の說
古畫に圖せる婦女の、深き笠の頂に隆きところある物を冒れる、多く見ゆ。此をいちめ笠と謂ふと聞けり。後或人の話れるは、今も吉野の奧より、木を用て作れる深き笠を出す。其名をおちめ笠と謂ふ。其故は、亂世に平氏の人落行て、此山中にて製し出せる物なれば、おちめ笠と云となり。然どもこれは後人の附會にして、おちめいちめは語音の轉訛なるべし。吉野に有るは古風の傳はりたるまでのことなるべし。
■やぶちゃんの呟き
「冒れる」「かぶれる」。
「いちめ笠」市女笠。平安以降の代表的な女性用の被り笠。雨の日や旅行には貴人もこれを用いた。初期のものは傾斜が急で深く、頂きに巾子(こじ)と称する有意に突出した部分があるのが特徴であったが、後代になると、次第にそれが浅くなり、膨らんだ形に変っていった。元来は菅(すげ:単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科スゲ属 Carex)を用いた縫い笠と推定されているが、後には黒漆の塗り笠が普通になった。旅行に際しては、笠の縁に「牟子(むし)の垂衣(たれぎぬ)」と呼ぶ苧麻(からむし:双子葉植物綱イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea)の薄い垂れ布を下げることもあり、衣服の裾をすぼめて折って、市女笠を被った姿は壺装束として知られている。名は、初め、市に出る物売りの女性が被ったことに由来する(「ブリタニカ国際大百科事典」他に拠る)。ほら、芥川龍之介の「藪の中」で真砂が被っていたやつさ。
「話れるは」「はなされるは」。
「おちめ笠」この呼称は今に伝わっていない模様である。