三州奇談卷之二 寶甕紀譚(「寶甕之辨」含む)
寶甕紀譚
小松九龍橋の邊りに、北野屋と云ふ材木を商ふ人あり。[やぶちゃん注:国書刊行会本ではここに以下の文が入っている。『此(この)家に珍器有(あり)。其(その)形は鼈(すつぽん)のごとく成もたひ也。』。「もたひ」は水や酒を入れる甕(かめ)のこと。]此家の先人常に云ひけるは、
「此川の上(かみ)に物あり、是を得ば富むべし」
と折にふれ語られし。
[やぶちゃん注:「小松九龍橋」「那谷の秋風」に既出既注。「九龍橋」は橋及び川の名であもある。知人の助力もあり、強力な考証で現在ある橋としての九龍橋も完全同定してある。]
其人空しくなりて十年許(ばかり)もや後大水出で、橋落ち岸かけ、水は家をひたすことありしに、其水も落ちて後、獨り舟に棹して此川をさかのぼることありしに、とある片岸崩れたる中、土地よりは一丈許下にや侍らん、怪しき物見へし。不ㇾ許(はからず)先人の辭(ことば)を思ひやりて、舟を寄せて是を見るに甕なり。不思議に思ひ取りて、歸り、水をたゝふるに、鏘然(しやうぜん)として響あり。夜中此器物置き替る故に、ぬけ去(さら)ん事を恐れて、箱を拵へて寶物と號して是を守る。
[やぶちゃん注:「鏘然」ここは水の音がさらさらと玉か鈴のように美しく聞こえるさま。
「置き替る」人が動かさないのにそのある位置を変える。]
其家の老婦人あり。夜每に此器と物がたりをなすと云ひて、外へ出でざる事數年なりし。皆、
「心のまどへるより如ㇾ此(かくのごとく)にや」
といへども、此器の性(しやう)を知るものなし。小松御城番の誰々へも、事の序(ついで)に捧ぐといへども、何の故たるも不ㇾ知(しれず)とて返さる。如ㇾ此事年久し。
[やぶちゃん注:「外へ出でざる事數年なりし」老婦人が主語であり、甕と会話することも異常であるが、何年も家から出ないというのは足が不自由でないのなら、強い幻聴を伴う統合失調症や鬱に偏位した双極性障害などの精神疾患が疑われる。]
寶曆十二年[やぶちゃん注:一七六二年。]の頃、此鄕(さと)のかたはらに樗庵(ちよあん)と云ふ酒狂人來り居れり。是を招きて
「性を識らば名を付給へ」
と云ふ。
此人醉裡辭せずして一見して則(すなはち)性を云ふ。號して「寶甕(はうやう/たからがめ)」と云ふ。其座に人あり、其事を密(ひそか)に笑ふ。是が爲に「寶甕の辨」を贅言なれども記す。
[やぶちゃん注:「樗庵」本作品集冒頭の私の注を見られたいが、これは何を隠そう書いている麦水自身の号の一つである。
以下、底本では独立項の扱いであるが(底本の「卷之二」の目録でも独立している)、これは内容から見ても本篇の一部として組み入れのが適切と考える(国書刊行会本では全体が二字下げで本篇に続いている)同巻の目録には載らない)ので、以下に続ける。前を一行空けた。]
寶甕之辨
主人曰ふ。
「昔年水涯に棹さして、岩の崩るゝこと數丈の所を見るに、地下一丈餘に此物あり。取歸りて家に納めて寶物とす。是を得んとする前に應(おう)あり。得て後靈(れい)あり[やぶちゃん注:国書刊行会本では『異あり』。]。或は人語をなすが如く、或は動搖するが如し。是(これ)氣の前[やぶちゃん注:「気の持ちよう」で「気の迷い」の意。]よりにやあらんと思ふ。夫(それ)是(これ)何等の器にや。」
[やぶちゃん注:「應」ここは発見に至る前のある種の予兆があったことを言うが、前文にはそれらしきものはない。ただ、そも大水の出た後に、何故に北野屋の主人が一人で九龍橋川の上流に漕ぎ遡ったのかが不思議であるから、そのこと自体を指しているとすれば、腑に落ちる。
「靈あり」超自然な現象。具体には独りでに甕が動くことであり、老婦人が甕と語り、引き籠りとなることを指す。]
客曰く、
「是、陶器也。甚だ知り易し。此性は南蠻國產の物なり。蓋ありて『かめぶた』と云ふ、茶家者流(ちやかしやりう)珍翫とす。
此甕内に刻み目あり。此目外に有あるものは「繩すだれ手」と云ふ。又一奇品なり。是は其瓶の身なる物なり。
[やぶちゃん注:「繩すだれ手」茶道の水指(茶道の点前に於いて茶釜に水を足したり、茶碗や茶筅を洗う水を蓄えておくための器)の一種に「縄簾(なわすだれ)」がある。サイト「茶道」の「南蛮縄簾水指」に(蓋附きの実物の画像あり)、『南蛮物の一で、胴部に縦または斜めに平行な櫛目が密に施された櫛描文(くしがきもん)があるものを』称し、『縄簾は、櫛状の道具で縄をいく筋も垂らしてすだれとした縄簾を思わせる文様をつけているところからこの名があると』される。『縄簾は、代表的な形状として、平底の太い円筒形で、蓋を括り付けるためか』、『口廻りが絞るように削り取られて』おり、この『縄簾は、安南(ベトナム)北部で作られたものとされ、鉄分の多い細やかな土で、全面が茶色一色に焼き上がり景色のない物が多く、水指や建水』(けんすい:茶碗を清めたり温めたりした際に使った湯や水を捨てるために使う容器)『などに見立てられ』るとあり、『縄簾は、櫛目が横に波状に入っているものは別に「横縄」(よこなわ)とも』呼び、「茶道筌蹄」には『「縄簾、横縄、竪縄」とあ』るとある。]
往昔加藤氏此土味を考へて、備前に燒物を始むるに、備前摺鉢なども是より起る。
[やぶちゃん注:「往昔」これ以降、何度も出てくる語句であるが、読みは確定し難い。音は「わうじやく」であるが、当て訓で「そのかみ」或いは「むかし」とも読めるからである。私は一貫して「そのかみ」と読むことにしている。
「加藤氏」不詳。但し、現在の備前焼の名工の中に加藤姓の方はいる。]
思ふに天文・永祿[やぶちゃん注:一五三二年~一五七〇年。途中に弘治を挟む。]の頃、南蠻船加州・越州の湊に來(きた)る事多し。舟中の物を絹帛に替て歸ると云ふ。其砌、かゝる物や渡りしならん。是必ず舟中の雜器ならん。
水中[やぶちゃん注:国書刊行会本は『土中』でそれが正しい。]に沈む事も又あやしむべからず。北國の風塵、天正[やぶちゃん注:一五七三年~一五九三年。]の頃迄は國に定むる主なし。京都將軍威令弱くして、遠國へ政制行はれず。大は小を兼ね、强は弱を吞みで天下大に亂る。加州の地、此邊(あたり)よりは富樫の一族、或は林・井上、又鏑木・高畠、其外一向宗の徒、一城一城に霸として交戰止む時なし。町里の如きも、家は燒拂ひ、藏はあばき捨つる故に、人民手足を置きがたく、輕(かろ)き財寶は腰にまとひ、米豆は肩にのせ、山に隱れ、谷にさまよふ。其捨て難く、又携へ難き雜具に至りては、印をして土に埋み、亂靜りて又本土に還り住し、印の所を掘出し、家產を復す。然共(しかれども)百家の内三四家ならでは歸り來らず。其餘は亂國に流離して行く所をしらず。故に埋(うづ)もれて久敷(ひさしく)知らず。數百年を經て掘出(ほりいだ)す物有あり。或は狐狸の類(たぐひ)是を護して、彼所謂『椀家具を借す塚』ともなり、或は錢を干す鼠の隱れ里もともなり來れり。是等皆かゝる類なるべし。」
[やぶちゃん注:「富樫」藤原利仁(芥川龍之介の「芋粥」の彼)に始まるとされる氏族で、室町時代に加賀国(現在の石川県南部)を支配した守護大名。
「林」加賀林氏。藤原利仁の子である藤原叙用(のぶもち:斉藤叙用とも)の流れを汲む斎藤氏の傍系。富樫氏とは同族。
「井上」能登国にも前記の齋藤氏族が広がり(能登齋藤氏は齋藤則高の末裔とされ、 太田・堀・石黒・河崎・藤井・富木の諸氏を分出している)、能登の守護畠山氏の被官の中に井上氏を見出せるが、それか。サイト「家系家族史 家族のルーツ」の「石川県のご先祖調べ」に拠った。
「鏑木」前注のリンク先に戦国後期に一向宗門徒の一揆衆が加賀国を席巻したとし、同一揆
衆は『本願寺坊官の下間氏が指導者に立ち、鏑木・洲崎・安吉・河合・石黒・笠間・宇津呂・山本・高橋・越智・窪田・安井・黒瀬・坪坂・杉浦・七里・亀田などの国人・地侍が味方し』たとある、鏑木か。
「高畠」同前で、『能登で勢力を拡大した氏族に畠山七人衆』があり、『鹿島郡には、武部氏、酒井氏、高畠氏が』あるとある、それか。
「椀家具を借す塚」椀貸伝説である。池・沼・塚・洞穴などで、膳椀を頼めば、貸してくれるとする伝説譚。全国に広く分布しており、椀を貸してくれるのはそうした場所の主(ぬし)である山姥 ・大蛇・狐狸・河童などとされ、不心得者が借りた椀を返さなかったために以後は貸して貰えなくなったという話が概ね後付けされてある。この伝説の由来については、大きく二説があり、木地屋 (きじや) と呼ばれた椀作りの工人との沈黙交易の歴史が説話化されたとする説と、古代の遺跡からの土器の出土の謎を説明しようとするところから生じたとする説である(ここは「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。私の『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 一』(以下、十七回分割)に詳しいが、柳田國男は民俗学の独立性を固辞するために強引に以上の二説の孰れをも嫌っている。
「錢を干す鼠の隱れ里」「フジパン」公式サイト内の「民話の部屋」の山形県の伝承とする「ネズミの金干し」を読まれたい。]
傍に人あり難じて曰く、
「客は兼て鑑察家の名あり、此器今いくばくの價かあらん。」
客云ふ、
「價あるべからず。此甕ふたあらば、茶人等ホウロクに用ひん。又此器外に筋ありて形小さき時は、水指に用ふべし。左ある時は價貴(たか)し。今此器は其用ひん處を知らず。只夏日に水をたゞへ[やぶちゃん注:ママ。国書刊行会本は『たゝへ』。]、石菖(せきしやう)・水蕉(すゐせう)の類を植うべきや。其用ふる所に思ひよることなければ、其價あることを知らず。」
[やぶちゃん注:「ホウロク」焙烙(「ほうらく」とも)。低温で焼かれた素焼きの土鍋の一種。形は底が平たく縁が低い。茶道では茶葉を炒ったり蒸したりするのに用いる。
「石菖」単子葉植物綱ショウブ目ショウブ科ショウブ属セキショウ Acorus gramineus。
「水蕉」単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科ミズバショウ属ミズバショウ Lysichiton camtschatcensis を想起してしまうが、高山帯植生で、鉢植えなど思いもよらぬので、恐らくは単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科リュウゼツラン亜科ギボウシ(擬宝珠)属 Hosta の一種であろうと私は思う。]
傍の人笑つて曰く、
「客の云ふ所の如きは、寶物に非ず。只蠻舶の雜具なり。然るを客此器を寶甕と號(なづ)く。是諂(へつら)ふものに非ずや。」
客曰く、
「吾子(ごし)は其一を知つて其二を知らず。寶に數品あり。其中にも人手より人手に傳はる物は用なき物は寶に非ず。吾子が今云ふ所なり。神手(しんしゆ)より人手(じんしゆ)に傳はるものは、無用の物を寶とす。爰に一人の農民有らん[やぶちゃん注:「と、しよう」で、以下、短い事実あった例え話である。]。古佛を掘出(ほりいだ)さんに、是を洗ひ淸めて藁屋にうつすときは、人五里七里を遠しとせずして來り拜む。近く此里にありし例(ためし)なり。又斯(かく)の如き佛を京都寺町に求め來(きた)れば、万躰(まんたい)といへども人來らず。是(これ)人手より得る物は賤(いやし)く、神の手より得るものは尊きなり。爰に嶺上の松あらん。其木立削りなせる如く、其枝葉はさみ作るがごとし。風雷にも碎かれず、霜雪にも破れず。是(これ)山中に神ありて護(まも)ることのある故なり。人若(も)し猥(みだり)に觸れ侵せば必(かならず)たゝる。近く此地にあり。吾子が知る所のごとし。此土中器を埋みて、數百歲缺けず朽ちず。是又地中に神ありて護るによる。而して因緣ある人の爲に出づ。今猶此器にも神ありて護るも又計るべからず。人語のごときをなし、動搖の如きも、必ず護る神あればまり。氣迷(きのまよひ)[やぶちゃん注:当て訓した。ここ国書刊行会本は『気の前』で、前の「氣の前」の意味もこの校訂から類推したものである。]とのみ思ふべからず。かゝる時には、木石といふとも猶尊むべし。况や此器、其用(そのよう)物をうけ入るゝの具なり。是福器にあらずして何ぞ。夫(それ)寶貨は皆『貝』にしたがふ[やぶちゃん注:「貝」の字を字素に含む。]。是地中に有て甲(かふ)堅し。貝に類して用あり。寶と云はずして、何とかいはん。」
傍の人うなづく。
客則(すなはち)寶甕を押直し祝して曰く。
「我(われ)辭器の眞にあたらずんば、器我を罵(ののし)るべし。其詞、眞にあたらば我に一盃の酒をあたふべし。」
主人、時に酒を持出(もちいいづ)る。
客自贊して曰く、
「我(わが)詞眞にあたれり、我詞眞にあたれり」
と。酒を酌みて大(おほい)に醉ひ、寶甕に辭して歸ると云ふ。
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