早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 十五 猪の膽
十五 猪 の 膽
遂近頃の事である。水力發電所の用水路へ、開設初めの年に、猪が幾ツも陷ちた事があつた。朝になつて水門口に掛つて居るのを拾つた。その度に所員達が肉を取つて喰つたり人に遣つたりしてしまつた。中に一人土地から出た者が居た。勿論肉の分前も取つたが、そつと膽を取つて、これだけは一人占めにした。舍宅の緣側の庇に吊るして置いて、子供が腹が痛むなどゝ言ふと、少しづゝ刻んで呑ませたと言ふ。その爲めその一軒だけは、他の連中が揃つて下痢をやつた際にも、醫者にも掛らずにしまつたさうである。或時所員の一人が其處へ遊びに來て、座敷に寢轉んで世間話をしてゐた。仰向いて居る内、庇に吊るした黑い乾干びたものを發見した。これは全體何だと言うやうな事から、段々譯を話すと、ひどく口惜しがつたさうである。
[やぶちゃん注:「猪の膽」「ししのい」と読んでおく。「熊の胆(い)」と同じく胆嚢である。]
萬病の靈藥と言ひ條、實際效驗のあつたのは、腹痛位であるとも謂うた。今から考へると、明治三十六七年頃[やぶちゃん注:一九〇三、四年。]は、猪の膽に對する一般の信望が、近在の醫者殿より遙かに上であつた。急病人の話などでも、第一に聞くのは、猪の膽を呑ましたかなどゝ言ふ、急き込んだ[やぶちゃん注:「せきこんだ」。]言葉であつた。
或時茸の毒に中てられた[やぶちゃん注:「あてられた」。]男が、座敷中を轉がつて苦しんだ末、やうやう靜かになつたと思つたら、今度は堅く齒を喰締めて、はや應答もな無いやうになつた。それを釘拔の柄で齒をこじ開けて、水に浮かせた蒼黑い塊を注ぎ込んでやると、忽ち正氣づゐたと謂うた。或は又二日二晚苦しみ通した上、えらい熱で、どうやら危ないやうだと、急に夜中になつて身寄りへ飛脚を出した。それと恰度一足違ひに、猪の膽を持つて馳付けた者があつた。急いでそれを呑ませると、飛脚の者が村端れ[やぶちゃん注:「むらはづれ」。]の峠へ、差掛つたかどうかと思ふ時分に、早おそろしい下痢が來て、其儘ケロリと樂になつたと謂ふ。この樣子では飛脚も入るまいと、慌てゝ飛脚を喚返す二度目の飛脚を出した。さうして夜の白々明[やぶちゃん注:「しらじらあけ」。]には、その飛脚衆が揃つて笑ひながら還つて來たなどと謂うた。
山國の事で、猪の膽など如何程でも手に入りさうに思へるが、以前の村の生活では、在つても手に入れる事は容易でなかつた。况して[やぶちゃん注:「まして」。]平常から貯へて置くなどは、物持と唄はれる者かなんぞでない限り、叶はぬ事としてあつた。容易に手に入らぬだけ、それだけ靈能も高いとしたのである。
自分の知つて居る或女は、深夜に狩人の家を叩き起して、僅かばかり紙に拈つて[やぶちゃん注:「ひねつて」。]渡されたのを、しつかり掌の内に握り締めて、山路二十町[やぶちゃん注:二キロメートル強。]を一飛びに飛んで還つた事があつたさうだ。恰度五月田植の眞最中で、明日は植代[やぶちゃん注:「うへしろ」。]を搔くといふその晚方に、遽かに[やぶちゃん注:「にはかに」。]亭主が腹を病み出した。さんざん呻き苦しむのを介抱しながら、いろいろ仕事の手順を考へて身た。明日植代が搔けぬとなると、後の順が狂つてしまふ、こりやどうしても、朝迄には快く[やぶちゃん注:「よく」。]せにやならぬと、覺悟を決めた。病人の少し靜まるのを待つて、隣村の狩人の家へ飛んで行つた。さうして猪の膽を手に入れて來て、病人の枕元に座つて、手鹽に浮かせた黑い小さな塊を、うやうやしく押戴いた時の心持は、忘れては勿體ない程、あり難かつたと言ふ。
然し後になつて、其代を拂ふには、他人に話されもせぬ程、えらい難儀をしたと言うた。わずか七十五錢の金だつたさうである。それを支拂ふのに隣村の大海迄背負つて行つて、一把二錢何厘に賣つた薪(もや)の代を積んだ金で濟せた。他人の未だ寢て居る内に、荷慥へ[やぶちゃん注:「にごしらへ」。]しては背負つたと言ふ。夏中かゝつてやつと纏めたが、男はよもやそんな事は知るまいと口惜しがつて居た。
[やぶちゃん注:「薪(もや)」小学館「日本国語大辞典」に、『たきぎにする小枝や木の葉。粗朶(そだ)。ぼや』として滑稽本「続膝栗毛」の使用例を出し、後に方言として『細い枝のたきぎ。そだ』として、北は栃木・群馬・茨城から、中部地方の長野県伊那郡・静岡県・愛知県など、南は和歌山・出雲・高知県高岡郡など非常に広汎に分布することが記されてあり、語源説しては「大言海」などから『モヤス(燃)意か』とする。]
« 早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 十四 猪買と狩人 | トップページ | 早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 十六 手負猪に追はれて »