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2020/03/17

早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 十九 巨猪の話 / 「猪」パート~了

 

     十九 巨 猪 の 話

 

Sisinokosigawa

 

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの底本の画像をトリミング・補正した。キャプションは「猪の腰皮」。これは臀部の下に汚損防止や冷気・湿気遮断のために敷く猪の毛附きの皮革からなる敷き革である。図の上部のそれは思うに腰紐の通して、逆Uの字型の部分にそのボタン状の部分を通して掛け、山中を歩く際に落とさないようにするものではないかと私は思った。但し、この挿絵は本文との関連性はない。]

 

 巨猪を獲た[やぶちゃん注:「とつた」。]話は、どんな狩人でも定つて[やぶちゃん注:「きまつて」。]一ツ位は持つて居た。それが申し合せたやうに四十貫[やぶちゃん注:百五十キロ。]と言うたのも偶然であつた。猪としては、四十貫どころが或は限度であつたらしい。而もその程度の猪は珍しいとは言ひ條、未だ未だ居たらしいのである。某の狩人がさういうて居た。或時出澤(すざは)村の入りのアテで、仲間と二人で發見した肢跡[やぶちゃん注:「あしあと」。]は、曾て見ぬ程の巨大さで、こんな肢をした猪だつたら、牛程もあらうと想像して、山の神を祀るやら、應援を賴みに行くやら、えらい騷ぎをやつて、軈て[やぶちゃん注:「やがて」。]擊ち止めて見たら、成程大きいには違ひないが、四十貫そこそこだつたと謂ふ。只肢の蹄が骸に似合はず巨きかつたさうである。そんな猪を萬一取遁したら、それこそ七十貫や八十貫の猪に忽ち成つたかも知れぬ。捕つた猪の方は、一々舁いだ代物だけに、馬鹿馬鹿しい誇張は無かつたのである。

[やぶちゃん注:表題の通し番号の二桁目を「一」とするのはここのみで、他は「十」である。

「七十貫や八十貫」二百六十二~三百キロ。ニホンイノシシは標準では体重は80から190キロであるが、最新の情報では農林情報メディア「INOHOI」のこちらに、『2009年に滋賀県湖南市夏見の山中で、同市三雲の廣田仲雄さん(59)によって捕獲された体長約1.8メートル、体重約240キロの個体』が最大値と思われる。そこに『日本のイノシシは、体重200kgくらいが成長の限界とされ、200キロ超えのイノシシ捕獲は、10年に12度しか確認されないほど稀で』あるとある。さても、また、私の好きなサイト「カラパイア」の2015年12月7日の記事にロシアで捕らえた重さ五百三十五キロという超巨大猪の画像がある。恐るべし!]

 鳳來寺村行者越の、丸山某は五十幾年の狩人生活の間に、只一人で擊ちとつた猪の數は、七百頭に餘るほどの剛の者だつたが、四十貫を越すほどの獲物は、たゞの一ツしか無かつたと言ふ。然しながらその一ツが、六十貫[やぶちゃん注:二百二十五キロ。]に餘る巨大な物だつたと言ふから、先づ未聞の事として恥ずかしく無かつた。もう四十年も前の事で、細かい點は深い記憶も無かつた。只何としても珍らしかつた事と、その猪を擊つ前日に、偶然遠くから望み見た印象だけは、今もありあり目に殘ると言うて居た。

[やぶちゃん注:「鳳來寺村行者越」この附近(グーグル・マップ・データ航空写真)。]

 恰度秋の末で、北設樂郡駒立の奧の山へ、 遊(うかれ)牝猪[やぶちゃん注:「めじし」と読んでおく。]を擊ちに入込んだ時だつたさうである。山の峯に立つて、遙かに前方の谷を望むと、枯草が何處までも續いた中を、凡そ四五十頭もあるかと思はれる猪の大群が、一際勝れた巨猪を先頭にして、一齊に谷に向かつて走りつゝあつた。その内先頭の猪が如何にも巨きくて、他の猪が子猪のやうに見えたさうである。餘りの見事さに遂見惚れてしまつた程で、その時程の壯觀は、後にも前にも見なかつたと言ふ。翌日あつけ無く擊止めた猪が實は前日群れ猪の先頭にあつた物らしく、比類ない巨猪だつた。一人で黑川の村まで背負ひ出して、美濃の猪買ひに賣つたが、臟腑拔き五十五貫[やぶちゃん注:二百六・二五キロ。]あつたから、六十幾貫は間違ひなかつたと言ふ。丸山某は異常な臂力の持主で、百貫[やぶちゃん注:三百七十五キロ。]の荷を負うて如何なる險阻にも堪えへたと言ふ。

[やぶちゃん注:「北設樂郡駒立」「こまだて」か。不詳だが、以下の「黑川の村」と合わせて地図を調べてみたところ、愛知県北設楽郡豊根村古真立(こまだて)があり(グーグル・マップ・データ航空写真)、その西方に同郡下黒川と上黒川を見出した。ここであろう。]

 六十幾貫は、類ひ無い巨猪の筈であつたが、同じ男の語る處は、同じ北設樂郡古戶(ふつと)の山では、七十五貫[やぶちゃん注:二百八十一・二五キロ。]或は九十貫[やぶちゃん注:三百三十七・五キロ。]の猪を擊つた事を、話には聞いたさうである。然し實際見た譯ではないから、眞僞の程は判らないと言うて居た。

[やぶちゃん注:「北設樂郡古戶(ふつと)の山」愛知県北設楽郡東栄町(とうえいちょう)大字振草(ふるくさ)の古戸山(ふっとさん。グーグル・マップ・データ。以下同じ)。標高七百五十九・九メートル。]

 果してそんな巨猪が、居たかどうか何とも判らぬが、北設樂郡内でも、段戶山(だんどざん)や彥坊の山の杉の植林地には、丈餘に伸びた萱の葉陰に、多數の猪が群れ狂うて居るのを、山仕夢に入込だ[やぶちゃん注:「はいりこんだ」。]杣や木挽がよく見ると謂うた。御料林の事で、彼處[やぶちゃん注:「あそこ」。]ばかりは猪も放し飼だなどゝ、語るのを聞居た事があつた。果してさうであるか、聞かう聞かうと思ひながら、遂に其折もない。

 巨猪ではないが、猪の一屬に、シラミ猪と言ふのがあつて、體一面虱のたかつた物があるといふ。肉は臭くて食べられぬと謂うた。果してそんな猪が居るか、これも未だ確かめる機會がない。

[やぶちゃん注:「段戶山(だんどざん)」北設楽郡設楽町田峯の鷹ノ巣山(標高千百五十二・三メートル)の旧称・別称。

「彥坊の山」新城市作手(つくで)大和田(旧南設楽郡)の彦坊山(ひこぼうやま)

 本話を以って早川孝太郎「猪・鹿・狸」の「猪」のパートは終わっている。]

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