石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 暮鐘
暮 鐘
聖徒(せいと)の名を彫(ゑ)る伽藍(がらん)の壁に泌(し)みて
『永遠(とは)なる都(みやこ)』の滅亡(ほろび)を宣(の)りし夕、
はたかの法輪(はうりん)無碍(むがい)の聲をあげて
夢呼(よ)ぶ寶樹の林園(りんえん)搖(ゆ)れる時よ、
何らの音をか天部(てんぶ)の樂(がく)に添へて、
暮鐘よ、ああ汝(なれ)、劫初(ごふしよ)の穹(そら)に鳴れる。
天風(てんぷう)二萬里地(ち)を吹き絕(た)えぬ如く、
成壞(じやうゑ)の八千年(やちとせ)今猶ひびきやまず。
入る日を送りて、夜の息(いき)さそひ出でて、
榮光聖智(えいくわうせいち)を無間(むげん)に葬(はふむ)り來て、
靑史(せいし)の進みと、有情(うじやう)の人の前に
永劫(えいごふ)友なる『祕密』よ、ああ今はた、
詩歌(しいか)の愁ひに素甕(すがめ)の澱(をり)と沈み
夢濃(こ)きわが魂(たま)『無生(むせい)』に乘せて走れ。
(甲辰三月十七日)
*
暮 鐘
聖徒の名を彫る伽藍の壁に泌みて
『永遠(とは)なる都』の滅亡(ほろび)を宣りし夕、
はたかの法輪無碍の聲をあげて
夢呼ぶ寶樹の林園搖れる時よ、
何らの音をか天部の樂に添へて、
暮鐘よ、ああ汝(なれ)、劫初の穹(そら)に鳴れる。
天風二萬里地を吹き絕えぬ如く、
成壞(じやうゑ)の八千年(やちとせ)今猶ひびきやまず。
入る日を送りて、夜の息さそひ出でて、
榮光聖智を無間(むげん)に葬り來て、
靑史の進みと、有情の人の前に
永劫友なる『祕密』よ、ああ今はた、
詩歌の愁ひに素の澱と沈み
夢濃きわが魂(たま)『無生(むせい)』に乘せて走れ。
(甲辰三月十七日)
[やぶちゃん注:初出は明治三七(一九〇四)年四月号『明星』で、総表題「鐘の歌」で「曉鐘」・本篇「暮鐘」と次の「夜の鐘」の三篇が載る。「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで初出形を読むことが出来る。
「法輪(はうりん)」「法」の音の歴史的仮名遣は「ハウ」「ホウ」どちらも正しい。しかし筑摩版全集には問題があって、初出のそれは「ほふりん」のルビを振っている。しかし、上記でご覧になれば判る通り、初出も「ほふりん」とちゃんとルビしてあるのである。
「成壞(じやうゑ)」(「ゑ(え)」は「壊」の呉音) あらゆるものが、生成されたり、壊れて消滅したりすること。それを繰り返す無常の時空間のこと。
「靑史」中国で紙のない時代に青竹の札を炙って文字を記したところから「歴史」「歴史書」「記録」の意。ここは歴史の意。
「無生(むせい)」生じることがないことは消滅もないことを意味する。通常は仏教用語としては「むしやう(むしょう)」と読み、「生滅変化しないこと」或いは「見かけ上の生じたり変化したりする迷いを超越した絶対の真理を得た悟りの境地」を指す。]
« 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 曉鐘 | トップページ | 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 夜の鐘 »