石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 荒磯
[やぶちゃん注:本篇は底本初版本の「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の当該ページHTML版のここ及びここに従い、通常位置よりも全体を二字下げで示した。]
荒 磯
行きかへり砂這(は)ふ波の
ほの白きけはひ追ひつゝ、
日は落ちて、暗湧き寄する
あら磯の枯藻(かれも)を踏めば、
(あめつちの愁(うれ)ひか、あらぬ、)
雲の裾ながうなびきて、
老松(おいまつ)の古葉(ふるば)音(ね)もなく、
仰(あふ)ぎ見る幹(みき)からびたり。
海原を鶻(みさご)かすめて
その羽音波の碎けぬ。
うちまろび、大地(おほぢ)に呼べば、
小石なし、涙は凝(こ)りぬ。
大水(おほみづ)に足を浸(ひた)して、
黝(くろ)ずめる空を望みて、
ささがにの小さき瞳(ひとみ)と
魂(たま)更に胸にすくむよ。
秋路(あきぢ)行く雲の疾影(とかげ)の
日を掩(おほ)ひて地(ち)を射(ゐ)る如く、
ああ運命(さだめ)、下(を)りて鋭斧(とをの)と
胸の門(かど)割(わ)りし身なれば、
月負(お)ふに瘦(や)せたるむくろ、
姿こそ濱芦(はまあし)に似て、
うちそよぐ愁ひを砂の
冷たきに印(しる)し行くかな。
(癸卯十二月三日夜)
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荒 磯
行きかへり砂這ふ波の
ほの白きけはひ追ひつゝ、
日は落ちて、暗湧き寄する
あら磯の枯藻を踏めば、
(あめつちの愁ひか、あらぬ、)
雲の裾ながうなびきて、
老松の古葉音(ね)もなく、
仰ぎ見る幹からびたり。
海原を鶻(みさご)かすめて
その羽音波の碎けぬ。
うちまろび、大地(おほぢ)に呼べば、
小石なし、涙は凝りぬ。
大水に足を浸して、
黝(くろ)ずめる空を望みて、
ささがにの小さき瞳と
魂更に胸にすくむよ。
秋路行く雲の疾影(とかげ)の
日を掩ひて地を射る如く、
ああ運命(さだめ)、下(を)りて鋭斧(とをの)と
胸の門(かど)割りし身なれば、
月負ふに瘦せたるむくろ、
姿こそ濱芦に似て、
うちそよぐ愁ひを砂の
冷たきに印し行くかな。
(癸卯十二月三日夜)
[やぶちゃん注:本篇は本詩集が初出である。
「暗湧き寄する」「やみわきよする」と読みたい。
「鶻(みさご)」タカ目タカ亜目タカ上科ミサゴ科ミサゴ属ミサゴ Pandion haliaetus。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鶚(みさご)(ミサゴ/〔附録〕信天翁(アホウドリ))」を見られたい。
「小石なし、涙は凝(こ)りぬ」「淚は」「凝(こ)り」て「小石」成(な)し、の意。
「ささがに」蜘蛛。
「濱芦(はまあし)」普通の単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク亜科ヨシ属ヨシ Phragmites australis のことであろう。ヨシは塩分に対して耐性があり、河川の下流域から汽水域上部或いは干潟の陸側に広大なヨシ原を形成する。また、参照したウィキの「ヨシ」によれば、『「難波の葦(アシ)は伊勢の浜荻(ハマオギ)」は、物の名前が地方によって様々に異なることをいう』諺であるが、『平安末期の住吉杜歌合』でも、『藤原俊成の』詞として『「難波の方ではあしとだけいい、東(あづま)の方では、よしともいう」とあり、また「伊勢志摩では、はまをぎ(ハマオギ)と名づけられている」と書き残されている』とある。]
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