早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 十一 猪狩の笑話
十一 猪 狩 の 笑 話
現に自分の知つてゐる一人だが、初めて猪狩の勢子になつた時、猪が恐ろしくて大縮尻[やぶちゃん注:「おほしくじり」。]をやつた話を、何遍となく語つた男がある。話の筋はかうであつた。狩場に着いて只一人になると、猪が吾が方へばかり來るやうに思へて、心配でならなんだ。軈て[やぶちゃん注:「やがて」。]の事隣の窪でドンと一發筒音が響いて、ホーツと矢聲がした。それを聞くと急に恐ろしくなつて、夢中で傍の栗の木へ驅け上つて、來るか來るかと下ばかり覗いて居た。猪を擊つなどの氣持はとくに[やぶちゃん注:とっくに。]何處かへ飛んでしまつた。すると又もや近くで一發筒音がしたが、それと同時に直ぐ後ろのボロから、ドサドサとえらい地響を立てゝ何やら躍り出した者がある。それに驚いてビツクリ飛上がつた拍子に足を踏外して、根元へしたゝか突ツこけた、恰度[やぶちゃん注:「ちやうど」。]其處へ一方を追はれた猪が落延びて來て、男を尻目に掛けて、悠々ツルネへ向けて走り去つた。初め地響を立てゝ躍出したのは、實は其處に眠つてゐた子猪達が、筒音に驚いて遁げ出した處だつた。お蔭で腰骨を撲つた上、仲間には笑はれたり怒られたりして、猪追ひにはもう懲々したと言ふのである。
[やぶちゃん注:「勢子」「せこ」。狩猟をする際の補助者で、音や声を出して鳥獣を駆り出したり、また追い込んだそれが逃げ出すことを防いで、射手がその対象を撃ち捕るのを補助する役。猪・鹿などの大物の猟では、射手と勢子が多数で猟隊を組み、勢子が狩猟犬とともに山や森林の中から獲物を追い出し、射手が持ち場で待ち構えて撃つ。この猟法は古く、既に鎌倉時代の「吾妻鏡」「新撰六帖題和歌」などにその記述が見られる(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「矢聲」射手が放った際に大声を揚げること。ここはでは鉄砲の射手の声。
「ツルネ」既出既注。「蔓畝」で「蔓のように長く伸びて連なった小高いところ・峰続き・山の峰・尾根のこと。向後は注さないので覚えて戴きたい。
「懲々した」「こりごりした」。]
自慢話などと異つて、當の本人の失敗談だけに、聽く者の興味は深かつたが、實は同じ類の話を、他でも聞いた事があつた。或は臆病者の猪狩に、附いて廻つた笑話の一つであつたかも知れぬ。自分が初めて聽いた時の記憶では、未だ年が行かなかつた爲か、充分可笑味がのみこめなくて、反つて傍にゐた大供達がゲラゲラ笑つて居たものである。
男の名は鈴木戶作と言うて、本業は木挽[やぶちゃん注:「こびき」。]だつた。元來話好きの男で、又話の材料を不思議な程澤山持つて居た。自分の家で普請の時には、前後百日餘りも泊つて仕事をして居たが、その間、いくらでも新しい話があつた。此話なども、話の合間に、面白可笑しく聽かせた一ツであつた。
男も好し腕も好し、その上愛想がよくてどうした因果だろなどゝ、自身でも言うて居た程で、その頃もう四十五六であつたが、女房も持たず、近間の村から村を渡り步いて居た。よくよくの呑氣者さなどゝ、陰で笑つて居た者もあつた。又戶作の噓話かなどゝ、頭からけなしてしまふ者もあつた。仕事を賴み度いにも、何處に居るか判らぬなどゝ言うた程で、定まつた家も無かつた。其頃自分の家に古い三世相の本があつて、身の上を判斷してやると喜んで聞いて居た。數年前鄕里へ歸つた時、何年振りかで途中で遇つたら、叮嚀な挨拶をして、貴方がいつぞや五十六になれば身が固まると言うて下すつたが、お蔭で家を持ちましたと言はれて、面喰つた事があつた。
[やぶちゃん注:「三世相」(さんぜさう(さんぜそう))は仏教の因縁説に陰陽家 (おんようけ) の五行相生・五行相剋の説を交えて、人の生年月日の干支 (えと) や人相などから、三世(前世・現世・後世(ござ))の因果・吉凶を判断するもの。]
極く呑氣さうに見えたが、身の上を聞くとさうでもなかつた。何でも親がひどく年老つてから出來た子で、兄弟たちから邪魔者にされ通して育つたと言うた。父親も他の兄弟達の手前家に置く譯に行かないで、七ツか八ツの時分に親類へ預けられた、そこで子守をさせられながら育つたと言ふ。俺のやうに苦勞をした者は無かつたと、案外な話を聞かされた事があつた。
餘計な話が長くなつたが、前言つたやうな滑稽は、何も戶作の噓話ばかりではなかつた。實は多くの狩人に、共通の經驗であつたかと思ふ。或村の物持の主人が、猪狩に興味を持つて、一遍やつて見たくて堪らず、わざわざ眞白い鹿皮のタツヽケを慥へて、凛々しい狩裝束に身を固めて見ても、いざとなると猪が恐ろしくなつて尻込みして、遂只の一回も現場を踏まずに終つたなどの話は、相手が素人で物持の主人だつたゞけ、臆病さも一段と濃厚だつたのである。
[やぶちゃん注:「タツヽケ」「裁付」で現代仮名遣では「たっつけ」。労働用の山袴(やまばかま)のこと。股引(ももひき)に脚絆(きゃはん)をセットした形態で、膝下がぴったりした実働性に富んだ袴である。元は地方武士の狩猟用の服であったが、戦国時代に一般化し、江戸時代には広く庶民の仕事着となった。角兵衛獅子或いは相撲の呼出しなどが着用した。
「慥へて」「こしらへて」。]