石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 曉鐘
曉 鐘
蓮座(れんざ)の雲渦(くもうづ)光の門(かど)に靉(ひ)くや、
萬朶(ばんだ)の葩(はなびら)黎明(あさけ)の笑(ゑみ)にゆらぎ、
くれなゐ波なす櫻の瑞花蔭(みづはなかげ)、
下枝(しづえ)の夢吹く黃金の風に乘りて
ひびくよ、曉鐘(げふしやう)、──無縫(むほう)の天領綸(あまひれ)ふり
雲輦(うんれん)音なく軋(きし)らす曙(あけ)の神が
むらさき紐(ひも)ある左手(ゆんで)の愛の鈴(すゞ)の
餘韻(なごり)か、──朗(ほが)らに高薰(かうくん)亂(みだ)し走る。
見よ今、五音(ごいん)の整調(せいちやう)流れ流れ
光の白彩(しらあや)しづかに園に撒(ま)けば、
(淨化(じやうげ)の使命(しめい)に勇みて、春の神も
袖をや搖(ゆ)りけめ、)綾雲(あやぐも)融(と)くる如く、
淡色(あはいろ)熖(ほのほ)と枝每かぜに燃(も)えて、
散る花繚亂(りやうらん)滿地(まんち)に錦(にしき)延(の)べぬ。
(甲辰三月十七日)
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曉 鐘
蓮座の雲渦光の門に靉くや、
萬朶の葩黎明の笑にゆらぎ、
くれなゐ波なす櫻の瑞花蔭、
下枝の夢吹く黃金の風に乘りて
ひびくよ、曉鐘、──無縫の天領綸ふり
雲輦音なく軋らす曙の神が
むらさき紐ある左手の愛の鈴の
餘韻か、──朗らに高薰亂し走る。
見よ今、五音の整調流れ流れ
光の白彩しづかに園に撒けば、
(淨化の使命に勇みて、春の神も
袖をや搖りけめ、)綾雲融くる如く、
淡色熖と枝每かぜに燃えて、
散る花繚亂滿地に錦延べぬ。
(甲辰三月十七日)
[やぶちゃん注:丸括弧の部分を際立たせるため、今回は後掲ではルビを総て除去してみた。初出は明治三七(一九〇四)年四月号『明星』で、総表題「鐘の歌」で本「曉鐘」以下、続く「暮鐘」・「夜の鐘」の三篇が載り、それらは「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらから読むことが出来る。
「天領綸(あまひれ)ふり」暁の天空に白雲が棚引くのを天女の羽衣が翻るのに隠喩したもの。
「雲輦(うんれん)」同じくそこの雲の塊りを天の神の乗り物として人が担ぐ天子の車「輦」に隠喩したもの。
「五音(ごいん)」もとは中国の音楽で使われる音階名。「五声」(ごせい)とも呼ぶ。「宮(きゅう)」・「商(しょう)」・「角(かく)」・「徴(ち)」・「羽(う)」の五つ。音の高低によって並べると、五音音階が出来る。西洋音楽の階名で「宮」を「ド」とすると、「商」は「レ」、「角」は「ミ」、「徴」は「ソ」、「羽」は「ラ」に相当する。]