石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 鶴飼橋に立ちて
鶴 飼 橋 に 立 ち て
(橋はわがふる里澁民の村、北上の流に
架したる吊橋なり。岩手山の眺望を以て
鄕人賞し措かず。 春曉夏暮いつをいつ
とも別ち難き趣あれど、我は殊更に月あ
る夜を好み、友を訪ふてのかへるさなど、
幾度かこゝに低回微吟の興を擅にしけむ。)
比丘尼(びくに)の黑裳(くろも)に襞(ひだ)そよそよ
薰(くん)ずる煙の絡(から)む如く、
川瀨(かはせ)をながるる暗の色に
淡夢心(あはゆめごゝろ)の面帕(おもぎぬ)して、
しづかに射(さ)しくる月の影の
愁ひにさゆらぐ夜の調(しらべ)、
息(いき)なし深くも胸に吸(す)へば、
古代(ふるよ)の奇琴(くしごと)音をそへて
蜻火(かぎろひ)湧く如、瑠璃(るり)の靄(もや)の
遠宮(とほみや)まぼろし鮮(さや)に透(す)くよ。
八千歲(やちとせ)天(あめ)裂(さ)く高山(たかやま)をも、
夜(よ)の帳(ちやう)とぢたる地(つち)に眠る
わが兒(こ)のひとりと瞰下(みおろ)しつゝ、
大鳳(おほとり)生羽(いくは)の翼あげて
はてなき想像(おもひ)の空を行くや、
流れてつきざる『時』の川に
相嚙(あひか)みせめぎてわしる水の
大波浸(をか)さず、怨嗟(うらみ)きかず、
光と暗とを作る宮に
詩人ぞ聖なる靈の主(あるじ)
見よ、かの路なき天(あめ)の路を
雲車(うんしや)のまろがりいと靜かに
(使命(しめい)や何なる)曙(あけ)の神の
跡追ひ驅(か)けらし、白葩(しらはなびら)
桂の香降(ふ)らす月の少女(をとめ)、
(わが詩の驕(おご)りのまのあたりに
象徵(かたど)り成りぬる榮(はえ)のさまか。)
きよまり凝りては瞳の底
生火(いくひ)の胸なし、愛の苑(その)に
石神(せきじん)立つごと、光添ひつ。
尊ときやはらぎ破らじとか
夜の水遠くも音沈みぬ。
そよぐは無限の生(せい)の吐息、
心臟(こゝろ)のひびきを欄(らん)につたへ、
月とし語れば、ここよ永久(とは)の
詩の領(りやう)朽(く)ちざる鶴飼橋(つるがひばし)。
よし身は下ゆく波の泡と
かへらぬ暗黑(くらみ)の淵(ふち)に入るも
わが魂(たま)封(ふう)じて詩の門(と)守る
いのちは月なる花に咲かむ。
(甲辰一月二十七日)
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鶴 飼 橋 に 立 ち て
(橋はわがふる里澁民の村、北上の流に
架したる吊橋なり。岩手山の眺望を以て
鄕人賞し措かず。 春曉夏暮いつをいつ
とも別ち難き趣あれど、我は殊更に月あ
る夜を好み、友を訪ふてのかへるさなど、
幾度かこゝに低回微吟の興を擅にしけむ。)
比丘尼の黑裳(くろも)に襞そよそよ
薰る煙の絡む如く、
川瀨をながるる暗の色に
淡夢心(あはゆめごゝろ)の面帕(おもぎぬ)して、
しづかに射しくる月の影の
愁ひにさゆらぐ夜の調、
息なし深くも胸に吸へば、
古代(ふるよ)の奇琴(くしごと)音をそへて
蜻火(かぎろひ)湧く如、瑠璃の靄の
遠宮(とほみや)まぼろし鮮(さや)に透くよ。
八千歲(やちとせ)天(あめ)裂く高山(たかやま)をも、
夜(よ)の帳とぢたる地(つち)に眠る
わが兒のひとりと瞰下(みおろ)しつゝ、
大鳳(おほとり)生羽(いくは)の翼あげて
はてなき想像(おもひ)の空を行くや、
流れてつきざる『時』の川に
相嚙みせめぎてわしる水の
大波浸さず、怨嗟(うらみ)きかず、
光と暗とを作る宮に
詩人ぞ聖なる靈の主
見よ、かの路なき天(あめ)の路を
雲車のまろがりいと靜かに
(使命や何なる)曙(あけ)の神の
跡追ひ驅けらし、白葩(しらはなびら)
桂の香降(ふ)らす月の少女(をとめ)、
(わが詩の驕(おご)りのまのあたりに
象徵(かたど)り成りぬる榮(はえ)のさまか。)
きよまり凝りては瞳の底
生火(いくひ)の胸なし、愛の苑に
石神(せきじん)立つごと、光添ひつ。
尊ときやはらぎ破らじとか
夜の水遠くも音沈みぬ。
そよぐは無限の生(せい)の吐息、
心臟(こゝろ)のひびきを欄につたへ、
月とし語れば、ここよ永久(とは)の
詩の領(りやう)朽ちざる鶴飼橋(つるがひばし)。
よし身は下ゆく波の泡と
かへらぬ暗黑(くらみ)の淵に入るも
わが魂封じて詩の門(と)守る
いのちは月なる花に咲かむ。
(甲辰一月二十七日)
[やぶちゃん注:初出は『時代思潮』明治三七(一九〇四)年三月号の総標題「深淵」の第一篇。「浸(をか)さず」の「を」はママ。前書の一部の句点の後の字空けは見た目の再現である。
「鶴飼橋」ここにある北上川に架橋する三本の橋が現在は総て「鶴飼橋」である(グーグル・マップ・データ)。当時は木橋。一般には渋民運動公園と渋民公園を結ぶ東側の鋼鉄製の吊り橋(ストリート・ビューのポイント写真)が啄木所縁のそれとする。スタンフォード大学の大正元(一九一二)年測図昭和一四(一九三九)年修正版參謀本部「沼宮内」の地図で見ても、確かにこの吊り橋附近に架かっていることが判る。但し、この吊り橋の西八十メートルほど下流の自動車優先橋(ストリート・ビューの北詰橋名プレート画像)と歩行者専用の細い橋の二本も「鶴飼橋」である。明治四一(一九〇八)年十一月一日から十二月三十日に『東京毎日新聞』に連載(全六十回)された啄木の初めての新聞小説「鳥影」(リンク先は「青空文庫」の正字正仮名版)の舞台でもある。]