石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) いのちの舟
[やぶちゃん注:本篇は底本初版本(「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のHTML版の31と32)に従い、通常位置よりも全体を二字下げで示した。]
い の ち の 舟
大海中(おほわだなか)の詩(し)の眞珠(しんじゆ)
浮藻(うきも)の底にさぐらむと、
風信草(ふうしんさう)の花かほる
我家(わぎへ)の岸をとめて漕ぐ
海幸舟(うみさちぶね)の眞帆の如、
いのちの小舟(をぶね)かろやかに、
愛の帆章(ほじるし)額(ぬか)に彫(ゑ)り、
鳴る靑潮(あをじほ)に乘り出でぬ。
遠海面(とほうなづら)に陽炎(かげろう)の
夕彩(ゆふあや)はゆる夢の宮、
夏花雲(なつばなぐも)と立つを見て、
そこに、秘(ひ)めたる天(あめ)の路(みち)
ひらきもやする門(かど)あると、
貢(みつぎ)する珠(たま)、歌(うた)の珠(たま)、
のせつつ行けば、波の穗と
よろこび深く胸を撼(ゆ)る。
悲哀(かなしみ)の世の黑潮(くろじほ)に
はてなく浮ぶ椰子(やし)の實(み)の
むなしき殼(から)と人云(い)へど、
岸こそ知らね、死(し)の疾風(はやち)
い捲(ま)き起らぬうたの海、
光の窓に凭(よ)る神の
瑪瑙(めのう)の盞(さら)の覆(かへ)らざる
うまし小舟を我は漕ぐかな。
(甲辰一月十二日夜)
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い の ち の 舟
大海中(おほわだなか)の詩の眞珠
浮藻の底にさぐらむと、
風信草の花かほる
我家(わぎへ)の岸をとめて漕ぐ
海幸舟(うみさちぶね)の眞帆の如、
いのちの小舟(をぶね)かろやかに、
愛の帆章額(ぬか)に彫り、
鳴る靑潮(あをじほ)に乘り出でぬ。
遠海面(とほうなづら)に陽炎の
夕彩(ゆふあや)はゆる夢の宮、
夏花雲(なつばなぐも)と立つを見て、
そこに、秘めたる天(あめ)の路(みち)
ひらきもやする門(かど)あると、
貢する珠、歌の珠、
のせつつ行けば、波の穗と
よろこび深く胸を撼(ゆ)る。
悲哀(かなしみ)の世の黑潮(くろじほ)に
はてなく浮ぶ椰子の實の
むなしき殼と人云へど、
岸こそ知らね、死の疾風(はやち)
い捲き起らぬうたの海、
光の窓に凭(よ)る神の
瑪瑙の盞(さら)の覆(かへ)らざる
うまし小舟を我は漕ぐかな。
(甲辰一月十二日夜)
[やぶちゃん注:初出は『明星』明治三七(一九〇四)年二月号で、初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらから画像で見ることが出来る。
「風信草(ふうしんさう)」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科ツルボ亜科ヒアシンス連 Hyacinthinae 亜連ヒアシンス属ヒアシンス Hyacinthus orientalis の本邦での異名。「風信子」「夜行蘭」「風見草」などとも呼ぶ。地中海沿岸・北アフリカ原産。日本には幕末の文久三(一八六三)年に、既に品種改良が盛んに行われていたオランダから入ってきた。オランダ語「hyacinth」(カタカナ音写:ヒアスィント)に日本人が漢字を当てたものである。「風信」というのは音の類似転写だけでなく、香りが非常に強いことをも意味に添えたものであろう。
「夏花雲(なつばなぐも)」夏の夕日に映える豊かな雲の言い換えであろう。
「撼(ゆ)る」震撼の熟語で判る通り、「撼」は「動かす・揺るがす・揺らぐ・揺れ動く」の意がある。
「い捲(ま)き」の「い」は強意の接頭語。
「甲辰一月十二日夜」「甲辰」(きのえたつ)は明治三七(一九〇四)年。まさにこの直近の一月八日、堀合節子と語り合い、将来を約束しており、この二日後の一月十四日に堀合家からの婚約同意を受けている。たまさかの至福の愛の思いの詩篇ととれる。]
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