早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 十 猪に遇つた話
十 猪 に 遇 つ た 話
猪が人の近づいたのも知らずに、大鼾[やぶちゃん注:「おほいびき」。]で寢てゐた話は、よく耳にする事である。七、八年前、アケビを採りに行つて、猪に遇つたと言ふ女から、當時の狀況を聽いた事があつた。山國とは言つても、狩人以外で、猪を目のあたり見た者は、至つて尠なかつたのである。村のヂベツトーの山は、深い窪で底に澤が一筋流れてゐた。その澤を跨いで茂つたボローの一ツに、アケビが鈴生りに下つて居たさうである。女は萱を押分けて近づいて、今一息で其下へ出られると思つて、ヒヨイと前を見ると、萱の葉がおそろしく寢たまん中に、眞つ黑い獸が寢て居た。ハツと思つた時ゴロゴロと猫のやうな鼾が聞こえたさうである。どんな恰好で、どんな風に寢て居たかも、一切夢中で遁げて來たと言うた。アケビの方へ目を奪られて[やぶちゃん注:「とられて」。]、傍へ行く迄氣がつかなんだゞけに、驚き方も激しかつたのである。それにしても、紫色に熟れたアケビと、枯萱の中に眠る猪の對照は、思ひがけぬ繪であつた。その上アケビの枝にいろいろの鳥の群を配したなら、一段美しい畫面が展けた[やぶちゃん注:「ひらけた」。]らうと思ふ。
[やぶちゃん注:ここは是非とも早川孝太郎氏にその絵を想像で描いて貰いたかった。残念。
「アケビ」キンポウゲ目アケビ科アケビ亜科アケビ連アケビ属アケビ Akebia quinata。漢字表記は「木通」「通草」。
「ヂベツトーの山」不詳。「地別当」(じべっとう)という地名が福岡県に現存する。或いは、江戸以前の神社の別当寺の領地であったか? 先行する「三州橫山話」の早川氏の手書きの「橫山略圖」を見ると、中央の「字」(あざ)「相知ノ入」の左に『(ヂベツトー)』も見出せるから、この中央附近のピークであろう(グーグル・マップ・データ航空写真)。また、三河方言を見ると、「べっとう」は「別等」で「びり・最下位」の意があるから、この周辺地区で一番低い山の謂いかも知れない。
「ボロー」複数回既出既注。雑木の茂み・藪のこと。向後は注さないのでよく覚えておいて頂きたい。]
繪にはならなんだが、つぎの話も數尺の距離から猪を觀察した、耳新しい實驗談である。
村の某の男であつた。鳳來寺村分垂(ぶんだれ)の山中で、一人炭を燒いてゐると、午過ぎ頃とも思ふ時分、何やら近くの齒朶を押分けて山を降つて來る物があつた。木間からソツと透して見ると、今しも一頭の巨猪[やぶちゃん注:「おほじし」。]が、靜かに炭竈[やぶちゃん注:「すみがま」。]の方へ近づきつゝあつたと言ふ。突差[やぶちゃん注:「とつさ(とっさ)」。]の事で、逃げる間も隱れる隙も無い、飛び掛つたらそれ迄力の限り撲たうと肚を据ゑて、炭木をかたく握つて居たさうである。然し猪は男を見ても格別驚いた樣子もなく、靜かに炭竃の傍を通り拔けて、下へ向けて降つて行つたと言ふ。事實は只之だけであつたが、某の說明に據るとその猪が劫を經た恐ろしい古猪だつた。毛並みは灰ぼ色が殆ど白くなつて、背から胸へかけて、松脂でも塗つて居るらしく、觸つては見なんだが、カチカチと丸で岩を被つたやうであつたと言ふ。何だか講談に出て來る狒々[やぶちゃん注:「ひひ」。]のやうで、遽に[やぶちゃん注:「にはかに」。]信じ難い氣もされるが、實驗者はかたく信じて疑はなんだ。猪が松脂を塗る話は他にもある。而も此話には、その猪を只物でなくするに充分な傍證も絡んで居た。數日前から其方此方[やぶちゃん注:「そつちこつち」。]の山で、幾組もの狩人を惱まして、彈丸(たま)を三ツ四ツ喰つて[やぶちゃん注:「くらつて」。]居ながら、どうしても捕る事の出來ぬ出沒自在の古猪であつた。多くの點がそれに符合して居たのである。
[やぶちゃん注:「鳳來寺村分垂(ぶんだれ)の山」現在、新城市門谷下分垂の地名があるから、この地区か(グーグル・マップ・データ航空写真)或いはその周辺のピークと思われる。
「灰ぼ色」広い地域で灰色の方言として使用される。
「松脂でも塗つて居るらしく」猪自身が自分の身に自発的に身動きが出来なくなるような粘着性の強い松脂(まつやに)を塗るなどということはあり得ないと思う。]
その後、その猪は如何にしたか消息は遂に聞かなんだが、恐らく擊たれたにしても、只の殺され方はしなかつたであらう。一方話の方は、實驗者が平素無口な實直者だつたゞけ、そのまゝ信じられて、次第に松脂のやうな箔を附けて、永く語り傳へられるであらう。
山深い土地に住んで、猪とは絕えず交涉を有つた人達でも、冷靜な態度で觀察して居た者は至つて尠なかつた。自然のまゝの存在には、舁がれてゆく骸などとは異つて、威嚴と言ふか、兎に角犯し難い或物を備へて居た事は事實である。その爲めか多くは見た目以上に、語らうとした點もあつたらうと思ふ。狩人の多くが已にさうであつた。