石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 黄金幻境
黄 金 幻 境
生命(いのち)の源(みなもと)封じて天(あめ)の綠(みどり)
光と燃え立つ匂ひの靈の門(と)かも。──
靈の門(と)、げにそよ、ああこの若睛眸(わかまなざし)、
强き火、生火(いくひ)に威力(ちから)の倦弛(ゆるみ)織(を)りて
八千網(やちあみ)彩影(あやかげ)我をば捲(ま)きしめたる。──
立てるは愛の野、二人(ふたり)の野にしあれば、
汝(な)が瞳(め)を仰(あふ)ぎて、身は唯(たゞ)言葉もなく、
遍照(へんじやう)光裡(くわうり)の焰の夢に醉(ゑ)ひぬ。
見よ今、世の影慈光(じくわう)の雲を帶びて
輾(まろが)り音なく熱野(ねつや)の涯を走る。
わしりぬ、環(めぐ)りぬ、ああさて極まりなき
黃金(わうごん)幻境(げんきやう)! かくこそ生(せい)の夢の
久遠(くをん)の瞬(またゝ)き進みて、二人すでに
匂ひの天(あめ)にと昇華(しやうげ)の翼(つばさ)振(ふ)るよ。
(甲辰五月六日)
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黄 金 幻 境
生命(いのち)の源封じて天(あめ)の綠
光と燃え立つ匂ひの靈の門(と)かも。──
靈の門、げにそよ、ああこの若睛眸(わかまなざし)、
强き火、生火(いくひ)に威力(ちから)の倦弛(ゆるみ)織りて
八千網彩影(あやかげ)我をば捲きしめたる。──
立てるは愛の野、二人の野にしあれば、
汝(な)が瞳(め)を仰ぎて、身は唯言葉もなく、
遍照(へんじやう)光裡の焰の夢に醉ひぬ。
見よ今、世の影慈光の雲を帶びて
輾(まろが)り音なく熱野(ねつや)の涯を走る。
わしりぬ、環(めぐ)りぬ、ああさて極まりなき
黃金(わうごん)幻境! かくこそ生の夢の
久遠の瞬き進みて、二人すでに
匂ひの天にと昇華(しやうげ)の翼振るよ。
(甲辰五月六日)
[やぶちゃん注:初出は明治三七(一九〇四)年六月号『明星』で、総表題「野歌三律」で後に出る「しらべの海」・「ひとりゆかむ」に最後を本篇として載せる。初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読める。表題の「黄」の字体はママである。「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」の本初版本のこちらの画像を見られたい。]
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