石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 杜に立ちて
杜に立ちて
秋去り、秋來る時劫(じごふ)の刻(きざ)みうけて
五百秋(いほあき)朽(く)ちたる老杉(おいすぎ)、その眞洞(まほら)に
黃金(こがね)の皷(つゝみ)のたばしる音傳へて、
今日(けふ)また木の間を過ぐるか、こがらし姬。
運命(うんめい)せまくも惱みの黑霧(くろぎり)落ち
陰靈(ゐんりやう)いのちの痛みに唸(うめ)く如く、
梢(こずゑ)を搖(ゆ)りては遠(とほ)のき、また寄せくる
無間(むげん)の潮(うしほ)に漂ふ落葉の聲。
ああ今、來りて抱けよ、戀知る人。
流轉(るてん)の大浪(おほなみ)すぎ行く虛(うつろ)の路、
そよげる木(こ)の葉(は)ぞ幽(かす)かに落ちてむせぶ。──
驕樂(けふらく)かくこそ沈まめ。──見よ、綠(みどり)の
薰風(くんぷう)いづこへ吹きしか。 胸燃えたる
束(つか)の間(ま)、げにこれたふとき愛の榮光(さかえ)。
(癸卯十一月上旬)
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杜に立ちて
秋去り、秋來る時劫(じごふ)の刻みうけて
五百秋(いほあき)朽ちたる老杉(おいすぎ)、その眞洞(まほら)に
黃金(こがね)の皷(つゝみ)のたばしる音傳へて、
今日また木の間を過ぐるか、こがらし姬。
運命せまくも惱みの黑霧落ち
陰靈(ゐんりやう)いのちの痛みに唸く如く、
梢を搖(ゆ)りては遠のき、また寄せくる
無間(むげん)の潮(うしほ)に漂ふ落葉の聲。
ああ今、來りて抱けよ、戀知る人。
流轉の大浪すぎ行く虛(うつろ)の路、
そよげる木の葉ぞ幽かに落ちてむせぶ。──
驕樂かくこそ沈まめ。──見よ、綠の
薰風いづこへ吹きしか。 胸燃えたる
束の間、げにこれたふとき愛の榮光(さかえ)。
(癸卯十一月上旬)
[やぶちゃん注:「皷(つゝみ)」ママ。筑摩版全集もママ。後述する『明星』初出形では正しく「つゞみ」となっている。
「陰靈(ゐんりやう)」ママ。同前。歴史的仮名遣は「ゐん」ではなく、「いん」である。後述する『明星』初出形では正しく「いん」となっている。
「薰風(くんぷう)いづこへ吹きしか。 胸燃えたる」の句点後の字空けはママ。全集は詰める。後述する『明星』初出形でも詰まっている。
「癸卯十一月上旬」「癸卯」(みづのえう)は明治三六(一九〇三)年。全集年譜(岩城之徳編)によれば、前年の上京で知遇を得ていた與謝野鉄幹の厚意で石川白蘋(はくひん)のペン・ネームで『明星』に短歌を発表していたが(明治三十五年十月号初回)、この明治三十六年十一月一日『発行の「明星」卯歳第十一号に石川白蘋を新詩社同人とする旨が発表され』、『啄木はこの月初旬より詩作に没頭、「愁調」と題する五篇の長詩を得て、これを啄木の書名で鉄幹の許に送』り、十二月一日発行の『明星』にこの『五篇が載り』、『新詩社内外の注目を集める』とある。而してその「愁調」五篇とは「一――杜に立ちて」・「二――白羽の鵠船」・「三――啄木鳥」・「四――隱居」・「五――人に送れる」であって、改稿されたものが、本詩集に本篇から順に五篇とも収録されてある(「五――人に送れる」は「人に捧ぐ」改題されている)。初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読めるが、校合しても、表記上の違いがあるだけで、有意な改変は行われていないので、初出形は示さない。]
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