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2020/03/30

三州奇談卷之四 妖女奉仕

 

    妖女奉仕

 長町淺井多門と云ふ人は、廉直にして武備を忘ざる人なりりしが、或夜友の元に話(はなし)して、只一人深更に歸られしに、香林坊の邊より若き女一人先へ行く。

『斯く深更に只一人行く者は、必ずうかれ者にこそ』

と、詞を懸け手をとらへんとしけるに、大きに恐れ先へ迯げ行く。程なく我門(わがかど)に至りしに、此女爰(ここ)に彳(たたず)み居たり。

 怪しみながら門を敲きて開けさせしに、彼(かの)女、影の如く、

「つ」

と、門内(かどうち)に入りたり。

『偖(さて)は妖怪の者にこそ』

と身堅(みがた)めして内に入り、寢所に入りて雨戶を明けゝるに、彼女又緣に入る。

「心得たり」

と拔打(ぬきうち)に切懸けしに、手答ヘはせざりしかども、

「あつ」

と云ふ一聲と共に、形は消(きえ)て失せぬ。

 怪しや其聲臺所の方(かた)に聞えし儘、先(まづ)戶をさして、暫く心を靜めて聞き居(をり)しに、臺所には

「茶の間の女一人、寢(いね)おびえて絶氣したり」

と騷ぎける儘に、ふしぎに思ひ、

「藥にても吞ませよ」

と立寄り見たりしに、先の女なり。

 此女、心付きて、淺井氏の顏を見て又迯(にげ)んとす。先(まづ)留(とど)めて其謂(いはれ)をとふに、

「偖は夢にて候や、慥(たしか)に門前迄一人の侍と同道し、内に入候(いりさふらふ)所を、拔打に切られたりと覺えて候」

と云ふ。

 淺井氏、怪しみながら、曾て其事を言はざりければ、

「夢ならん」

とてすみしが、此女何となく心元(こころもと)なく、色々に心を付けて見しかども、其外には何も變りたることもなかりし。

[やぶちゃん注:本篇は既に「柴田宵曲 妖異博物館 夢中の遊魂」で電子化済みであるが、今回は底本が異なり、注も附していない。なお、表題で漢字四字のままで示すのは、本底本では特異点である。なお、ここに出る夢中の遊魂譚は枚挙に遑がない。私の本カテゴリ「怪奇談集」にもかなりある。

「長町」金沢市長町(ながまち:グーグル・マップ・データ。以下同じ)は武家屋敷跡界隈として知られる。

「香林坊」金沢市香林坊。江戸時代より商人町として栄えた。]

 古き怪談にも夢の出で行きし事は載せたれども、夢每に出(いで)あるくにもあらず。若し誠に夢(ゆめ)出(いで)て步かば、億萬の人の夢、夜中は祭禮・踊り場にも似るならん。魂魄あるく者も、又、人中の妖なり。淸水淸玄(きよみづせいげん)、まなごの庄司の淸姫、是皆人妖なり。生れ付(つき)なりとぞ覺ゆ。

[やぶちゃん注:「淸水淸玄」歌舞伎の芝居に於ける怪奇談世界の一つである「清玄桜姫物」(せいげんさくらひめもの)の主役。京都清水寺の僧清玄が高貴な姫君桜姫に恋慕し、最後には殺されるが、その死霊が、なおも桜姫の前に現れるという展開を持つ話。詳しくはウィキの「清玄桜姫物」を読まれたい。

「まなごの庄司の淸姫」思いを寄せた僧安珍に裏切られた少女清姫が、激怒のあまり、大蛇に変じて、道成寺で鐘ごと、安珍を焼き殺す展開を持つ、所謂、能の「道成寺」で知られる安珍・清姫伝説の少女の名。「まなごの庄司」は「眞那古の庄司」で、本伝承の例えば、能の「道成寺」(「眞砂」で「まなご」と読ませる)や浄瑠璃「日高川入相花王(ひだかがはいりあひざくら)」或いは鳥山石燕画「今昔百鬼拾遺」の「道成寺の鐘」等で清姫の父をかく表記する。本家の「道成寺縁起」では、「眞砂(まなご)」は舞台の一つとなる牟婁(むろ)郡の地名とし、「庄司」は「莊司」とも書いて荘園を管理する者の身分呼称である。私はこの話のフリークで、サイト内に以上の電子データ等集成した「――道 成 寺 鐘 中―― Doujyou-ji Chroniclを作っている。]

 奇怪の女、今もなきにしもあらず、正德年中[やぶちゃん注:一七一一年~一七一六年。享保の前。]或武門に妾(めかけ)を求められしに、堀川越中屋五兵衞と云ふ者の娘、容顏並びなきのみならず、糸竹(しちく)の道も疎(うと)からねば、媒(なかうど)を求めて是を妾となしぬるに、一度(ひとたび)幸(さひはひ)して主(あるじ)甚だ悦び、藍田珠玉(らんでんしゆぎよく)、掌中珊瑚(しやうちゆうさんご)と愛せられしに、三十日許(ばかり)過ぎて心得ぬ事ありし。

[やぶちゃん注:「堀川」地名ならば、金沢市堀川町(ほりかわまち)

「糸竹(しちく)の道」「糸」は「弦楽器」を、「竹」は「管楽器」を指し、管弦。ここは琴や三味線などの楽器演奏の嗜み。

「一度(ひとたび)幸(さひはひ)して」「最初は思い通りになったと」の謂いか。

「藍田珠玉」「藍田」は山の名前で中国陝西省にあり、鉱物としての美しい玉石の産地として知られる。]

 此妾深更に及べば暫く居(をら)ず。後は心元なく是を試(た)めさるゝに、夜更けて此女主人の寢息を考へ、忍びて立出で、障子を密(ひそか)にあけ外へ出づる程に、

『偖は忍び男にてもありや』

と、主人、跡より立出で密に伺はれしに、此女緣より

「ひらり」

と飛び、庭前の大きなる栂(つが)の木の高さ十四五間[やぶちゃん注:二十五・四五~二十七・二七メートル。]もあらんと覺えしに、譬へば鼠の壁を登るが如く

「さらさら」

と駈け上り、忽ち梢に打ち跨(またが)つて四方を見廻し居(ゐ)たり。

[やぶちゃん注:裸子植物門マツ綱マツ目マツ科ツガ属ツガ Tsuga sieboldii。別名で「トガ」とも呼ぶ。大木になり、高さ三十メートル、胸高位置の直径で一メートルにも達する。樹皮は灰色がかった赤茶色で亀甲状に剥離する。]

 主人驚き、

『是、只事に非ず。正(まさ)しく妖怪にこそ。下らば討つて捨つべし』

と思はれしが、吃度(きつと)思ひ返して床に戾り、さあらぬ躰(てい)にて寢(い)ねられける。

[やぶちゃん注:「吃度」(きっと)はこの場合は「直ちに・すぐ」の意。]

 暫くして女も歸り、始の如く息合(いきあひ)を聞きて[やぶちゃん注:寝息をさせて。]休みける。

 偖其夜も明けゝれば、年寄女を呼びて、

「妾が事聊(いささか)心に叶はざる事あれば、暇(いとま)を申渡すべし」

とあるに、大(おほき)に驚き、色々詫びたれど、不調法の所を尋けれども、

「只何となく暇を遣すべし」

と云(いひ)ければ、其趣(おもむき)を妾に云ひけるに、妾

「今は是非なし、然らば今一度御目見へ申上げ願上(ねがひあ)ぐる事あり」

とて、主人の前へしづしづと來りて畏(かしこま)り、

「私儀、御暇下され候事、定めて此間の有樣慥に御覽ぜられたると存候(ぞんじさふらふ)。左(さ)候へば、迚(とて)も御家には勤難(つとめがた)し。但(ただし)妾(わらは)が事、一言も御沙汰下されまじく候。萬一此事露程(つゆほど)ももらし給はば、忽ち其夜を去らず御恨み申すべし」

と云ふに、主人

「心得たり、心安かれ、再び、云はじ」

とありりければ、妾快く暇を貰ひ、同じ家中へ奉公に出(いで)けるが、爰にも氣に入りし由(よし)なり。

[やぶちゃん注:「忽ち其夜を去らず御恨み申すべし」「其夜を去らず」の意味がよく判らぬ。「その日の夜が来ないうちにすぐ」で「その瞬間から、忽ちのうちに、直ちに永遠(とわ)にお恨み申します」といった強調形か?

「爰にも氣に入りし由(よし)なり」その奉公先でも気に入られたとのことである。]

 先の主人心得ず、

『慥に人にてはなし』

と覺へ、

「行末如何(いかが)」

と、毎度彼が事を尋ね問はれけるに、他人は今も心ある樣(やう)にも取沙汰せしが、全く怪異の故なりしとぞ。

[やぶちゃん注:「彼」かの女。

「他人は今も心ある樣(やう)にも取沙汰せし」他の人々は、彼女に暇を出したかの男が実は今も彼女に気があるから、彼女のことを聴きまわっているらしいなどと取り沙汰したが、むろんそれは大変な見当違いで、の意であろう。]。

 然(しか)るに此女欝症を煩ひ、程なく死にけり。

 是に依りて葬場(さうじやう)の樣子、取置(とりおき)の次第迄も、心を付けて聞合はされしに、何の替る事もあらざりしとなり。

[やぶちゃん注:「取置」遺体を取り片付けること。埋葬。死に際して正体を現わすと踏んだのである。]

 傳へ聞く、三村紀伊守、銀針(ぎんしん)の如き髮の妖女を殺し、備前岡山の家中山岡權六郞は、妖女と契りて是を知りて、刺殺(さしころ)したりしに、常の女と替らず。只足の指に水搔かきありけると云ひ傳ふ。野女(やまうば)・山姫抔(など)聞きしかども、外(ほか)世間に立交りて怪異の女あること、又珍しからじとぞ思ふ。

[やぶちゃん注:「三村紀伊守」戦国から江戸初期にかけての武将三村親成(ちかしげ ?~慶長一四(一六〇九)年)。備中国川上郡成羽郷の成羽(なりわ)城(鶴首(かくしゅ)城)主(現在の岡山県高梁市成羽町にあった)。後に備後福山藩家老三村家始祖。通称は孫兵衛、受領名は紀伊守。子孫に伝わる系図では「親重」とも。スレ纏めサイト「戦国ちょっといい話・悪い話まとめ」の「三村紀伊守と妖婦」に、「武将感状記」(熊沢猪太郎(熊沢淡庵)によって正徳六(一七一六)年に板行された戦国から江戸初期までの武人の行状記。国立国会図書館デジタルコレクションの画像でこちらから活字本原文を視認出来る)を現代語訳して示されてある。記載者の名前はないので、引用させて貰う。分割された話を繋げ、段落頭を一字下げにした。

   《引用開始》

 三村紀伊守(親成)は備中半国を保って成岩(成羽)に在城した。物事のついでに紀伊守は容色艶麗な富民の娘をひとたび見て、その姿が目の前にあるかのようで、少しも忘れられず「文を通わせる伝手でもあればなあ、この心を知らせたいものだ」と思い煩った。

 そんなところに、どのような手引きであろうか、人が静まった深夜に前述の女が初めて参り、それからの紀伊守は日暮れを待ち、夜が明けるのを恨んで、稀に逢瀬が途絶えることも無かった。

 そんな中、紀伊守の精神は気が抜けてぼんやりした状態となり、この頃気鬱しているということで城外に出て遊んだ。日暮れ過ぎになって、遥か山上を見ると、鞠の大きさの光物が飛んで来て、城中に入り、家屋の間に隠れた。

 家老は怪しんで近侍の士に詰問した。近侍の士は密通のことを告げて「あの女の来る所も、帰る所もわかりません」と言った。家老は(紀伊守のいる部屋に)入って諌めようとしたが、近侍の士は、

「この事は深く秘密になされましたが、相談のために申し上げました。まずは小臣が諌め申し上げます。それでも御承諾なされなくば、その時はよろしく御計らいください」

と言ったので、家老は「もっともだ」と同意した。

 近侍の士が紀伊守の前に出て、「昨暮、山上の光物が飛んで来て、御城に入りましたのを御覧になられましたか? この頃の御病苦は魑魅の祟りがあるのか、色々と訝しい諸事がございます。古えにもそのような例が無いわけではありません。御気をつけてくださいませ」と申し上げると、紀伊守は「心得た」と言った。

 その夜、紀伊守ははさみを使って、こっそりと女の髪を少しばかり切って懐中に入れておき、次の日、取り出して見ると、髪は銀針のようであった。紀伊守はたいへん驚いて近侍の士を呼び、その髪を示した。近侍の士は「これは猶予してはなりません。小臣が今夜、寝室の外で待ち、女を捕らえて刺し殺します」と言ったが、紀伊守は、

「それはよくない。あの女は寝床に就く前に気が緩んだりはしないだろう。万一仕損じれば、悔いてもどうにもならない。前夜に髪を切られたことについて女に覚えがあるなら、必ず疑う心があるはずだ。私がものやわらかな言葉でその感情を解き、その後でお前にも知らせようぞ。お前は早まってはならない」と、制止した。

 夜半を過ぎた頃、寝室で俄に騒動があった。近侍や宿衛の者たちは同時に起きて、戸を押し破って入り見れば、紀伊守は気絶していた。しばらくして紀伊守は目を見開き、

「私が気絶したことは無念である。しかしながら、あの女はよもや生きてはいまい。女が戸外に立って『今宵は心が普通ではないので、これから帰ります』と言ったのを、私はなだめて呼び入れた。

 いつもより懇意に語らい、女が少し眠るのを待って直ちに胸に乗り掛かり、三刀まで刺した。

 すると、あの女は私を脇に挟んで天井に飛び上がった。私は固く捉えて手を離さなかった。天井から落ちてしまったが、(どうして落ちたのかは)夢のようで記憶していない」

と、語った。天井は破れ、そこから血が流れて避ける所が無かった。夜が明けて光物の来た所の山に人を遣わし、血を印しに女を捜索させたところ、三里余りの深山に入り、血痕が巌穴の入り口に到り止まっているのを発見した。恐れて中に入る者はいなかったが、一人の壮力の士が腰に縄を付けて二、三十間這い入ると、中が暗いために何なのかはわからないが、死んだ様子のものがあった。その足に縄を付け、出てからこれを引き出した。それを見ると、身長六尺余りの老女だった。白髪の長さは一丈ほどで、面背(表側と裏側)を覆っていた。胸には大きな傷が三つあって死んでいた。その後、紀伊守の病気は癒えた。

   《引用終了》

「備前岡山の家中山岡權六郞は、妖女と契りて是を知りて、刺殺(さしころ)したりしに、常の女と替らず。只足の指に水かきありりけると云ひ傳ふ」人物も不明で、原話を探し得なかった。識者の御教授を乞う。

「野女(やまうば)」深山に住んでいるとされた女の妖怪。山に住む鬼女。「やまんば」とも呼ぶ。私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の「野女(やまうば)」を読まれたい。

「山姫」「山女(やまおんな)」とも。本邦の山中に住む女の妖怪。人の血を吸って死に至らしめるなどの言い伝えなどが全国各地に広く残る。ウィキの「山姫」にやや詳しく載る。]

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