石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 白羽の鵠舩
[やぶちゃん注:本篇については前の「杜に立ちて」の注を参照されたい。表題の「鵠舩」は詩篇内で「とりぶね」と訓じている。「鵠」は狭義には「くぐひ(くぐい)」で「大形の水鳥」則ち「白鳥」を指すが、他に「白い」の意があり、ここは「白い鳥」でよかろう。幻想の鳥の白羽(しらは)の白帆の小舟の形象と読む。東西の神話の中に出現するものでもある。本文では「船」であるのに表題では「舩」なのはママ。全集は表題も「船」とする。初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読めるが、 本篇本文は初出形と校合しても、表記上の違いがあるだけで、有意な改変は行われていないので、初出形は示さない。]
白 羽 の 鵠 舩
かの空みなぎる光の淵(ふち)を、魂(たま)の
白羽(しらは)の鵠船(とりぶね)しづかに、その靑渦(あをうづ)
夢なる櫂(かひ)にて深うも漕(こ)ぎ入らばや。──
と見れば、どよもす高潮(たかじほ)音匂ひて、
樂聲(がくせい)さまよふうてなの靄(もや)の帕(きぬ)を
透(す)きてぞ浮きくる面影、(百合姬(ゆりひめ)なれ)
天華(てんげ)の生襞(いくひだ)瑲々(さやさや)あけぼの染(ぞめ)、
常樂(じやうげふ)ここにと和(やは)らぐ愛の瞳(ひとみ)。
運命(さだめ)や、寂寥兒(さびしご)遺(のこ)れる、されど夜々の
ゆめ路(ぢ)のくしびに、今知る、哀愁世(かなしきよ)の
終焉(をはり)は靈光(れいくわう)無限の生(せい)の門出(かどで)。
瑠璃水(るりすゐ)たたえよ、不滅の信(しん)の小壺(こつぼ)。
さばこの地に照る日光(ひかり)は氷(こほ)るとても
高歡(かうくわん)久遠(くをん)の座(ざ)にこそ導(みちび)かるれ。
(癸卯十一月上旬)
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白 羽 の 鵠 舩
かの空みなぎる光の淵を、魂(たま)の
白羽(しらは)の鵠船しづかに、その靑渦
夢なる櫂にて深うも漕ぎ入らばや。──
と見れば、どよもす高潮(たかじほ)音匂ひて、
樂聲さまよふうてなの靄の帕(きぬ)を
透きてぞ浮きくる面影、(百合姬なれ)
天華(てんげ)の生襞(いくひだ)瑲々(さやさや)あけぼの染(ぞめ)、
常樂(じやうげふ)ここにと和らぐ愛の瞳。
運命(さだめ)や、寂寥兒(さびしご)遺れる、されど夜々の
ゆめ路のくしびに、今知る、哀愁世(かなしきよ)の
終焉(をはり)は靈光無限の生の門出。
瑠璃水(るりすゐ)たたえよ、不滅の信の小壺。
さばこの地に照る日光(ひかり)は氷るとても
高歡(かうくわん)久遠の座にこそ導かるれ。
(癸卯十一月上旬)
[やぶちゃん注:「櫂(かひ)」はママ。歴史的仮名遣は「かき」のイ音便であるから「かい」でよい。
「日光(ひかり)」の「ひかり」は二字へのルビ。
「帕(きぬ)」鉢巻やハンカチーフのようなものを指す語であるが、ここはそれの薄く大きな絹のベールの謂いであろう。
「天華(てんげ)の生襞(いくひだ)」曙から東雲にかけての天空の雲の輝くさまを隠喩・換喩して謂ったものであろう。
「瑲々(さやさや)」「瑲」は玉や金属などが触れ合って静かに鳴るさまや、楽の音(ね)の調和すること、或いは鈴の音。ここは自然界の静かな美しい様態を聴覚的に換喩したもの。
「常樂(じやうげふ)」「げふ」はママ。「樂」は呉音では歴史的仮名遣で「ゲウ」、現代仮名遣いで「ギョウ」になるので啄木の誤記である(初出も同じであることから)。本来は涅槃世界の絶対不変の安穏の様態を指す語。「常」は「恒常であること」を、「樂」は「静謐な楽しみ」の意。
「くしび」「靈び」「奇び」で、「霊妙なこと」「不思議なこと」の意。動詞「くしぶ」の連用形の名詞化。
「さば」平安時代からある接続詞。先行する事態の結果として後にことが起こることを示す。「それならば」「それでは」「さらば」。
「癸卯十一月上旬」「杜に立ちて」の後注を参照。]
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