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2020/03/09

三州奇談卷之三 亡生有ㇾ因

    亡生有ㇾ因

 四夢は所謂虛實思端といへ共、多くは病(やまひ)より出て氣虛による。別に四夢あり。無明習氣(むみやうじつけ)・四大偏僧・巡遊舊識・善惡先徴、是華嚴の說とかや。然共定難き浮世も又一夢ならん。

[やぶちゃん注:表題は「亡生(ばう/しやう)因有り」と訓読しておく。死と生にはしっかりのとしたそうなるべき因縁がある、という意でとっておく。

「四夢」仏教用語にはこれと「五夢」というのがあることが仏教論文の目次では判るが、その内容に就いてはネットで検索出来ない。但し、如来は夢は見ないとされているから、これらは筆者の謂いからも迷妄に発する悪しき様態を指すことは間違いあるまい。筆者が言う前者は多分に現在の精神病・神経症の類いを指しており、後者は生活や生涯の因果応報に依るところの数奇変容を指しているようには感じられはする。

「虛實思端」不詳。虚と実の想いの接点に生ずるということか。

「氣虛」漢方医学で生命活動の根源的なエネルギーである「気」の量が不足を生じた病態を広く指す。

「無明習氣」「じつけ(じっけ)」の読みは信頼出来る複数の仏教サイトに拠った。煩悩の主体である肉体と離れたり、真如を覚ってもなお、習慣となって残っている煩悩の働きを指す語のようである。恩田彰氏の論文「井上円了の心理学の業績」(PDFこちらからダウン・ロード可能)によれば、井上円了が「仏教夢説一班」(明治三五(一九〇二)年)で、『仏教の中に見られる夢の事例をあげ、その種類、説明、夢の仏教的意義について考察し』ているが、『夢の生起の理由として、たとえば無明習気(煩悩)・善悪先徴(善悪・吉凶の夢告)・四大偏増(心身の不安定)・巡遊旧識(見聞したことへの思い)などを引用し』、『これは心理的説明であり、いずれも納得できるとしている。しかし仏教では、無我無常であり、世界の現象は虚仮無実であることを証明するのに、夢をあげて、夢、幻のごとしと説いているとまとめている』とあるのが参考になる。

「四大偏僧」「四大」は本来は万物の構成要素とされる地・水・火・風の四元素を言うが、それから形成されている人の肉体をも指し、ここはそれで、人が最悪の憎悪に代表される病的様態に偏頗することであろう。

「巡遊舊識」この熟語そのものがフラットな意味で、自身が以前に各地で実体験した知識や感想の意がある。しかしそれが、正常に論理的に現在の思考と意味深く結びつくことなしに、脳内に突然生起する様態を病的な「夢」と捉えているように私には思われる。

「善惡先徴」これも私の個人的印象であるが、後づけによる、本来は意味のない夢に、牽強付会的な解釈をして予兆とする夢告の神秘性を逆に退けていると言えるのではあるまいか? 但し、筆者は少なくともこの夢の予言を積極的に肯定していることが後の展開で判る。]

 金澤家中奧田十兵衞は、男女の子多くありし。惣領の娘を高橋甚五郞に嫁す。是又男女二子あり。此婦人元文元年に產せしに、胎死して產後大病にて、其頃の大醫手を盡せ共、定業にや、翌四月朔日に廿三歲にして死去、末期に遺言して、

「只我娘他人の手に育てんは不便なれば、我妹を再嫁してたべ、只娘の事のみ心にかゝる間、宜しく介抱賴む」

の詞のみ有て終りぬ。則(すなはち)菩提所卯辰山(うだつやま)眞成寺(しんじやうじ)に葬る。

[やぶちゃん注:「奧田十兵衞」藩士に奥田姓は複数いる。なお、一般藩士や町人の場合、人物特定することが殆んど意味を成さないケースがあるので、以降、特にその職掌が話柄と密接に絡む場合や、著名人と思しい人名のみに注を附すこととする。悪しからず。

「元文元年」一七三六年。

「介抱」養育。

「眞成寺」金沢市東山の卯辰山の東山麓の寺院群の中にある日蓮宗妙運山真成寺(グーグル・マップ・データ)。]

 其後甚五郞方には遺言のごとく妹を迎へ、姊娘は愛子(まなこ)なればとて、十兵衞方へ引取り育しに、十五歲の頃松坂右衞門妻と成りて岩五郞と云ふを生む。

[やぶちゃん注:この最後の箇所は国書刊行会本では『前田兵部妻と成(なり)て梅五郞と云(いふ)をうむ』と名前が異様に異なる。加越能三州奇談『前田兵部妾』(めかけ)。「近世奇談全集」は底本と同じである。これは判読以前に何らかの恣意的な操作の可能性が疑われる。「前田」姓であることを藩主主家に遠慮したものかも知れない。]

 其後此女不快の事ありしが、頃は三月下旬なりしが、ふしぎの夢を見たり。

 其身死すと覺えて、何國(いづく)ともなく曠々(くわうくわう)たる野に至るに、先へ人行く。是に隨ふと覺えて步み行くに、慥に卵辰山眞成寺の卵塔に至りしと思ふ。向ひに大川一筋ありて、其川岸に彳(たたず)むに、折節川の向ひに容顏美麗の女性、綾羅(あやぎぬ)をまとひて立給ひ、我を招き給ふに、いつしか川を越えて彼女性の前にひざまづく。其時、女性手を取りて、

「そも汝何故爰に來るや。誠に親なき者は不便のこと、先(まづ)汝が姿何故斯く淺ましきや」

と宜ふ時、我身を顧みるに、うるさき綴(つづれ)のひとへを着たり。彼(かの)女性手づから其つゞれをぬがせ、我が着(ちやく)せし織物に數多(あまた)縫(ぬひ)ある小袖を打かづけて、猶愁淚あり。

[やぶちゃん注:「うるさき綴」いかにも見っともない破れを接ぎ合わせた衣服。襤褸(ぼろ)の着物。]

 其時女問ひて云ふ、

「そも御身何人(なんぴと)なれば、斯く迄我をいたはり給ふ」

といへば、女性答へて、

「扨々汝は愚かなり者かな、我こそ汝が母なれ」

といふ。

 女は淚を流し、

「扨は母にてましますか、四歲の時別れ奉りしとは聞きしに、あらなつかしや嬉しや」

と膝元に臥(ふし)まろび泣きければ、母は手を取りて引起し、

「汝重ねて來(きた)ることなかれ、早く歸るべし」

と衝(つ)きはなし玉ひながら、

「去(さる)にても我(われ)善所にありといへども、只ひたすら汝が慕(したは)しき程に、若(も)しや汝が此因により、又爰に來ることもあるべきかと、心うきことにこそ」

とありしと覺えしが夢は覺めたり。

 枕に淚流れてやる方なかりき。

[やぶちゃん注:国書刊行会本は亡き母の台詞を「とありし」の部分までとするが、「と」が台詞してはかしく、「こそ」の結びも流れていることになり、私は甚だおかしいと思う。

「卵塔」狭義には僧侶の墓を指すが、ここは「墓」或いは「卵塔場」で「墓場」の意。

「綾羅」「りようら(りょうら)」と読んで、「綾絹(あやぎぬ)」と「薄絹」の意であるが、美しい衣服の謂いでもあり、私の独断でかく読んだ。]

 其後是も廿三歲の年懷孕(くわいよう)にてありしが、正月より破血(はけつ)して、二月朔日(ついたち)に臨產(りんざん)といへども、產み得ずして寶曆五年二月六日の早旦に、母と同じ齡ひに死去せられぬ。

[やぶちゃん注:「懷孕」妊娠。]

 一業(ごふ)感ずる所にや。

 卯辰山眞成寺に葬るに、此寺元より境内狹く、卵塔を築くべき明地(あきち)なかりしかば、先年葬りし母が古墳の向ひ合せにて築きける。其間(そのあひだ)纔(わづか)に水流れて、是も川を隔たる夢中の物語り今ありありと符合す。

 是や善惡先徵とは云はめ。

 是は幽冥に因ありて、此世の永きこと能はず。

 爰に又此の世に因ありて冥路(よみぢ)に障りしことを聞きたり。

 寬延[やぶちゃん注:一七四八年~一七五一年。]の頃とかや、金澤木倉町(きぐらまち)[やぶちゃん注:現在の金沢市木倉町附近(グーグル・マップ・データ)。]と云ふに、越中屋六右衞門とて正直の者ありき。庄吉とて男子あり。能く父母に仕へ孝行なり。魚問屋何某の許(もと)に仕へて廿七歲の頃迄能く奉公し、

「器用物」

とて主人も朋友も念頃に云ひしに、寬延午の年[やぶちゃん注:寛延三年庚午(かのうえうま)。一七五〇年。]

「風のこゝち」

と云ひしが、是も定業限りありしにや、忽ち空しくなりしかば、父母の歎き喩ふるに物なし。闇路の杖を失ひし心地なりしが、是非なく夜半(よは)の煙(けぶり)となし[やぶちゃん注:「夜半の煙」で成句で「火葬の煙」を指す平安以来の古語。]、ひたなきに泣きて、此身も何となら柴の、しばしも忘るゝ間もなく、三年が程をたちしに、或夜の夢に、年の頃三歲許の男子(をのこ)、賤しからざる武家の子と見えて、花色に七寶を散らしたる小袖を着し、

「するする」

と走り寄り、夫婦の前に手をつかへ、世になつかしげなる風情にて、

「我は庄吉が後身なり。父母(ぶも)平安にあること二世(にせ)の悅(よろこび)なり。我(われ)平生の心願により、今斯く武家へ生れ、父母の寵愛深しといへども、御身達我を忘れ給はず、朝暮(あけくれ)したひ給ふにより、輪廻のきづな終に盡きず、忽ち人世(じんせい)の壽算(じゆさん)を減ぜられ、只今冥府へ又歸るなり。然れども我(わが)願力(かんりき)切(せつ)なれば、又此土(このど)に參るべし。我を哀れみ給はゞ、相構へて愛執の歎きを止(とど)めおはしまさば、自他共に願心成就すべし。必(かならず)此事忘れ給ふまじ」

と、吳々(くれぐれ)告げて夢覺めし。

 老父ふしぎに思ひて、妻に語れば、

「等しく左樣の夢見たり」

と、手を打ちて夫婦驚き、夫より一向に愛執の思ひを止め、持佛に參詣して、淚と共に此事を人に語りぬ。

 此庄吉、生前近江町[やぶちゃん注:現在の金沢市の上近江町及び袋町附近(グーグル・マップ・データ)。]問屋に奉公の頃、其邊りの劍術の師に色々習ひ受けて、

「今生(こんじやう)こそ叶はずとも、未來は武門に生れん」

と、朝暮(あけくれ)其事のみ願ひしが、誠に一念五百生(しやう)とや、今やいづちの若殿にてやあらん。

[やぶちゃん注:お洒落なコーダで好ましい。]

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