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2020/03/14

早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 十三 山の神と狩人

 

     十三 山 の 神 と 狩 人

 

Kematurinokusi

 

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの底本の画像をトリミング・補正した。キャプション「毛祀りの串」で「けまつりのくし」。]

 

 狩人が猪を擊つた時は、その場で首のイカリ毛を拔いて山の神に捧げるのが、古くからの作法であつた。その方法は先づ手頃の木を切つて皮を剝ぎ、尖[やぶちゃん注:「さき」。]を割いて[やぶちゃん注:「さいて」。]串を作り、それに毛を挿んで立てるのである。別に其場で臟腑を拔いて祀る事もあつたが、猪の場合は極く稀であつた(詳しくは鹿の項に讓る)。その折の唱へ言などはもう無かつた。只實直な狩人には、人に物言ふ如くに、よう猪をお授け下されたと、唱へる者もあつたと言ふ。

[やぶちゃん注:「イカリ毛」「怒り毛」。獣などが怒って逆立てた毛。特にイノシシの頭頂から背にかけて生じている剛毛を指すと、小学館「日本国語大辞典」にあった。平凡社「世界大百科事典」の「毛」の文化史の部分には(コンマを読点に代えた)、『獣や家畜の毛についてもさまざまな風習や俗信が行われている。たとえば、東日本では狩りの後に〈毛祭〉といって、捕った獣のひざ、つま先。耳などの毛を抜いて串(くし)にはさみ、山の神に供える風習がある。マタギの間には〈毛ボカイ〉といって、カモシカやクマを捕らえると、はいだ毛皮を獲物の上に反対にかけ』、『唱言をして引導をわたす風習もある。また〈毛替(けがえ)〉といって、主人が死ぬと、その家で飼っているウマ、イヌ、ネコなどの家畜を他へ売ったり、毛色の異なるものと替える』風習『もある』とあった。

「山の神」ウィキの「山の神」より引く。『実際の神の名称は地域により異なるが、その総称は「山の神」「山神」でほぼ共通している。その性格や祀り方は、山に住む山民と、麓に住む農民とで異なる。どちらの場合も、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを謙遜して「山の神」という表現が生まれた。このような話の原像は『古事記』、『日本書紀』のイザナミノミコトとも一致する』。『農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという信仰がある。すなわち』、一つの神に「山の神」と「田の神」という二つの『霊格を見ていることになる。農民に限らず日本では死者は山中の常世に行って祖霊となり子孫を見守るという信仰があり、農民にとっての山の神の実体は祖霊であるという説が有力である。正月にやってくる年神も山の神と同一視される。ほかに、山は農耕に欠かせない水の源であるということや、豊饒をもたらす神が遠くからやってくるという来訪神(客神・まれびとがみ)の信仰との関連もある』。『猟師・木樵・炭焼きなどの山民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神である。農民の田の神のような去来の観念はなく、常にその山にいるとされる。この山の神は一年に』十二人の『子を産むとされるなど、非常に生殖能力の強い神とされる。これは、山の神が山民にとっての産土神でもあったためであると考えられる。山民の山の神は禁忌に厳しいとされ、例えば祭の日』(一般に十二月十二日、一月十二日など十二にまつわる日)『は山の神が木の数を数えるとして、山に入ることが禁止されており、この日に山に入ると木の下敷きになって死んでしまうという。長野県南佐久郡では大晦日に山に入ることを忌まれており、これを破ると「ミソカヨー」または「ミソカヨーイ」という何者かの叫び声が聞こえ、何者か確かめようとして振り返ろうとしても首が回らないといい、山の神や鬼の仕業と伝えられている』。『また、女神であることから出産や月経の穢れを特に嫌うとされるほか、祭の日には女性の参加は許されてこなかった。山の神は醜女であるとする伝承もあり、自分より醜いものがあれば喜ぶとして、顔が醜いオコゼを山の神に供える習慣もある。なお、山岳神がなぜ海産魚のオコゼとむすびつくのかは不明で、「やまおこぜ」といって、魚類のほかに貝類などをさす場合もある。マタギは古来より「やまおこぜ」の干物をお守りとして携帯したり、家に祀るなどしてきた。「Y」のような三又の樹木には神が宿っているとして伐採を禁じ、その木を御神体として祭る風習もある。三又の木が女性の下半身を連想させるからともいわれるが、三又の木はそもそもバランスが悪いために伐採時には事故を起こすことが多く、注意を喚起するためともいわれている』とある。この山の神がオコゼを好むという伝承についての考証は私の古い電子テクスト、南方熊楠の「山神オコゼ魚を好むということ」を参照されたい。

「鹿の項」後の「鹿」パートの「六 鹿の毛祀り」の冒頭の一段を指す。フライングして示すと、

   *

 狩人が鹿を擊つた時は、其場で襟毛を拔いて山の神を祀つた事は、猪狩の毛祀りと何等變はつた事は無かつた。只鹿に限つての慣習として、其場で臟腑を割いて、胃袋の傍にある何やら名も知らぬ、直徑一寸長さ五六寸の眞黑い色をした物を、山の神への供へ物として、毛祀りと一緖に、串に挿し或は木の枝に掛けて祀つた。これをヤトオ祀りと言うた。ヤトオは前にも言うたが、矢張り串であつた。その眞黑い物は何であつたか、狩人の悉くが名を知らぬのも、不思議だつた。腎臟だらうと言うた人もあつたから、或はさうかも知れぬ。ずつと以前は、兩耳を切つて、ヤトオ祀りをしたと言ふが、近世では耳の毛だけを串に挾んで祀る者もあつた。然し後には臟腑を割く事をも略して、只毛祀りだけで濟ましたものもあつたと言ふ。

   *

とあるのを指す。「ヤトオ」は「三 猪の禍ひ」の本文及び私の注を参照されたい。]

 山の神を祀る事は、狩りの前にも行つた。幾日山を步いても、更に獲物に遭遇せぬ時は、一旦家に還つて、更に出直したのである。而して山口に地を撰んで、手近の常綠木の小枝を二三折敷いて[やぶちゃん注:「をりしいて」。]、其上に酒を灌ぎかけて祀つた。山の神猪をシナシて下されと祈つたと言ふが、猪狩に限つた事では無かつた。シナシて下されは狩人の言葉で、獲物に巡り合わせ給への意であつた。或は又獲物を前にして祀る事もあつた。多くは巨大な古猪などの場合で、狩の懸念される折であつた。方法も前と變りなく、殘りの酒を汲交して[やぶちゃん注:「くみかはして」。]出掛けたのである。

[やぶちゃん注:「シナシて下され」とは「仕爲して下され」で「豊穣の狩りが危険や事故などなく目出度く成就出来ますようになさって下さい」という呪言(じゅごん)であろう。]

 山の神は女性であるとは、專ら言うた事で、山の木の葉一枚も惜まれると謂うたが、或は一眼一本脚の大漢[やぶちゃん注:「おほおとこ」と読んでおく。]であるとも謂うた。現に鳳來寺山中で、遭遇した者もあつたと聞いたが、久しい前で、而も詳しい事は傳はらない。さうかと思ふと、同じ山中で永年狩を渡世にして居た丸山某は、數里四方に亘ると言ふ森林中を殆ど至らぬ隈なく跋涉して、人跡稀な山中に夜を明した事も、幾度かはかり知れぬが、たゞの一度も遭遇せぬからは、昔の人の噓だと斷言した。而も獲物を取匿される事だけはあつたと言ふ。何物の所爲か判らぬが、確かに斃したに拘らず、谷を渡つて近づいて見るともう影も形もなかつた。中には程經てから山犬などに荒らされて居るのを、見出す事もある。さうかと思ふと幾度も搜索して、確かに無かつた筈の處に、早半分腐つて居るのを、後に發見する事もあつた。何れにしても目の迷ひなどゝ信じられぬ、山の不思議はたしかにあつた。それで結局は山の神に匿されたとして置いたと言うた。同じ山の西麓、玖老勢村の某の狩人は、斃した猪の行衞を索め[やぶちゃん注:「もとめ」。]あぐんで、諦めて還りかけると、誰やら後[やぶちゃん注:「うしろ」。]で呼んださうである。振返つて見ると、全身毛だらけの大男が立つてゐた。最早遁げるに遁げられず其に立竦んで居ると、大男は傍へ寄て[やぶちゃん注:「よつて」。]何やら問ひかける。よく聽いて見ると、頻りに何處の者だと尋ねるのださうである。さうして段々話す内、實は三十年前に家出した、同じ村の豆腐屋某の忰であると語つたという。その狩人には勿論其事は思ひ出せなんだと言ふ。どうして暮して居ると訊いて見ると、初めは木の實を拾つたり、木のアマ皮を剝いで飢を凌いだが、今では何でも捕つて食ふと言う。さうして居る内、何時か體中に毛が生へてしまつたと、語つたさうである。最後に別れる時、俺に遇つた事は、決して喋つて吳れるなと言うたが、其狩人が臨終の折に、傍の者に語つたと言ふ。其時見失なつた猪の行衞はどうだつたか、その男と關係あるやうに思はれるのに、其事に就いては聽かれなんだ。

 自分に語つたのは、今年七十幾つになる老媼だつた。子供の頃母から聽いたさうであるが、恐ろしいと思つて、以來誰にも話さなんだと言うた。

[やぶちゃん注:ここに記された真怪・妖怪・妖獣としての鬼神・山人・山男や、はたまた非社会的人間がアジールとして山中を選び、そこで単独の暮らしをしていた実在する人物らしき実話は枚挙に暇がないほどあり、私のカテゴリ「怪奇談集」にも数多く見られる。

「一眼一本脚の大漢」「一本踏鞴(いっぽんだたら)」であるが、これは山中での鉱脈の発見と、それに伴う金属精錬の歴史の中で生じた金属神で、本来は「山の神」とは全く異なる神であったものが集合したものであると私は考える。一つ目一本足であるのは、踏鞴(たたら/ふいご)を踏むには片足を常に連続的に酷使しし続けるために、その片足が不自由になることが多く、また、爐を極めて高温にせねばならぬが、金属融解の温度は当時、その火の色を見る以外にはそれを究められなかったために、常に爐に開けた小さな穴から中の火を凝視し続けねばならず、それによって似たように片目が不自由になるものがやはり多かったと思われることに由来する。されば、山中の鉱脈を秘かに探し出し、そこで鍛冶に秘かに従事した(或いは従事させられた)民を隻眼隻脚の鬼神としてシンボライズすることは自然であったと私は考えている。『一目小僧その他 柳田國男 附やぶちゃん注 自序及び「一目小僧」(一)~(三)』以下も参照されたい。

「玖老勢村」「くろぜむら」。愛知県新城市玖老勢(グーグル・マップ・データ)。鳳来寺(少し拡大すると判る)の西直近。

「今年七十幾つになる老媼」本書の刊行は大正一五(一九二六)年である。例えば、十歳の時に母から聴いたとしても、満七十として、一八五三年で嘉永六年相当の時であり、しかもその話は更にそこから十何年か何十年か遡る可能性が大であるから、江戸時代の後・末期の話柄であることになる。]

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