毛利梅園「梅園介譜」 蝤蛑(ガザミ)
陳懋學事カ言要玄ニ曰
蝤 蛑【カサミ】一名黃甲
蟹最巨ナル者、殻黃ニ乄而無ㇾ斑、螯(ハサミ)圓ニ而無ㇾ毛
殻有二両尖リ一
洪容齊四筆、引テ二呂亢カ臨海蟹圖ヲ一曰、蝤蛑、
両螯大ニ而、有二細毛一如ㇾ苔ノ八足亦皆有ㇾ毛
福州府志曰、蝤蛑、其螯最健、大ナル者能殺スㇾ人ヲ
蝤 蛑(ユウホウ) 【カサメ ウミガニ
カサミ
カミナリガニ 兵庫】
園曰
嶺表錄異曰蝦魁、漳州府志曰龍蝦、順カ
和名抄、及文撰呉都賦曰、擁劔、ホ皆カサミトス、
[やぶちゃん注:「ホ」のような字は「等」の略字。]
擁劍、俗ニ片爪ガニ、一螯ハ大キク、一螯ハ小シ、テンボウ
ガニト云、龍蝦、八閩書ニ出ス、伊セヱビ也、蝦魁、八
虎(大カニ)[やぶちゃん注:左ルビ。]
蟳(シン)、ノ屬也、蟹種類甚多ク乄、大和本草ニ
蝤蛑、其形狀甚大也、手ノ長サ一、二尺、有ㇾ節、螯
ノ長サ、四寸、北国ニアリ、嶋カニト云、松𫝍氏ノ蟹
譜ニ曰、嶋蟹、則虎蟳也、蝤蛑ハ、カサミ也、虎
蟳、則シマカニ、蝤蛑ニ非ラズ、猶後人ノ説ヲ、
待ノミ
癸巳七月廿日
眞寫
○やぶちゃんの書き下し文[やぶちゃん注:一部の字空けや、余計な読点を無視、或いは別記号とし、記号を加え、一部の読みは推定で歴史的仮名遣で施した。約物は正字化した。]
陳懋學(ちんぼうがく)が「事言要玄」に曰くは、
『蝤蛑(ユウホウ)【ガサミ。】一名「黃甲」。
蟹の最も巨(おほ)きなる者、殻、黃にして、斑(まだら)無く、螯(はさみ)、圓(まどか)にして、毛、無く、殻、両の尖(とが)り有り。』と。
「洪容齊四筆」、呂亢(りよこう)が「臨海蟹圖」を引きて曰はく、『蝤蛑、両の螯、大にして、細き毛、有り、苔(こけ)のごとし。八足も亦、皆、毛、有り。』と。
「福州府志」に曰く、『蝤蛑、其の螯、最も健(たけ)くして、大なる者、能く、人を殺す。』と。
蝤蛑(ユウホウ)【ガザメ・ウミガニ・ガザミ・カミナリガニ(兵庫)】
園、曰く、
「嶺表錄異」に曰く、『蝦魁(カクワイ)』、「漳州府志」に曰はく、『龍蝦』、順が「和名抄」、及び、「文撰」[やぶちゃん注:「文選(もんぜん)」のこと。]の「呉都賦」に曰く、『擁劔(ヨウケン)』、等、皆、「ガサミ」とす。『擁劍』は、俗に『片爪(かたつめ)ガニ』、一(いつ)の螯は大きく、一(いつ)の螯は小(ちい)さし。『テンボウガニ』と云ふ。『龍蝦』、「八閩書(はちびんしよ)」に出だす。『伊セヱビ』なり。『蝦魁』、『八虎蟳(はちこじん/大(おほ)かに)』の屬なり。蟹、種類、甚だ多くして、「大和本草」に『蝤蛑、其の形狀、甚だ大なり。手の長さ一、二尺、節、有り、螯の長さ四寸。北国にあり、「嶋ガニ」と云ふ。』と。松𫝍氏の「蟹譜」に曰はく、『嶋蟹、則ち、「虎蟳」なり。』と。「蝤蛑」は「ガサミ」なり。「虎蟳」、則ち、「シマガニ」、「蝤蛑」に非らず。猶ほ、後人の説を待つのみ。
癸巳(みづのとみ)七月廿日、眞寫す。
[やぶちゃん注:画像は国立国会図書館デジタルコレクションの毛利梅園自筆の「介譜」のこの画像をそのまま示した。本叙述は梅園自身がやや戸惑って叙述しているように(異様に本文に読点染みたものが矢鱈に打たれているのは、特異点で、そこに梅園の困惑が逆に見える)、明らかに多数の別種のカニ類が混在して叙述されてしまっていると私には読める。但し、図された個体そのものは鉗脚長節(Merus。体部から出る鉗脚の根元(体部と繋がっている座節と自切線のある基座節の上部)から鉗脚の真中の関節までの左右鉗脚の近位部分)に四基の棘があること(同属タイワンガザミ Portunus pelagicus は三基しかない。後の引用を参照)、甲羅の左右が充分に尖っていることと、甲羅の紋様から、明確に、
甲殻上綱軟甲(エビ)綱真軟綱(エビ)亜綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目ワタリガニ科ガザミ属ガザミ Portunus trituberculatus
に比定してよい。ガサミの鋏は強靱で強く、挟まれるとなかなか外れず、大型個体では大きな怪我をする(「能く人を殺す」は中文らしく大袈裟であるが、中学時代、友人と釣りに行き、私が釣り上げた二十センチほどのガザミを外そうとして友が親指をガッシと挟まれた。なかなか離さず、どうなることかと思って頭が真白になった。その時の映像を今でもよく覚えている)。そのため、カニながら、挟まれると思いがけない深手を負うことから特に「カニハサミ」と呼び、それが縮約されて「ガザミ」となったとされる。ウィキの「ガザミ」によれば、『甲幅は15cmを超える大型のカニで、オスがメスより大きい』性的二形で、『甲羅の背面は黄褐色だが、甲羅の後半部分や』鉗脚、步『脚などは青みがかっており、白い水玉模様がある。これらは敵や獲物の目をあざむく保護色となっている。腹側はほとんど白色で、毛や模様はない』。『甲羅は横長の六角形を』成し、『前縁にギザギザのとげが並び、左右に大きなとげが突き出している』。鉗脚は『頑丈で、たくさんのとげがあり、はさむ力も強いので、生体の扱いには注意を要する。第』二『脚から第』四『脚までは普通のカニと同じ脚をしているが、第』五『脚は脚の先が平たく変形した「遊泳脚」となっており、これを使って海中をすばやく泳ぐことができる』。『なお、ガザミの』鉗脚『長節(ハサミのつけ根から真ん中の関節までの部分)にはとげが』四『本あるので、よく似たタイワンガザミ』は三本なので、容易に『見分けられる。同じワタリガニ科』(ワタリガニ科 Portunidae)『のイシガニ類』(イシガニ属 Charybdis 或いはイシガニ Charybdis japonica)『やベニツケガニ類』(ベニツケガニ属Thalamita或いはベニツケガニ Thalamita pelsarti)『は、甲羅の左右に大きなとげが突き出しておらず、ガザミよりも小型で丸っこい体格をしている』。『北海道から台湾まで分布し、波が穏やかな内湾の、水深』三十メートル『ほどまでの砂泥底に生息する。宮城県では』二〇一一『年まで漁獲量は』十『トン以下で』、『養殖にも失敗していたが、東日本大震災の影響で仙台湾南部に広く泥が堆積したたことで』、二〇一二『年から生息数が急増し』、二〇一五年には五百『トンを記録し』、『全国』一『位となった』。『大きな敵が来ると』、『泳ぎ去るが、普段は砂にもぐって目だけを砂の上に出してじっとしていることが多い。海藻なども食べるが、食性は肉食性が強く、小魚、ゴカイ、貝類など、いろいろな小動物を捕食する』。一方、『敵は沿岸性のサメやエイ、タコなどである』。『大型で美味なカニなので、古来より食用として多く漁獲されてきた。現在では有名な産地が各地にあり、これらの地域では種苗放流も盛んである。ただしガザミはカレイやヒラメ、タイなどの稚魚をよく捕食するので、これらの種苗放流も並行して行われる地域では、お互いに子どもを食い合って競合することとなる』。『ガザミの産卵期は春から夏だが、交尾期は夏から秋にかけてである。交尾期になるとオスメスとも脱皮後に交尾を行い、メスは体内に精子を蓄えたまま深場に移って冬眠する。冬眠から覚めたメスは晩春に産卵し、1mmたらずの小さな卵を腹脚にたくさん抱え、孵化するまで保護する。孵化までには』二~三『週間ほどかかる』。『ガザミ類は年』二『回産卵することが知られ、晩春に生まれた卵は通称「一番子」と呼ばれる。一番子が発生して幼生を放出した後、メスは夏にもう一度「二番子」を産卵するが、これは一番子より産卵数が少ない』。『孵化したゾエア幼生は』一ヶ月ほど、『海中をただようプランクトン生活を送るが、この間に魚などに捕食されるので、生き残るのはごくわずかである。ゾエア幼生は数回の脱皮でメガロパ幼生を経て、稚ガニとなる。稚ガニは海岸のごく浅い所にもやって来るので、甲幅が』三センチメートル『ほどの個体なら砂浜や干潟の水たまりで姿を見ることができる』。『一番子は急速に成長し、秋までに成体となって繁殖に加わるが、二番子がそうなるのは翌年である。寿命は』二~三『年ほどとみられる』。『かつては海産カニといえばガザミのことを指していたほど、一般に知られた食用ガニだった』。『タラバガニなどの種類に比べればやや安価に出回るが、味は美味であり、殻も比較的薄くて食べやすい』但し、『国内産の活きガニは、産地を問わず高値で取引され、特に』三十センチメートル『ほどの体を持つ大型のものは高級品である』。『漁期は晩春から初冬までだが、温暖な西日本では真冬でも漁獲される』。『旬は秋から冬。蟹肉や中腸腺(カニミソ)はもちろん、メスの卵巣(内子)も食用にする。特に、秋から冬にかけての卵巣を持ったメスは格段に美味とされる』。『料理法も多彩で、塩ゆで、蒸しガニ、味噌汁などで食べられる。ただし生きた個体を熱湯に入れると、苦しさのあまり自切して脚がバラバラにもげてしまう。そのため』、普通は『内側腹部にある急所を刺したのちに茹でる、または水のうちから入れるか、輪ゴムや紐などで脚を固定してから料理する。現在は水揚げ直後から、すでに輪ゴムを取り付けている所もある』。『他にも、韓国料理のチゲやケジャン、またパスタ料理の具材といった使い方も知られる』。『主な産地は内湾を抱える地域、たとえば有明海・瀬戸内海・大阪湾・伊勢湾・三河湾などがある(かつては東京湾でもガザミは多く)』獲れ、また、『広く食されていた)』。『こうした沿岸地域ではガザミを観光用食材として売り出している事も多』く、『例えば、有明海西部に属する佐賀県太良町周辺では「竹崎がに」として、九州北東部の豊前海を有する北九州市、行橋市、豊前市等では「豊前本ガニ」』『としてブランド化を図っている。大阪府岸和田市では、だんじり祭の際にガザミ(当地では通常ワタリガニと呼ばれ、ガザミと呼ばれることはまずない)を食べる風習が残る』。『近年、乱獲により』、『日本での漁獲高が減ったことから国産品は高級食材となりつつある。そのため、中国や韓国・東南アジア等からも輸入されている』とある。
『陳懋學「事言要玄」』明の陳懋學(ちんぼうがく:一六一二年に挙人となる)撰の類書(百科事典)。諸書から抜粋し、内容を天集三巻・地八巻・人集十四巻・事集四巻・物集三巻の五部に類纂したもの。万暦四六(一六四八)年序の刊本を山形県「市立米沢図書館」公式サイト内の「デジタルライブラリー」のこちらで視認出来る。本引用は最後の「鱗介」にある。ここの下の右のウィンドウから「33冊目」を選び、ページ・ナンバーのウィンドウに「33」を入れると当該ページに行ける。右から4行目下方である。
「蝤蛑(ユウホウ)」この原本の読みは誤りで、「シウバウ」(現代仮名遣「シュウボウ」)でなくてはならない。「蝤」を「ユウ」(歴史的仮名遣は「イウ」が正しい)と読む場合はあるものの、それは「蜉蝤(フイウ(フユウ))」で、これは「昆虫の蜉蝣(カゲロウ)類」を指す語だからである。「蝤」は「蝤蠐(シュウセイ)」で「キクイムシ」・「カミキリムシ「蛑」はガザミの使用以外の単漢字では「根切り虫」や「カマキリ」を指す。なお、現在、日中ともにガザミにこの漢字を当てるが、中国では「梭子蟹」の方が一般的である。「梭子」は梭(ひ)で機織りのシャトルの形(菱形)に似ているからである。
「螯(はさみ)、圓(まどか)にして」先端部が尖らずに丸みを帯びていることを指すか。
「洪容齊四筆」不詳。但し、「中國哲學書電子化計劃」清の陳逢衡撰「竹書紀年集證」の「九」にこの書名が見える。
「呂亢臨海蟹圖」「呂亢」は北宋の進士で、著書に「蟹譜」一巻がある。
『蝤蛑、両の螯、大にして、細き毛、有り、苔(こけ)のごとし。八足も亦、皆、毛、有り』「苔」は「苦」の字に近いが、かく当てた(後祐で私の判断が正しいことが判る)。但し、私はこれはガザミだとは思えない。鉗脚には毛はないからで(後の四脚には下部に櫛状の毛が並びはする)、思うに、少なくとも、ここの叙述によく一致するのは短尾下目イワガニ科モクズガニ属シャンハイモクズガニ Eriocheir sinensis であろう(シャンハイガニは中国の長江及び遼寧省・広東省の湖沼・河川・沿岸域と、朝鮮半島の湖沼・河川・汽水域に棲息する)。
「福州府志」明代の「福州府志萬歷本」の方で、著者不明。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで、以下の通り、確認出来た(手を加えた)。
*
蟳。「埤雅」云、『蝤蛑、其螯最健大者、能殺人。』。
*
「蝤蛑、其の螯、最も健(たけ)くして、大なる者、能く人を殺す」この叙述では、これをガザミに限定比定することは出来ない。
「カミナリガニ」種子島出身の方の記事に甲女川(こうめがわ)を『下ってすぐの浜ではガザミやカミナリガニ(これも名前は?)が良く採れ』たとあったので、この方はガザミと違う別種を「カミナリガニ」と呼んでおられることが判る。しかし、写真もなく、また他に現在、「カミナリガニ」の名を他の地域に認めないため、正体は不明である。
「嶺表錄異」「嶺表錄」とも。唐の劉恂(りゅうじゅん)撰になる中国南方の風土産物を図入りで説いた風土・物産誌。
「蝦魁(カクワイ)」文字はエビの大きな物の意。
「漳州府志」(しょうしゅうふし)は、原型は明代の文人で福建省漳州府龍渓県(現在の福建省竜海市)出身の張燮(ちょうしょう 一五七四年~一六四〇年)が著したものであるが、その後、各時代に改稿され、ここのそれは清乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌を指すものと思われる。
「龍蝦」十脚目イセエビ下目イセエビ上科イセエビ科 Palinuridae のイセエビ類。
『順が「和名抄」』源順(したごう)の「和名類聚抄」の巻十九の「鱗介部第三十」の「龜貝類第二百三十八」に、
*
擁劔 本草云擁劔【和名加散女】似蟹色黃其一螯偏長三寸者也。
(擁劔(カサメ) 「本草」に云く、『擁劔は【和名「加散女」。】蟹に似て、色、黃。其の一は、螯、偏に長きこと三寸ばかりなる者なり。)
*
とあり、これはまずは正しく現在のガザミのようであり、平安期に既にこの和名が一般に広く知られていたことが判る。但し、「其の一は、螯、偏に長きこと三寸ばかりなる者なり」の「偏(いとへ)に」が「扁(ひらた)い」の意ではなく、「偏頗」の意で「一方が通常なのに、対の一方だけがやたらに」長く、の意で読むと、後に私が掲げる別種の可能性を孕んだ表現とも読めてしまう。
「文撰」「文選」は梁を建国した武帝の長子昭明太子が編纂した全三十巻の詩文集。歴代の名文・詩歌八百余りを集めた。中国では文人の必読書で、日本でも飛鳥・奈良時代以降、盛んに読まれた。
「呉都賦」晋の左思が魏・呉・蜀の三国の首都を題材にした十年の歳月をかけて作った作品「蜀都賦」「呉都賦」「魏都賦」の一つ。人気を博し、人々が争って伝写したために洛陽の紙価を高からしめたことで知られる名文である。当該部は、
*
於是乎長鯨吞航、修鯢吐浪。躍龍騰蛇,鮫鯔琵琶。王鮪偉鯸鮐、鮣印龜鱕䱜。烏賊擁劍、𪓟古侯鼊辟鯖鰐。涵泳乎其中。
*
で、知られた初唐の李善注本に(「中國哲學書電子化計劃」)、
*
擁劍、蟹屬也。從廣二尺許、有爪、其螯偏大、大者如人大指、長二寸餘。色不與體同、特正黃而生光明、常忌護之如珍寶矣。利如劍、故曰擁劍。其一螯尤細、主取食、出南海、交趾。
*
とあって、前に「和名類聚抄」で出したと同じく「偏大」への疑義を除けば、サイズ(唐代の一尺は三十一・一センチメートル)も形状もガザミらしくはある。但し、「其一螯尤細、主取食」というのは、私が次注で示す別種である可能性が頗る高い。李善は広義にともかく鉗脚の目立つカニ類を「擁劍」にひっくるめており、「和名類聚抄」もそれを踏襲しているのではなかろうか?
「一(いつ)の螯は大きく、一つの螯は小(ちい)さし」これは明らかにその形状から、ガザミではなく、熱帯・亜熱帯・温帯地域の河口付近の海岸に巣穴を掘って棲息する短尾下目スナガニ上科スナガニ科スナガニ亜科シオマネキ属 Uca のシオマネキ類である。同属は成体の♂の片方の鉗脚が甲羅と同程度或いはそれ以上に大きくなるのを特徴とする(♀は両方とも小さい極端な性的二形で雌雄判別は簡単である)。前の「其一螯尤細、主取食」というのは、本邦の有明海で盛んに作られた私の好きな「ガンヅケ」と同じである。本来の「がん漬け」は、主にシオマネキの♂の大きな鉗脚を塩漬けにしたものであった。現在、有明海産シマネキ(有明海沿岸地方では「タウッチョガネ」(「田打ち蟹」の訛りであろう)「ガネツケガニ」「マガニ」と呼ばれる)は絶滅危惧II類(VU)となっしまい、本邦で売られている「ガンヅケ」のそれは中国産の複数種のカニを丸ごと搗き潰して塩蔵したそれである。さらに以下に出る「デンボウガニ」はシオマネキの♂のことである。これは広い地域で嘗て使われた差別用語「手棒」「てぼう」「てんぼう」で、「指や手首のない人」を指した。いや、我々の世代以上なら、野口英世(本名は清作)一歳の時に囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負い掌が開けなかったのを、皆から「てんぼう」と揶揄された話は誰でも知っていることである。一方のみ巨大化したシオマネキの♂を片手と換喩した差別異名である。
「『龍蝦』は「閩書」に出す。『伊セヱビ』なり」十脚目イセエビ下目イセエビ上科イセエビ科 Palinuridae は現在でも中国語で「龍蝦科」とする。「閩書」は明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。但し、イセエビ科イセエビ属イセエビ Panulirus japonicus は本邦固有種で、中国産イセエビ類とは同属或いは近縁属ではあるが、同一種ではない。因みに、インド洋・太平洋沿岸域で稀に捕獲される「龍馬海老」(イセエビ科 Nupalirus 属リョウマエビ Nupalirus japonicus)がいるが、この和名は中国由来ではなく、坂本龍馬に由来する(最初の個体が土佐湾の深海で採取されたためであって、土佐特産でも日本固有種でもない。また、イセエビとは違った形態を持っている別種である)。
「虎蟳(コジン)」中文サイトのこちらの「蟳虎魚贊」という絵を見ると、ガザミ属 Portunus らしい個体が描かれてあり、中文サイトを見ると同属の複数種にこの漢字を当てているから、ワタリガニ・ガザミ類を指す語である。梅園の結論は誤り。
「大(おほ)かに」大蟹。
「大和本草」本草学者貝原益軒(寛永七(一六三〇)年~正徳四(一七一四)年)が編纂した本草書。宝永七(一七〇九)年刊。明治になって西洋のそれらが本格的に輸入される以前、日本の博物学史に於ける最高峰と言える生物学書・農学書。但し、生物種の同定には誤りが多く、小野蘭山に激しく批判されている。私はブログ・カテゴリ『「貝原益軒「大和本草」より水族の部」』で電子化注を進行中であるが、以下の記載は「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蝤蛑(タカアシガニ)」で電子化した通り、異名と足の長大さから、ガザミではなく、短尾下目クモガニ科タカアシガニ(高足蟹)属タカアシガニ Macrocheira kaempferi である。この部分だけは梅園の疑義は正しい。
『松𫝍氏の「蟹譜」』思うにこれは、本草学者松岡恕庵(じょあん 寛文八(一六六八)年~延享三(一七四六)年:名は玄達(げんたつ)。恕庵は通称、「怡顏齋」(いがんさい)は号。門弟には、かの「本草綱目啓蒙」を著わした小野蘭山がいる)が動植物や鉱物を九品目に分けて書いた「怡顔斎何品」の中の海産生物を記した「怡顏齋介品」の「上」の「蟹類」であるる。「早稲田大学古典総合データベース」のこちらと、こちらに「蝤蛑」の記載がある(松岡の死後の宝暦八(一七五八)年の板行本)。訓読して電子化してみる。〔 〕や諸記号・句点は私が附したもの。一字空け部分で改行した。
*
「本綱」蟹下[やぶちゃん注:頭書。]
蝤蛑【一名「蟳」。】 陳懋學が「事言要玄」に曰く、『蝤蛑、一名黃甲、蟹の最巨なる者、殻、黄にして班無く、螯、圓にして、毛、無く、殻、両尖有り、横出す。「紫蟹」と相類〔あひたぐ〕ふ』〔と〕。
「洪容齊四筆」、呂亢が「臨海蟹圖」を引〔きて〕曰く、『蝤蛑、両螯大にして、細毛有り苔のごとく、八足亦た皆毛有り』〔と〕。
「福州府志」に曰く、『蝤蛑、其の螯最も健、大なる者能く人を殺す』〔と〕。
〇達按ずるに蝤蛑俗に「ガサミ」と呼ぶ。肉多く味美なり。脚を折れは[やぶちゃん注:「ば」。]白(しろ)き硬(かた)き筋あり。是を食へは虚弱を補ひ筋骨を強くす。其の殼(から)を戸上に掛けて疫(ゑき)を避くと。「事言要玄」に『蝤蛑毛無し』と云へり。
*
これを見ると、「梅園先生、孫引きされましたね?」と言いたくなる。「其の殼(から)を戸上に掛けて疫(ゑき[やぶちゃん注:ママ。])を避く」というのは、鬼面邪を驚かす式で、民俗社会に於いて腑に落ちる風習ではないか。
「癸巳(みづのとみ)七月廿日」天保四年癸巳。グレゴリオ暦一八三三年九月三日。]