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2020/03/22

早川孝太郎「猪・鹿・狸」 鹿 四 鹿の角の話

 

     四 鹿 の 角 の 話

 自分の家に、鹿の角の附根を輪切りにして、それに笹に鯛かなんぞを彫刻した印籠の根附があつた。忘れたやうな時分に、家の何處かしらに轉がつて居たものである。何でも祖父が若い頃にやつた事だと言うた。仕事からフイと歸つて來たと思つたのに、何處にも姿が見えなんだ。方々探すと、土間の向座敷を締切つて、その中でコツコツ何かやつて居たさうである。何でも二日か三日、ろくに飯も喰はないで、えらい骨を折つたと言うた。今一ツ、これは何でも無い、只の三又の角があつた。何時からあつたと無しに背戶の庇に吊してあつた。時折笊が引掛けてあつたりしたが、吊つた紐が切てからは、押入の隅などに放つてあるのを時折見かけた。家の誰やらが、山から拾つて來たのだと言うた。自分の家には、その他に鹿の角のあつた事を記憶せぬが、隣家へ行くと、カマヤ(納屋)の軒に、五ツ六ツも吊して、それに簑が掛けてあつた。

[やぶちゃん注:「根附」「ねつけ・ねづけ」。江戸時代に使われた携帯物の留め具の一種。煙草入れ・印籠・巾着(財布)・小型の革製鞄(お金・食べ物・筆記用具・薬・煙草など小間物を入れた)・矢立などを紐で帯から吊るして持ち歩く際に用いた。

「カマヤ(納屋)」これは本来は「竃屋(かまや)」で、火を用いる竃(かま・へっつい)のある炊事場の意であるが、それが家屋の端にあり、本来の居住空間からは独立したものと見なされ(実際に母屋から独立している場合もあった)、それが実際に後の改築の中で位置関係から納屋に転用されるようになっても、この名が残ったものであろう。佐藤甚次郎氏の論文「炊事用空間のカマヤとミズヤの呼称の分布――日本の住家系統とその分布・地域的変容に関する一つのアプローチ――」PDF)の「Ⅲ 火どころ系呼称とその分布 1) 呼称の種類と分布地域」の「A カマヤ・ナベヤ・ヒタキヤ」に(コンマを読点に代えた)、

   《引用開始》

 カマヤは、炊事のためのカマドを設置した家屋の意で、この略称は九州中・北部、四国一帯から近畿にかけて、濃尾・東海地方、関東の南部から東北部、さらに福島県東部から宮城県にかけて、かなり広い範囲にわたって分布している。[やぶちゃん注:中略。]さらに、この呼称が別の機能空間に転移し、残存している場合も見られる。愛知県北設楽郡の山村では、現在は納屋として使用している空間をカマヤと呼び、静岡県駿東郡でも物置小屋をオカマヤといい、独立の炊事屋に対するカマヤ呼称の名残りを思わせる。宇都宮市近郊の農家(明治6年[やぶちゃん注:一八七三年。]建築)で、土問の一隅の穀物貯蔵場所をオカマヤと称している例が見られる。そこはカマドの場所に接したところであって、炊事用空間の一部が変化したもので、かつての炊事場呼称が残存したものと考えられる。なお、福井県坂井郡では、屋根の両端に破風がある入母屋を両カマヤ、一方だけの片入母屋を片カマヤといっている。これもカマヤの煙出しが意識されての名称で、カマヤ呼称がその根底を成したものと見られる。

   《引用終了》

とある。

「簑」蓑(みの)に同じい。]

 以前は何處の家でも、軒に鹿の角を吊して、簑掛けにしてあつた。さうかと思ふと土間の厩の脇の小暗い處に吊るして、作り立の藁草履が引掛けてあるのもあつた。大黑柱の眞黑に 煤けたのに吊して、枝の一つ一つに、種袋が結びつけたのもあつた。同じやうなのを兩方に下げて、土間の掛け竿の吊りにして、手拭や足袋を引つ掛けたものもあつた。

 かうした角は、何時から吊してあつたか、忘れてしまつた程だつた。家が以前狩人だつたためにも持つて居たり、狩人から手に入れたのもあつた。或は又、山仕事にいつて、拾つて來た物もあつたのである。

 或女は、正月にモヤ(薪)を刈りに行つて、其處で拾つた事があると言うた。最初薪木の枝に引かゝつてゐ居るのを見附けた時は、びつくりしたさうである。その日に限つて、體中が溶けるやうに懶るかつた[やぶちゃん注:「だるかつた」。]などゝ言うた。又或男は、夏の頃山へフシ(五倍子)の實を取りに入つて拾つたと言うた。山の峯へ出て、一休みして、煙草に火をつけると、足元に、今しがた誰かゞ置いてでも行つたやうに、三ツ又の角が落ちて居たさうである。

[やぶちゃん注:「その日に限つて、體中が溶けるやうに懶るかつた」「懶るかつた」は「だるかつた」。鹿は山の神その他の使いとして認識されていたことによるものであろう。最後のエピソードは採取を神が赦し、しかも加えて下し物として鹿角をも呉れたと考えたものであろう。

「フシ(五倍子)の實」ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデ変種ヌルデ Rhus javanica var. chinensis の葉にヌルデシロアブラムシ(半翅(カメムシ)目腹吻亜目アブラムシ上科アブラムシ科ゴバイシアブラ属ヌルデシロアブラムシ Schlechtendalia chinensi)が寄生すると、大きな虫癭(ちゅうえい)を作る。虫癭には黒紫色のアブラムシが多数詰まっており、この虫癭はタンニンが豊富に含まれていうことから、古来、皮鞣(かわなめ)しに用いられたり、黒色染料の原料になる。染め物では空五倍子色(うつぶしいろ:灰色がかった淡い茶色。サイト「伝統色のいろは」こちらで色を確認出来る)と呼ばれる伝統的な色を作り出す。インキや白髪染の原料になるほか、かつては既婚女性及び十八歳以上の未婚女性の習慣であったお歯黒にも用いられた。また、生薬として「五倍子(ごばいし)」あるいは「付子(ふし)」と呼ばれ、腫れ物や歯痛などに用いられた。主に参照したウィキの「ヌルデ」によれば、『但し、猛毒のあるトリカブトの根「附子」も「付子」』『と書かれることがあるので、混同しないよう注意を要する』。さらに、『ヌルデの果実は塩麩子(えんぶし)といい、下痢や咳の薬として用いられた』とある。ここの「實」は前者の虫癭でとってよかろうが、後者の実際の実も採っていたであろう。]

 某の男は、秋カワ茸を採りに行つて、寒い日陰山の雜木の下で、落葉を引搔き廻す内、何年か雨に洒らされて、骨のやうになつた、二又角を拾つた事があると言うた。

[やぶちゃん注:「カワ茸」正式和名の種は菌界担子菌門菌蕈(きんじん)亜門真正担子菌綱ベニタケ目カワタケ科カワタケ属カワタケ Peniophora quercina であるが、これは張り付き型の革質で食用にならないので違う(サイト「oso的キノコ写真図鑑」のこちらを見られたい)。これは恐らく食用として珍重される本邦固有種である担子菌門ハラタケ亜門ハラタケ綱イボタケ目イボタケ科コウタケ属コウタケ Sarcodon aspratus の異名である。コウタケは「香茸」と漢字表記し、その歴史的仮名遣「カウタケ」が「コウタケ」と訛ったものである。コウタケは本邦では「鹿茸(ししたけ)」とも呼ばれ、コウタケ=シシタケとする記載がネット上には多く見られるが、実際の種としての「シシタケ」は欧米知られる同属シシタケ Sarcodon imbricatus の和名に当てられているので、正しくない。コウタケは高級茸で干すと非常に良い香りがするが、生食すると中毒することがあるので注意が必要である。

「洒らされて」「さらされて」。通常「晒」であるが、誤字ではない。「洒」には「水にさらす」の意があるからである。]

 かうして拾つて來た角は、何本でも軒に吊して簑掛けにしたのである。一度吊せば吊繩の腐らぬ限り、幾年經つても其處に下つて居た。雨の日など、グツシヨリ濡れた簑を、その枝に掛けて入口の敷居を跨いだのである。

 それ等の角が、今はもう何處の家にも無かつた。角買男に賣つたのもあつた。春秋の大掃除に外したまゝ、子供が玩具にする内、何時か見えなくなつたのもあつた。未だ角に枝の咲かない、若鹿の角の一方に繩を通して、莚織りの仕上に使つた物などは、つい昨日迄土間の壁に下げてあつたやうに思つたが、それもゝう見えなかつた。

[やぶちゃん注:「莚織りの仕上」これは装飾品ではなく、莚がほつけないように端にそれを固定材として用いたものであろう。]

 時偶鹿の角が座敷に吊してあれば、熱さましになると言うて、一方の端をひどく削つてしまつたやうな物だつた。こんな物でない限り、もう無くなつてしまつたのである。鹿が亡びると一緖に、その角も又、忽ち消えてしまつたのである。

 

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