石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 孤境
[やぶちゃん注:本篇は底本初版本(「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のHTML版の32と33)に従い、通常位置よりも全体を二字下げで示した。]
孤 境
老樫(おいかし)の枯樹(かれき)によりて
墓(はかいし)の丘邊(をかべ)に立てば、
人の聲遠くはなれて、
夕暗に我が世は浮ぶ。
想ひの羽(は)いとすこやかに
おほ天(あめ)の光を追へば、
新たなる生花被衣(いくはなかづき)
おのづから胸をつつみぬ。
苔(こけ)の下(した)やすけくねむる
故人(ふるびと)のやはらぎの如、
わが世こそ靈(たま)の聖(せい)なる
白靄(しらもや)の花のあけぼの。
いたみなき香りを吸(す)へば、
つぶら胸光と透(す)きぬ。
花びらに袖のふるれば、
愛の歌かすかに鳴りぬ。
ああ地(つち)に夜(よる)の荒(すさ)みて
黑霧(くろぎり)の世を這ふ時し、
わが息(いき)は天(あめ)に通(かよ)ひて、
幻の影に醉ふかな。
(甲辰一月十二日夜)
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孤 境
老樫の枯樹によりて
墓(はかいし)の丘邊に立てば、
人の聲遠くはなれて、
夕暗に我が世は浮ぶ。
想ひの羽(は)いとすこやかに
おほ天(あめ)の光を追へば、
新たなる生花被衣(いくはなかづき)
おのづから胸をつつみぬ。
苔の下やすけくねむる
故人(ふるびと)のやはらぎの如、
わが世こそ靈(たま)の聖なる
白靄(しらもや)の花のあけぼの。
いたみなき香りを吸へば、
つぶら胸光と透きぬ。
花びらに袖のふるれば、
愛の歌かすかに鳴りぬ。
ああ地(つち)に夜(よる)の荒(すさ)みて
黑霧(くろぎり)の世を這ふ時し、
わが息は天に通ひて、
幻の影に醉ふかな。
(甲辰一月十二日夜)
[やぶちゃん注:初出は『明星』明治三七(一九〇四)年二月号で、初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらから画像で見ることが出来る。ポジティヴな現実(節子との婚約)の中で強いてネガティヴな荒みや死の影を匂わせつつも、前の一篇同様、そこに真の孤影や死のそれは、ない。寧ろ、後に啄木を襲う凄惨の遠い予告のように今は読めてしまうにしても、詩篇の極上な甘美はそういう作家論的解釈を根本的には拒否しており、そうした生死の形而上学からは全く無縁なところに酔うている桂冠詩人然とした両性さえも超越したアンドロギュヌス啄木の姿が髣髴すると言える。これは一種のそうした不完全な両性の合体幻想としての「孤」=一「箇」の存在、男女の結合の「境」=錬金術的な転換とも言えるように私には感じられる。
「生花被衣(いくはなかづき)」「かつぎ」とも読む。女性が外出時に顔を隠すために頭から被った衣で、この風習が起こった中世初期には、多く単(ひとえ)の衣(きぬ)が便宜的に用いられたことから、この姿を「衣被」(きぬかずき)と呼んだ。ここは幻想の生きた美花で出来た被衣のイメージの勝った想像である。]
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