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2020/03/11

石川啄木歌集 悲しき玩具 (初版準拠版) 對話と感想 歌のいろいろ(感想) / 「悲し玩具」本文パート~了

 

[やぶちゃん注:石川啄木(明治一九(一八八六)年二月二十日~明治四五(一九一二)年四月十三日:岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現在の盛岡市日戸)生まれ。満二十六歳で没した)の遺構歌文集にして第二歌集である「悲しき玩具」の初版は、彼の逝去から二ヶ月後の明治四五(一九一二)年六月二十日に刊行された(発行は二年前の第一歌集「一握の砂」(明治四十三年十二月一日発行。定価五十銭)と同じ東京京橋区南伝馬町の東雲堂書店)。歌集パートは総歌数百九十四首で、その後に「對話と感想」というパートが設けられ、「一利己主義者と友人との對話」とこの「歌のいろいろ」(「いろいろ」の後半は原本では踊り字「〱」。]目次では孰れにも後に『(感想)』と附す)の二篇が載る。

 本篇は明治四三(一九一〇)年十二月十日・十二日・十三日・十八日・二十日附『東京朝日新聞』に五回(底本では全四章から成るが、これは本書に所収するに際して編集過程で一部の結合が行われたためである。そこは注を附した)に亙って掲載された(署名は「石川生」)のを初出とする、「朝日歌壇」への投稿作についての感想を枕とした歌論である。筑摩版全集年譜(岩城之徳氏編)によれば、この年、啄木は九月十五日に『東京朝日新聞』に設けられた「朝日歌壇」の選者に抜擢され(社会部長渋川柳次郎の厚意に依る)、翌年二月二十八日まで八十二回に亙り、『投稿者百八十三名、総歌数は五百六十八首に及んだ』とある。連載に先立つ十二月一日には待望の自身の処女歌集「一握の砂」が刊行されている(但し、その間には「大逆事件」の発覚、長男真一の誕生と死(十月二十七日に生後僅か二十三日目にして亡くなった)といった啄木に激しい衝撃を与えた出来事が挟まる)。

 底本は所持する昭和五八(一九八三)年ほるぷ刊行の「名著復刻詩歌文学館 紫陽花セット」の初版復刻本「悲しき玩具」を視認した。一部の不審な箇所は筑摩版全集で校合した。なお、加工用データとして「青空文庫」のこちらのデータ(底本「啄木全集 第十卷」昭和三六(一九六一)年岩波書店刊。正字正仮名であるが、一部表記に誤りや問題がある)を使用させて戴いた(私の底本に比して遙かにルビが少なく、本文に複数個所、底本はもとより筑摩版全集(初出底本)とも異なる部分があった)。踊り字「く」「〲」は正字化した。底本の傍点「△」は太字下線で、傍点「ヽ」は太字で示した。

 初版本の書誌やその出版に係わる啄木を中心とした経緯等は「石川啄木歌集 悲しき玩具 (初版準拠版) 始動 /書誌・歌集本文(その一)」の私の冒頭注を見られたい。

 ルビがかなり五月蠅いので、底本通りに電子化した後に煩を厭わず「■読み除去版」を作成して附した(読みに係わる私の注の一部を除去した)。

 

 

   歌のいろいろ

        (一)

○日每(ひごと)に集つて來る投書の歌(うた)を讀(よ)んでゐて、ひよいと妙(めう)な事を考へさせられることがある。――此處(こゝ)に作者その人に差障(さしさは)りを及ぼさない範圍(はんゐ)に於て一二の例を擧げて見るならば、此頃(このごろ)になつて漸(やうや)く手を着けた十月中(ちう)到着(たうちやく)の分の中に、神田の某君(なにがしくん)といふ人(ひと)の半紙二(ふた)つ折(をり)へ橫に二十首の歌を書(か)いて、『我目下の境遇』と題を付けたのがあつた。

○讀(よ)んでゐて私は不思議(ふしぎ)に思つた。それは歌の上手(じやうず)な爲(ため)ではない。歌は字と共(とも)に寧(むし)ろ拙(まづ)かつた。又(また)その歌つてある事(こと)の特に珍(めづ)らしい爲でもなかつた。私を不思議(ふしぎ)に思はせたのは、脫字(だつじ)の多い事(こと)である。誤字(ごじ)や假名違(かなちが)ひは何百といふ投書家の中(うち)に隨分やる人(ひと)がある。寧(むし)ろ驚く位(くらゐ)ある、然し恁麼(こんな)に脫字(だつじ)の多(おほ)いのは滅多にない。要(い)らぬ事(こと)とは思ひながら數へてみると、二十首の中に七箇所の脫字(だつじ)があつた。三首に一箇所(かしよ)の割合である。

[やぶちゃん注:以上がひどく気になったのは、啄木の東京朝日新聞社に於ける正規職が校正係であったからである。]

○歌つてある歌には、母が病氣になつて秋風が吹(ふ)いて來(き)たといふのがあつた。僻心(ひがみごゝろ)を起すのは惡い惡いと思ひながら何時(いつ)しか夫(それ)が癖(くせ)になつたといふのがあつた。十八の歲(とし)から生活の苦しみを知(し)つたといふのがあつた。安(やす)らかに眠つてゐる母の寢顏を見れば淚(なみだ)が流れるといふのがあつた。弟(おとゝ)の無邪氣(むじやき)なのを見(み)て傷(いた)んでゐる歌もあつた。金(かね)といふものに數々(かずかず)の怨(うら)みを言つてゐるのもあつた。終日(しうじつ)の仕事の疲れといふことを歌つたのもあつた。

[やぶちゃん注:第一文の句点がないのは、行末で版組の関係上からと判断し、筑摩版全集で補った。]

○某君(なにがしくん)は一體(たい)に粗忽(そゝつか)しい人なのだらうか?小學校にゐた頃から脫字(だつじ)をしたり計數(けいすう)を間違つたり、忘れ物をする癖があつた人なのだらうか?――恁麼事(こんなこと)を問うてみるからが既に勝手(かつて)な、作者に對して失禮な推量で、隨(したが)つてその答へも亦(また)勝手(かつて)な推量に過ぎないのだが、私には何うもさうは思へなかつた。進むべき路を進みかねて境遇(きやうぐう)の犧牲(ぎせい)となつた人の、その心に消しがたき不平が有れば有る程、元氣(げんき)も顏色も人先(ひとさき)に衰(おとろ)へて、幸運な人がこれから初めて世の中に打つて出ようといふ歲頃(としごろ)に、早(はや)く既(すで)に醫(い)しがたき神經衰弱に陷(おちい)つてゐる例は、私の知つてゐる範圍にも二人(ふたり)や三人(にん)ではない。私は「十八の歲(とし)から生活の苦しみを知つた人」と「脫字(だつじ)を多くする人(ひと)」とを別々に離して考へることは出來なかつた。

[やぶちゃん注:「だらうか?」の後に字空けがないのはママ。

「醫(い)しがたき」「癒(いや)しがたき」に同じい。]

○某君(なにがしくん)のこの投書は、多分何か急がしい事のある日か、心の落付かぬ程嬉しい事でもある日に書いたので、斯う脫字(だつじ)が多かつたのだらう。さうだらうと私は思ふ。然し若し此處に私の勝手に想像(さうざう)したやうな人があつて、某君(なにがしくん)の歌つたやうな事を誰(たれ)かの前に訴へたとしたならば、その人は果して何と答へるだらうか。

○私は色々の場合(ばあひ)、色々の人のそれに對する答へを想像(さうざく)して見(み)た。それは皆如何にも尤(もつと)もな事ばかりであつた。然しそれらの叱咤(しつた)それらの激勵、それらの同情は果(はた)して何れだけ[やぶちゃん注:「どれだけ」。]その不幸なる靑年の境遇を變へてくれるだらうか。のみならず私は又次のやうな事も考へなければならなかつた。二十首(しゆ)の歌に七箇所(かしよ)の脫字(だつじ)をする程頭の惡くなつてゐる人(ひと)ならば、その平生の仕事にも「脫字」が有るに違ひない。その處世(しよせい)の術(じゆつ)にも「脫字(だつじ)」があるに違ひない。――私の心はいつか又、今の諸々(もろもろ)の美しい制度、美しい道德をその儘(まゝ)長(なが)く我々の子孫に傳へる爲には、何(ど)れだけの夥(おびただ)しい犧牲を作(つく)らねばならぬかといふ事に移つて行(い)つた。さうして沁々しみじみした心持になつて次の投書の封を切つた。

        (二)

大分(だいぶ)前の事である。茨城(いばらき)だつたか千葉(ちば)だつたか乃至(ないし)は又群馬(ぐんま)の方だつたか何しろ東京(とうきやう)から餘り遠くない縣の何とか(こほり)郡何とか村(むら)小學校内某(せうがくかうないなにがし)といふ人から歌が來た。何日か經つて其(そ)の歌の中の何首(なんしゆ)かが新聞に載(の)つた。すると間もなく私は同じ人からの長い手紙を添(そ)へた二度目の投書を受け取つた。

其の手紙は候文(さふらふぶん)と普通文(ふつうぶん)とを捏(こ)ね交ぜたやうな文體で先づ自分が「憐れなる片田舍の小學敎師」であるといふ事から書き起してあつた。さうして自分が自分の職務に對して兎角興味を有ち得ない事、誰一人趣味を解する者なき片田舍(かたゐなか)の味氣(あぢけ)ない事(こと)、さうしてる間(うち)に豫々(かねがね)愛讀してゐる朝日新聞の歌壇(かだん)の設けられたので空谷の跫音と思(おも)つたといふ事(こと)、近頃は新聞が着くと先づ第一に歌壇(かだん)を見るといふ事、就いては今後自分も全力を擧げて歌を硏究する積(つもり)だから宜しく賴む。今日から每日必ず一通づゝ投書するといふ事が書いてあつた。

[やぶちゃん注:「空谷の跫音」人気のない寂しい谷底に懐かしい人の足音を聴いたような気持ちを示す。]

○此の手紙が宛名人(あてなにん)たる私の心に惹起(ひきおこ)した結果は、蓋(けだ)し某君(なにがしくん)の夢にも想はなかつた所であらうと思(おも)ふ。何故なれば、私はこれを讀んでしまつた時、私の心に明(あきら)かに一種の反感(はんかん)の起つてゐる事を發見したからである。詩や歌や乃至(ないし)は其の外の文學にたづさはる事(こと)を、人間の他の諸々の活動よりも何か格段(かくだん)に貴い事のやうに思ふ迷信(めいしん)――それは何時如何なる人の口から出るにしても私の心に或反感(はんかん)を呼び起さずに濟(す)んだことはない。「歌を作ることを何か偉(えら)い事(こと)でもするやうに思つてる、莫迦(ばか)な奴だ。」私はさう思つた。さうして又成程(なるほど)自(みづか)ら言ふ如く憐れなる小學敎師に違ひないと思つた。手紙には假名違(かなちが)ひも文法(ぶんはふ)の違ひもあつた。

[やぶちゃん注:「乃至(ないし)」底本ではルビは「ない」のみである。これは「乃」で改ページになっているためのルビ脱字と判断されるので、かく訂した。

「文法(ぶんはふ)」の読みはママ。正確には「ぶんぱふ」。全集を見ると、初出の「(二)」はここで終わっていて、以下は「(三)」となっている。]

○然しその反感(はんかん)も直ぐと引込まねばならなかつた。「羨(うらや)ましい人だ。」といふやうな感じが輕く橫合(よこあひ)から流れて來た爲めである。此の人は自分で自分を「憐(あは)れなる」と呼んでゐるが、如何に憐(あは)れで、如何にして憐(あは)れであるかに就いて眞面目に考へたことのない人、寧(むし)ろさういふ考へ方をしない質(たち)の人であることは、自分が不滿足(ふまんぞく)なる境遇(きやうぐう)に在りながら全力を擧げて歌を硏究しようなどと言(い)つてゐる事(こと)、しかも其歌の極(ごく)平凡(へいぼん)な叙事叙景の歌に過ぎない事(こと)、さうして他の營々(えいえい)として刻苦(こくく)してゐる村人(むらびと)を趣味を解せぬ者と嘲(あざけ)つて僅に喜んでゐるらしい事(こと)などに依つて解つた。己(おのれ)の爲(す)る事、言ふ事、考へる事に對して、それを爲(し)ながら、言ひながら、考へながら常に一々(いちいち)反省(はんせい)せずにゐられぬ心、何事にまれ正面(まこと)に其問題に立向つて底の底まで究(きは)めようとせずにゐられぬ心、日每々々自分自身からも世の中からも色々の不合理(ふがうり)と矛盾(むじゆん)とを發見して、さうして其(そ)の發見によつて却(かへつ)て益自分自身の生活に不合理と矛盾とを深(ふか)くして行(ゆ)く心――さういふ心を持たぬ人に對する羨みの感は私のよく經驗する所のものであつた。

[やぶちゃん注:「營々として」せっせと休みなく励んで。

「正面(まこと)」二字に対するルビ。但し、筑摩版全集を見ると、『まとも』というルビが振られてあり、その方がこの文脈ではよりよい読みという気はする。

「せずにゐられぬ心、」底本には最後の読点はないが、やはり「心」が行末にあることから版組上のカットと断じ、全集で補った。

「益」「ますます」。]

○私はとある田舍(ゐなか)の小學校の宿直室にごろごろしてゐる一人の年若(としわか)き准訓導(じゆんくんだう)を想像(さうざう)して見た。その人は眞の人を怒らせるやうな惡口を一つも胸に蓄(たくは)へてゐない人である。漫然として敎科書にある丈(だけ)の字句(じく)を生徒に敎へ、漫然として自分の境遇の憐れな事を是認(ぜにん)し、漫然(まんぜん)として今後大に歌を作らうと思つてる人(ひと)である。未だ甞(かつ)て自分の心内乃至身邊(しんへん)に起る事物に對して、その根ざす處如何に深く、その及ぼす所如何に遠きかを考へて見たことのない人である。日每に新聞を讀みながらも、我々の心を後から後からと急がせて、日每に新しく展開(てんかい)して來(く)る時代の眞相に對して何(なん)の切實(せつじつ)な興味(きやうみ)をも有(も)つてゐない人である。私はこの人の一生に快よく口を開いて笑ふ機會が、私(わたし)のそれよりも屹度多いだらうと思つた。

[やぶちゃん注:「見たことのない人である。」底本最後の句点なし。行末で、同前の推定から全集で補った。]

○翌日出社した時は私の頭にもう某君の事は無かつた。さうして前の日と同じ色の封筒(ふうとう)に同じ名を書いた一封を他の投書の間に見付けた時、私はこの人が本當に每日投書する積なのかと心持眼を大きくして見た。其翌日も來た。其翌日も來た。或時は投凾の時間が遲れたかして一日置いての次の日に二通一緖(しよ)に來たこともあつた。「また來た。」私は何時もさう思つた。意地惡い事ではあるが、私はこの人が下らない努力(どりよく)に何時まで飽きずにゐられるかに興味を有つて、それとはなしに每日待つてゐた。

○それが確(たしか)七日か八日の間(あひだ)續(つゞ)いた。或日私は、「とうとう飽きたな。」と思つた。その次の日も來なかつた。さうして其後既に二箇月、私は再び某君(なにがしくん)の墨の薄(うす)い肩上(かたあが)りの字を見る機會を得ない。來ただけの歌は隨分夥しい數に上つたが、ただ所謂(いはゆる)歌になりそうな景物(けいぶつ)を漫然(まんぜん)と三十一字(じ)の形(かたち)に表(あらは)しただけで、新聞に載せる程のものは殆どなかつた。

○私はこの事を書いて來(き)て、其後某君(ないがしくん)は何うしてゐるだらうと思つた。矢張新聞が着けばたゞ文藝欄や歌壇や小說許りに興味を有つて讀んでゐるだらうか。漫然と歌を作り出して漫然と罷めてしまつた如く、更に又漫然と何事かを始めてゐるだらうか。私は思ふ。若し某君にして唯一つの事、例へば自分で自分を憐れだといつた事に就いてゞも、その如何に又如何にして然るかを正面に立向つて考へて、さうして其處に或(ある)動(うご)かすべからざる隱れたる事實を承認する時、其某君の歌は自からにして生氣ある人間の歌になるであらうと。

[やぶちゃん注:「自からにして」「おのづからにして」。同前で全集では以下は初出では「(四)」である。]

        (三)

○うつかりしながら家の前まで步いて來た時、出し拔けに飼ひ犬に飛着かれて、「あゝ喫驚(びつくり)した。こん畜生!」と思はず知らず口に出す――といふやうな例はよく有ることだ。下らない駄洒落(だじやれ)を言ふやうだが、人は吃驚(びつくり)すると惡口を吐きたがるものと見える。「こん畜生」と言はなくとも、白なら白、ポチならポチで可いではないか――若し必ず何とか言はなければならぬのならば。

○土岐哀果君が十一月の「創作(さうさく)」に發表した三十何首(なんしゆ)の歌は、この人がこれまで人の褒貶(ほうへん)を度外(どぐわい)に置いて一人で開拓(かいたく)して來た新しい畑に、漸く樂い[やぶちゃん注:「たのしい」。]秋(あき)の近づいて來(き)てゐることを思はせるものであつた。その中に、

    燒(やけ)あとの煉瓦の上に

    syôben をすればしみじみ

    秋の氣がする

といふ一首(しゆ)があつた。好い歌だと私は思つた。(小便といふ言葉だけを態々(わざわざ)羅馬字(ローマじ)で書いたのは、作者の意味では多分この言葉を在來の漢字で書いた時に伴つて來る惡い連想を拒(こば)む爲であらうが、私はそんな事をする必要はあるまいと思ふ。)

○さうすると今月になつてから、私は友人の一人から、或雜誌が特にこの歌を引いて土岐君の歌風を罵(のゝ)しつてゐるといふ事を聞いた。私は意外に思つた。勿論この歌が同じ作者の歌の中で最も優れた歌といふのではないが、然し何度讀み返しても惡い歌にはならない。評者は何故この鋭い實感を承認することが出來なかつたであらうか。さう考へた時、私は前に言つた「こん畜生」の場合を思ひ合せぬ譯に行かなかつた。評者は屹度(きつと)歌といふものに就いて或(ある)狹(せま)い既成槪念を有つてる人に違ひない。自ら新しい歌の鑑賞家を以て任じてゐ乍ら、何時となく歌は斯ういふもの、斯くあるべきものといふ保守的な槪念を形成(かたちづく)つてさうしてそれに捉(とら)はれてゐる人に違ひない。其處へ生垣の隙間(すきま)から飼犬の飛び出したやうに、小便といふ言葉が不意に飛び出して來て、その保守的な、苟守的(こうあんてき)な既成槪念の袖(そで)にむづと嚙み着いたのだ。然し飼犬が主人の歸りを喜んで飛び着くに何の不思議もない如く、我々の平生使つてゐる言葉が我々の歌に入つて來たとて何も吃驚するには當らないではないか。

[やぶちゃん注:「苟守的」この場合の「苟」は「濫(みだ)りに・闇雲に」の意であろう。頑ななまでに保守的であること。]

○私の「やとばかり桂首相に手とられし夢みて覺(さ)めぬ秋の夜の二時」といふ歌も或雜誌で土岐君の小便の歌と同じ運命に會つた。尤(もつとも)もこの歌は、同じく實感の基礎を有しながら桂首相を夢に見るといふ極稀(ごくま)れなる事實を内容に取入れてあるだけに、言ひ換へれば萬人の同感を引くべく餘りに限定された内容を歌つてあるだけに、小便の歌ほど歌として存在の權利を有つてゐない事は自分でも知つてゐる。

[やぶちゃん注:掲げた一首は『創作』同年十月号に発表されたもので、後の歌集「一握の砂」の第一パート「我を愛する歌」の掉尾にも配された。その意味や背景については私の『石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版) 始動 /序・自序・附記・本文第一パート「我を愛する歌」(全)』の私の注を参照されたい。]

○故獨步は嘗(かつ)てその著名なる小說の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた。その意味に於ては私は今でも驚きたくない事はない。然しそれと全く別な意味に於て、私は今「驚きたくない」と思ふ。何事にも驚かずに、眼を大きくして正面にその問題に立向ひたいと思(おも)ふ。それは小便と桂首相に就いてのみではない。又歌の事に就いてのみではない。我々日本人は特殊なる歷史を過去に有してゐるだけに、今正に殆どすべての新しい出來事に對して驚かねばならぬ境遇に在る。さうして驚いてゐる。然し日に百回「こん畜生」を連呼したとて、時計の針は一秒でも止まつてくれるだらうか。

[やぶちゃん注:『故獨步は嘗(かつ)てその著名なる小說の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた』とは私の偏愛する國木田獨歩の短編小説「牛肉と馬鈴薯」のこと。小学館「日本大百科全書」の同作の解説が都合がよいので引く。明治三四(一九〇一)年十一月『小天地』に発表し、四年後の明治三十八年刊の「独歩集」に収録された。『独歩における思想小説、哲学小説の代表作である。東京・芝区桜田本郷町の明治倶楽部(くらぶ)に集まった友人たちが、現実主義を牛肉に、理想主義を馬鈴薯に例えて議論を交わしている。独歩とみなされる作中の岡本は牛肉にも馬鈴薯にも従えないとして、固有の驚異思想を述べる。宇宙の不思議を知りたいという願いではなく、古び果てた習慣(カスタム)の圧力から逃れて、不思議な宇宙を驚きたいという切実な願いである。それは独歩が生涯をかけて抱き続けていた驚異の哲学である。ここでは、「驚く」ことを欲しながらも得られぬ苦悩が示されている』とある。「青空文庫」のこちらで読める(但し、新字新仮名)。]

○歷史を尊重するは好い。然しその尊重を逆に將來に向つてまで維持しようとして一切の「驚くべき事」に手を以て蓋(ふた)をする時、其保守的(ほしゆてき)な槪念を嚴密に究明(きうめい)して來たならば、日本が嘗(かつ)て議會を開いた事からが先づ國體に牴觸(ていしよく)する譯になりはしないだらうか。我々の歌の形式は萬葉(まんえふ)以前から在つたものである。然し我々の今日の歌は何處までも我々の今日の歌である。我々の明日の歌も矢つ張り何處までも我々の明日の歌でなくてはならぬ。

[やぶちゃん注:「牴觸」「抵觸」に同じい。以下、前に注した通り、初出では「(四)」ではなく、「(五)」である。]

        (四)

○机の上に片肘(かたひぢ)をついて煙草を吹かしながら、私は書き物に疲れた眼を置時計の針に遊ばせてゐた。さうしてこんな事を考へてゐた。――凡そすべての事は、それが我々にとつて不便を感じさせるやうになつて來た時、我々はその不便な點に對して遠慮なく改造を試みるが可い。またさう爲(す)るのが本當だ。我々は他(ひと)の爲に生きてゐるのではない、我々は自身の爲に生きてゐるのだ。

〇たとへば歌にしてもさうである。我々は既に一首(しゆ)の歌を一行に書き下すことに或不便、或不自然を感じて來た。其處でこれは歌それぞれの調子に依つて或歌は二行(ぎやう)に或歌は三行(ぎやう)に書くことにすれば可い。よしそれが歌の調子(てうし)そのものを破ると言はれるにしてからが、その在來の調子それ自身が我々の感情にしつくりそぐはなくなつて來たのであれば、何も遠慮をする必要がないのだ。三十一文字(もじ)といふ制限が不便な場合にはどしどし字あまりもやるべきである。又歌ふべき内容にしても、これは歌らしくないとか歌にならないとかいふ勝手な拘束(こうそく)を罷めてしまつて、何に限らず歌ひたいと思つた事は自由に歌へば可い。かうしてさへ行けば、忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々(せつなせつな)の感じを愛惜(あいせき)する心が人間にある限り、歌といふものは滅(ほろ)びない。假(かり)に現在の三十一文字(もじ)が四十一文字(もじ)になり、五十一文字(もじ)になるにしても、兎に角歌といふものは滅(ほろ)びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那々々(せつなせつな)の生命(いのち)を愛惜(あいせき)する心を滿足させることが出來(でき)る。

○こんな事を考へて、恰度(ちやうど)秒針(べうしん)が一回轉する程の間、私は凝然(ぢつ)としてゐた。さうして自分の心が次第々々に暗くなつて行くことを感じた。――私の不便を感じてゐるのは歌を一行に書き下す事ばかりではないのである。しかも私自身が現在に於て意のまゝに改め得(う)るもの、改め得べきものは、僅にこの机の上の置時計や硯箱やインキ壺(つぼ)の位置と、それから歌ぐらゐなものである。謂はゞ何うでも可いやうな事ばかりである。さうして其他の眞に私に不便を感じさせ苦痛を感じさせるいろいろの事に對しては、一指(し)をも加へることが出來ないではないか。否、それに忍從(にんじゆう)し、それに屈伏(くつぷく)して、慘ましき[やぶちゃん注:「いたましき」。]二重の生活を續けて行く外に此の世に生きる方法を有たないではないか。自分でも色々自分に辯解しては見るものゝ、私の生活は矢張現在の家族制度、階級制度、資本制度、知識賣買制度の犧牲である。

○目を移して、死んだものゝやうに疊の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。

 

 

  *   *

 

 

■読み除去版

 

   歌のいろいろ

        (一)

○日每に集つて來る投書の歌を讀んでゐて、ひよいと妙な事を考へさせられることがある。――此處に作者その人に差障りを及ぼさない範圍に於て一二の例を擧げて見るならば、此頃になつて漸く手を着けた十月中到着の分の中に、神田の某君といふ人の半紙二つ折へ橫に二十首の歌を書いて、『我目下の境遇』と題を付けたのがあつた。

○讀んでゐて私は不思議に思つた。それは歌の上手な爲ではない。歌は字と共に寧ろ拙かつた。又その歌つてある事の特に珍らしい爲でもなかつた。私を不思議に思はせたのは、脫字の多い事である。誤字や假名違ひは何百といふ投書家の中に隨分やる人がある。寧ろ驚く位ある、然し恁麼に脫字の多いのは滅多にない。要らぬ事とは思ひながら數へてみると、二十首の中に七箇所の脫字があつた。三首に一箇所の割合である。

[やぶちゃん注:以上がひどく気になったのは、啄木の東京朝日新聞社に於ける正規職が校正係であったからである。]

○歌つてある歌には、母が病氣になつて秋風が吹いて來たといふのがあつた。僻心を起すのは惡い惡いと思ひながら何時しか夫が癖になつたといふのがあつた。十八の歲から生活の苦しみを知つたといふのがあつた。安らかに眠つてゐる母の寢顏を見れば淚が流れるといふのがあつた。弟の無邪氣なのを見て傷んでゐる歌もあつた。金といふものに數々の怨みを言つてゐるのもあつた。終日の仕事の疲れといふことを歌つたのもあつた。

[やぶちゃん注:第一文の句点がないのは、行末で版組の関係上からと判断し、筑摩版全集で補った。]

○某君は一體に粗忽しい人なのだらうか?小學校にゐた頃から脫字をしたり計數を間違つたり、忘れ物をする癖があつた人なのだらうか?――恁麼事を問うてみるからが既に勝手な、作者に對して失禮な推量で、隨つてその答へも亦勝手な推量に過ぎないのだが、私には何うもさうは思へなかつた。進むべき路を進みかねて境遇の犧牲となつた人の、その心に消しがたき不平が有れば有る程、元氣も顏色も人先に衰へて、幸運な人がこれから初めて世の中に打つて出ようといふ歲頃に、早く既に醫しがたき神經衰弱に陷つてゐる例は、私の知つてゐる範圍にも二人や三人ではない。私は「十八の歲から生活の苦しみを知つた人」と「脫字を多くする人」とを別々に離して考へることは出來なかつた。

[やぶちゃん注:「だらうか?」の後に字空けがないのはママ。

「醫しがたき」「癒しがたき」に同じい。]

○某君のこの投書は、多分何か急がしい事のある日か、心の落付かぬ程嬉しい事でもある日に書いたので、斯う脫字が多かつたのだらう。さうだらうと私は思ふ。然し若し此處に私の勝手に想像したやうな人があつて、某君の歌つたやうな事を誰かの前に訴へたとしたならば、その人は果して何と答へるだらうか。

○私は色々の場合、色々の人のそれに對する答へを想像して見た。それは皆如何にも尤もな事ばかりであつた。然しそれらの叱咤それらの激勵、それらの同情は果して何れだけ[やぶちゃん注:「どれだけ」。]その不幸なる靑年の境遇を變へてくれるだらうか。のみならず私は又次のやうな事も考へなければならなかつた。二十首の歌に七箇所の脫字をする程頭の惡くなつてゐる人ならば、その平生の仕事にも「脫字」が有るに違ひない。その處世の術にも「脫字」があるに違ひない。――私の心はいつか又、今の諸々の美しい制度、美しい道德をその儘長く我々の子孫に傳へる爲には、何れだけの夥しい犧牲を作らねばならぬかといふ事に移つて行つた。さうして沁々しみじみした心持になつて次の投書の封を切つた。

        (二)

○大分前の事である。茨城だつたか千葉だつたか乃至は又群馬の方だつたか何しろ東京から餘り遠くない縣の何とか郡何とか村小學校内某といふ人から歌が來た。何日か經つて其の歌の中の何首かが新聞に載つた。すると間もなく私は同じ人からの長い手紙を添へた二度目の投書を受け取つた。

○其の手紙は候文と普通文とを捏ね交ぜたやうな文體で先づ自分が「憐れなる片田舍の小學敎師」であるといふ事から書き起してあつた。さうして自分が自分の職務に對して兎角興味を有ち得ない事、誰一人趣味を解する者なき片田舍の味氣ない事、さうしてる間に豫々愛讀してゐる朝日新聞の歌壇の設けられたので空谷の跫音と思つたといふ事、近頃は新聞が着くと先づ第一に歌壇を見るといふ事、就いては今後自分も全力を擧げて歌を硏究する積だから宜しく賴む。今日から每日必ず一通づゝ投書するといふ事が書いてあつた。

[やぶちゃん注:「空谷の跫音」人気のない寂しい谷底に懐かしい人の足音を聴いたような気持ちを示す。]

○此の手紙が宛名人たる私の心に惹起した結果は、蓋し某君の夢にも想はなかつた所であらうと思ふ。何故なれば、私はこれを讀んでしまつた時、私の心に明かに一種の反感の起つてゐる事を發見したからである。詩や歌や乃至は其の外の文學にたづさはる事を、人間の他の諸々の活動よりも何か格段に貴い事のやうに思ふ迷信――それは何時如何なる人の口から出るにしても私の心に或反感を呼び起さずに濟んだことはない。「歌を作ることを何か偉い事でもするやうに思つてる、莫迦な奴だ。」私はさう思つた。さうして又成程自ら言ふ如く憐れなる小學敎師に違ひないと思つた。手紙には假名違ひも文法の違ひもあつた。

○然しその反感も直ぐと引込まねばならなかつた。「羨ましい人だ。」といふやうな感じが輕く橫合から流れて來た爲めである。此の人は自分で自分を「憐れなる」と呼んでゐるが、如何に憐れで、如何にして憐れであるかに就いて眞面目に考へたことのない人、寧ろさういふ考へ方をしない質の人であることは、自分が不滿足なる境遇に在りながら全力を擧げて歌を硏究しようなどと言つてゐる事、しかも其歌の極平凡な叙事叙景の歌に過ぎない事、さうして他の營々として刻苦してゐる村人を趣味を解せぬ者と嘲つて僅に喜んでゐるらしい事などに依つて解つた。己の爲る事、言ふ事、考へる事に對して、それを爲ながら、言ひながら、考へながら常に一々反省せずにゐられぬ心、何事にまれ正面に其問題に立向つて底の底まで究めようとせずにゐられぬ心、日每々々自分自身からも世の中からも色々の不合理と矛盾とを發見して、さうして其の發見によつて却て益自分自身の生活に不合理と矛盾とを深くして行く心――さういふ心を持たぬ人に對する羨みの感は私のよく經驗する所のものであつた。

[やぶちゃん注:「營々として」せっせと休みなく励んで。

「正面」二字に対するルビ。但し、筑摩版全集を見ると、『まとも』というルビが振られてあり、その方がこの文脈ではよりよい読みという気はする。

「せずにゐられぬ心、」底本には最後の読点はないが、やはり「心」が行末にあることから版組上のカットと断じ、全集で補った。

「益」「ますます」。]

○私はとある田舍の小學校の宿直室にごろごろしてゐる一人の年若き准訓導を想像して見た。その人は眞の人を怒らせるやうな惡口を一つも胸に蓄へてゐない人である。漫然として敎科書にある丈の字句を生徒に敎へ、漫然として自分の境遇の憐れな事を是認し、漫然として今後大に歌を作らうと思つてる人である。未だ甞て自分の心内乃至身邊に起る事物に對して、その根ざす處如何に深く、その及ぼす所如何に遠きかを考へて見たことのない人である。日每に新聞を讀みながらも、我々の心を後から後からと急がせて、日每に新しく展開して來る時代の眞相に對して何の切實な興味をも有つてゐない人である。私はこの人の一生に快よく口を開いて笑ふ機會が、私のそれよりも屹度多いだらうと思つた。

[やぶちゃん注:「見たことのない人である。」底本最後の句点なし。行末で、同前の推定から全集で補った。]

○翌日出社した時は私の頭にもう某君の事は無かつた。さうして前の日と同じ色の封筒に同じ名を書いた一封を他の投書の間に見付けた時、私はこの人が本當に每日投書する積なのかと心持眼を大きくして見た。其翌日も來た。其翌日も來た。或時は投凾の時間が遲れたかして一日置いての次の日に二通一緖に來たこともあつた。「また來た。」私は何時もさう思つた。意地惡い事ではあるが、私はこの人が下らない努力に何時まで飽きずにゐられるかに興味を有つて、それとはなしに每日待つてゐた。

○それが確七日か八日の間續いた。或日私は、「とうとう飽きたな。」と思つた。その次の日も來なかつた。さうして其後既に二箇月、私は再び某君の墨の薄い肩上りの字を見る機會を得ない。來ただけの歌は隨分夥しい數に上つたが、ただ所謂歌になりそうな景物を漫然と三十一字の形に表しただけで、新聞に載せる程のものは殆どなかつた。

○私はこの事を書いて來て、其後某君は何うしてゐるだらうと思つた。矢張新聞が着けばたゞ文藝欄や歌壇や小說許りに興味を有つて讀んでゐるだらうか。漫然と歌を作り出して漫然と罷めてしまつた如く、更に又漫然と何事かを始めてゐるだらうか。私は思ふ。若し某君にして唯一つの事、例へば自分で自分を憐れだといつた事に就いてゞも、その如何に又如何にして然るかを正面に立向つて考へて、さうして其處に或動かすべからざる隱れたる事實を承認する時、其某君の歌は自からにして生氣ある人間の歌になるであらうと。

[やぶちゃん注:「自からにして」「おのづからにして」。同前で全集では以下は初出では「四」である。]

        (三)

○うつかりしながら家の前まで步いて來た時、出し拔けに飼ひ犬に飛着かれて、「あゝ喫驚した。こん畜生!」と思はず知らず口に出す――といふやうな例はよく有ることだ。下らない駄洒落を言ふやうだが、人は吃驚すると惡口を吐きたがるものと見える。「こん畜生」と言はなくとも、白なら白、ポチならポチで可いではないか――若し必ず何とか言はなければならぬのならば。

○土岐哀果君が十一月の「創作」に發表した三十何首の歌は、この人がこれまで人の褒貶を度外に置いて一人で開拓して來た新しい畑に、漸く樂い[やぶちゃん注:「たのしい」。]秋の近づいて來てゐることを思はせるものであつた。その中に、

    燒あとの煉瓦の上に

    syôben をすればしみじみ

    秋の氣がする

といふ一首があつた。好い歌だと私は思つた。羅馬字で書いたのは、作者の意味では多分この言葉を在來の漢字で書いた時に伴つて來る惡い連想を拒む爲であらうが、私はそんな事をする必要はあるまいと思ふ。)

○さうすると今月になつてから、私は友人の一人から、或雜誌が特にこの歌を引いて土岐君の歌風を罵しつてゐるといふ事を聞いた。私は意外に思つた。勿論この歌が同じ作者の歌の中で最も優れた歌といふのではないが、然し何度讀み返しても惡い歌にはならない。評者は何故この鋭い實感を承認することが出來なかつたであらうか。さう考へた時、私は前に言つた「こん畜生」の場合を思ひ合せぬ譯に行かなかつた。評者は屹度歌といふものに就いて或狹い既成槪念を有つてる人に違ひない。自ら新しい歌の鑑賞家を以て任じてゐ乍ら、何時となく歌は斯ういふもの、斯くあるべきものといふ保守的な槪念を形成つてさうしてそれに捉はれてゐる人に違ひない。其處へ生垣の隙間から飼犬の飛び出したやうに、小便といふ言葉が不意に飛び出して來て、その保守的な、苟守的な既成槪念の袖にむづと嚙み着いたのだ。然し飼犬が主人の歸りを喜んで飛び着くに何の不思議もない如く、我々の平生使つてゐる言葉が我々の歌に入つて來たとて何も吃驚するには當らないではないか。

[やぶちゃん注:「苟守的」この場合の「苟」は「濫りに・闇雲に」の意であろう。頑ななまでに保守的であること。]

○私の「やとばかり桂首相に手とられし夢みて覺めぬ秋の夜の二時」といふ歌も或雜誌で土岐君の小便の歌と同じ運命に會つた。尤もこの歌は、同じく實感の基礎を有しながら桂首相を夢に見るといふ極稀れなる事實を内容に取入れてあるだけに、言ひ換へれば萬人の同感を引くべく餘りに限定された内容を歌つてあるだけに、小便の歌ほど歌として存在の權利を有つてゐない事は自分でも知つてゐる。

[やぶちゃん注:掲げた一首は『創作』同年十月号に発表されたもので、後の歌集「一握の砂」の第一パート「我を愛する歌」の掉尾にも配された。その意味や背景については私の『石川啄木歌集 一握の砂 (初版準拠版) 始動 /序・自序・附記・本文第一パート「我を愛する歌」(全)』の私の注を参照されたい。]

○故獨步は嘗てその著名なる小說の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた。その意味に於ては私は今でも驚きたくない事はない。然しそれと全く別な意味に於て、私は今「驚きたくない」と思ふ。何事にも驚かずに、眼を大きくして正面にその問題に立向ひたいと思ふ。それは小便と桂首相に就いてのみではない。又歌の事に就いてのみではない。我々日本人は特殊なる歷史を過去に有してゐるだけに、今正に殆どすべての新しい出來事に對して驚かねばならぬ境遇に在る。さうして驚いてゐる。然し日に百回「こん畜生」を連呼したとて、時計の針は一秒でも止まつてくれるだらうか。

[やぶちゃん注:『故獨步は嘗てその著名なる小說の一つに「驚きたい」と云ふ事を書いてあつた』とは私の偏愛する國木田獨歩の短編小説「牛肉と馬鈴薯」のこと。小学館「日本大百科全書」の同作の解説が都合がよいので引く。明治三四年十一月『小天地』に発表し、四年後の明治三十八年刊の「独歩集」に収録された。『独歩における思想小説、哲学小説の代表作である。東京・芝区桜田本郷町の明治倶楽部に集まった友人たちが、現実主義を牛肉に、理想主義を馬鈴薯に例えて議論を交わしている。独歩とみなされる作中の岡本は牛肉にも馬鈴薯にも従えないとして、固有の驚異思想を述べる。宇宙の不思議を知りたいという願いではなく、古び果てた習慣の圧力から逃れて、不思議な宇宙を驚きたいという切実な願いである。それは独歩が生涯をかけて抱き続けていた驚異の哲学である。ここでは、「驚く」ことを欲しながらも得られぬ苦悩が示されている』とある。「青空文庫」のこちらで読める。]

○歷史を尊重するは好い。然しその尊重を逆に將來に向つてまで維持しようとして一切の「驚くべき事」に手を以て蓋をする時、其保守的な槪念を嚴密に究明して來たならば、日本が嘗て議會を開いた事からが先づ國體に牴觸する譯になりはしないだらうか。我々の歌の形式は萬葉以前から在つたものである。然し我々の今日の歌は何處までも我々の今日の歌である。我々の明日の歌も矢つ張り何處までも我々の明日の歌でなくてはならぬ。

[やぶちゃん注:「牴觸」「抵觸」に同じい。以下、前に注した通り、初出では「(四)」ではなく、「(五)」である。]

        (四)

○机の上に片肘をついて煙草を吹かしながら、私は書き物に疲れた眼を置時計の針に遊ばせてゐた。さうしてこんな事を考へてゐた。――凡そすべての事は、それが我々にとつて不便を感じさせるやうになつて來た時、我々はその不便な點に對して遠慮なく改造を試みるが可い。またさう爲るのが本當だ。我々は他の爲に生きてゐるのではない、我々は自身の爲に生きてゐるのだ。

〇たとへば歌にしてもさうである。我々は既に一首の歌を一行に書き下すことに或不便、或不自然を感じて來た。其處でこれは歌それぞれの調子に依つて或歌は二行に或歌は三行に書くことにすれば可い。よしそれが歌の調子そのものを破ると言はれるにしてからが、その在來の調子それ自身が我々の感情にしつくりそぐはなくなつて來たのであれば、何も遠慮をする必要がないのだ。三十一文字といふ制限が不便な場合にはどしどし字あまりもやるべきである。又歌ふべき内容にしても、これは歌らしくないとか歌にならないとかいふ勝手な拘束を罷めてしまつて、何に限らず歌ひたいと思つた事は自由に歌へば可い。かうしてさへ行けば、忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。假に現在の三十一文字が四十一文字になり、五十一文字になるにしても、兎に角歌といふものは滅びない。さうして我々はそれに依つて、その刹那々々の生命を愛惜する心を滿足させることが出來る。

○こんな事を考へて、恰度秒針が一回轉する程の間、私は凝然としてゐた。さうして自分の心が次第々々に暗くなつて行くことを感じた。――私の不便を感じてゐるのは歌を一行に書き下す事ばかりではないのである。しかも私自身が現在に於て意のまゝに改め得るもの、改め得べきものは、僅にこの机の上の置時計や硯箱やインキ壺の位置と、それから歌ぐらゐなものである。謂はゞ何うでも可いやうな事ばかりである。さうして其他の眞に私に不便を感じさせ苦痛を感じさせるいろいろの事に對しては、一指をも加へることが出來ないではないか。否、それに忍從し、それに屈伏して、慘ましき[やぶちゃん注:「いたましき」。]二重の生活を續けて行く外に此の世に生きる方法を有たないではないか。自分でも色々自分に辯解しては見るものゝ、私の生活は矢張現在の家族制度、階級制度、資本制度、知識賣買制度の犧牲である。

○目を移して、死んだものゝやうに疊の上に投げ出されてある人形を見た。歌は私の悲しい玩具である。

 

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