石川啄木歌集 悲しき玩具 (初版準拠版) 歌集本文(その三)
[やぶちゃん注:本書誌及び底本・凡例その他は「石川啄木歌集 悲しき玩具 (初版準拠版) 始動 /書誌・歌集本文(その一)」の私の冒頭注を参照されたい。]
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眠(ねむ)られぬ癖(くせ)のかなしさよ!
すこしでも
眠氣(ねむけ)がさせば、うろたへて寢(ね)る。
眠られぬ癖のかなしさよ!
すこしでも
眠氣がさせば、うろたへて寢る。
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笑ふにも笑はれざりき、――
長いこと搜したナイフの
手の中にありしに。
笑ふにも笑はれざりき、――
長いこと搜したナイフの
手の中にありしに。
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この四五年(ねん)、
空(そら)を仰ぐといふことが一度(ど)もなかりき。
かうもなるものか?
この四五年、
空を仰ぐといふことが一度もなかりき。
かうもなるものか?
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原稿紙(げんかうし)にでなくては
字(じ)を書(か)かぬものと、
かたく信(しん)ずる我(わ)が兒(こ)のあどけなさ!
原稿紙にでなくては
字を書かぬものと、
かたく信ずる我が兒のあどけなさ!
[やぶちゃん注:スケッチ対象は明治三九(一九〇六)年十二月二十九日生まれの啄木の長女京子。學燈社『別冊國文學』(第十一号)の岩城之徳編「石川啄木必携」(昭和五六(一九八一)年九月発行)の岩城氏の「啄木歌集全歌評釈」によれば、初出は『早稻田文學』明治四四(一九一一)年三月号。啄木満二十六歳、京子は満四歳。]
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どうか、かうか、今月(こんげつ)も無事(ぶじ)に暮(く)らしたりと、
外(ほか)に欲(よく)もなき
晦日(みそか)の晚(ばん)かな。
どうか、かうか、今月も無事に暮らしたりと、
外に欲もなき
晦日の晚かな。
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あの頃(ころ)はよく 噓(うそ)を言(い)ひき、
平氣(へいき)にてよく 噓(うそ)を言(い)ひき、
汗(あせ)が出(い)づるかな。
あの頃はよく 噓を言ひき、
平氣にてよく 噓を言ひき、
汗が出づるかな。
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古手紙(ふるてがみ)よ!
あの男(をとこ)とも、五年前(ねんまへ)は、
かほど親(した)しく交(まじ)はりしかな。
古手紙よ!
あの男とも、五年前は、
かほど親しく交はりしかな。
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名(な)は何(なん)と言(い)ひけむ。
姓(せい)は鈴木(すずき)なりき。
今(いま)はどうして何處(どこ)にゐるらむ。
名は何と言ひけむ。
姓は鈴木なりき。
今はどうして何處にゐるらむ。
[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、『この歌は啄木が「小樽日報」の三面主任として活躍していたころ、短い期間であったが彼の下で三面を担当していた鈴木志郎』(明治一八(一八八〇)年~昭和二七(一九五七)年)『を歌ったもの』で、『鈴木は青森県の出身で北海道に渡ったあと』、『社会主義思想に共鳴、明治四十』(一九〇七)『年十月小樽日報社に入社するまで、平民社の有志が北海道虻田(あぶた)郡真狩(まかり)村に開拓した北海道の「新しき村」である平民農場にいた。その後』、『彼は小樽日報社から札幌の北門新報社に移り、この歌の詠まれたとき』には『再び真狩村に入植していた』とある。「芳野星司 はじめはgoo!」(ブログ主は小説家であられるらしい)の「掌説うためいろ 流浪の人々」には、驚天動地のこの鈴木志郎の波乱万丈の一瞬が語られてある。啄木はこうした事実や彼の舐めた辛酸を知っていたのかどうかは判らぬ。しかし、敢えて固有名詞を出して追懐したそれは確信犯であろう。啄木にとっても彼は忘れ難い印象を残した人物であったのである。]
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生(うま)れたといふ葉書(はがき)みて、
ひとしきり、
顏(かほ)をはれやかにしてゐたるかな。
生れたといふ葉書みて、
ひとしきり、
顏をはれやかにしてゐたるかな。
[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、明治四四(一九一一)年『一月二十九日付の金田一京助、静江宛の安産を祝う葉書に書かれている。金田一夫人は一月二十七日長女郁子を出産し』ていたとある。]
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そうれみろ、
あの人(ひと)も子(こ)をこしらへたと、
何(なに)か氣(き)の濟(す)む心地(ここち)にて寢(ね)る。
そうれみろ、
あの人も子をこしらへたと、
何か氣の濟む心地にて寢る。
[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、前の歌と同じ葉書にやはり認(したた)められた一首である。ウィキの「金田一京助」によれば、当時の金田一は三省堂勤める一方で國學院大学非常勤講師をしていたようである。この二年前の明治四十二年、二十七歳の『京助は』二十『歳の林静江と結婚』したが、まさに彼女を彼に『紹介したのは啄木で、「文学士で大学講師で、くにではおじさんが盛岡の銀行頭取」と宣伝して縁談を進めた。京助は、結婚するなら、くにの女ではなく標準語の本郷あたりの娘をもらいたいと考えており、本郷出身の静江に心動かされた』。十二月二十八日に『結婚式をあげ、箱根に新婚旅行、その後』、『盛岡の』『金田一家の当主で伯父の』『勝定の家で披露宴を行ったが、東京育ちの静江は盛岡になじめず、田舎嫌いになった。その上、啄木がたびたび金を無心にくるため、静江はやりくりに頭を悩ませたが、京助は頓着しなかった』とある。また、この歌の面白い安堵感には、岩城氏によると、『金田一が長い間童貞でいて』、『啄木がこれに負い目のようなものを感じていたという事情がある』と評釈を結んでおられる。]
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『石川(いしかは)はふびんな奴(やつ)だ。』
ときにかう自分(じぶん)で言(い)ひて、
かなしみてみる。
『石川はふびんな奴だ。』
ときにかう自分で言ひて、
かなしみてみる。
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ドア推(お)してひと足(あし)出(で)れば、
病人(びやうにん)の目(め)にはてもなき
長廊下(ながらうか)かな。
ドア推してひと足出れば、
病人の目にはてもなき
長廊下かな。
[やぶちゃん注:既に啄木の病歴経過は注したが、岩城氏前掲書などによれば、初出は『文章世界』明治四四(一九一一)年三月号。これは同年一月月末頃、体調不調に気づいて、同年二月一日に東京帝大医科大学付属医院の内科で検診して貰ったところ、「慢性腹膜炎」の診断を受けて入院した際に詠まれたものとされる。その後、「余病無し」と診察されて結核病室から一般病室に移っており、三月十五日には退院して以後は自宅療養となった。]
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重(おも)い荷(に)を下(おろ)したやうな、
氣持(きもち)なりき、
この寢臺(しんだい)の上(うへ)に來(き)ていねしとき。
重い荷を下したやうな、
氣持なりき、
この寢臺の上に來ていねしとき。
[やぶちゃん注:同前のシチュエーション。以下、私の分割の本パート最後まで入院中の歌が続き、その後も暫くそれが続く。]
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そんならば生命(いのち)が欲(ほ)しくないのかと、
醫者(いしや)に言(い)はれて、
だまりし心(こころ)!
そんならば生命が欲しくないのかと、
醫者に言はれて、
だまりし心!
[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、この医師は最初に彼を『診察した三浦内科の青柳医学士である』とされ、『「そんなノンキなことをいっていたら、あなたの姓名はたった一年です」といったこの医師の言葉は、その後の』啄木の『運命と思い合わせてきわめて重大なものが含まれているようである』(中略)とされ、『この医師の診断が一年後事実となって現れるとはさすがの啄木も夢想だにしなかったことであろう』と評釈しておられる。]
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眞夜中(まよなか)にふと目(め)がさめて、
わけもなく泣(な)きたくなりて、
蒲團(ふとん)をかぶれる。
眞夜中にふと目がさめて
わけもなく泣きたくなりて
蒲團をかぶれる。
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話(はな)しかけて返事(へんじ)のなきに
よく見(み)れば、
泣(な)いてゐたりき、隣(とな)りの患者(くわんじや)。
話しかけて返事のなきに
よく見れば、
泣いてゐたりき、隣りの患者。
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病室(びやうしつ)の窓(まど)にもたれて、
久(ひさ)しぶりに巡査(じゆんさ)を見(み)たりと、
よろこべるかな。
病室の窓にもたれて、
久しぶりに巡査を見たりと、
よろこべるかな。
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晴(は)れし日(ひ)のかなしみの一つ!
病室(びやうしつ)の窓(まど)にもたれて
煙草(たばこ)を味(あじは)はふ。
晴れし日のかなしみの一つ!
病室の窓にもたれて
煙草を味はふ。
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夜(よる)おそく何處(どこ)やらの室(へや)の騷(さは)がしきは
人(ひと)や死(し)にたらむと、
息(いき)をひそむる。
夜おそく何處やらの室の騷がしきは
人や死にたらむと、
息をひそむる。
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脈(みやく)をとる看護婦(かんごふ)の手(て)の、
あたたかき日(ひ)あり、
つめたく堅(かた)き日(ひ)もあり。
脈をとる看護婦の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅き日もあり。
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病院(びやうゐん)に入(い)りて初(はじ)めての夜(よ)といふに、
すぐ寢入(ねい)りしが、
物足(ものた)らぬかな。
病院に入りて初めての夜といふに、
すぐ寢入りしが、
物足らぬかな。
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何(なん)となく自分(じぶん)をえらい人(ひと)のやうに
思(おも)ひてゐたりき。
子供(こども)なりしかな。
何となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。
[やぶちゃん注:これも入院中の自己の見当識をした感慨歌。]
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ふくれたる腹(はら)を撫(な)でつつ、
病院(びやういん)の寢臺(ねだい)に、ひとり、
かなしみてあり。
ふくれたる腹を撫でつつ、
病院の寢臺に、ひとり、
かなしみてあり。
[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、同年二月四日附の入院直後の小樽の友人らの宛てた書簡に自分の『腹が「ラムプの光で見ると皮がピカピカする位膨れ」ていたと書いている』とある。]
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目(め)さませば、からだ痛(いた)くて
動(うご)かれず。
泣(な)きたくなりて夜(よ)明(あ)くるを待(ま)つ。
目さませば、からだ痛くて
動かれず。
泣きたくなりて夜明くるを待つ。
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びつしよりと盜汗(ねあせ)出(で)てゐる
あけがたの
まだ覺(さめ)めやらぬ重(おも)きかなしみ。
びつしよりと盜汗出てゐる
あけがたの
まだ覺めやらぬ重きかなしみ。
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ぼんやりとした悲(かな)しみが、
夜(よ)となれば、
寢臺(ねだい)の上(うへ)にそつと來(き)て乘(の)る。
ぼんやりとした悲しみが、
夜となれば、
寢臺の上にそつと來て乘る。
[やぶちゃん注:病床歌の絶唱の一つとして忘れ難い。]
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病院(びやうゐん)の窓(まど)によりつつ、
いろいろの人(ひと)の
元氣(げんき)に步(ある)くを眺(なが)む。
病院の窓によりつつ、
いろいろの人の
元氣に步くを眺む。
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もうお前(おま)の心底(しんてい)をよく見屆(みとど)けたと、
夢(ゆめ)に母(はは)來(き)て
泣(な)いてゆきしかな。
もうお前の心底をよく見屆けたと、
夢に母來て
泣いてゆきしかな。
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思(おも)ふこと盜(ぬす)みきかるる如(ごと)くにて、
つと胸(むね)を引(ひ)きぬ――
聽診器(ちやうしんき)より。
思ふこと盜みきかるる如くにて、
つと胸を引きぬ――
聽診器より。
[やぶちゃん注:聴診器診断を詠じた世の詩歌群の内の白眉と言うてよい。]
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看護婦(かんごふ)の徹夜(てつや)するまで、
わが病(やまひ)、
わるくなれともひそかに願(ねが)へる。
看護婦の徹夜するまで、
わが病、
わるくなれともひそかに願へる。
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病院(びやうゐん)に來(き)て、
妻(つま)や子(こ)をいつくしむ
まことの我(われ)にかへりけるかな。
病院に來て、
妻や子をいつくしむ
まことの我にかへりけるかな。
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もう 噓(うそ)をいはじと思(おも)ひき――
それは今朝(けさ)――
今また一つ噓(うそ)をいへるかな。
もう 噓をいはじと思ひき――
それは今朝――
今また一つ噓をいへるかな。
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何(なん)となく、
自分(じぶん)を噓(うそ)のかたまりの如(ごと)く思(おも)ひて、
目(め)をばつぶれる。
何となく、
自分を噓のかたまりの如く思ひて、
目をばつぶれる。
[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、抄出は明治四四(一九一一)年三月号(退院は三月十五日)。岩城氏は渡辺順三氏の評を引用された上で、この頃、『土岐哀果(善麿)と計画した文芸雑誌「樹木と果実」の失敗』があり(渡辺氏がそれを深刻な外的事態として挙げておられるという)、『事実』、『当時の啄木はこの計画の挫折感と前金購読者とに対する返金不能の事態に苦慮していたので、自己を「嘘のかたまり」のように考えたのかも知れない』と注しておられる。]
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今(いま)までのことを
みな譃(うそ)にしてみれど、
心(こころ)すこしも慰(なぐさ)まざりき。
今までのことを
みな噓にしてみれど、
心すこしも慰まざりき。