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2020/03/19

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 夕の海

 

   夕 の 海

 

汝(な)が胸ふかくもこもれる秘密ありて、

常劫(じやうごふ)夜をなす底なる泥岩影(ひぢいはかげ)、

黑蛇(くろへみ)ねむれる鱗(うろこ)の薄靑透(ほのあをす)き、

無限の寂寞(じやくまく)墓原(はかはら)領(りやう)ずと云ふ。

さはこの夕和(ゆふなぎ)、何の意(い)、ああ海原。

遠波(とほなみ)ましら帆(ほ)入日の光うけて

華やかにもまたしづまる平和(やはらぎ)、げに

百合花(ゆりはな)添へ眠(ぬ)る少女(をとめ)の夢に似るよ。

 

白塗(しらぬり)かざれる墓(はか)には汚穢(けがれ)充(み)つと

神の子叫びし。外裝(よそひ)ぞはかないかな。

花夢(はなゆめ)きえては女(め)の胸罪の宿(やど)り、

夕和(ゆうなぎ)落ちては、見よ、海黑波(くろなみ)わく。

醉(よ)はむや、再び。平和(やはらぎ)、──妖(えう)の酒に

咲き浮く泡なる。沈默(しじま)の白墓(しらはか)なる。

           (癸卯十二月五日夜)

 

   *

 

   夕 の 海

 

汝(な)が胸ふかくもこもれる秘密ありて、

常劫夜をなす底なる泥岩影(ひぢいはかげ)、

黑蛇(くろへみ)ねむれる鱗の薄靑透(ほのあをす)き、

無限の寂寞墓原領ずと云ふ。

さはこの夕和(ゆふなぎ)、何の意、ああ海原。

遠波ましら帆入日の光うけて

華やかにもまたしづまる平和(やはらぎ)、げに

百合花(ゆりはな)添へ眠(ぬ)る少女(をとめ)の夢に似るよ。

 

白塗(しらぬり)かざれる墓には汚穢(けがれ)充つと

神の子叫びし。外裝(よそひ)ぞはかないかな。

花夢(はなゆめ)きえては女(め)の胸罪の宿り、

夕和(ゆうなぎ)落ちては、見よ、海黑波わく。

醉はむや、再び。平和(やはらぎ)、──妖の酒に

咲き浮く泡なる。沈默(しじま)の白墓(しらはか)なる。

           (癸卯十二月五日夜)

[やぶちゃん注:表題は「ゆふのうみ」と読んでおく。初出は『帝國文學』明治三七(一九〇四)年三月号の総標題「無弦」の第三篇。

「夕和(ゆうなぎ)」の「う」はママ。筑摩版全集は『ゆふなぎ』と訂している。前の「夕和(ゆふなぎ)」に徴して考えれば、植字工の誤りであろうが、取り立てて違和感はないのでママとした。]

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