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« 早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 八 空想の猪 | トップページ | 石川啄木歌集 悲しき玩具 (初版準拠版) 對話と感想 一利己主義者と友人との對話(感想) »

2020/03/10

石川啄木歌集 悲しき玩具 (初版準拠版) 歌集本文(その五) /歌集「悲しき玩具」歌集パート~了

 

[やぶちゃん注:本書誌及び底本・凡例その他は「石川啄木歌集 悲しき玩具 (初版準拠版) 始動 /書誌・歌集本文(その一)」の私の冒頭注を参照されたい。以下、自宅療養中のもの。確実に様態は悪化していった。]

 

   *

 

かかる目(め)に

 すでに幾度(いくたび)會(あ)へることぞ!

成(な)るがままに成(な)れと今(いま)は思(おも)ふなり。

 

 かかる目に

  すでに幾度會へることぞ!

 成るがままに成れと今は思ふなり。

[やぶちゃん注:學燈社『別冊國文學』(第十一号)の岩城之徳編「石川啄木必携」(昭和五六(一九八一)年九月発行)の岩城氏の「啄木歌集全歌評釈」によれば、初出は『新日本』明治四四(一九二一)年七月号。評釈によれば、『当時』、『啄木と母の』肺結核『も始まっていた』とある。]

 

   *

 

月(つき)に三十圓(ゑん)もあれば、田舍(ゐなか)にては、

樂(らく)に暮(くら)せると――

 ひよつと思(おも)へる。

 

 月に三十圓もあれば、田舍にては、

 樂に暮せると――

  ひよつと思へる。

 

   *

 

今日(けふ)もまた胸(むね)に痛(いた)みあり。

 死(し)ぬならば、

 ふるさとに行(ゆ)きて死(し)なむと思(おも)ふ。

 

 今日もまた胸に痛みあり。

  死ぬならば、

  ふるさとに行きて死なむと思ふ。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は『新日本』明治四四(一九二一)年七月号。『乾性肋膜炎が起こったための痛みを歌ったもの』で、同年『七月一日』附の『加藤四郎宛書簡によると、啄木は六月の初めから胸が痛み出し、「少しでも身体を動かすと、叫びたい程痛みました。それで病院に行く訳に行かず、また医者に来て貰ふ金もなく、一人で悲観し寝てゐました」と』(前月初旬の最悪の状態を)書き記している、とある。]

 

   *

 

いつしかに夏(なつ)となれりけり。

 やみあがりの目(め)にこころよき

 雨(あめ)の明(あか)るさ!

 

 いつしかに夏となれりけり。

  やみあがりの目にこころよき

  雨の明るさ!

[やぶちゃん注:初出は前に同じ。岩城氏前掲書には、『啄木の胸の痛みも六月十二、三日ごろから次第に軽くなり、下旬には痛みも消え、熱も三十七度四分以上に』は『上がらなくなったので、「この湿潤な天候の去り次第出社いたします。」』(加藤四郎宛同年七月一日附書簡)『と考えるようになった』とある。結核によくある疑似的緩解期である。]

 

   *

 

病(や)みて四月(ぐわつ)――

 そのときどきに變(かは)りたる

 くすりの味(あぢ)もなつかしきかな。

 

 病みて四月――

  そのときどきに變りたる

  くすりの味もなつかしきかな。

[やぶちゃん注:初出同前。岩城氏前掲書に、東京大学附属『病院への入院は二月四日で、この歌の尽くされたのは六月であるから、「病みて四月――」とあるわけである。啄木は六月二十日』頃、『大学病院』で再診を受けた結果、そこでは『痛みのあったのは乾性肋膜炎のためで、それももうなおりかけているといわれ、薬も変わった』のであったと述べられ、『四か月になる長患いをしみじみ回顧しながら、病気が快方に向かっていると信じる安堵感がにじみ出ている』と評しておられる。ただ、私は単純に「四月」が「四ヶ月」を指す以上は、「よつき」と読みたくはなる。実は岩城氏の評釈本文では「四月」に『月(つき)』とルビが振られてあるのであるが、初版も筑摩版全集(岩城氏も編集委員の一人)も次の一首を含め、孰れも「ぐわつ」なのである。しかも評釈にルビを変更したという注はない。確信犯であるとしても不審である。

 

   *

 

病(や)みて四月(ぐわつ)――

 その間(ま)にも、猶(なほ)、目(め)に見(み)えて、

 わが子(こ)の脊丈(せたけ)のびしかなしみ。

 

 病みて四月――

  その間にも、猶、目に見えて、

  わが子の脊丈のびしかなしみ。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は『文章世界』明治四四(一九二一)年七月号(以下、「お菓子貰ふ時も忘れて、」までの九首総て同じ)。「わが子」は言わずもがな、長女京子。]

 

   *

 

すこやかに、

脊丈(せたけ)のびゆく子(こ)を見(み)つつ、

 われの日每(ひごと)にさびしきは何(な)ぞ。

 

 すこやかに、

 脊丈のびゆく子を見つつ、

  われの日每にさびしきは何ぞ。

 

   *

 

まくら邊(べ)に子(こ)を坐(すは)らせて、

まじまじとその顏(かほ)を見(み)れば、

 逃(に)げてゆきしかな。

 

 まくら邊に子を坐らせて、

 まじまじとその顏を見れば、

  逃げてゆきしかな。

 

   *

 

いつも、子(こ)を

 うるさきものに思(おも)ひゐし間(あひだ)に、

その子(こ)、五歲(さい)になれり。

 

 いつも、子を

  うるさきものに思ひゐし間に、

 その子、五歲になれり。

 

   *

 

その親(おや)にも、

 親(おや)の親(おや)にも似るなかれ――

かく汝(な)が父(ちち)は思(おも)へるぞ、子(こ)よ。

 

 その親にも、

  親の親にも似るなかれ――

 かく汝が父は思へるぞ、子よ。

[やぶちゃん注:啄木自身のみではなく、父一禎も全く同じ非社会的破綻者の存在であることの痛烈な認識がダイレクトに表出している。]

 

   *

 

かなしきは、

 (われもしかりき)

 叱(しか)れども、打(う)てども泣(な)かぬ兒(こ)の心(こころ)なる。

 

 かなしきは、

  (われもしかりき)

  叱れども、打てども泣かぬ兒の心なる。

[やぶちゃん注:感覚的挿入の前後ブレイクを示す丸括弧用法は特異点。非常に効果的。しかも、前歌と対呼応して或る何とも言えぬペーソスの余韻を残す。]

 

   *

 

「勞働者」「革命」などいふ言葉を

  聞きおぼえたる

  五歲の子かな。

 

「勞働者」「革命」などいふ言葉を

   聞きおぼえたる

   五歲の子かな。

[やぶちゃん注:これは筑摩版全集でも再現されていないが、初版は以上の後二行が二字下げ位置から始まっている。但し、これは前後の歌と比較すると、実際には本文組の一字下げ位置で、本首の一行目の頭の鍵括弧が特異的に通常開始位置の直上にはみ出して打たれていることが判る。また、二字下げというのは他に見られない特異点でもあるから、全集の校訂も正当とは思う。しかし、私は底本の単独の一首の見た目の字並びがはっきりと以上である以上、上のように電子化した。]

 

   *

 

時(とき)として、

 あらん限(かぎ)りの聲(こゑ)を出し、

唱歌(しやうか)をうたふ子(こ)をほめてみる。

 

 時として、

  あらん限りの聲を出し、

 唱歌をうたふ子をほめてみる。

 

   *

 

 何思(なにおも)ひけむ――

玩具(おもちや)をすてておとなしく、

わが側(そば)に來(き)て子(こ)の坐(すわ)りたる。

 

  何思ひけむ――

 玩具をすてておとなしく、

 わが側に來て子の坐りたる。

 

   *

 

お菓子(かし)貰(もら)ふ時(とき)も忘(わす)れて、

 二階(かい)より、

 町(まち)の往來(ゆきき)を眺(なが)むる子(こ)かな。

 

 お菓子貰ふ時も忘れて、

  二階より、

  町の往來を眺むる子かな。

 

   *

 

新(あた)しきインクの匂(にほ)ひ、

目(め)に沁(し)むもかなしや。

 いつか庭(には)の靑(あを)めり。

 

 新しきインクの匂ひ、

 目に沁むもかなしや。

  いつか庭の靑めり。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は荻原井泉水主宰の自由律俳誌『層雲』明治四四(一九二一)年七月号(以下、「何か、かう、書いてみたくなりて、」までの六首も同じ)。岩城氏は今井泰子氏の評釈を引かれ、ここで啄木の手にある新刊書は北原白秋から贈呈された詩集「思ひ出」(明治四十四年六月に「一握の砂」や本「悲しき玩具」と同じ東雲堂書店から刊)であろうとする。因みに、私は中学時分から教員になった二十代初め頃までずっと『層雲』の誌友であった(私の句集「鬼火」参照)し、私の卒業論文は『層雲』の知られた俳人「尾崎放哉論」であり、私のサイトには「尾崎放哉全句集(やぶちゃん版新版正字體版)」その他もある。]

 

   *

 

ひとところ、疊(たたみ)を見(み)つめてありし間(ま)の

 その思(おも)ひを、

妻(つま)よ、語(かた)れといふか。

 

 ひとところ、疊を見つめてありし間の

  その思ひを、

 妻よ、語れといふか。

 

   *

 

あの年(とし)のゆく春(はる)のころ、

眼(め)をやみてかけし黑眼鏡(くろめがね)、――

 こはしやしにけむ。

 

 あの年のゆく春のころ、

 眼をやみてかけし黑眼鏡、――

  こはしやしにけむ。

[やぶちゃん注:「こはしやしにけむ」あれはもう壊してしまったものだったろうか、の意。

「一握の砂 (初版準拠版電子化注) 煙 一」に、

 

 眼を病みて黑き眼鏡をかけし頃

 その頃よ

 一人泣くをおぼえし

 

があり、そこで私は、「岩城氏前掲書によれば、友人『宮崎郁雨の思い出によると』、『中学校を退学した直後の啄木は「くろめもんつ」と呼ばれ』てい『たという。黒眼鏡の紋付姿の男の意』という。但し、この時期に彼が眼疾患を患っていたことは年譜などには見られない」と述べたが、同書の本歌の岩城氏の評釈には、『明治三十五年』(一九〇二年)、『盛岡中学校を退学してまもないころ、眼を病んで黒眼鏡をかけ、紋付姿で出歩いたので盛岡女学校の生徒たちから、「くろもんつ」というあだ名をつけられたという。この一首はそのころの思い出であろうか』とある。]

 

   *

 

藥(くすり)のむことを忘(わす)れて、

 ひさしぶりに、

母(はは)に叱(しか)られしをうれしと思(おも)へる。

 

 藥のむことを忘れて、

  ひさしぶりに、

 母に叱られしをうれしと思へる。

 

   *

 

枕邊(まくらべ)の障子(しやうじ)あけさせて、

空(そら)を見(み)る癖(くせ)もつけるかな、――

 長(なが)き病(やまひ)に。

 

 枕邊の障子あけさせて、

 空を見る癖もつけるかな、――

  長き病に。

 

   *

 

おとなしき家畜(かちく)のごとき

 心(こころ)となる、

熱(ねつ)やや高(たか)き日(ひ)のたよりなさ。

 

 おとなしき家畜のごとき

  心となる、

 熱やや高き日のたよりなさ。

 

   *

 

何(なに)か、かう、書(か)いてみたくなりて、

 ペンを取(と)りぬ――

花活(はないけ)の花(はな)あたらしき朝(あさ)。

 

 何か、かう、書いてみたくなりて、

  ペンを取りぬ――

 花活の花あたらしき朝。

 

   *

 

放(はな)たれし女(をんな)のごとく、

わが妻(つま)の振舞(ふるま)ふ日(ひ)なり。

 ダリヤを見入(みい)る。

 

 放たれし女のごとく、

 わが妻の振舞ふ日なり。

  ダリヤを見入る。

[やぶちゃん注:「放たれし女」「追放された女」の意。啄木の妻節子は、病態の重くなる中で疑心暗鬼となった啄木とさまざまな確執があり(既に述べた通り、親友郁雨(啄木の妻節子の妹の夫でもあった)とさえ、啄木の死の前年の明治四四(一九一一)年九月、郁雨が節子に送った無記名の手紙の中に「君一人の写真を撮って送ってくれ」とあったのを、啄木が読んで、これを妻の不貞とかんぐり、啄木は節子に離縁を申し渡すとともに、郁雨と絶交している。但し、亡くなるまで節子との離婚は成立していない)、彼女は啄木の死の一ヶ月前に亡くなる母カツとの折り合いも始終悪かった。]

 

   *

 

あてもなき金(かね)などを待(ま)つ思(おも)ひかな。

 寢(ね)つ、起(お)きつして、

 今日(けふ)も暮(くら)したり。

 

 あてもなき金などを待つ思ひかな。

  寢つ、起きつして、

  今日も暮したり。

 

   *

 

何(なに)もかもいやになりゆく

この氣持(きもち)よ。

 思(おも)ひ出(だ)しては煙草(たばこ)を吸(す)ふなり。

 

 何もかもいやになりゆく

 この氣持よ。

  思ひ出しては煙草を吸ふなり。

 

   *

 

或(あ)る市(まち)にゐし頃(ころ)の事(こと)として、

 友(とも)の語(かた)る

戀(こひ)がたりに噓(うそ)の交(まじ)るかなしさ。

 

 或る市にゐし頃の事として、

  友の語る

 戀がたりに噓の交るかなしさ。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は『層雲』明治四四(一九二一)年七月号。その評釈で、『宮崎郁雨はこの歌について、これは友の嘘のまじる恋物語を「咎めようとしたのではなく、大方の恋物語と嘘や粉飾などとの宿命的な繋がりに深く思入りながら、きっとその友と同じようにそこばく嘘を交えた彼自身の函館時代の恋物語などを、悲しく懐しく迫想して居たのではなかろうか。とすれば、その彼自身こそがこの友のモデルだと言えるかも解らない」と述べている。とすると』、『この一首は「宮崎のように『友』を啄木自身と思って読むほうがわかりやすい歌である。」(今井泰子氏)ということになろう』と述べておられる。同感である。]

 

   *

 

ひさしぶりに、

 ふと聲(こゑ)を出(だ)して笑(わら)ひてみぬ――

蠅(はひ)の兩手(りやうて)を揉(も)むが可笑(をか)しさに。

 

 ひさしぶりに、

  ふと聲を出して笑ひてみぬ――

 蠅の兩手を揉むが可笑しさに。

 

   *

 

胸(むね)いたむ日(ひ)のかなしみも、

 かをりよき煙草(たばこ)の如(ごと)く、

 棄(す)てがたきかな。

 

 胸いたむ日のかなしみも、

  かをりよき煙草の如く、

  棄てがたきかな。

 

   *

 

何(なに)か一(ひと)つ騷(さは)ぎを起(おこ)してみたかりし、

 先刻(さつき)の我(われ)を

 いとしと思(おも)へる。

 

 何か一つ騷ぎを起してみたかりし、

  先刻の我を

  いとしと思へる。

 

   *

 

五歲になる子に、何故ともなく、

 ソニヤといふ露西亞名をつけて、

 呼びてはよろこぶ。

 

 五歲になる子に、何故ともなく、

  ソニヤといふ露西亞名をつけて、

  呼びてはよろこぶ。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は『層雲』明治四四(一九二一)年七月号。その評釈で、『啄木が京子につけた「ソニヤ」は彼がクロポトキンの自伝「一革命家の思い出」で学んだ、ロシアの女性革命家ソフィア・ペロフスカヤ』(ソフィア・リヴォーヴナ・ペロフスカヤ(Со́фья Льво́вна Перо́вская/ラテン文字転写:Sophia Lvovna Perovskaya 一八五三年~一八八一年:ペテルブルク出身。父親は州知事を務めた名門貴族の家庭に生まれ、アラルチンスキー女子大学入学後、一八七一年から一八七二年にかけて三名の女友達とともにナロードニキ運動の復興を目指す秘密結社「チャイコフスキー団」に参加、学生時代から革命運動に加わり、投獄と脱獄を繰り返した。その後、テロリズム集団「人民の意志」に加わり、皇帝暗殺を主導し成功した)『のことであろう。彼女は虚無党員として一八八一年三月一日ロシア皇帝アレキサンドル二世の暗殺に成功したが』、『捕えられ』、『四月三日』、絞首刑に処せられた。『ペロフスカヤが三月二十二日獄中からクリミヤの母』『に送った手紙の末尾に「Your Sonya」とあり、彼女の愛称がソニヤであったことを示している』とある。サイト「RUSSIA BEYOND」(日本語版)のこちらによれば、処刑前に彼女が母親に送った手紙には、「愛するママ、私を信じて……。私は自分の信念が命じるままに生きてきました。そうしないわけにはいかなかったのです」とあったという。ロシア語のソニアは「Соня」。

 なお、本歌は特異点で、見開き「90」「91」ページの「90」ページ冒頭に配されてあるが、その後は「*」を入れて、一首分(右ページ後半分)が空白となっている。本書刊行に尽力し、主導した土岐哀果の本書の跋(後に電子化する)によれば、『第九十頁に一首空けてあるが、ノートに、あすこで頁が更めてあるから、それもそのまゝにした』とある。これは、ここでここまでの初出の概ね明治四四(一九二一)年七月分までのものが終わり、残りの歌群の最後までが『詩歌』の同年九月号初出に転じるのに対応しているインターミッションととれる。空白も再現した。

 

   *

 

 

 

 

 

解(と)けがたき

不和(ふわ)のあひだに身(み)を處(しよ)して、

 ひとりかなしく今日(けふ)も怒(いか)れり。

 

 解けがたき

 不和のあひだに身を處して、

  ひとりかなしく今日も怒れり。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、初出は『詩歌』明治四四(一九二一)年九月号(以下最終歌まで同じ)で、『「猫を飼はば」と題する十七首中の一首。この年八月二十一日の啄木日記に「歌十七首を作つて夜『詩歌』の前田夕暮に送る。」とあるので、この日の作歌であることがわかるが、この十七首は活字となった啄木の最後の作品である。この一首は啄木の母親カツと妻節子の解決しがたい不和と、そこから生じる作者自身の苦悩を歌ったもの』とある。]

 

   *

 

猫(ねこ)を飼(か)はば、

その猫(ねこ)がまた爭(あらそ)ひの種(たね)となるらむ。

 かなしきわが家(いへ)。

 

 猫を飼はば、

 その猫がまた爭ひの種となるらむ。

  かなしきわが家。

 

   *

 

俺(おれ)ひとり下宿屋(げしゆくや)にやりてくれぬかと、

 今日(けふ)も、あやふく、

 いひ出(い)でしかな。

 

 俺ひとり下宿屋にやりてくれぬかと、

  今日も、あやふく、

  いひ出でしかな。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書では、措辞を問題にされ、『「あやふく」は「すんでのことで、もう少しで」の意。したがってこれに対応する言い方としては「いひ出でんとす。」とあるべきところ。しかしこの歌は「いひ出でし」とあり、この「し」は過去の助動詞であるから、すでに言い出したことになる。そうすると』、『上の「あやふく」は「すんでのこと」でなく、「思はずに」とか「つい」とかの意味の語でなければならない』と述べておられる。「あやふく」にはそのような意味はないので、確かに表現としては齟齬がある。]

 

   *

 

ある日(ひ)、ふと、やまひを忘(わす)れ、

牛(うし)の啼な)く眞似(まね)をしてみぬ、――

 妻子(さいし)の留守(るす)に。

 

 ある日、ふと、やまひを忘れ、

 牛の啼く眞似をしてみぬ、――

  妻子の留守に。

 

   *

 

かなしきは我(わ)が父(ちち)!

 今日(けふ)も新聞(しんぶん)を讀(よ)みあきて、

 庭(には)に小蟻(こあり)と遊(あそ)べり。

 

 かなしきは我が父!

  今日も新聞を讀みあきて、

  庭に小蟻と遊べり。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書に、『宝徳寺の住職を罷免されて以来、ろくろくとしてなすところのなかった父一禎のわびしい境遇を歌ったもの。父親はこの歌の作られた二週間後の九月三日に再び家出して、北海道に次女の山本トラを頼った』とある。]

 

   *

 

ただ一人(ひとり)の

をとこの子(こ)なる我(われ)はかく育(そだ)てり。

 父母(ふぼ)もかなしかるらむ。

 

 ただ一人の

 をとこの子なる我はかく育てり。

  父母もかなしかるらむ。

[やぶちゃん注:啄木は長姉サダ・次姉トラ・妹ミツで、男子は彼一人であった。]

 

   *

 

茶(ちや)まで斷(た)ちて、

わが平復(へいふく)を祈(いの)りたまふ

 母(はは)の今日(けふ)また何(なに)か怒(いか)れる。

 

 茶まで斷ちて、

 わが平復を祈りたまふ

  母の今日また何か怒れる。

 

   *

 

今日ひよつと近所の子等と遊びたくなり、

呼べど來らず。

 こころむづかし。

 

 今日ひよつと近所の子等と遊びたくなり、

 呼べど來らず。

  こころむづかし。

 

   *

 

やまひ癒(い)えず、

死(し)なず、

 日每(ひごと)に心(こころ)のみ險(けは)しくなれる七八月(ななやつき)かな。

 

 やまひ癒えず、

 死なず、

  日每に心のみ險しくなれる七八月かな。

[やぶちゃん注:「七八月(ななやつき)」とするが、これは「七、八箇月」という謂いではなく、この明治四四(一九二一)年の七月から八月にかけての謂いである。全集年譜(岩城氏編)によれば、同年七月四日に発熱が三十八度九分に達し、以後、一週間に亙って高熱が続き、病床に呻吟しており、同月二十八日には、東京大学病院にて妻節子が「肺尖加答兒(カタル)」(肺尖の部分の結核症。肺結核の初期病変)で伝染の危険性を指摘されている。また、母カツも八月(或いは九月上旬)に喀血している。]

 

   *

 

買(か)ひおきし

藥(くすり)つきたる朝(あさ)に來(き)し

 友とも)のなさけの爲替(かはせ)のかなしさ。

 

 買ひおきし

 藥つきたる朝に來し

  友のなさけの爲替のかなしさ。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書によれば、この「友」は宮崎郁雨である。]

 

   *

 

兒(こ)を叱(しか)れば、

泣(な)いて、寢(ね)いりぬ。

 口(くち)少(すこ)しあけし寢顏(ねがほ)にさはりてみるかな。

 

 兒を叱れば、

 泣いて、寢いりぬ。

  口少しあけし寢顏にさはりてみるかな。

 

   *

 

何(なに)がなしに

肺(はい)が小(ちい)さくなれる如(ごと)く思(おも)ひて起(お)きぬ――

 秋近(あきちか)き朝(あさ)。

 

 何がなしに

 肺が小さくなれる如く思ひて起きぬ――

  秋近き朝。

 

   *

 

秋近(あきちか)し!

 電燈(でんとう)の球(たま)のぬくもりの

 さはれば指(ゆび)の皮膚(ひふ)に親(した)しき。

 

 秋近し!

  電燈の球のぬくもりの

  さはれば指の皮膚に親しき。

 [やぶちゃん注:岩城氏前掲書に、『啄木は八月七日宮崎郁雨の援助で小石川区久堅町』(ひさかたちょう)『七十四番地の借家に転居した』(それまでの喜之床(きのとこ)からは既に立ち退きを迫られていた)。『この一首にはこの新居で秋を迎えようとする気持が歌われており、秋の訪れをいち早く電球のぬくもりに感じとっている』とある。現在の文京区小石川五丁目のここ(グーグル・マップ・データ)で、ここで啄木は亡くなった。]

 

   *

 

ひる寢(ね)せし兒(こ)の枕邊(まくらべ)に

人形(にんげう)を買(か)ひ來(き)てかざり、

 ひとり樂(たの)しむ。

 

 ひる寢せし兒の枕邊に

 人形を買ひ來てかざり、

  ひとり樂しむ。

[やぶちゃん注:「にんげう」はママ。]

 

   *

 

クリストを人(ひと)なりといへば、

 妹(いもうと)の眼(め)が、かなしくも、

 われをあはれむ。

[やぶちゃん注:岩城氏前掲書評釈に(太字部は底本では傍点「ヽ」)、『啄木の妹光子は、日本聖公会の婦人教役者(伝導師)をめざして名古屋の聖使女学院に在学していたが、夏休みの八月十日から九月十四日まで啄木のもとに滞在した。啄木はこの年一月九日瀬川深宛の書簡で、「妹は今名古屋の耶蘇の学校にゐる。ハイブルウーマンになるんださうだ、妹は天国の存在を信じてゐる。悲しくも信じてゐる――」と書いているが、この一首は神の存在を信じる妹を悲しむ「兄」と、神の存在を信ぜず』に『人間本位論者の兄を悲しむ「妹」の、悲しい行き違いを歌ったもの』とある。]

 

   *

 

緣先(えんさき)にまくら出(だ)させて、

 ひさしぶりに、

 ゆふべの空(そら)にしたしめるかな。

 

 緣先にまくら出させて、

  ひさしぶりに、

  ゆふべの空にしたしめるかな。

 

   *

 

庭(には)のそとを白(しろ)き犬(いぬ)ゆけり。

 ふりむきて、

 犬(いぬ)を飼(か)はむと妻(つま)にはかれる。

 

 庭のそとを白き犬ゆけり。

  ふりむきて、

  犬を飼はむと妻にはかれる。

[やぶちゃん注:歌集「悲しき玩具」の歌集パートはこれを以って終わっている。本注釈で多大にお世話になった學燈社『別冊國文學』(第十一号)の岩城之徳編「石川啄木必携」(昭和五六(一九八一)年九月発行)の岩城氏の「啄木歌集全歌評釈」によれば、初出は『詩歌』明治四四(一九二一)年九月号(「猫を飼はば、」からここまで総て同じ)で、『歌稿ノートはこの歌の次に「大跨に椽側を歩けば、」という書きかけの歌があって終わっている。「悲しき玩具」は本郷弓町時代から小石川久堅町時代への病状の推移を背景として詠まれたもので、不安と焦燥と憤怒を交錯させながら、絶望を媒介とする諦念の世界に向かっている。しかしそうした闘病の生活の間にも、刹那の生命を愛惜する心が、それにふさわしい表現形式で珠玉のような作品を生み、彼の歌風の見事な結実を示している。しかしそれは同時に啄木短歌の終焉でもあった』と擱筆しておられる。]

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