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2020/03/17

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 樂聲

 

  樂  聲

日暮(ひく)れて、樂堂(がくだう)萎(しほ)れし瓶の花の

香りに醉(ゑ)ひては集(つど)へる人の前に、

こは何(なに)、波渦(なみうづ)沈(しづ)める蒼(あを)き海(うみ)の

遠音(とほね)と浮き來て音色(ねいろ)ぞ流れわたる。──

靈の羽ゆたかに白鳩舞(ま)ひくだると

仰(あふ)げば、一弦(いちげん)、忽ちふかき淵(ふち)の

底(そこ)なる嘆(なげ)きをかすかに誘(さそ)ひ出でゝ、

虛空(こくう)を遙(はる)かに哀調(あいてふ)あこがれ行く。

 

光と暗とを黃金(こがね)の鎖(くさり)にして、

いためる心を捲(ま)きては、遠(とほ)く遠く

見しらぬ他界(かのよ)の夢幻(むげん)の繫(つな)ぎよする

力(ちから)よ自由(まゝ)なる樂聲(がくせい)、あゝ汝(なれ)こそ

天(あめ)なる快樂(けらく)の名殘(なごり)を地(つち)につたへ、

魂(たま)をしきよめて、世に充(み)つ痛恨(いたみ)訴(うた)ふ。

            (癸卯十一月卅日)

 

   *

 

  樂  聲

日暮(ひく)れて、樂堂萎(しほ)れし瓶の花の

香りに醉ひては集へる人の前に、

こは何、波渦(なみうづ)沈める蒼き海の

遠音と浮き來て音色ぞ流れわたる。──

靈の羽ゆたかに白鳩舞ひくだると

仰げば、一弦、忽ちふかき淵の

底なる嘆きをかすかに誘ひ出でゝ、

虛空を遙かに哀調あこがれ行く。

 

光と暗とを黃金(こがね)の鎖にして、

いためる心を捲きては、遠く遠く

見しらぬ他界(かのよ)の夢幻の繫ぎよする

力よ自由(まゝ)なる樂聲、あゝ汝(なれ)こそ

天(あめ)なる快樂(けらく)の名殘を地(つち)につたへ、

魂(たま)をしきよめて、世に充つ痛恨(いたみ)訴(うた)ふ。

            (癸卯十一月卅日)

[やぶちゃん注:表題「樂聲」(「がくせい」と読んでおく)の「聲」の字は「耳」が「声」の下部に入って(へん)を成し、「殳」が(つくり)として独立している特殊な字体である。ここ(「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のHTML画像リンク)。初出は『帝國文學』明治三七(一九〇四)年三月号の総標題「無弦」の第一篇。

 最終行「魂(たま)をしきよめて、世に充(み)つ痛恨(いたみ)訴(うた)ふ。」は「魂を」「し」「淨(きよ)めて」で、「し」は強意の副助詞であろう。啄木は偉大なる音楽、楽の音(ね)は、まさに「天」上「なる快樂(けらく)の名殘を」この大「地」「につたへ」(に傳へ)つつ、しかもあらゆる人々の「魂」(たましい)「を」も浄めて、それでいて同時に「世に充(み)」ち充ちている人々の「痛恨(いたみ)」をも「訴(うた)ふ」(「歌ふ」と「訴ふ」を掛けた確信犯の読みであろう)というのであろう。

「癸卯十一月卅日」「癸卯」(みづのえう)は明治三六(一九〇三)年。既に述べた通り、これよりも前の五篇が、この翌日十二月一日発行の『明星』に載り、注目された。まさに新進気鋭の詩人石川啄木登場の文字通り「前夜」であったのである。]

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