早川孝太郎「猪・鹿・狸」 猪 八 空想の猪
八 空 想 の 猪
[やぶちゃん注:無題の本篇の挿絵。国立国会図書館デジタルコレクションの底本の画像をトリミング・補正した。]
嘗て或る若い女房が、朝未だ仄暗い内に、村の、アイチの入の山へ、刈干の草を背負ひに行くと、路の行手へ灰色した小豚程の獸が現はれて、前に立つてコロコロ步いて行つたと言ふ。其時獸の方では、後から人間の來る事などは、一向感付かぬらしかつた。女房も氣丈者で、平氣で後を隨いて、ものゝ三丁も行つたが、その内獸は脇の草叢へ外れてしまつた。家へ歸つてその話をすると、老人からそれこそ猪だと聞かされたが、實はビツクリするかと思ひの外、アンナ物が猪だつたかと、案外な顏付をしたさうである。
[やぶちゃん注:「アイチの入」(いり)「の山」入会地(いりあいち)である山のことであろう(正字なら「會地」で歴史的仮名遣は「あひち」)。中世以降の特定のメンバーによる共有地のことで、一定地域の住民(荘園の領民或いは部落や村)が山林・原野・池・沼・海などを共同で管理し、共同で収益を得て分配することが許された土地を指す。
「三丁」三町。三百二十七メートルほど。]
話に聞いた許りでなく、現に田圃の稻を踏みにぢつたり、ノタを打ち、蚯蚓を掘つた跡を見て、實際の姿を想像して居た者が、一度び[やぶちゃん注:「ひとたび」。]自然その儘を見た場合には、此女房と同じ物足りなさを感じたのである。誠にアンナ物が猪だつたのである。
[やぶちゃん注:「ノタを打ち」「ノタ」でイノシシやシカなどが、泥や泥水を浴びることを指す。そうした場所・痕跡を「沼田場」(ぬたば)「のたば」等とも呼ぶ。一般には体表に付着しているダニなどの寄生虫や汚れを落とすための行動とされる。]
自分等の經驗でも、猪は恐ろしい物、强い獸と、物心つく時から聽いてゐた。それが或時屋敷の奧の窪から、狩人に舁がれてゆく姿を、初めて見た時は、同じ幻滅を感じたものであつた。それで又一方には、丸で別の猪の世界を想像してゐたのだから不思議である。どうしても實感の方が壓へられ勝であつた。
幼少の頃八名郡宇里の山里から來た杣が、家に泊まつてゐた事がある。五十五六の極く實直らしい、話好きの男だつた。妙な事にその男の話が、いつも狩りや獸の事ばかりであつた。日數が經つて初めて判つたのだが、前身が狩人だつたのである。どうしてヨキ(斧)を持つやうに成つたか聞きもせなんだが、凡そ一ヶ月程の間に、數限りなく狩の話や獸の話をしてくれた。その内今だに忘れられぬほどの感動を與へられたのは、猪と鹿の比較談であつた。山のタワなど遁げてゆく鹿を狙つて擊つた時、旨く急所に當ると、文字通り屛風を倒す如く轉がつて、何とも、言はれぬ快哉であるが、猪の方だとさうは參らなかつた。如何に急所を擊たれても、決して鹿のやうな倒れ方はせなんだ。彈丸を受けてからも尙二三步肢を運んで、靜かに前屈みに、ツクバイ込むと言ふのである。その話を聽いて居ると、如何にも剛勇の士の最後を見るやうで、猪の猪らしい態度が、名實共に適つた如く感じられたものである。
[やぶちゃん注:「八名郡宇里」現在、愛知県新城市八名井の名が残るが、実際にはそこから豊川の左岸(東岸)の広域(静岡県境まで)を指していた。
「杣」「そま」。木樵(きこり)。
「ツクバイ込む」四肢を伸ばして這いつくばるように最期を迎えることを謂う。
「適つた」「かなつた」。]
或は又恐ろしい手負猪の話であつた。これに掛つたが最後命は無いと聽かされて、牙を剝いた物凄い姿を胸に描いて見た。その恐ろしい手負猪を、傍へ引寄せてから旨く引外して、後の谷へ眞逆樣に突こかしたと云ふ村の某の逸話を、何時迄も信じてゐて、幾度か人にも話したものであつた。
[やぶちゃん注:「引外して」向かってくるのをさっと避(よ)けて。]
さうかと思ふと劇しい追狩[やぶちゃん注:「おひがり」。]の最中に、遁げながらも幾度か引返して獵犬を追捲るといふ話を、恍惚として聽入つたものである。幾度聞いても厭ぬ[やぶちゃん注:「あかぬ」。]興味を覺えたが、その度に空想の世界が、段々根を張つて伸びてしまつたのである。
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