早川孝太郎「猪・鹿・狸」 鹿 十七 大蛇と鹿
十七 大 蛇 と 鹿
大蛇が鹿を追つたと言ふ話がいろいろあつた。
瀧川の村から小吹川(こぶきがは)に沿うて、一里ほど山奧へ入りこんだ處に、小吹(こぶき)と言ふ一ツ家があつた。そこの山には大蛇が棲むと專ら言傳へたが、曾て鳳來寺村布里から、山越しゝて來た男は、行く手に松の大木が倒れてゐると思つて近づくと、蛇の胴體だつたと謂うた。或時瀧川の狩人が、朝早く其處へ引鹿を擊ちに行くと、見上るやうな高い崖の上から鹿が轉がり落ちて來た、不思議に思つて崖の上を仰ぐと、今しも一匹の大蛇が、鎌首を差出して下を覗いて居るのに、びつくりして遁げて來たと謂うた。
[やぶちゃん注:「瀧川の村」国土地理院を見ると、出沢の北に接して寒狭川沿いに「滝川」の地名を見出せ、スタンフォードの古い地図でも「瀧川」の文字の左斜め上に「小吹」とあるのが判る。グーグル・マップ・データ航空写真で示すと、この中央の谷附近(七久保川の尾根一つ北に越えたところ)である。
「鳳來寺村布里」新城市布里。北部分の豊川(寒狭川)沿いに開けている。ここから南に布里地区の山間部を山越えしてきたということになる。
「山越しゝて來た男」この「やまごえししてきた」という動詞は意味が判らない。改訂版でも、例のPDF版でもそのままであるが、私は「ゝ」は衍記号ではないかと思っている。]
伊那街道筋の、双瀨(ならせ)にも略[やぶちゃん注:「ほぼ」。]同じやうな話があつたと言ふ。其處に高く切り立つたやうな崖があつて、崖の上が宙に差出たやうになつた場所ださうであるが、或時狩人が其下に休んで居ると、崖の上から何やらえらい音をさせて落ちて來たものがあつた。見るとそれが鹿で、前の話と同じやうに蛇に追はれて來たと言ふのである。同じやうな話は未だ他でも語られて居たが、たゞ八名郡石卷村にあつたと言ふ話だけは、更に不思議な物語が附いて居た。
[やぶちゃん注:「双瀨(ならせ)」ここに「双瀬の川渡り」という海老川の景勝地があり、その左岸には「大双瀬(おおならぜ)」及び「奥双瀬(おくならぜ)」の地名(現行地名は「ぜ」と濁る)を認める(新庄市内)。
「八名郡石卷村」現在の愛知県豊橋市石巻町。珍しく横川からかなり南西に離れる。]
極く新しい事だと言うて、その者の名前迄聞いたがもう忘れてしまつた。某の狩人が朝暗い内に起きて、石卷山に鹿擊ちに出かけて、山の中腹の崖の下に行つて夜明を待つて居たと言ふ。その崖と言うふのは所謂懸崖で、高い岩が屋根のやうに差出して、崖の上は遙かに峯續きになつて居る。アギトとも言うて、更に上には登る事の出來ぬやうな地形である。その岩の頭へ姿を見せる鹿を打つためだつた。すると夜の明方に、思ひがけなく、岩の上から、一匹の大鹿が轉がり落ちて來た。驚いて崖を見上げると、高い岩の上から、二間[やぶちゃん注:約三・六三メートル。]もある鎌首を差出して、恐ろしい大蛇が下を除き込んで居た。びつくりして直ぐ鐵砲を取直して、蛇を目がけて放したと言ふ。すると恐ろしい音を立てゝ蛇は手繰るやうに落ちて來て、えらい苦しみをして死んださうである。狩人はそのままゝ鹿を引舁いで、ドンドン家へ逃げて來ると、戶口に女房が眞蒼な顏をして倒れて居たと言ふ。驚いて助け起して段々譯を聞くと、女房は夫を送り出してから一眠りする内、夢を見たのである。今しも一匹の大蛇になつて、鹿を追ひかけて行くと、その鹿が崖の下へ轉がり落ちたので、上から覗き込むと、下に狩人が居ていきなり鐵砲で自分を擊つたと迄は知つて居たさうである。それからは夢中で、床を轉がり出して門口迄來ると、其處に倒れて氣を失つたのである。段々聞いて見ると、男が蛇を擊つた時と寸分異はなんだ[やぶちゃん注:「ちがはなんだ」。]と言ふのである。
[やぶちゃん注:「石卷山」。ここ。標高三百八十五メートル。]
何だか未だ缺けた點があるやうである。此話を聞いたのは小學校へ通つて居る頃で、學校へ行く途中だつたと思ふ。自分より四ツ五ツ上の子供が、昨夜中村(寶飯村中村)の伯父が泊つて父に話したのを、脇から聞いたと語つたものである。今では子供もその父も死んでしまつて、もう詳しい事を聞糺す宛も無い。同じ八名郡の鳥原は、昔から大きな蛇が澤山居た處と言うた。或時鹿を咥へた[やぶちゃん注:「くはへた」。]大蛇が、山の裾を、草を押分けて走つて行く處を見たと言ふ話もあつた。
[やぶちゃん注:「中村(寶飯村中村)」改訂版では「寶飯郡中村」。「寶飯」は「ほい」と読む。石巻に近いところとすると、愛知県蒲郡市形原町中村か?]
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