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2020/04/21

甲子夜話卷之六 9 林子、宮嶋に山禁を犯し瀑雨にあふ事

 

6-9 林子、宮嶋に山禁を犯し瀑雨にあふ事

林氏云。辛未年西征のとき、藝の宮嶋に舟行す。嚴嶋社の寶物を縱觀して時刻を移し、晝八半時頃に至り、彌山に登らんと云へば、藝侯より附し嚮導の者、承諾せずして云。此山に登ること晝九時を限る。それより後は人の登ることを許さず。必變ありとて、いかほど强れども肯ぜず。予姑く步して山麓に抵る。山腹より瀑流ありて淸冽なり。因て人をして嚮導者に云はしむるは、瀑源の邊まで登り見ん。嚮導に及ばざれば、こゝに休憩あるべしとて、侍臣より奴僕まで十四五人許もつれて登り、瀑源に至り着て、從者に云には、前言は詐なり。此地再遊すべきならず。折ふし好天氣、此機會を失ふことやあるべき。是より絕頂を極めんと言ふに、從者唯諾すれども、心中に畏懼の意あるものありき。扨山路を攀躋るに隨て、息喘を發するものあり、嘔噦を生ずるものあり、頭痛するものあり、故も無く氣分あしゝとて面菜色なるものあり、足軟緩して步みかぬるものあり。予笑て各路傍に留り、疾を養ふことを許す。次第に登りて山頂に至る頃ほひ、從ふもの僅に五六人なり。頂上の遠眺快甚く、折しも天朗晴にて、目中の山巒島嶼、千態萬狀を脚下に獻ず。平宗盛が納めし鐘を摩挲して、懷古の想を生じ、良久く徘徊する中に、山谷の間より縷々の雲を起す。予從者を顧みて、此膚寸の合ざる内に下山せん。いざいざと云て急ぎ山を下る。未だ半にも至らざるに、前山後峯隱顯明滅して、人皆雲中にあり。麓に近づく頃は雲烟深く鎖し、眼界浩として烟海の如し。やうやう來路を認て下る。初疾しものども、こゝの岩角かしこの辻堂より、一人二人づゝ馳付く。予笑て、敗軍の落武者殘卒の體、かくぞあるべしとて大哄す。山を下り民屋ある所まで走り行内、はや驟雨暴注して、滿身淋漓せり。遂に民屋に入り、雨を避し中の雨勢は、未曾有の大雨にて、見る内に道路泛濫に至れり。さきの嚮導者あきれはてゝ、かくあるべしと思へばこそ、止め奉りつれとて、幾度か物蔭にて從僕に言けるとぞ。やがて天乍晴、夕陽明媚、海波如ㇾ熨、乃舟に乘て玖波驛に投宿しぬ。是にて人の山に醉と云ことも、魑魅に逢と云ことも能解したり。最初に從者の疾を生じたるは、山禁を犯し刻限後れに登山すると云懼心より、我と疾を生ずるを、山に醉と云べし。又其禁と云もの徒然に非ず。天氣は晝後より多く變ずるものゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下の二ヶ所も同じ。]、剋の後るゝを禁ずるはもと理あることなり。深山は陰閉のものゆへ、常に人跡乏しき所を、人氣にて動かすときは、雲雨を起すも、亦その理なり。山路奇險にして迷ひ易く、登降も便ならず。況や數丈の溪㵎、その間にある所にて、大風雨に逢へば、失足して谷へ墜るゆへ、その下の木梢にも掛るべし。是等を魔の所爲など云にぞ有ける。纔なる海島の彌山にてさへ、山氣を盪かして雲雨を生ぜり。能時分に見切りたる計にて、何のことも無し。見切あしければ、是等の時も天狗出たるなど俗論あるべきなり。凡我心に疑無き時は、人事に障碍は無きものなり。一念の疑より己と障礙は引起すものにこそ。

■やぶちゃんの呟き

 これは非常に長く、しかも読みがなかなかに難しい。されば、私が特異的に歴史的仮名遣で読みの振れる語句や難読と思われる箇所に読みを附したものを以下に示し、後につぶやくこととする。二度手間するので、序でに読み易く、句読点・鍵括弧・記号を変更・追加し、さらにシチュエーションごとに段落を成形することとした。

   *

   林子(りんし)、宮嶋に山禁を犯し、瀑雨(ばくう)にあふ事

 林氏云(いはく)――

 辛未(かのとひつじ)年、西征(さいせい)のとき、藝(あき)の宮嶋に舟行(しふかう)す。嚴嶋社(いつくしましや)の寶物を縱觀(じゆうくわん)して時刻を移し、晝八半時(やつはんどき)頃に至り、

「彌山(みせん)に登らん。」

と云へば、藝侯(げいこう)より附(つき)し嚮導(きやうだう)の者、承諾せずして云(いはく)、

「此山に登ること、晝九時(ここのつどき)を限る。それより後は人の登ることを許さず。必(かならず)變あり。」

とて、いかほど强(しひ)れども、肯(がへん)ぜず。

 予、姑(しばら)く步(あゆみ)して山麓に抵(いた)る。山腹より瀑流ありて淸冽なり。因(より)て、人をして嚮導者に云はしむるは、

「瀑源の邊(あたり)まで登り見ん。嚮導に及ばざれば、こゝに休憩あるべし。」

とて、侍臣より奴僕まで十四、五人許(ばかり)もつれて登り、瀑源に至り着(つき)て、從者に云(いふ)には、

「前言は詐(いつはり)なり。此地、再遊すべきならず。折ふし好天氣、此機會を失ふことやあるべき。是より絕頂を極めん。」

と言ふに、從者、唯諾(ゐだく)すれども、心中に畏懼(いく)の意あるものありき。

 扨(さて)、山路を攀躋(よぢのぼ)るに隨(したがひ)て、息喘(そくぜん)を發するものあり、嘔噦(おうゑつ)を生ずるものあり、頭痛するものあり、故も無く、

「氣分あしゝ。」

とて、面(おもて)、菜色(さいしよく)なるものあり、足、軟緩(なんくわん)して步みかぬるものあり。

 予、笑(わらひ)て各(おのおの)路傍に留(とどま)り、疾(やまひ)を養ふことを許す。

 次第に登りて、山頂に至る頃ほひ、從ふもの、僅(わづか)に五、六人なり。

 頂上の遠眺、快(かい)甚(はなはだし)く、折しも、天、朗晴(らうせい)にて、目中の山巒(さんらん)・島嶼(とうしよ)、千態萬狀(ばんじやう)を脚下に獻ず。

 平宗盛が納めし鐘を摩挲(まさ)して、懷古の想(おもひ)を生じ、良(やや)久(ひさし)く徘徊する中に、山谷(さんこく)の間(かん)より縷々(るる)の雲を起す。

 予、從者を顧みて、此(この)膚寸(ふすん)の合(あは)ざる内に下山せん。いざ、いざ。」

と云(いひ)て、急ぎ、山を下る。

 未だ半(なかば)にも至らざるに、前山・後峯、隱顯・明滅して、人皆(ひとみな)、雲中にあり。

 麓に近づく頃は、雲烟、深く鎖し、眼界、浩(かう)として、烟(けむり)、海の如し。やうやう來路を認(みとめ)て下る。

 初(はじめ)、疾(やみ)しものども、こゝの岩角、かしこの辻堂より、一人、二人づゝ馳付(はせつ)く。

 予、笑(わらひ)て、

「敗軍の落武者・殘卒の體(てい)、かくぞあるべし。」

とて大哄(たいこう)す。

 山を下り、民屋ある所まで走り行(ゆく)内(うち)、はや、驟雨、暴注(ばうちゆう)して、滿身淋漓(りんり)せり。

 遂に民屋に入り、雨を避(さけ)し中(なか)の雨勢(うせい)は、未曾有(みぞう)の大雨にて、見る内に、道路、泛濫(はんらん)に至れり。

 さきの嚮導者、あきれはてゝ、

「かくあるべしと思へばこそ、止(と)め奉りつれ。」

とて、

「幾度か物蔭にて從僕に言ける。」

とぞ。

 やがて、天、乍(たちまち)晴(はれ)、夕陽、明媚(めいび)、海波、熨(のし)のごとく、乃(すなはち)舟に乘(のり)て玖波驛(くはのえき)に投宿しぬ。

 是(これ)にて、人の山に「醉(ゑふ)」と云(いふ)ことも、「魑魅(ちみ)に逢(あふ)」と云(いふ)ことも能(よく)解したり。

 最初に從者の疾(やまひ)を生じたるは、山禁を犯し、刻限後(おく)れに登山すると云ふ懼心(おそれのこころ)より、我(おのづ)と疾(やまひ)を生ずるを、「山に醉(ゑふ)」と云(いふ)べし。

 又、其禁と云(いふ)もの徒然(いたづら)に非ず。

 天氣は晝後(ちうご)より多く變ずるものゆへ、剋(とき)の後(おく)るゝを禁ずるは、もと、理(ことわり)あることなり。深山は陰閉(いんへい)のものゆへ、常に人跡(じんせき)乏(とぼ)しき所を、人氣(じんき)にて動かすときは、雲雨を起すも、亦その理なり。山路、奇險にして迷ひ易く、登降(とうこう)も便(びん)ならず。況や數丈の溪㵎(けいかん)、その間(かん)にある所にて、大風雨に逢へば、失足(しつそく)して谷へ墜(おつ)るゆへ、その下の木梢(こずゑ)にも掛るべし。是等を「魔の所爲(しよい)」など云(いふ)にぞ有(あり)ける。纔(わづか)なる海島(かいとう)の彌山(みせん)にてさへ、山氣(さんき)を盪(うご)かして雲雨を生ぜり。能(よき)時分に見切りたる計(ばかり)にて、何のことも無し。見切あしければ、是等の時も「天狗出(いで)たる」など俗論あるべきなり。

 凡(およそ)我心に疑(うたがひ)無き時は、人事に障碍(しやうがい)は無きものなり。一念の疑(うたがひ)より己(おのづ)と障礙(しやうがい)は引起すものにこそ。

   *

「宮嶋」安芸の宮島。

「瀑雨」激しい降雨。

「林氏」お馴染みの静山の年下(八つ下)の友人である江戸後期の儒者で林家第八代当主林述斎(はやしじゅっさい 明和五(一七六八)年~天保一二(一八四一)年)。冷徹な彼の面目躍如たるエピソードである。

「辛未年」文化八(一八一一)年。松浦静山清(宝暦一〇(一七六〇)年~天保一二(一八四一)年辛丑)が「甲子夜話」の執筆に取り掛かったのは、文化三(一八〇六)年に三男熈(ひろむ)に家督を譲って隠居した後の文政四(一八二一)年辛巳(かのとみ)十一月十七日甲子の夜であるが、それ以降に「辛未」はない。従って遡る直近の、この年となるのが、こうした記録類の常識である。

「西征」単に西に向かって行く、旅すること。

「嚴嶋社」厳島神社。

「晝八半時頃」午後三時頃。

「彌山」広島県廿日市市宮島町の宮島(厳島)の中央部にある標高五百三十五メートルの弥山(みせん)(グーグル・マップ・データ航空写真)。古くから信仰の対象であった。

「藝侯」広島藩主。当時は第八代藩主浅野斉賢(なりかた)。

「嚮導の者」案内人。「嚮」(現代仮名遣「きょう」)は「向」に同じ。「向かうこと・向くkと・先にすること」。「鴻門之会」でやったじゃないか。

「晝九時(ここのつどき)」正午。

「山腹より瀑流ありて淸冽なり」白糸の滝(グーグル・マップ・データ)。

「再遊すべきならず」再び遊山することは出来ぬであろう。

「唯諾(ゐだく)」相手の言ったことをそのまま承諾すること。

「息喘」喘息。

「嘔噦(おうゑつ)」嘔吐。

「菜色(さいしよく)なる」青白くなる。蒼白になる。

「軟緩」急に足弱になって歩みがのろくなること。

「平宗盛が納めし鐘」治承元(一一七七)年に平宗盛が寄進した刻銘のある「宗盛の梵鐘」 は島の多々良潟(たたらがた。グーグル・マップ・データ。名前から推してもここで造ったことが判るが、或いは砂鉄が採れたのかも知れない)というところで宗盛が鋳造させたとされるものが、現在は山頂近くの弥山本堂(グーグル・マップ・データ)にある。

「摩挲(まさ)」手でさすること。撞いたのではない。

「縷々」細く長く途切れることなく続くさま。

「膚寸(ふすん)」「膚」(ふ)は指四本を並べた長さの意で、ほんの僅かな大きさ。特に切れぎれの雲を形容するのに用いられる。

「浩」広々としているさま。

「大哄」「おほわらひす」と読んでもいいが、儒者である彼は音読みしたろうと思う。

「暴注」激しくそそぐこと。

「淋漓」滴り落ちること。

「雨を避し中」「中」は「下山のちょうど半ば頃」の意で採る。

「泛濫(はんらん)」「氾濫」に同じい。洪水のようなありさまとなったことを指す。

「熨」平たく伸びた熨斗(のし)。

「玖波驛(くはのえき)」現在の広島県大竹市玖波(グーグル・マップ・データ)。宮島の南の陸の対岸。山陽道の宿駅であった。

「懼心(おそれのこころ)」「くしん」でもよい。

「陰閉」強い陰気の籠って充満していることであろう。

「人氣(じんき)にて動かすとき」人間が運動して、そこに陽気が発生する時。

「盪(うご)かして」「動かして」に同じ。この場合は、自然にその滞留している陰気を揺り動かす結果となり、の意。

「能(よき)時分に見切りたる計(ばかり)にて」私自身の自然現象に対する判断に誤りがなく、丁度良い時分を見計らって下山しただけのことであって。

「俗論あるべきなり」馬鹿げた巷間の噂による理由付けが行われるだけのことである。

「障碍」「障礙」障害に同じい。

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