石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 花守の歌
花 守 の 歌
夜はあけぬ。
生の迎(むか)ひに
心の住家(すみか)、園の
門(かど)を明(あ)けむ。
光よ、花に培(つち)かへ。
夢より夢の關(せき)据(す)ゑて、
孤境(こきやう)の園に花を守(も)る。
花咲くや、
愛の白百合、
愛はほのぼの、夢の
關(せき)に明(あ)けて、
霧吹く香盞(にほひさかづき)
我にそなへぬ、我が守る
幻、光、生(せい)の園。
はなやかに
黃金(こがね)よそほふ
姬の百人(もゝたり)、唇(くち)に
ほこり見せて、
ゆたかに門をよぎりぬ。──
それには似じな、わが胸の
あでなる夢に生(い)くる花。
日は闌(た)けぬ、
晝(ひる)の沈默(しづまり)。──
かかる日なりき、我は
ひとりゆきぬ、
新たに生(せい)や香ると。
守る孤境の園を出(で)て
黃金よそほふ市(いち)の宮。
いかめしき
門守(ともり)の姬ら、
我をこばみぬ、『園の
鍵(かぎ)を捨てよ。』
うつろの笑(ゑみ)や、宮居の
權力(ちから)うしろに、をどろきて
我はかへりき、わが園に。
つちかへば、
花はおのづと
天にむかひぬ。 これや
生の梯(はし)か。
ねむれば園は花樓(はなどの)、
靈の隱家(ゐんげ)よ。 我が守る
小さき園生に我ぞ王(わう)。
やはらぎの
愛歌(あいか)わたるや、
花の大波(おほなみ)、園に
しらべ搖(ゆ)りて、
天(あめ)なる夢の故鄕(ふるさと)
匂ひ海原(うなばら)さながらに、
光と透(す)きぬ孤境園(ひとりその)。
日はくれぬ
夢の守りに
心の住家(すみか)、いざや
門をささむ。
夜なく日なき園には
夢より夢の關(せき)据(す)ゑて、
天路(あまぢ)ひらかむ鍵(かぎ)秘めぬ。
夜よ降(を)りて
ものみな包(つゝ)め。
わが守(も)る園の門(と)には
暗は許(ゆ)りず。
我が園、今か世界に
光をつくる源(みなもと)の
孤境の園に我ぞ王(わう)なれ。
(甲辰五月十九日)
*
花 守 の 歌
夜はあけぬ。
生の迎ひに
心の住家、園の
門(かど)を明けむ。
光よ、花に培かへ。
夢より夢の關据ゑて、
孤境の園に花を守(も)る。
花咲くや、
愛の白百合、
愛はほのぼの、夢の
關に明けて、
霧吹く香盞(にほひさかづき)
我にそなへぬ、我が守る
幻、光、生の園。
はなやかに
黃金(こがね)よそほふ
姬の百人(もゝたり)、唇(くち)に
ほこり見せて、
ゆたかに門をよぎりぬ。──
それには似じな、わが胸の
あでなる夢に生くる花。
日は闌けぬ、
晝の沈默(しづまり)。──
かかる日なりき、我は
ひとりゆきぬ、
新たに生や香ると。
守る孤境の園を出(で)て
黃金よそほふ市の宮。
いかめしき
門守(ともり)の姬ら、
我をこばみぬ、『園の
鍵を捨てよ。』
うつろの笑(ゑみ)や、宮居の
權力(ちから)うしろに、をどろきて
我はかへりき、わが園に。
つちかへば、
花はおのづと
天にむかひぬ。 これや
生の梯(はし)か。
ねむれば園は花樓(はなどの)、
靈の隱家(ゐんげ)よ。 我が守る
小さき園生に我ぞ王。
やはらぎの
愛歌わたるや、
花の大波、園に
しらべ搖りて、
天(あめ)なる夢の故鄕(ふるさと)
匂ひ海原さながらに、
光と透きぬ孤境園(ひとりその)。
日はくれぬ
夢の守りに
心の住家、いざや
門をささむ。
夜なく日なき園には
夢より夢の關据ゑて、
天路(あまぢ)ひらかむ鍵秘めぬ。
夜よ降(を)りて
ものみな包め。
わが守(も)る園の門(と)には
暗は許(ゆ)りず。
我が園、今か世界に
光をつくる源の
孤境の園に我ぞ王なれ。
(甲辰五月十九日)
[やぶちゃん注:第六連の二ヶ所の句点後の字空けは見た目に従った。なお、第七連の四行目「しらべ搖(ゆ)りて、」は底本では「しらべ搔(ゆ)りて、」となっているが、この漢字の読みは認め得ないし、意味も合わない。さらに初出(後述)も『律調(しらべ)搖(ゆ)りて』となっていることから、誤植と断じて、特異的に訂した。初出は明治三七(一九〇四)年七月号『時代思潮』。]