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2020/04/27

ブログ・アクセス1350000突破記念 梅崎春生 ある失踪

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和三五(一九六〇)年一月発行の『新潮』に発表された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集」第一巻を用いた。

 登場人物の一人である「白根」は「しらね」と読んでおく。

 作品のロケーションは基地の構造から見ると、梅崎春生が終戦を迎えた桜島の海軍基地によく符合するように見えるが、冒頭、冷たい五月雨の景が出るので、桜島に転任する前の坊津(ぼうのつ:現在の鹿児島県南さつま市の坊津地区)である。彼は昭和二〇(一九四五)年五月に通信分遣隊下士官として赴任している。ここはアメリカ海軍の日本本土上陸に備えて本土最南端を防衛する震洋隊基地の一つが置かれていた。なお、彼の代表作の一篇「桜島」(昭和二一(一九四六)年九月刊の季刊雑誌『素直』創刊号初出。リンク先は私の「桜島 附やぶちゃん注(PDF縦書β版)」。但し、こちらは一括版縦書きながら、リンクが機能しないので、ブログ分割版をお勧めする)でも冒頭が『七月初、坊津(ぼうのつ)にいた』で始まり、さらに彼のエッセイ「八年振りに訪ねる――桜島――」(昭和三七(一九六二)年十月発表。初出誌未詳。リンク先は私のブログ版)でも『桜島にいたのは、敗戦の年の七月上旬から八月十六日までで、階級は海軍二等兵曹、通信科勤務である』とあるので、まず坊津と考えてよい。

 作中の「S海軍通信隊」とは佐世保海軍通信隊である。本文で主人公が語るのは梅崎春生自身の事実で、彼はそこで速成の下士官教育を受け、このまさに五月に二等兵曹となっていたのである。

 また、作中では、「志願兵」「徴募兵」に対して「応召」兵という語が用いられているが、前の二者は「梅崎春生 上里班長」の冒頭注で少し述べたが、「徴募兵」(=徴集兵)と「応召」兵の違いは何かというと、徴集兵は志願ではなく、国家権力によって現役又は補充兵役に強制的に就かせる行政処分で兵とされた者を指す。徴兵検査に合格している者の内で実際の兵とならずに待機させられていた者を現役兵又は補充兵として兵役義務に就かせる措置が「徴集」(=「徴募」)であり、「応召兵」(=召集兵)とは、既に兵籍のある帰休兵・予備兵・補充兵などを、戦時・事変・平時教育などの折りに軍隊に編入するために強制召致の措置を受けて兵となった者を指す。所謂、召集令状を受けるというのはこの場合である。召集兵の場合は兵種が現役か補充兵役かということで呼称は変化しない。則ち、補充兵は召集されても「補充兵」と呼ばれる(但し、補充兵が補欠として現役兵に繰り上げられて軍隊に召致される場合は入営という)。以上は、(渡邊勉氏の論文「誰が兵士になったのか(1):兵役におけるコーホート間の不平等」(『関西学院大学社会学部紀要』201410月発行)に拠った。

 作品内と作品末にも注を附した。

 なお、本電子化注は2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の200576日)、本ブログが昨日、1350000万アクセスを突破した記念として公開する。【2020年4月27日 藪野直史】] 

 

   ある失踪

 

 午後六時から九時までの暗号当直のあと、白根上等水兵の姿が見えなくなった。それを私に知らせに来たのは、同じく上等水兵の赤木という男である。

「兵曹。兵曹」

 うとうとと眠りかかっていた私を、赤木上水の手がひそかに揺り起した。

「白根の奴がいません」

「白根がいない?」

 やや不機嫌な声で私は起き直った。眠りばなであったし、また貴重な睡眠時間をさまたげられて、面白くなかった。

「いないことが、どうして判ったんだ?」

「寝台にいないのです」

 赤木は腕時計を私に突き出した。

「もう十一時になるというのに」

 とこか外にいるんじゃないか、と言おうとして、私はやめた。外ではこの一週間ばかり、毎日毎日、雨が降っている。昼も夜もやむことなく、しとしとと降り続いている。五月の雨だから、肌に当ると、まだつめたいのだ。さまよい歩くわけには行かない。

「どこかで、辷(すべ)って頭でも打って、気を失っているんじゃないか」

 鹿児島県Q基地の通信科の居住地は、海沿いの崖の下にあり、洞窟陣地で、通路に沿ってカイコ棚式の寝台がずらずらと並んでいる。私が揺り起されたのも、その寝台のひとつだ。

 仕事場の電信室暗号室は、斜面をジグザグに登って、崖の中腹にあった。昼間だと歩いて五分ぐらいの距離だが、夜は暗いから時間がかかる。月明りか星明りでもあればいいが、こんな雨夜だと光はないし、手探りで歩かねばならぬ。ことにその頃の私はビタミンAの不足か、ひどく視力が弱っていて、三十分ぐらいかかることはざらだったし、実際にぬかるみに足をとられて、斜面を、辷り落ちて、したたか足腰を打ったこともある。その経験が私にその質問をさせた。

「はあ。わたくしもそう思って、探してみたのですが?」

 自家発電のうすぐらい電燈の翳(かげ)の中で、赤木は茫漠(ぼうばく)とした表情でそう答えた。

「どこにも見つかりませんです」

 赤木は応召の老兵である。老兵といっても、志願兵徴募兵にくらべて老いているという意味で、三十二三になっていたかと思う。私は当時二十九歳だったから、私より三つ四つ年長のわけだが、実際には十ぐらい年上のような感じが私にはしていた。応召兵が一様に持つ特有の動作の鈍さと、あの茫漠たる表情のせいである。

「弱ったなあ。それは」

 寝台にあぐらをかいたまま、私は掌でぐりぐりとこめかみを揉(も)んだ。軍隊生活で、いなくなるということは、たいへんなことだ。白根上水は私の当直に属する兵隊である。

そういう点で私の責任ということになろうが、しかし私は仕事の上で彼の長だというだけで、彼個人がいなくなったことにまで責任を取る義務があるかどうか。応召以来いろいろと痛めつけられた関係上、その頃私はいつも低姿勢でいたかったし、何事にも介入したくなかった。頭を下げて身を保つ術が、もう私の身体にぴったり貼りついていた。

「どこに行ったんだろう。まさか――」

 逃げたんじゃあるまいな、という意味を含めたのだが、赤木は返事をしないで、じっと私を見詰めている。表情はない。白根がいなくなったのを悲しんでいるのか、喜んでいるのか、迷惑に思っているのか、ほとんど判らない。

「お前はどう思う?」

「何をですか」

「白根がいなくなったことをさ」

「わたくしは白根がいなくなったことを報告するだけで――」

 なまあたたかい呼気が私に近づいた。

「何も思っておりませんです」 

 忌々(いまいま)しいほどの無表情である。この頑固な仮面を剝ぎ取ってやるすべはないものか。おそらくないだろう。それは私が下士官であるからだ。私も四箇月前までは一介の兵隊だったのだから、そのことはよく知っている。

「バカなことを仕出かしたとも思わんのか」

 なんだかひどく面倒くさい気分になった。

「おれに報告したって仕方がない。先任下士官に報告したらいいだろう。先任下士官は今、晴号室だ」

「はあ。では、先任下士官に届けます」

 くずれたような敬礼をして、赤木は私の寝台から離れた。湿った黄土を踏む足音が、ぽくぽくと遠ざかって行った。あの足どりでは暗号室まで、二十分やそこらはかかるだろう。

 

 へんな話だが、四箇月前、私は一暗号兵として、S海軍通信隊で、白根上水の下で勤務していた。当時私は一等水兵で、つまり白根から見ると一階級下になるのだ。年齢は私の方が二つ三つ上だったけれども。

 二十六七で上等水兵だから、もちろん白根も応召兵で、妙にひがみっぽい男であった。軍隊というところは面白いところで、徴募兵は志願兵にひがみ、応召兵は徴募兵志願兵にひがみ、下士官並びに特務士官は学徒出の士官にひがみ、学徒出は兵学校出の士官にひがみ、といった具合で、多かれ少かれ誰も何かに対してひがんでいた。白根はその中でもひがみの傾向がいちじるしく、それは軍隊に入ってからひがみっぽくなったのではなく、生れつきひがみ根性が強かったのだろうと思う。彼は自分より年少の兵長や下士官から、こき使われたり殴られたりすることにおいて、大いにひがんでいた。しかしそのひがみを知っているのは、彼より階級の下の兵だけで、兵長や下士官は知らなかった。白根がそれを努力して知らせなかったのである。彼等におべっかを使うことによって、それを隠蔽(いんぺい)していたのだ。

「畜生め。あいつら、若造のくせしやがって、よくもこのおれ様を――」

 上級者がいなくなると、彼はとたんに愚痴っぽくなって、私たち下級者の前でぼやいたりののしったりする。私たちはただ、はあ、はあ、ごもっとも、といったような表情で、それを聞いている。異でも立てようものならたいへんだ。白根上水は上級者にはおべっかを使うくせに、下級者には冷酷で、つらく当る男だったからだ。もちろん私も彼にはつらく当られた。殴られたことだってずいぶんある。原則として、上水は下級者を殴(なぐ)る権限は持たない。殴る権限を持っているのは、兵長以上の階級で、だから白根は彼等にかくれて私たちを殴る。倉庫の裏手だとか烹炊所(ほうすいじよ)のかげに連れ出して殴る。年下の兵長から殴られて白根が口惜しいのなら、年下の白根上水から殴られて私が口惜しいのも当然の話だが、白根はそこには気を使わない。想像力が欠如しているのか、それとも知っていて知らないふりをしているのか。どうもそれは前者のように思われる。

 森鷗外のある小説にある男のことを『体じゅうが青み掛かって白い。綽号(あだな)を青大将というのだが、それを言うと怒る』というくだりがあるが、初めて白根を見た時、私はその一節を思い出した。色がへんになま白くて、顔や身体の動きが、何となく蛇を聯想(れんそう)させる。そういう男が取り入っても、上級者があまり喜ばないのも当然で、それはそうだろう、青大将のおべっかなんか私もイヤだ。青大将なら青大将らしく、鎌首をもたげてチロチロと舌を吐いたり、ぐるぐる巻きついて来たりする方が、自然であるし見ていても気持がいい。

 私は白根と班をともにして一箇月ほど経って、下士官候補の訓練を受けるために、その通信隊を出ることになった。するとその前の日、白根は私を砲術科倉庫のかげにこっそり呼び出して、一席の訓戒を垂れた。その揚句(あげく)、

「実際貴様ら一水が、どんな学校出か知らないが、二箇月やそこらの訓練だけで、一足飛びに二等兵曹になるなんて、生意気至極だぞ。こうしてやる!」

 と、私に牛殺しという体罰を加えた。牛殺しというのは、指で額を弾(はじ)くやつで、精神棒で尻をたたかれるほど痛くはないが、かなりこたえる体罰なのだ。何度もそれをやられると、額が赤くはれ上る。こちらも無念ではあるが、白根にとっても無念やるかたなかったのであろう。今まで散々いじめて来た相手が、二箇月経つと階級が逆転しようというのだから、その心情も了解出来る。

 それから二箇月経って、私は首尾よく二等兵曹になることが出来た。そしてこのQ基地の通信料に配乗ということになった。下士官として実施部隊勤務になったとたん、私に対する兵隊の表情の、ことに応召兵の表情の変化が、私には強くはっきりと感じられた。一口に言えは、それは韜晦(とうかい)の表情である。先ほど私を起しに来た赤木上水のような茫漠とした表情、感情の内部の動きを絶対にのぞかせまいとする頑固な仮面、私がぶつかったのはまずそれであった。私は彼等からしめ出されている、という感じは、しかし、悪い感じというのではなかった。私は彼等から感情的にしめ出されたのと同時に、生活的にもしめ出されたのだから。つまり私は、精神棒で尻をたたいたりたたかれたり、あの悪夢のような毎日から脱出出来たというわけであったから。

[やぶちゃん注:「配乗」(はいじょう)は海事・海軍用語で、狭義には乗り込むべき船員の割り当てや配置の意であるが、ここは海軍内でのそれに広げて用いている。

「韜晦」自分の本心や才能・地位などを包み隠すこと。]

「おれも兵隊の時分は、下士官や兵長に対して、ああいう表情をしていたんだな」

 白根上水がS通信隊からこのQ基地に転勤して来たのは、私より一箇月半後、すなわち半月前である。彼は孤影悄然(しょうぜん)といった恰好で、衣囊をかついで、単身ここにやって来た。あいさつ廻りに来て、私の前に立ち、ぎょっとした表情になった。電気をかけられた青大将みたいに硬直した。この間牛殺しを呉れたばかりの相手が、ここに上級者としていたのだから、それも当然だろう。しかし瞬間に彼は元の表情に戻り、ぎくしゃくした声で、私に官姓名の申告を済ませた。ただそれだけである。おなつかしいとか(あまりなつかしくもないが)何とか、一切彼は言わなかったし、私も口にはしなかった。その時だけでなく、それから後も私たちの間では、仕事の上で必要にして最少限の会話があるだけで、S通信隊の話は一切交されなかった。つまり私たちは暗黙の中に過去を清算して、新しい人間関係に立ったわけだ。その方が私には都合がよかったし、彼にも都合がよかったに違いない。

 しかし彼はこの基地に来て、S通信隊におけるよりも、若干陰欝な男になった。S通信隊において彼はおべっか使いだったが、ここではとたんにそうでなくなった。私から手の内を知られているので、そうそう見えすいた真似も出来なかったのだろうと思う。それにS通信隊のような大きな部隊よりも、Q基地みたいな小さな部隊の方が、訓練や私的制裁もはげしいことが多いのだ。あまり要領の良くない白根は、それで参ってしまって、憂欝になったのかも知れない。大体つらければつらいほど、人間というものは無表情になるものだ。その原則にしたがって、白根もしだいに表情の動きがなくなり、むっとしたふくれ面を保持するようになった。無表情というより、ポーカーフェイスとでもいうべきか。

 その白根が、五月雨(さみだれ)の闇の中に、忽然(こつぜん)と姿をくらましたのだ。しかしそれが今の私に、何の関係があるか。

 

 こんな雨夜に捜査隊を出すのもなんだというので、一切は翌日に持ち越すということに、先任下士官たちの相談は一決したらしい。別にさまたげられることなく、私は眠りにつくことが出来た。

 翌朝、捜査隊が出発する直前に、白根上水はずぶ濡れになって、ふらふらと居住区に戻って来た。疲労と寒さのために、がたがた震えながら、うつろな眼付で、しばらくはものも言わなかった。先任下士官から横面をひとつしたたか張られて、ふき出すように涙を流しながら、彼はどもりどもり供述した。

「……崖の道を降りて来ますと、道の横から巡邏(じゅんら)が出て来まして、わたくしにおいでおいでをするものですから……」

 鳴咽(おえつ)がしばしば白根の話を跡切(とぎ)らせた。その巡邏について行くと、どんどん山の中に入り、ふっと気がつくと巡邏の姿は見えず、自分一人になっていたと言う。地理も何も判らないから、明けがたの光を待って、へんな山小屋みたいなところで道を聞いて、やっとここに戻って来たのだと言う。先任下士官は怒鳴りつけた。

「ちえっ。こんなところに巡邏なんかがいるわけがないじゃないか。夢みたいなことを言うな。人騒がせをしやがって!」

 まあ自発的に戻って来たから、不問に付するというわけで、白根は放免された。一水たちがずぶ濡れの服を脱がせ、白根の身体をタオルでこすった。白根は震えながら、その鳴咽はいつまでもとまらなかった。

 白根のその供述を、私はその時信じたし(白根の態度や語り口から)今でも信じている。気分が妙な具合になったり、一時的な錯乱に落ちるようなことは人間には、時々あるものなのだ。

 当直に立つために、午前九時、私は崖の道を登った。雨はやんでいたが、道はじとじとと濡れていて、とりに注意しなくてはならなかった。赤木上水が私のあとについて来た。私は赤木に話しかけた。

「赤木上水。白根が戻って来てよかったな」

 返事はなかった。私は足をとめ、赤木の顔をのぞき込むようにした。

「白根が戻って来て、うれしくないのか。友達じゃないか。何とか言ったらどうだ」

「あいつはバカです」

 口をもごもごさせた揚句、赤木は果物の種でもはき出す具合に言った。そして珍らしく眼をかっと見開いた。

「ほんとにバカタレです。おめおめ戻って来るなんて!」

 おめおめ戻って来るだって? 白根にとっては、戻って来る以外に方法はないではないか。戻って来なくて、どこへ行けはいいと言うのか。それとも――それともあの巡邏(じゅんら)云々の話はつくりごとで、本当は逃亡する気で出て行って、途中であきらめて戻って来たとでも言うのか。そう私は詰め寄ろうとしたが、その人間らしい激情を瞬間に収めて元の表情に戻った赤木の顔を見たとたん、何だかひどくむなしいような、退屈に似たやり切れない感じが、胸いっぱいに磅礴(ほうはく)とひろがって来て、私は口をつぐんだ。

 

[やぶちゃん注:「森鷗外のある小説にある男のことを『体じゅうが青み掛かって白い。綽号(あだな)を青大将というのだが、それを言うと怒る』というくだりがある」これは森鷗外の「ヰタ・セクスアリス」(明治四二(一九〇九)年『スバル』七号初出。表題はラテン語で「性欲的生活」を意味する「vita sexualis」)の十五歳の頃の追懐の一節で、親友になった古賀鵠介(こくすけ)なる人物との係わりの中で、その古賀の友達の児島十二郎の風体を描出するシーンに出る。以下、岩波書店の「鷗外選集」(正仮名新字体)を参考に恣意的に漢字を正字化して示す(「ヰタ・セクスアリス」の全文は「青空文庫」のこちらで読めるが、新字新仮名である。正仮名正字体のテクストは残念ながらネットにはない)。

   *

折々古賀の友達で、兒島十二郞といふのが遊びに來る。その頃繪草紙屋に吊るしてあつた、錦繪の源氏の君のやうな顏をしてゐる男である。體ぢゆうが靑み掛かつて白い。綽號(あだな)を靑大將といふのだが、それを言ふと怒る。尤も此名は、兒島の體の或る部分を浴場で見て附けた名ださうだから、怒るのも無理は無い。兒島は酒量がない。言語も擧動も貴公子らしい。名高い洋學者で、敕任官になつてゐる人の弟である。十二人目の子なので、十二郞といふのださうだ。

   *

「巡邏」上陸中の海軍軍人の軍紀を維持・取締するため、市街地を巡回する海軍兵。艦隊の当番艦及び海兵団・陸上部隊から選出されるものの、取り締まりだけで陸軍の憲兵のような警察権は持っていなかった。巡邏兵は下士官が引率する屈強な兵数名から構成されており、ゲートルを付け、胴乱(弾薬入れ)を外し、帯剣で銃剣を付けた装備・服装で、左腕に腕章を巻いていた。当該兵には進級の遅い者や札付きの猛者(もさ)が揃っており、荒くれ集団だったらしく、巡邏は兵隊たちから恐れられており、「巡邏が来た!」という声を聞くと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出したという(以上はルビー氏のブログ「太平洋戦争史と心霊世界」の「巡邏(じゅんら)」に拠った)。

「磅礴と」広がり満ち溢れるさま。]

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