石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) しらべの海
し ら べ の 海
(上野女史に捧げたる)
淡紅染(ときぞ)め卯月(うつき)の日に醉ふ香樺(にほひかば)の
律調(しらべ)のあけぼの漸やく春ぞ老いて、
歌聲(うたごゑ)うるむや、柔音(やはね)の海に深く
古世(ふるよ)の思をうかべぬ。──ああほのぼの、
ゆらめく藝(たくみ)の熖の波の中に、
花摺被衣(はなずりかつぎ)よ、行きても猶透(す)きつつ、
(心は悵みぬ、ああその痛き姿。)
五百年(いほとせ)あらたに沈淪(ほろ)べる愛を呼ばふ。
凝(こ)りては瞳(ひとみ)の暫(しば)しも動きがたく、
藝(たくみ)の燭火(ともしび)しづかに我を導(ひ)きて、
透影(すいかげ)羽衣(はごろも)光の海にわしる。
見よ今、やはら手(で)轉(てん)ずる樂(がく)の姬が
眼光(まなざし)みなぎる天路(あまぢ)の夢の匂(にほ)ひ、
光の搖曳(さまよひ)流るる律調(しらべ)の海。
(甲辰五月十五日)
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し ら べ の 海
(上野女史に捧げたる)
淡紅染(ときぞ)め卯月(うつき)の日に醉ふ香樺(にほひかば)の
律調(しらべ)のあけぼの漸やく春ぞ老いて、
歌聲うるむや、柔音(やはね)の海に深く
古世(ふるよ)の思をうかべぬ。──ああほのぼの、
ゆらめく藝(たくみ)の熖の波の中に、
花摺被衣(はなずりかつぎ)よ、行きても猶透きつつ、
(心は悵みぬ、ああその痛き姿。)
五百年(いほとせ)あらたに沈淪(ほろ)べる愛を呼ばふ。
凝ては瞳の暫しも動きがたく、
藝の燭火(ともしび)しづかに我を導(ひ)きて、
透影(すいかげ)羽衣光の海にわしる。
見よ今、やはら手(で)轉ずる樂の姬が
眼光(まなざし)みなぎる天路(あまぢ)の夢の匂ひ、
光の搖曳(さまよひ)流るる律調の海。
(甲辰五月十五日)
[やぶちゃん注:表題の「しらべの海」(「海」の字体はママ)の「し」は草書体の「志」のかなりはっきりした崩し字である(底本画像)。初出は明治三七(一九〇四)年六月号『明星』で、総表題「野歌三律」に本「しらべの海」、後に掲げられる「ひとりゆかむ」、先に出た「黃金幻境」の順で掲載された。初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらから読める(挿絵に私の好きなスイス出身の画家アルノルト・ベックリン(Arnold Böcklin 一八二七年~一九〇一年)の「死の島」(ドイツ語:Die Toteninsel:一八八三年に描かれた三枚目のものと思われる)が挟まってある)。初出では、前書が異なり、
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(常磐懷孤)の曲をきゝて
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とあるのだが、「上野女史」も「(常磐懷孤)の曲」もよく判らない。「懷古」の誤字かと思って調べても判らない。常磐津節かとも思ったが判らん(常磐津だったら、上野なる女性は啄木の贔屓の常磐津のお師匠さんかとも思ったわけだが)。大沢博氏の論文「啄木の作歌過程の心理学的分析――「東海」歌への分析―総合的アプローチ――」(『岩手大学教育学部研究年報』一九七五年十月発行・PDF)の中に、啄木の執筆年代不詳のメモに『英語、ドイツ文字、頭文字による約三十に人の女性リスト』があり、その最後の部分に「忘れな草」の意のドイツ文字の『見出しの下に、各地の女性計十九名の名前がある』とされ、その冒頭に『「渋民――金矢ノブ。上野さめ』の名があるという。しかし、この「上野女史」は彼女を指すかどうかは私は知らぬ。私は啄木の詩集の評論書を持っていないし、読んでいない。或いはこれはもう誰なのかはとっくに判っているのかも知れぬ。識者の御教授を乞う。
「ブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ Betula platyphylla の近縁種に、中国産のカバノキ属香樺 Betula insignis がある。但し、ここは前者でよかろう。但し、シラカンバの生木は殆んど匂いがしない。]
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