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2020/04/21

石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) アカシヤの蔭 / 筑摩版全集校訂本文に誤りあり

 

  アカシヤの蔭

 

たそがれ淡き搖曳(さまよひ)やはらかに、

收(をさ)まる光暫しの名殘なる

透影(すいかげ)投げし碧(みどり)の淵(ふち)の上、

我ただひとり一日(ひとひ)を漂へる

小舟(をぶね)を寄せて、アカシヤ夏の香の

木蔭(こかげ)に櫂(かひ)をとどめて休(やす)らひぬ。

 

流れて涯(はて)も知らざる大川(おほかは)の

暫しと淀(よど)む翠江(みどりえ)夢の淵!

見えざる靈の海原花岸の

ふる鄕(さと)とめて、生命(いのち)の大川に

ひねもす浮びただよふ夢の我!

夢こそ暫し宿れるこの岸に

ああ夢ならぬ香りのアカシヤや。

 

野末(のすへ)に匂ふ薄月(うすづき)しづかなる

光を帶びて、微風(そよかぜ)吹く每に、

英房(はなぶさ)ゆらぎ、眞白の波湧けば、

みなぎる薰(かほ)りあまきに蜜の蜂

群(む)るる羽音は暮れゆく野の空に

猶去りがての呟(つぶ)やき、夕(ゆふ)の曲(きよく)。

 

纜(ともづな)結(ゆ)ひて忘我(われか)の步みもて、

我は上(のぼ)りぬ、アカシヤ咲く岸に。──

春の夜櫻おぼろの月の窓

少女(をとめ)が歌にひかれて忍ぶ如。

 

ああ世の戀よ、まことに淀(よど)の上(へ)の

アカシヤ甘き匂ひに似たらずや。

いのちの川の夢なる靑淵(あをぶち)に

夢ならぬ香(か)の雫(しづく)をそそぎつつ、

幻過ぐるいのちの舟よせて、

流るる心に光の鎖(くさり)なす

にほひのつきぬ思出結ぶなる。

 

淀める水よ、音なき波の上に

沒藥(もつやく)撒(ま)くとしただるアカシヤの

その香(か)、はてなく流るる汝(な)が旅に

消ゆる日ありと誰かは知りうるぞ。

ああ我が戀よ、心の奧ふかく、

汝(なれ)が投げたる光と香りとの

(たとへ、わが舟巖(いはほ)に覆(くつが)へり、

或は暗の嵐に迷ふとも、)

沈む日ありと誰かは云ひうるぞ。

 

はた此の岸に溢るる平和(やすらぎ)の

見えざる光、不斷の風の樂(がく)、

光と樂(がく)にさまよふ幻の

それよ、我が旅はてなむ古鄕(ふるさと)の

黃金(こがね)の岸のとはなる榮光(えいくわう)と

異なるものと、誰かははかりえむ。

ああ汝(なれ)水よ、われらはふるさとの

何處なりしを知らざる旅なれば、

アカシヤの香に南の國おもひ、

戀の夢にし永遠(とは)なる世を知るも、

そは罪なりと誰かはさばきえむ。

 

ああ今、月は靜かに萬有(ものみな)を

ひろごり包み、また我心をも

光に融(と)かしつくして、我すでに

見えざる國の宮居に、アカシヤと

咲きぬるかともやはらぐ愛の岸、

無垢(むく)なる花の匂ひの幻に

神かの姿けだかき現(うつゝ)かな。

 

水も淀(よど)みぬ。アカシヤ香も增しぬ。

いざ我が長きいのちの大川に

我も宿らむ、暫しの夢の岸。──

暫しの夢のまたたき、それよげに、

とはなる脈(みやく)のひるまぬ進み搏(う)つ

まことの靈の住家(すみか)の證(あかし)なれ。

            (甲辰六月十七日)

 

   *

 

 

  アカシヤの蔭

 

たそがれ淡き搖曳(さまよひ)やはらかに、

收まる光暫しの名殘なる

透影(すいかげ)投げし碧(みどり)の淵の上、

我ただひとり一日を漂へる

小舟(をぶね)を寄せて、アカシヤ夏の香の

木蔭に櫂(かい)をとどめて休らひぬ。

 

流れて涯も知らざる大川の

暫しと淀む翠江(みどりえ)夢の淵!

見えざる靈の海原花岸の

ふる鄕とめて、生命(いのち)の大川に

ひねもす浮びただよふ夢の我!

夢こそ暫し宿れるこの岸に

ああ夢ならぬ香りのアカシヤや。

 

野末(のすゑ)に匂ふ薄月しづかなる

光を帶びて、微風(そよかぜ)吹く每に、

英房(はなぶさ)ゆらぎ、眞白の波湧けば、

みなぎる薰(かを)りあまきに蜜の蜂

群るる羽音は暮れゆく野の空に

猶去りがての呟やき、夕(ゆふ)の曲。

 

纜結ひて忘我(われか)の步みもて、

我は上(のぼ)りぬ、アカシヤ咲く岸に。──

春の夜櫻おぼろの月の窓

少女(をとめ)が歌にひかれて忍ぶ如。

 

ああ世の戀よ、まことに淀の上(へ)の

アカシヤ甘き匂ひに似たらずや。

いのちの川の夢なる靑淵に

夢ならぬ香の雫をそそぎつつ、

幻過ぐるいのちの舟よせて、

流るる心に光の鎖なす

にほひのつきぬ思出結ぶなる。

 

淀める水よ、音なき波の上に

沒藥撒くとしただるアカシヤの

その香、はてなく流るる汝(な)が旅に

消ゆる日ありと誰かは知りうるぞ。

ああ我が戀よ、心の奧ふかく、

汝(なれ)が投げたる光と香りとの

(たとへ、わが舟巖に覆へり、

或は暗の嵐に迷ふとも、)

沈む日ありと誰かは云ひうるぞ。

 

はた此の岸に溢るる平和(やすらぎ)の

見えざる光、不斷の風の樂、

光と樂にさまよふ幻の

それよ、我が旅はてなむ古鄕(ふるさと)の

黃金(こがね)の岸のとはなる榮光と

異なるものと、誰かははかりえむ。

ああ汝(なれ)水よ、われらはふるさとの

何處なりしを知らざる旅なれば、

アカシヤの香に南の國おもひ、

戀の夢にし永遠(とは)なる世を知るも、

そは罪なりと誰かはさばきえむ。

 

ああ今、月は靜かに萬有(ものみな)を

ひろごり包み、また我心をも

光に融かしつくして、我すでに

見えざる國の宮居に、アカシヤと

咲きぬるかともやはらぐ愛の岸、

無垢なる花の匂ひの幻に

神かの姿けだかき現かな。

 

水も淀みぬ。アカシヤ香も增しぬ。

いざ我が長きいのちの大川に

我も宿らむ、暫しの夢の岸。──

暫しの夢のまたたき、それよげに、

とはなる脈のひるまぬ進み搏つ

まことの靈の住家の證(あかし)なれ。

            (甲辰六月十七日)

[やぶちゃん注:「櫂(かひ)」の「ひ」、「野末(のすへ)」の「へ」、「薰(かほ)り」の「ほ」はママ。読み簡略版では特異的に正しい歴史的仮名遣で示した。初出は『明星』明治三七(一九〇四)年七月号。初出形原本を「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらで読むことが出来る。

 さて、本篇の筑摩書房版全集(昭和五四(一九七九)年初版)は、私と同じく初版本を底本としているのにも拘わらず、致命的な誤りがあるのを発見した。第三連と第四連の切れ目を、

   *

野末(のすへ)に匂ふ薄月(うすづき)しづかなる

光を帶びて、微風(そよかぜ)吹く每に、

英房(はなぶさ)ゆらぎ、眞白の波湧けば、

みなぎる薰(かほ)りあまきに蜜の蜂

群(む)るる羽音は暮れゆく野の空に

猶去りがての呟(つぶ)やき、夕(ゆふ)の曲(きよく)。

纜(ともづな)結(ゆ)ひて忘我(われか)の步みもて、

 

我は上(のぼ)りぬ、アカシヤ咲く岸に。──

春の夜櫻おぼろの月の窓

少女(をとめ)が歌にひかれて忍ぶ如。

   *

としてしまっているのである。初版に当該部分はここここである(「早稲田大学図書館古典籍総合データベース」のHTML画像リンク)。127」ページの最終行は明らかに一行空きであることが、透かした背後の影で判るし、本文組版の横幅を他のページと比べてもらっても、一行空いていることは明白である。しかも初出形も同じく「纜結ひて忘我(われか)の步みもて、」からが第四連となっているのである。恐らくはその後に改訂版で直しているであろうが、これは非常に痛い誤りである。

「アカシヤ」マメ目マメ科ネムノキ亜科アカシア属 Acacia に属するアカシア類。ウィキの「アカシア」では、『日本では関東以北では栽培が困難であるものが多い。比較的温暖な所で栽培されるもの』として七種を挙げているのでそちらを見られたい。

「沒藥」ムクロジ目カンラン科カンラン科 Burseraceae のコンミフォラ(ミルラノキ)属 Commiphora の樹木から分泌される赤褐色の植物性ゴム樹脂を指す。ウィキの「没薬」によれば、『スーダン、ソマリア、南アフリカ、紅海沿岸の乾燥した高地に自生』し、『起源についてはアフリカであることは確実であるとされる』。『古くから香として焚いて使用されていた記録が残され』、『また殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた。古代エジプトにおいて日没の際に焚かれていた香であるキフィの調合には没薬が使用されていたと考えられている。 またミイラ作りに遺体の防腐処理のために使用されていた。ミイラの語源はミルラから来ているという説がある』とある。]

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