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2020/04/10

早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 十七 狸寄せの話

 

     十七 狸 寄 せ の 話

 以前は村々の若い者が五六人集まると、コクリだの西京鼠、其他狐や狸を寄せて、慰み半分に遊んだものであつた。中でも狸寄せは、最も早く滅びて、後には滅多にやる者も無かつたと謂ふ。格別方法が面倒という譯でもなかつたから、矢張流行だつたのだらう。寄せる方法の大體を言うて見ると、目隱しをさせたり、白紙を仕扱いて[やぶちゃん注:「しごいて」。]幣帛のかわりに持たせる事などは、他の神寄せ、狐寄せの類[やぶちゃん注:「たぐひ」。]と變りはなく只呪文が少し違つたゞけである。左に呪文の全部を揭げて見る。

  テンニトロトロ チニトロトロ

  アサヤマハヤマ ハグロノゴンゲン

  ダイミヨジン

  オイサメ メサレ オイサメ メサレ

 只これだけの文句を、寄る迄は何回でも繰返すのである。狸が寄ると言ふ前後の狀況を言うて見ると、最初被術者の顏色が、段々蒼白くなる。續いて呼吸が急しくなるにつれて、今度は顏色が次第に上氣して、殆ど眞つ赤になる。さうなると體中が激しく震へて、時々坐つた儘踊り上がるやうになる。此時は、狸が道中を急いでやつて來る時などと謂ふ。其處を過ぎると、再び顏から段々血の氣が薄らいで行つて、最後に眞蒼になると、體が急に落込んだやうに、小さくなつてしまふ。斯うなるともう狸が寄つたのであるから、そろそろ問答を初めてもよいのである。勿論これは村の若い衆のやつた方法で、或時旅の行者が狸を寄せた時は、呪文や方法が全然異つて居たさうである。

 寄つた狸を歸す時は、背中に犬の字を書いて、最後の點を强く打てば、それで好いのであるが、此方法を怠つたり、或は目隱しの手拭が自然に解けたゝめ正氣づいた時などは、後になつて近所の子どもや老人に憑いて困つたさうである。その事に付て或老人の話に據ると、事が了つてから、自分の子供に憑くと見えて夜泣をして仕方がなかつた。抱いて居ればさうでもないが、床へ寢かすと、體が急に强直して、火のつくやうに泣き出す、それで來る晚も來る晚も、女房と交る交る[やぶちゃん注:「かはるがはる」。]抱いて居て夜を明す。さうさう家の中にも居られぬので、外に出て子供を搖り搖り步いて居たが、或時などつくづく狸など寄せるものでないと後悔して、子供と一緖に泣いて步いた事もあつたさうである。其間には、種々な魔除けの方法などもやつて見た、短刀をそつと枕邊に置いて見たり、神社の御符を布團の下に敷いて見たり爲たが、一向効めは無かつた。そのうちふツ[やぶちゃん注:ママ。]と思ひ出して、山犬の上顎で造つた根附を出して來て、布團の下へ入れると、それなり噓のやうに夜泣きが止んでしまつたと謂ふ。以前は山犬の上顎を乾上げた物で、根附を作つて魔除けとして持つて居る者がよくあつたのである。顎の内部を紅く漆塗りなどにして、腰に下げて居る人を、現に自分なども見た事があつた。

[やぶちゃん注:「山犬の上顎」サイト「笠網漁の鮎滝」内の「早川孝太郎研究会」による「三州民話の里」本篇PDF)では以上の二ヶ所ともに編集者に拠って『〔下顎〕』と割注が施されてある。]

 狸寄せなども盛に方々でやつて居た頃は、譯もなく寄つたさうであるが、一度流行しなくなつてからは、容易に寄らなんだとも謂ふ。コクリなどもさうであつた。流行して居た頃は、面倒な手數を掛けないでも、酒の席で慰[やぶちゃん注:「なぐさみ」。]半分に箸を三本結へて立て、上に皿を冠せて唱へ言をすると、それでもう膳の上をヨチヨチ動き出したさうである。あのよく寄つた時分には、狸なども其處いらにどれ程でも遊んで居て、こちらが寄せるのを待つて居たかも知れぬなどゝ、眞面目になつて話した老人もあつた。

[やぶちゃん注:「狸寄せ」以下の「コクリ」の一ヴァージョンであるが、私は民俗学的にこの話に興味があり、多数の著作を読んでいるが、「タヌキヨセ」というのはここで初めて聴いた。

「コクリ」「狐狗狸(こくり)」。現行は「コックリさん」と呼ぶことが多いが、私はこおれがその疑似呪法の中で霊対象がある種の質問に「そうだ」(イエス)と答えるのを、肯く霊=「こっくり」さんとダブらせたもので、「狐狗狸」で古くから人に憑くとされた狐・犬・狸にその招聘霊を代表させて当てたのは後付けであろう(以下の引用でもそれを支持している)。但し、ここで問題となる狭義の「コクリ」=「コックリさん」は近代以降に始まった新しい外来の降霊術由来であって、本邦起原ではない。但し、もっと広義の同起原である古代シャーマンの時代からあった単独の巫女なやイタコなどによる「神憑(かみがか)り」「口寄せ」現象や、地方によって古くからあった動物霊信仰に基づくそれらは、古くから本邦にあることは言うまでもないから、全く異質の邪教的・疑似科学的外来侵入のそれではない。ウィキの「コックリさん」によれば、『西洋の「テーブル・ターニング(Table-turning)」『に起源を持つ占いの一種』で、『机に乗せた人の手がひとりでに動く』類いの『現象は心霊現象だと古くから信じられていた。科学的には意識に関係なく体が動くオートマティスム』(フランス語:Automatisme:心理学用語で「筋肉性自動作用」という意。恰も何か別の存在に憑依されて肉体を支配されているかのように自分の意識とは無関係に動作を行ってしまう現象などを指す。自動作用によって筆記を行う現象を「自動書記」などと呼ぶ)『の一種』であり、集団ヒステリーや意識的・無意識的詐欺(トランス状態への対象者の認識に拠る違い)で総てが説明出来る(と私は考えている)。『日本では通常、狐の霊を呼び出す行為(降霊術)と信じられており、そのため「狐狗狸さん」の字が当てられることがある』。典型的な術式は、『机の上に「はい、いいえ、鳥居、男、女、09(出来れば漢字で書いた方が良い)までの数字、五十音表」を記入した紙を置き、その紙の上に硬貨(主に十円硬貨)を置いて参加者全員の人差し指を添えていく。全員が力を抜いて「コックリさん、コックリさん、おいでください。」と呼びかけると硬貨が動く。コックリさんと呼ばず』、「エンジェルさん」などと『呼びかえるバリエーションも存在する』。『その起源は明確ではないが、レオナルド・ダ・ヴィンチが自著において「テーブル・ターニング」と同種の現象に言及しているので、15世紀のヨーロッパでは既に行われていたとも推測される』。『西洋で流行した「テーブル・ターニング」とは、数人がテーブルを囲み、手を乗せる。やがてテーブルがひとりでに傾いたり、移動したりする。出席者の中の霊能力がある人を霊媒として介し、あの世の霊の意志が表明されると考えられた。また、霊の働きでアルファベットなどを記したウィジャボードと呼ばれる板の文字を指差すことにより、霊との会話を行うという試みがなされた』。『井上円了によると、日本においては』明治一七(一八八四)年に『伊豆半島下田沖に漂着したアメリカの船員が自国で大流行していた「テーブル・ターニング」を地元の住民に見せたことをきっかけに、各地の港経由で日本でも流行するようになったという』。『当時の日本にはテーブルが普及していなかったので、代わりにお櫃(ひつ)を』三『本の竹で支える形のものを作って行なった』。『お櫃を用いた机が「こっくり、こっくりと傾く」様子からこっくりこっくりさんと呼ぶようになり、やがてこっくりに「狐(きつね)」、「狗(いぬ)」、「狸(たぬき)」の文字を当て「狐狗狸」と書くようになったという』。『また、「コークリさん」「お狐さん」とも呼ばれる』。『1970年代にはつのだじろうの漫画『うしろの百太郎』の作中でコックリさんが紹介され、少年少女を中心としたブームになったこともある。子供たちが学校などで面白半分に行うケースが多発し、その時代を知る人々は、「絶対にやらないように」と強く警告を発しているケースも多々見られる。生徒への精神的な影響もあり、教師が保護者を含めて厳重注意することもしばしばある』。『韓国でもこっくりさんは分身娑婆(ブンシンサバ)と呼ばれ、主に子供の世代に浸透している。朝鮮半島のこっくりさんは、日本の統治時代に日本で流行した』「こっくりさん」が、『朝鮮に流入し始まったと見られる。台湾ではこれを「碟仙(ディエシェン)」と呼び、新聞の上に皿を乗せる形で行われる。『霊媒や霊能者、チャネラーなどと呼ばれる人々は、「死者の霊が下りてきた」「神や霊に命令されている/体を乗っ取られている」「高次元の存在や宇宙人とチャネリングを行う」などの理由により、無意識的にペンを動かしたり語り始めたりする。これは神霊などがこの世界に接触を図る方法として説明されている。日本ではかつて「神がかり」「お筆先」とも呼ばれていた』。『霊媒による自動作用ではトランス状態で生じる場合と、意識を保ったまま自動作用が発生する場合がある』。『筆記者が知り得ない情報や習得していない言語を筆記した、通常ではありえない速度での筆記などの報告がある』。『心霊主義の立場ではオートマティスムを憑依現象の一種と考えて、霊が霊媒の手を借りて意思表示や創作を行っていると説明している』。『科学的にはオートマティスムは自己催眠の一形態として説明されるケースがある。統合失調症や夢遊病など、何らかの病的要因が潜んでいるケース、薬物などの使用によるケースも指摘されている』。『ウィジャボードやコックリさんの原理は、観念性運動と呼ばれる筋肉の無意識の動きとして説明されている』。『コックリさんの起源である「テーブル・ターニング」については、大流行していた1800年代から著名な科学者たちが、その現象の解明に取り組んだ。1853年にはプロイセン(ドイツ)の数学者カール・フリードリヒ・ガウスやイギリスの科学者マイケル・ファラデーが実験的検討を試みた』。そこで結論された「潜在意識・筋肉疲労説」は以下のようなものである。『参加者の潜在意識(予期意向)が反映され、無自覚に指が硬貨を動かすという説』。『ファラデーや井上円了、フランスの化学者、M・シュブルールなどはこの説をとった。 森田正馬(森田療法で有名)は参加者が霊に憑依されたと自己暗示』(「自己催眠」「祈祷性精神病」と命名)に『罹るとの見方を示した。複数人に同様な症状がおきる感応精神病(フランス語: folie a deux(フォリアドゥ))の発生もよく知られる』。『テレビ番組の『特命リサーチ200X』が小学生を対象とした検証を行った際、信じている人の班だけが動き、信じていない人の班は止まったままだった』。『さらに日本の首都や人気野球選手の背番号といった質問では十円玉が正答を指し示したが、簡単な英語での質問や過去のアメリカ大統領名など、本人達の知識を超えた問い掛けには紙の上を迷走するだけだった。また、被験者の小学生にアイマークレコーダーを装着させ』、『視線の動きを観察したところ、質問を聞いた際、十円玉の動きに先行して回答となる語句の文字を目で追っていた』。『潜在意識説と合わせて、不覚筋動にもよるとされる』。『硬貨に指を添える体勢を取り続ける際にどうしても僅かに腕が動いてしまう。同じ姿勢を取り続けると、あっという間に筋肉が疲労するため、不覚筋動(Ideomotor_phenomenon)が起こる。それらの力が集中しコインが動くと、今度は動いた方向へ力を入れて動かそうとする意識が完全に働くというものである。上記のテレビ番組で解説した理学博士の板倉聖宣は、不覚筋動と潜在意識の混合でコックリさんの動きが起きるとの説を採った』。『井上円了は普及当時から研究に取り組み、「世人のこれを信ずるゆえんを明らかにしたるをもって、ここにその道理を述べて、いささか愚民に諭すところあらんとす」として『妖怪玄談』を記した。その中で「コックリに向かって答えを得るは、極めて単純なることか、または一般に関することに限り、その複雑または細密のことに至りては、コックリの応答を得ること難し。例えば、コックリに向かって明日は雨か晴れかをたずぬるときは、その応答を得べきも、何時何分より雨降り、何時何分に風起こるかをたずぬるも、決してその応答を得べからず。これまた、コックリは鬼神のなすところにあらざる一証なり。」と、予期意向と不覚筋動が原因であると結論付けた』とある。因みに、私は円了に就いては彼の妖怪学関連の著作を総て所持している程度にはフリークである。

「西京鼠」「さいきやうねづみ」と読む。「Hatena Blog」のこちらの記載では、まさに『愛知県三河の西京鼠』として『動物の神霊に頼る俗信』と記されてあり、「西京鼠」はかく名指しているが、実体は特定の鼠や妖鼠ではなく、先に出て注した「管狐」と同様の仮想妖獣と思われ、「日文研」の「怪異・妖怪伝承データベース」の「さいきょう鼠」にも、『管孤に類したもので、さいきょう鼠がある。ある1人の人に対して、さいきょう鼠をかける人がしばらく黙視して、その後呪文をかけると催眠状態になる。そうすると要求されることを何でもして、安来節を踊るなどする。また予言などもして的中させるという』とある。なお、これは既に絶滅に近いようで、ネット上では記載が殆んど認められない。なお、最初のリンク先には動物霊信仰として他に『新潟県高田市のお晴見祭り、福島県南会津郡の鼬寄せや犬寄せ』、『神奈川県川崎市のトウガミ』を挙げてある。最初の「お晴見祭り」はよく判らぬが、やはり「日文研」の「怪異・妖怪伝承データベース」の「俗信」に、角川源義の「水信仰と蛇の晴見祭」から、富山県高岡市での採取として、『晴見祭りのために蛇を二匹捕らえて先に捕らえた方を「オハレミ」と称し、祭器に入れて飼う。卯月中の巳の日に占いをする。蛇が箱から顔を出さないと晴天が多く、蛇が箱から顔を出してしきりに舌を出すと火気が多く、蛇が箱から出て床の上に下りたときは雨が多く、蛇が箱から出て案を下りないときは風が強いという。蛇は捕まえてきた者が元のところで放すが、この時蛇の行方を見ると、卜占が変わってしまうといわれている』とあり、そこでは蛇を神霊とした動物占いである。「鼬寄せ」は同データベースの「鼬寄せ」に、福島県南会津郡檜枝岐村での採取として、『いたちよせは、鎮守の境内に燧岳神社の祭場をつくり、よりが中央に座る。のりうつる人は、最初は幣束をもって、のりと呪文を唱える。その周囲をいたちの神よせをする人たちが5人や10人で拝んでまわる。呪文は「だいけんにっそん日のー神、だいじょうがっそん月の神、しんとうかじ」と唱えて印を結び、「玉の如く、かがみの如く、つるぎの如く、清く美しく・・・」などと唱える。やがてよりの手がふるえてきて、すわったまま飛び上がったりし始めると、よりが乗り移ったという。本人は意識がはっきりしなくなっている。このとき質問すると問答のようにこたえるが、これをお託宣という。よりはだれもがなれるものはない。村人の中にやる人がいたが、燧岳に参拝して信心しても行が足りず、いたちがつかなくなった。いたちよせのとき、村人はのてっぽうの幹をとってきて、地面をたたきながらまわったという。女人禁制の儀式である』とあり、同データベースの「犬寄せ」には福島県南会津郡檜枝岐村採取として、『山いぬともおおかみともいわれるような、山の精霊あるいはその使いのいぬを呼び寄せて託宣を聞くいぬよせもあったという』とある。また川崎の「トウガミ」は同データベースの「天狗」に、『トウガミをする時に、ナカザの耳元で唱えごとをすると、イナリサンが寄ってきて、目隠ししたナカザに乗り移る。伺いごとが終わると余興をするが、普段は何もできない人でも、ナカザになると障子の桟を渡ったり、屏風の上にのったりすることができたという。豊川様が一番乗り移りやすく、天狗が乗り移るとすごく荒れるという』とあるから、狐や天狗を神霊とするものであることが判る。他にも「トウガミ」については、大島建彦氏の論文「オカマ憑けと狐踊り――民間シャマニズムの一面――」PDF)に詳しいので参照されたい。また、この大島氏の論文には、本篇の冒頭に掲げられた呪文と共通する唱え言(ごと)が採録されてもある。そこにある長野県上水内(かみみなち)郡信濃町稲附の「イナリオドリ」の唱え言の「天タタラ 地タタラ」というのを見ながら、「テンニトロトロ チニトロトロ」の「トロトロ」は或いは山の製鉄の民の「タタラ」(踏鞴)の転訛かも知れぬと思ったし、「ハヤマ ハグロノゴンゲン」は葉山・羽黒山は言うまでもなく出羽の霊山で山岳信仰のメッカ、「ダイミヨジン」は大明神で山岳信仰で神対象に広く使用され、「オイサメ メサレ」は「お諫め召され」で霊言を乞い求める謙譲表現と読める。]

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