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2020/04/08

三州奇談卷之四 赤蛇入ㇾ亭

 

    赤蛇入ㇾ亭

 蛇は陰毒の氣凝結して土中に生育し、好みで人を驚かす。其品數種あり、一つ一つ數へ難し。龍氣ありて變蛇あることまゝ多し。

[やぶちゃん注:表題は「赤蛇(せきじや)、亭に入る」と訓じておく。

「變蛇」変化(へんげ)する妖蛇の謂いであろう。]

 本藩の靑山家の内に木村彌左衞門と云ふは、來客の奏者役なれば、此屋敷の式臺に相詰め、同役數輩(すはい)並び居たりし所に、頃は寶曆九年[やぶちゃん注:一七五五年。]の夏の頃なりき。此屋敷の門前に、一條の赤氣(せつき)ありて、忽然として往來す。何れも怪しく思ひて伺見る所に、ふしぎや其長さ一尺五六寸[やぶちゃん注:約四十五・五~四十八・五センチメートル。]もあらんと思ふ蛇、其赤きこと烈火の如く、しかも地を離るゝ事三尺許にして、忽ち門前に入來(いりきた)る。

「こはいかに」

と立騷ぐ所に、間もなく玄關に上り、進みで式臺に至ければ、何れも驚き、彼(これ)に觸ん事を怖れ、座を立て是を退(しりぞ)け窺ひけるに、彼(かの)毒蛇其邊り四五間[やぶちゃん注:約十二・七~十四・五メートル。]が内を靜(しづか)に往來し、夫より少し上の方、使者の間(ま)との境に立てたる杉戶に聊か觸るゝと見えけるが、苦もなく突拔けて失(うせ)ぬ。

 皆々驚き、杉戶を開きて見るに、はや蛇はいづちへか行きけん見へず。彼(かの)杉戶は鐵砲にて打拔きたる如く、今も存在せりと咄されたり。

[やぶちゃん注:「靑山家」加賀藩人持組に青山将監家がある。青山吉次(妻は利家の姪)以降、魚津城代を四代務めた。

「木村彌左衞門」不詳。木村姓の藩士は多い。

「奏者役」武家で主人の取次に当たる役。

「赤氣」赤い色を放つ妖しい雲気。]

 又享保の始め頃金澤町並榮へて、東西の町端(まちばた)數百軒建出(たていだ)したり。就ㇾ中(なかんづく)泉野口左側は、夥しく家居(いへゐ)になりし故に、刑戮(けいりく)の場[やぶちゃん注:処刑場。]を末(すゑ)へ送りて、元文元年より其跡は僧庵となりたり。

[やぶちゃん注:「享保」享保は二十一年まであり、一七一六年から一七三六年に相当する。

「「町端」東西の町屋の町の端部分であろう。市街が東西に拡張したのである。

「泉野口左側」驚くべきことに、「異形の郷土史」製作委員会編のサイト「異形の郷土史」が、本篇を最初の手掛かりとして、「金澤上口刑法場探し」を膨大な資料を元に緻密に解析しておられ、「郷土史を読む(三馬編まとめ)」で、この処刑場の具体的な立地位置の候補をまず金沢市有松のこの中央附近(グーグル・マップ・データ)に措定するも、その後、徹底的に調べる内に、有松の北の、現在の泉地区内周辺(先の有松の北外。そこに画像で示された明治一九(一八八七)年十二月作成の泉村全図の中の「二之部」にあったと示されておられる。その経緯は以上のサイトの総てを読んで、法務局まで行ってお調べになったサイト主の苦労を味わって戴く他はない。私に出来ることはその附近をサイト「今昔マップ」で示すことぐらいしかない。

「元文元年」一七三六年。

「其跡は僧庵となりたり」先の「異形の郷土史」本篇紹介部分で、この寺を「養精寺」と特定されておられ、更に「泉 養清寺」で詳しい事蹟が紹介されてあるので読まれたい。ともかく凄いサイトである!

 元文四年[やぶちゃん注:一七三九年。]二月、小立野平井吉右衞門が家人(けにん)徒黨を企て主人を殺害しけるが、忽ち露顯して皆々召捕へられ、同年七月廿一日此新刑戮場にて逆罪に行はるゝ奴原(やつばら)、中田茂左衞門・吉川政右衞門を始め、高桑忠右衞門・小者時内・若黨吉村淺右衞門・浪人何某、悉く磔(はりつけ)に行はる。

[やぶちゃん注:以上の事件は「加賀藩資料 第七編」の元文四年のここに記載がある。但し、被害者は「平井吉左衞門」で、犯人の名も一部で微妙に違っている

   *

七月廿一日。先に平井吉左衞門を殺害したる若黨等磔刑に處せらる。

〔大野木克寬日記〕

七月廿一日小雨下、晝後甚雨。

當春平井吉左衞門を及殺害候平井吉左衞門家來五人、於泉野今日磔に被仰付。但し吉左衞門切殺候吉川政右衞門儀者、其砌溺死仕候に付鹽詰に成爲[やぶちゃん注:「なさしめ」。]申候。右頭取儀左衞門儀者致籠死候に付、是亦鹽詰に成爲申候。右二人死骸磔に掛り申候。且又政右衞門爲立退、其上才川[やぶちゃん注:犀川。]に而爲致溺死、右政右衞門路金盜候政右衛衞門兄はね首、則被掛獄門候。有增[やぶちゃん注:「あらまし」。]如此。

〔政隣記〕

七月廿一日左之通被仰付。

     はりつけ

      平井吉左衞門若黨 吉川政右衞門

此者主人吉左衞門に意恨有之由に而、傍輩其申合切殺し、逆罪至極之者に依て如斯申付者也。

      同人若黨     中田儀左衞門

此者主人を切殺可申由、政右衞門申にまかせ傍輩申合致棟取[やぶちゃん注:「旨、取り致し」か?]、逆罪至極によつて如此申付者也。

      同人若黨     高桑忠左衞門

      同人小者     權    内

      同人       時    内

此者共、傍輩中田儀左衞門等申にまかせ、政右衞門儀主人を切殺候自分手傳等いたし、逆罪至極によつて如斯申付者也。

   七月廿一日

     梟  首

 平井吉左衞門若黨吉川政右衞門兄浪人若黨

               吉川淺右衞門

此者弟政右衞門儀主人を切殺可申由、傍輩共申合候趣致同心、政右衞門儀主人を切殺欠落[やぶちゃん注:「かけおち」。]仕候砌取持、川え身をなげさせ、重罪至極之者に付如此申付者也。

   七月廿一日

   *

遺恨の内容が記されていないので、私には消化不良である。]

 此刑戮場廣く入用(いりよう)とて、久しき並松を數珠切倒しけるに、其中に普通に越えたる大木の松あり。株は二抱程ありて、高さ十八七間[やぶちゃん注:約三十・九~三十二・七メートル。]、枝もなく直にして、梢に至りて悉く欝茂し殊に榮えたるを、役人立合ひ杣(そま)を登せて、ひかへ繩を付けさせんとするに、一人の杣繩を携へて、漸く十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]許登るとぞ見えしが、忽ち逆樣に落ちて死しける。

 偖(さて)あるべきにあらざれば[やぶちゃん注:そのままに中止するわけには行かないので。]、又一人を登らしむるに、是も同じく彼所より落ちて卽時に空しくなる。

 人々驚き、今は詮方もなき儘に、竹の輪を拵へ、竿につけて繩を添へ縛り上りて、終にひかへ繩を付け、偖(さて)杣に命じて其根をきらしむるに、數日にして切倒しけるを見れば、ふしぎや此樹中心空洞にして、其深き事知るべからず。彼の洞(ほら)の中より、長三尺許の蛇突出でたるを見れば、其色赤き事朱を以染めたるが如く、勢ひ疾(と)く奔走しければ、人々避け隱るゝ内に、此蛇も草叢の中に入りて見えず。

「是(これ)大蛇と云ふものか」

と、其頃の取沙汰なり。

 亦同二年[やぶちゃん注:時制が戻っているが、国書刊行会本は『或年』となっている。]の夏、彥三三番町の末(をゑ)土橋の上に、怪しき蛇ありき。纔(わづか)に八寸[やぶちゃん注:二十四センチメートル強。]許にて、尾先圓く、色土の如くし灰色にて、斑紋あり。海鼠の如くいらいら立つ。人々先づ狗をして窺はしむるに、忽ち尾を擧げて氣を吐く。其色黃柏(わうばく)の末(まつ)を散ずる如く、烟の樣に見えけるが、果して狗(いぬ)其毒にあたりてや、其夜死したり。彼蛇は行方を知らず。是蝮蛇(ふくじや)[やぶちゃん注:マムシのこと。]の類(たぐひ)まらんか。

[やぶちゃん注:「彥三三番町の末土橋」金沢市彦三町(ひこそまち)であろう(グーグル・マップ・データ)。その東北端に浅野川に架かる現在の「小橋」がそれか。

「黃柏」ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の黄色い樹皮を乾した漢方生薬。]

 又宝暦三年[やぶちゃん注:一七五三年。]四月、金澤の城本丸に長(た)け四丈[やぶちゃん注:約十二メートル。]許の蚺蛇(うはばみ)顯れて、其色白く雪の如くに光りありて、路邊に橫はれり。

 又石川石垣の下にも長け二丈[やぶちゃん注:約六メートル。]許の蚺蛇出でたり。是は色靑くして光あり。首は猫の大きなる顏の如く、須臾の間に隱れたり。是をみたる人は藤田何某、其外輕卒の類も有しが、段々登用立身ありしとぞ。異種の嘉瑞(かずい)にこそ。

 寶永五年亥十二月、西尾某の家に、躰一つにて兩首の鷄出生す。其頃吉事あり。

[やぶちゃん注:「寶永五年亥」同年(一七〇八年)は戊子(つちのえね)で時代も遡り過ぎて違う。国書刊行会本は『宝暦五年』で一七五五年で乙亥(きのとい)であるから、その誤り。

 越中安養寺村の百姓の家に、四足の鷄を生ず。是又其家幸ありき。

[やぶちゃん注:「越中安養寺村」富山県小矢部市安養寺(グーグル・マップ・データ)。]

 寶曆十二年[やぶちゃん注:一七六二年。]、金澤八幡町紺屋某が方に八足の猫を產したり。是又異種なり。

「幸(さひはひ)やあらん」

と是を待つなり。

[やぶちゃん注:「金澤八幡町」金沢市花園八幡町か(グーグル・マップ・データ)。]

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