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2020/04/09

三州奇談卷之四 魔雲妖月

 

     魔雲妖月

 貞享年中[やぶちゃん注:一六八四年~一六八八年。]、淺野水車町(みづぐるまち)と云ふに、大桑屋太郞兵衞と云ふ人あり。河水を堰入(せきい)れて水車を廻し、油を搾(し)めて世を渡りしに、前田大膳公の下屋敷へ泉水の爲に引れし程に、此水車徒らに雨露に朽ち、商賣もなりかね、其上不幸續きて零落せしかば、世を貧うして暮しけるが、或年三月の末、河北郡谷内村の奧へ落葉を搔きに行(ゆき)けるが、若年の頃より富裕に暮して、かゝる業(わざ)を仕付けねば、

「何卒澤山にある所へ」

と深入(ふかいり)し、物すごき深谷(しんこく)へ下りしに、時は午の刻晴天とおぼしきに、俄に空かき曇り、電光頻りに震動し、深谷忽ち黑闇となり、丸雪(あられ)夥しく降來(ふりきた)れば、方向を失ふといへども、太郞兵衞心逞うして力量の上、剱術も一通り覺えし者なれば少しも騷がず、腰に指したる鎌をもちて、くら紛れに杖と成べき枝を打落(うちおと)し、是を突きて漸(やうや)く半時許りして谷を登りけるに、峰に至りて空を見れば、天日ほがらかに何の雲なく、黑雲も雷鳴も電光も、更にあるべき氣色にあらず。

 ふしぎの事に思ひ彳(たたづ)む所へ、山人(やまびと)五六人其所を通り、太郞兵衞をつくづく見て、

「其方の姿はいかなる池へ落ちたりしや」

と問はれ、爾々(しかじか)の事を語るに、其時村人大(おほき)に恐懼して、

「抑(そもそも)此谷は天狗谷とて、昔より所の者といへども入ること能はず。此谷に入る者生きて歸る事を聞かず。狗賓(ぐひん)の住家(すみか)にして、木の葉一つも取らば必ず災(わざはひ)ありと云ふ。御邊(ごへん)からき命助かること、只神佛の加護なるべし」

と云ふ。

 太郞兵衞曰く、

「我今迄かゝる賤しき業をせざれば、此所を知らざるなり。天狗ならば『天狗谷』と高札あらば誰(たれ)か入るべき。知らずして入りし者にたゝりをなす臆病狗賓ども、天狗のはなたらしなり」

と大(おほい)に笑ひければ、樵夫も

「偖々(さてさて)肝の大きなる人かな」

と舌を卷きて去りしとなり。

 されば

「見置べき所にこそ」

とて、享保年中にも又此所へ入來り、人を誘ひて見せしに、谷内村より登り、

「遙か奧の方、左に道あり。十四五町行きて左の方の谷なり。是を天狗谷」

とて指さして敎へけるなり。

[やぶちゃん注:「淺野水車町」「金沢市」公式サイトのこちらに、現在の浅野川の右岸の金沢市小橋町及び元町二丁目内には旧「水車町(みずぐるまち)」があったとある。

「前田大膳公」人持組の前田監物(けんもつ)家があるが、この系統は時代によって「前田大膳家」「前田主膳家」とも称した。ADEACの「延宝金沢図」を見ると、まさに小橋町の浅野川対岸に「前田主膳」の屋敷があることが判る。彼がこの敷地内の泉水用に川水を多量に引いたために、水車町方への流水量が激減し、水車が回らなくなってしまったというのである。

「河北郡谷内村」現在の石川県河北郡津幡町(つばたまち)字谷内(やち)(グーグル・マップ・データ)はここだが、国土地理院図を見ると、そこの北に「谷内山」(標高百一・七メートル)があり、ここの方がロケーションには相応しい感じはする。

「落葉を搔きに」落ち葉搔きは堆肥に加工して商品としたものであろう。

「狗賓(ぐひん)」天狗の一種の名。狼の姿で、犬の口を持つとされる。ウィキの「狗賓」によれば、『著名な霊山を拠点とする大天狗や小天狗に対し、狗賓は日本全国各地の名もない山奥に棲むといわれる。また大天狗や烏天狗が修験道や密教などの仏教的な性格を持つのに対し、狗賓は山岳信仰の土俗的な神に近い。天狗としての地位は最下位だが、それだけに人間の生活にとって身近な存在であり、特に山仕事をする人々は、山で木を切ったりするために狗賓と密接に交流し、狗賓の信頼を受けることが最も重要とされていた』。『狗賓は山の神の使者ともいえ、人間に山への畏怖感を与えることが第一の仕事とも考えられている。山の中で木の切り倒される音が響く怪異』(後で探しても実際に倒れた木はないのである)として知られる「天狗倒し」は「狗賓倒し」とも『呼ばれるほか、天狗笑い、天狗礫、天狗火なども狗賓の仕業といわれる。このように、山仕事をする人々の身近な存在のはずの狗賓が怪異を起こすのは、人々が自然との共存と山の神との信頼関係を続けるようにとの一種の警告といわれているが、あくまで警告のみであるため、狗賓が人間に直接的な危害を加える話は少なく、人間を地獄へ落とすような強い力も狗賓にはない』。『しかし人間にとって身近といっても、異質な存在であることは変わりなく、度が過ぎた自然破壊などで狗賓の怒りを買うと人間たちに災いを振りかかる結果になると信じられており、そうした怒りを鎮めるために岐阜県や長野県で山の神に餅を供える狗賓餅など、日本各地で天狗・狗賓に関する祭りを見ることができる』。『また、愛知県、岡山県、香川県琴平地方では、一般的な天狗の呼称として狗賓の名が用いられている』。『ちなみに広島県西部では、他の土地での低級な扱いと異なり、狗賓は天狗の中で最も位の高い存在として人々から畏怖されていた。広島市の元宇品に伝わる伝説では、狗賓は宮島の弥山』(みせん)に「三鬼(さんき)さん」の『眷属として住んでいると言われ、狗賓がよく遊びに来るという元宇品の山林には、枯れた木以外は枝一本、葉っぱ一枚も取ってはならない掟があったという』とある。]

[やぶちゃん注:「十四五町」一キロ半から一キロ六百三十六メートルほど。前に揚げた現行の谷内地区内なら、現在の「御門池」の北へ延びている部分辺りか(グーグル・マップ・データ航空写真)。後者なら、谷内山頂上から西北にある高峰の西南直下の谷がそれらしく見える。

「はなたらし」「洟垂らし」。年若くて経験の乏しい者などを嘲って言う語。

「享保年中」一七一六年~一七三六年。]

 又享保元年の頃、奧村豫州公の近習河合某と云ふ者、勤仕(ごんし)の暇に秘藏して飼置たる犬を牽きて山林に分け入り、狐狸を獵して樂(たのし)みけるが、頃は長月廿三日の暮過ぐる程に、例の如く犬を牽きて、邊り近き若松山に入りて、普(あまね)く得物を求めけるに、折惡しく一疋も得ざれば、手を空くして時を移す。

 本より闇夜の事なれば、咫尺(しせき)の間も見分かず、忽ち道を失ひて茫然として彳(たたづ)む所に、ふしぎや峨々たる峰の上より滿月顯れ、光明赫々(かくかく)たる事、恰も明鏡の如く、時を測れば亥の上刻なるべし。殊更今夜は曇り多し、何にもせよいまだ月の出づべき道理なし。

『心得がたし』

と見る所に、此月舞ひ下りて松の梢に留まり、光り彌增(いやまし)に目をくらめかしければ、腰の刀に手を懸け、

『下らば切らん』

と待つほどに、なまぐさき風

「さつ」

と吹き、黑雲吹き懸け、月を覆ふかと見れば、虛しく空に消えて跡もなく、本(もと)の闇夜にぞなりければ、

「かく長居しては惡(あし)かりなん」

と、犬を脇に挾み、峯をよぢ谷を下りてもくらさはくらし、木の根・岩角につまづき、辛うじて鈴見村に着きて、民家を叩きて始終を語り、暫く休みて歸りしとかや。

 是何の魔障(ましやう)ぞや。

[やぶちゃん注:「享保元年」一七一六年。

「奧村豫州公」加賀藩年寄で加賀八家奥村家宗家第六代当主の奥村有輝(延宝七(一六七九)年~享保一五(一七三一)年)。

「長月廿三日」旧暦九月。但し、グレゴリオ暦では、この年は旧暦に閏三月があったため、十一月六日となる。

「若松山」不詳。流れからして、谷内の近くでなくてはならないと思ったのが、そもそもの間違いで、後から、これはここで話は切れて、金沢市内の話に戻ったのだと考え直したところ、以下、最後に「辛うじて鈴見村に着きて」とある「鈴見村」は金沢市鈴見台を中心とした附近(グーグル・マップ・データ航空写真。鈴見台の北周縁に鈴見町がある)となり、しかもその山続きの南東麓に若松町の名を見出せた。そこで「今昔マップ」を見ると、ここになる。かつてはこの鈴見村と若松村の東北部には、通常は人のあまり立ち入らない広大な森林帯が広がっていたことが判る。ピークに名はないが、例えば若松村の後背地の大池の近くにあるピーク百六十六・三メートルを若松山と呼んだとして何ら不思議はない。

「亥の上刻」午後九時四十五分頃。

「月の出づべき道理なし」当日の月の出は「暦のページ」で計算したところ、午後十一時二十六分であった。]

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