早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 十四 狸の怪と若者
十四 狸の怪と若者
自分の村の池代の山の大窪には、えらい古狸が棲んで居て、地續きの深澤の橋へ出て、通る者を嚇すとは専ら言うた事である。恰度村の中程で、上と下の組の間の谷に架つて居た橋である。もう二十年ばかり前であるが、橋の近くに住んで居た某の男が、夜更けに一人歸つて來ると、橋の欄干に坊主が一人凭れて居たが、それが見る見る大きくなつたのに、膽を潰して逃げて來たと言うた。
[やぶちゃん注:例の早川氏の手書き地図を見ると、右手中央に『(字池代)』とあり、その小流れが下って寒狭川に出たところに『深澤』とある。なお、その横に『𣘺址』とあるが、これは寒狭川に架かっていた橋の跡の謂いであろう。ここには「地續きの深澤の橋」とあるので、ここではなく、この小流れを少し遡ったところで村道と交差する部分にあったものと推定される。現在の新城市横川池代はここ(グーグル・マップ・データ)で、グーグル・ストリート・ビューでここから寒狭川に下がった村道を見たところ、ここに有刺鉄線を張った箇所が見られ、道の外は谷状(写真は山側(池代)方向)になっているから、この辺りに「深澤の橋」はあったのではなかろうか? 「早川孝太郎研究会」による「三州民話の里」の本篇のPDF版に「深沢橋から池代の窪」とキャプションする少し古い感じの写真が載るのであるが、グーグル・ストリート・ビューで先の位置から煽りで山側を見ると、この写真と手前の丘陵と山の樹木の形状がかなり一致するように思われるのである。ガードレールに有刺鉄線では化け坊主も凭れたくはなかろう。
「組」村組。村落内部の区分。近接性や縁故によって形成された。]
村の某の家の者であるが、五十年ばかり前、夜分此處を通りかゝつて、狸に嚇かされたのが因[やぶちゃん注:「もと」。]で、死んでしまつた話がある。未だ宵の口だつたさうであるが、橋の近くにあつた家へ、血相變へて驅け込んで來たと言ふ。よくよく物の怪を見たと見えて、戶口でハアツと言つたぎり、土間へ倒れてしまつて、後は口も利けなんださうである。其夜は其處へ寢かして、翌日家へ連れて行つたと言ふが、四五日して息を引取つたさうである。病んでゐる間も、絕えず怖(おそ)怖がいと言ひ通して居たと言ふが、果してどんな怪を見たことか、家人が堅く祕して居て一切他人には話さなんだといふから判らない。未だ二十かそこいらの若者で、極く實直な男だつたさうであるが、何でも下の村に馴染の女があつて、其處へ通つて行く途中だつたとも言うた。三州橫山話にある、老婆を殺して山へ持つて行つたのも同じ狸の仕業と言ふ事である。深澤の橋には、クダ狐も出ると言うた。或は又其處で幽靈に遇つたと言ふ者もあつた。極く新しい話で、近くの家に葬式があつて、暮方村の者が橋を行つたり來たりして居た。そこへ一人が橋の袂迄來ると、土手に男が凭りかゝつて此方を見て居たが、通り過ぎて振り返つて見ると、もう影も形も無かつた。大方幽靈だらうと言うて、大騷ぎをやつたさうである。
[やぶちゃん注:「五十年ばかり前」本書は大正一五(一九二六)年刊であるから、その五十年前は明治九(一八七六)年となる。
「三州橫山話にある、老婆を殺して山へ持つて行つたのも同じ狸の仕業と言ふ事である」「三州橫山話」は早川孝太郎氏が大正一〇(一九二一)年に後発の本書と同じ郷土研究社の柳田國男監修になる『炉辺叢書』の一冊として刊行した、本書の先行姉妹篇との称すべき早川の郷里である愛知県の旧南設楽郡長篠村横山(現在の新城市横川)を中心とした民譚集。「早川孝太郎研究会」による「三州民話の里」にある同書の「狸の話(二話)」(PDF)の最初の「老婆を食い殺した狸」を指す。以下の引用させて貰う。
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字池代の大久保という山に住んでいた狸は全身白毛の古狸で、近くの深沢というところの路に出て、坊主に化けて人を嚇すなどと言いました。明治の初め頃、ここに近くの早川孫総という家で、老婆を一人留守において柴刈りに出かけたあとで、この狸が婆さんを食い殺して、山へ持って行ったと言いました。翌日山を探すと、婆さんの頭と肢が、離ればなれのところにあったのを拾ってきて埋めたなどど言いました。この老婆は眼が不自由で、いつも縁側に日向ぼっこをしていたそうです。
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「クダ狐」同前の「狐の話(八話)」(PDF)の最後に「クダ狐」とあり、そこに『狐に管狐という一種があって、単にクダともクダン狐とも言います。鼬によく似て、鼬より体が小さく、毛の色が心持ち黒味を帯びていると言います』。『狐使いの家などで使うのはこの類で、種々な通力を持っていると言いますが、これに、白飯に人糞をかけて食べさせると、通力を失って馬鹿になると言います』とある。「管狐(くだぎつね)」については「宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 始めて聞く飯綱の法」の私の「飯綱(いづな)の法(はう)」の注を参照されたい。私の「想山著聞奇集 卷の四 信州にて、くだと云怪獸を刺殺たる事」には図も出る。他にも私の記事では管狐は常連である。]
村を出離れて、長篠へ越す途中の、馬崩れの森は、田圃を三四町[やぶちゃん注:凡そ三百二十八~四百三十六メートル。]過ぎた所に、一叢大木が茂つて居て、日中でも薄氣味の惡い處だつた。こゝからずつと長篠の入口迄山續きになるのである。此處にも又惡狸が居て、通る者を時折嚇すと言うた。或は又山犬も惡い狐も出ると言うて、何れにしても問題の場所だつたのである。自分などの此處を通つた經驗でもさうであるが、暮方など未だ明るい田圃道から、暗い森の中へ足を運んで行と[やぶちゃん注:ママ。「ゆくと」。]、地の下へでも入るやうで自づと心持迄滅入つて來る。又反對に暗い森の中から、田圃道へ出るとホツとするが、それだけに何だか後から引張られでもするやうに不氣味を感じたものである。そんな譯でもあるまいが、田圃の手前の、村の取付にある家へは、以前は夜分眞蒼になつた男が、時折驅込んで來たさうである。
[やぶちゃん注:「馬崩れの森」この中央附近(グーグル・マップ・データ航空写真)の寒狭川左岸の道と思われる。現在の横川地区南端辺りからこの森の辺りまではまさに四百メートルほどに当たる。]
或男は暮方森の手前に差しかゝると、一町[やぶちゃん注:百九メートル。]程前を、太い尻尾を引ずつて、狸が步いて行くのを見たが、道の中央でくるくる回り出した、そして道下へ飛込んだと思つたら、娘になつて上つて來たなどゝ、狐にでもありさうな事を言うて居た。又某の修驗者は、夜更けて一人行くと、行手を豆絞りの手拭で頰被りをした男が、鼻唄で行くが、どうも樣子が怪しいと思つて、一心に九字を切ると、果して道下の池へ飛込んだと、眞面目になつて語つたものである。
[やぶちゃん注:「又某の修驗者は」実は底本では「某の又修驗者は」となっているが、特異的に訂した。改訂版では「又」自体がカットされている。
「九字」九字護身法。「臨・兵(ひょう)・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九字の呪文と九種類の印によって除災等を祈る呪法である。但し、本来は仏教(特に密教)で正当に伝えられる作法ではなく、道教の六甲秘呪という九字の作法が修験道等に混入し、その他の様々なものが混在した日本独自の作法である、とウィキの「九字護身法」にある。]
これは自分の祖母の話だつたが、父が未だ少年の頃で、夜遲く二人で通りかゝつた時、恰度森の中程で、何か怪しいものを見たと言ふ。大方狸の惡戯だらうと云うたが、何を見たのか、それ以上聞いても話さなかつた。
[やぶちゃん注:「祖母の話」で筆者の「父が未だ少年の頃」ということであるから、幕末の話である。早川孝太郎氏は明治二二(一八八九)年生まれである。]
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