早川孝太郎「猪・鹿・狸」 狸 二 狸 の 死 眞 似
二 狸 の 死 眞 似
よくいう狸寢入りは、ほんとの狸には未だ聞いた事が無かつた。然し死に眞似をする話の方は、狩人に聞いても確かにあると言うて居る。早い話が山で貍を追かけて、ドンと一發喰はし[やぶちゃん注:「くらはした」。]時、コロリと見事に引くり返つた時などは、中々油斷が出來ぬさうである。獵犬に追かけられた時でも、犬が追ついて一嚙み當つたと思ふと、もうグタリと參る事がある。そんな時に限つて隙を窺つて居るので、犬でもうつかり遁す事があると言ふ。然し老巧な犬は、矢張りそれをよく知つて居て、決して油斷をしないとも謂うた。
[やぶちゃん注:表題は「しにまね」と読む。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貍(たぬき)(タヌキ・ホンドダヌキ)」の注のウィキの「タヌキ」からの引用をそのまま引くと、狸が『死んだふり、寝たふりをするという意味の「たぬき寝入り(擬死)」とよばれる言葉は、猟師が猟銃を撃った』際、『その銃声に驚いてタヌキは弾がかすりもしていないのに気絶してしまい、猟師が獲物をしとめたと思って持ち去ろうと油断すると、タヌキは息を吹き返し』、『そのまま逃げ去っていってしまうというタヌキの非常に臆病な性格からきている』と一般的には言われている。なお、『「タヌキ」という言葉は、この「たぬき寝入り」を「タマヌキ(魂の抜けた状態)」と呼んだのが語源であるという説がある』とある。]
鳳來寺村峯の、音何とかいふ狩人だと聞いた。ある時、分垂(ぶんたれ)の山から追ひだした狸を、田の中へ追込んで、獵犬を向けると、直ぐ咥へて來たさうである。其狸を家へ持つて來て、土間へ轉がして置くと、犬が傍に座つて番をして居たさうである。すると、其時ちよつとの間背戶へ用足しに出て歸つて見ると、犬が門口で狸と嚙み合つて居る。見る見る犬が咥へて振殺して[やぶちゃん注:「ふりころして」。]しまつたさうであるが、若しもその時犬が居なかつたら、遁がしてしまつたろうと謂ふ。
[やぶちゃん注:「鳳來寺村峯」例の早川氏の手書きの地図から(左上部に「鳳来寺村字峯」とある)、現在の新城市門谷広峰附近であろう(グーグル・マップ・データ)。
「音何とかいふ」音吉(おときち)とか音二郎とか等々である。
「分垂(ぶんたれ)の山」複数回既出既注。現在、新城市門谷下分垂の地名があるから、この地区か(グーグル・マップ・データ航空写真)或いはその周辺のピークと思われる。]
又同じ村の或男は、擊つて來た狸を土間に置いて、爐邊に坐つて、飯を食つて居た。すると戶の外に繫いである犬が頻りに吠え立てるので、 格子の間から覗いて見ると、死んで居た筈の狸が、そつと頭を持上げて居る。此奴噓死にだなと思つて、エヘンと一ツ咳拂をすると、慌てゝ又候[やぶちゃん注:「またぞろ」。]グタリとしてしまふ。そして暫く經つて四邊が又少し靜かになると、狸がそつと細目を開けて樣子を窺つて居る。エヘンと又一ツやると、慌てゝ目を閉じてしまつたと謂ふ。
又瀧川の某の狩人は、 椎平(しいだいら)の山で、狸が山のタワを遁げる處を擊つと、飛上つてコロリと轉がつたさうである。それを家へ持つて歸つて、半日程土間の天井へ吊るして置いてから、下して皮を剝ぎに掛つた、そして背中を半分剝ぎかけた時、急に何か用事が出來て、狸を其處へ置いたまゝ隣の部屋へ行つた。するとその狸が、背中を半分剝がれたまゝでノソノソ這つて背戶口から外へ遁げ出した。其處へ折よく家内[やぶちゃん注:「いへうち」。]の者が來て、大騷ぎをやつて、捉へた事があつたと謂ふ。
[やぶちゃん注:「瀧川」複数回既出既注。国土地理院を見ると、出沢の北に接して寒狭川沿いに「滝川」の地名を見出せ、スタンフォードの古い地図でも「瀧川」とある。
「椎平(しいだいら)」新城市横川の寒狭川に架かるこの橋が椎平橋(グーグル・マップ・データ)であることが、ストリート・ビューの少し上流側のバス停名で判った。更にスタンフォードの古い地図でも「追分」の上流で「長樂(ながら)」の下流に当たる大きく寒狭川がカーブする右岸に「椎平」とあるのを見出したので、恐らく新城市玖老勢向山のこの辺り(グーグル・マップ・データ航空写真)ではないかと推定する。]
鼠などにはよくあつた。長押[やぶちゃん注:「なげし」。]の上を走る處を、箒で拂ふと、バタリと落ちて來る。尻尾の先を摑み上げて、表の端迄持出して、其處に置くか置かぬ間に、チヨロチヨロと遁げてしまつた。これなどは、一時氣絕して居たと言へば言へるが、背中を半分剝がれてから、初めて正氣づいたとしては變な譯だ。さう言つて、それ迄死眞似して居たとすると、えらい辛抱强い事である。
[やぶちゃん注:この鼠はネズミ目リス亜目ネズミ型下目ネズミ上科ネズミ科クマネズミ属クマネズミ Rattus rattus と考えられ、同種は成体でも頭胴長で十四・六~二十四センチメートル、尾長は十五~二十六センチメートル、体重も百五十から二百グラムぐらいしかないから、その子供などが長押を這っているところを叩き落とせば、恐らくその落下の衝撃で軽いショックを受けて仮死状態となると思われる。タヌキと同じく敢えて意識的に擬死しているわけではないと思う。]
然し何れにしても、如何にも狸らしい遣方[やぶちゃん注:「やりかた」。]ではあつた。
[やぶちゃん注:所謂、民俗社会で人を化かすと考えられていた「狸らしい遣」り方であるというのである。]
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